019 桜ヶ丘結奈13
奏乃ちゃんのベッドで寝ることに、だんだん罪悪感とか抵抗とかがなくなってきている気がする。
「むむむ……」
これはゆゆしき事態だ。
奏乃ちゃんはわたしが自分のベッドで寝ていても、べつに怒ったりいやがったりはしないだろう。わたしと一緒に寝るのに抵抗なさそうだし。すでに二回も一緒のベッドで寝てしまった……。
でも、これじゃ、わたしが変態さんになってしまう。ほんとうに奏乃ちゃんの匂いがついた布団じゃなきゃ眠れなくなっちゃうと、瑠璃ちゃんに「変態だねー」って言われても言い返せない。わたしだって、星ラジのお悩み相談に「最近、ルームメイトの匂いがするベッドじゃないと寝られません。どうすればいいですか?」とか来たら、持て余してしまいそうだ。
──みたいなことを、わたしのベッドの底板を眺めながら考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
誰だろ。こんな時間に──っていってもまだ九時だから、夜遅いってわけじゃないか。
奏乃ちゃんのベッドから出て、ドアスコープを覗いてみると、赤色の髪をした女の子が立っていた。見覚えはあるのに、それがどこだったか思い出せない。こんな目立つ髪色の子、話したことあったとしたら忘れるはずないと思うんだけど。
はーい、とドアを開けると、女の子と目が合う。わたしのほうが背が低いから、見上げるような形だ。背丈は、奏乃ちゃんと同じくらい。
彼女は驚いたように目をぱちぱちさせた。それから、あ、と何かに思い当たったような声を出す。
「桜ヶ丘先輩、ですよね」
「そうだけど……」
「あたし、1-4の相葉汐音です」
1-4──高等部一年四組ってことなら、奏乃ちゃんと同じクラスだ。
「……ってことは、奏乃ちゃんのお友達?」
そういえば、学校で奏乃ちゃんを見かけたとき、一緒にいたかも。だから見覚えがあったのかな。
「そんなとこです。奏乃に借りてた本返しに来たんですけど、今いますか?」
「あー、ごめん。今ちょうどいないんだー」
そうですか、とあんまり残念そうでもなく、汐音ちゃんは言った。
「すみません、夜遅くに来ちゃって。また──」
「えっと、汐音ちゃんっ」
別れの挨拶を切り出そうとする汐音ちゃんに、わたしは声をかけた。わざわざ来てもらって、手ぶらで帰すのもちょっと申し訳なかったし、奏乃ちゃんの友達なら、奏乃ちゃんのこともいろいろ聞けるかも、とも思った。
「せっかくだし、上がってかない?」
***
くらげの形をした座布団に座ってもらう。ふだんはわたしが座ってるやつだ。
「ジンジャーエールでよかった? 」
「あ、おかまいなく」
冷蔵庫から緑色の瓶を出して、栓抜きを当てる。ぽん、と間の抜けた音を立てて、王冠が取れた。
「この部屋、すごい奏乃の匂いしますね」
「え、そう?」
そう聞き返してから、たしかにするかも、と思い直す。
奏乃ちゃんが来たばかりのころ、この部屋に帰ってくるたびきんもくせいの匂いが鼻をくすぐって、ここはほんとにわたしの部屋だったっけ、なんて思うこともあった。いまのわたしはもうそれに慣れてしまって、感じられなくなっているのだ。それこそ、奏乃ちゃんのお布団とかじゃないと。
「まあ、奏乃ちゃんもここで暮らしてるからねー」
「そりゃそうか。奏乃、どこ行ってるんですか?」
「東京だよー。お里帰り」
ふたり分のグラスをローテーブルの上に置いて、ジンジャーエールを注ぐ。泡が立ってほんもののお酒みたいに見える。
「ごゆっくりどうぞ」
カフェのウェイトレスさんになった気分で言ってみた。着てるのがパジャマだからあんまりかっこつかない。
「すみません、気をつかわせちゃって……」
ううん、と首を振る。なんというか、よくできた子だ。
「いつ帰ってくるとか、言ってましたか?」
「明後日だって」
今日のお昼、奏乃ちゃんからそういうLINEが来た。内容はうれしかったけど、ちょっとだけがっかりしてしまった。帰ってくるって連絡は電話だと思い込んでたから、メッセージで済まされると肩をすかされるような気分だった。
「奏乃、さみしがってないといいですね」
「…………」
心当たりがありすぎる。顔に出てしまったのか、汐音ちゃんはくすくす笑った。
「桜ヶ丘先輩、うちのクラスだと有名人なんですよ。ソフト部でもそうかもです。奏乃、クラスで毎日桜ヶ丘先輩の話するから」
「えー。どんな話?」
「えーっと……先輩はかけうどんが苦手で、必ずざるうどんにするんだけど、冬はなくなっちゃうからどうするんだろーとか、寮の廊下でセミが死んでたとき、奏乃が片づけるまで部屋に帰れずにずーっとセミとにらめっこしててかわいかったーとか……」
「えー……どんな話……」
想像以上にどうでもいい話だった。こんな話を聞かされる一年四組の子たちがかわいそうだ。しかも毎日……。
「……なんかまんざらでもなさそうですね」
「べ、べつに、そういうわけじゃ」
自分の頬をぐりぐりする。
実際、奏乃ちゃんが友達にそういう話をしてくれるのは、うれしくなくもなかった。それは、友達といるときも、ちょっとはわたしのことを考えてくれてるってことだ。
汐音ちゃんの視線から逃れるように、グラスを口につける。ショウガの辛さと炭酸で、のどが焼けるような感じがした。
「……奏乃に話すネタ与えるみたいでしゃくですけど、九月一日、何かやってあげたら、超喜ぶと思いますよ」
「九月一日? なんで?」
「あいつの誕生日だからです」
「えっ、もうすぐじゃん! 奏乃ちゃん、何で言ってくれないの?」
汐音ちゃんは仕方なさそうにため息をついてから、ジンジャーエールのグラスを揺らした。
「アピールしてるとか思われるの嫌なんですよ。お姉ちゃんっぽくないから」
「な、なにそれ……」
「ほんと、なにそれですよね」
あきれたように、まあいいですけど、と汐音ちゃんが言って、空のグラスをテーブルに置く。
「あたし、ここの219なんで、もし奏乃のことで困ったことがあったら言ってください。できるだけ、力になります」
「うん! お誕生日のこと、教えてくれてありがと」
それから、奏乃ちゃんの本を受け取って、汐音ちゃんとは別れた。汐音ちゃんに聞かなければ、奏乃ちゃんのお誕生日を知らずに過ぎてしまうところだった。
こないだのお返しをする、いいチャンスかもしれない。わたしが奏乃ちゃんに何かしてあげて、喜んでくれるといいけど。でも、何をすればいいんだろう……。