016 ラプンツェル1
わたしは、小さな部屋の中にいる。物心ついた時から、ずっと。
部屋には、ベッドとかランプとか、そういった最低限の調度が置いてある。壁は土色がむき出しになっていて、わがままを言わせてもらえば、もうちょっとおしゃれな感じにできなかったのかな、と思う。ほとんど唯一のいろどりは、人がひとり入れるくらいの大きさの窓だ。わたしはいつもそこから空を眺めていた。窓辺にひじをついて、飛んでいく鳥の数を数えたり、浮かぶ真っ白な雲のやわらかさについて考えたりする。このあたりじゃ、わたしの部屋は、ほかの何よりも空に近い。
部屋は高い塔の上にあるから、外に出るのはむずかしい。わたしも魔法が使えれば……いや、そうじゃなくても、はしごか何かあれば、出ようとがんばってみることはできるかもしれないけど、そういった便利なものはなかった。
この小さな部屋と窓から見える景色が、わたしにとっては、世界のすべてだ。
そんなわたしを育てたのは、魔女さんだった。
魔女っていうと、大きな釜で怪しい薬でも作っていそうな、鉤鼻のおばあさんを想像するかもしれない。でも、うちの魔女さんはけっこう若い。しわもないし、声だってしゃがれていない。ローブととんがった帽子のおかげで魔女っぽさはあるけど、もし脱いじゃったら、彼女のことを恐ろしい魔女だなんて思う人はいないだろう。
魔女さんは、わたしを「ラプンツェル」と呼ぶ。それが、わたしの名前だから。
塔に上がってくるとき、魔女さんは下から「ラプンツェル、髪をさげてくれ」と大声で言う。一度もハサミを入れたことのないわたしの髪は、塔の上から下まで垂らしても余るほど長く伸びていた。金色の髪の毛を、一度梁に回して、窓から下へ放り投げる。魔女さんはそれをロープみたいに伝って登ってくるのだ。
魔法が使えるなら、空飛ぶほうきでもなんでも使えばいいと思うんだけど、「またがると食い込んで痛い」という理由で却下されてしまった。まあ、髪を下ろすくらいめんどうでもないし、別にいいけど。
わたしの髪を伝ってきた魔女さんと一緒に食事をする。萵苣が食卓に上ることは多い。魔女さんの家で栽培しているからだ。ラプンツェルを食べるわたし。ラプンツェルに食べられるラプンツェル。……ううん、これはあんまり考えないようにしよう。
食事のあと、シャワーを浴びるのを手伝ってもらう。髪が長いおかげで、ひとりで洗おうと思ったら何十分……いや、数時間とかかってしまう。なんだかお姫様みたいなので、わたしはこの時間が、けっこう気に入ってる。
ふたりして髪を乾かしながら、いつも魔女さんととりとめのない話をする。でも、その日は特別で、魔女さんはめずらしく昔話をした。
「昔、私の畑の近くには、ある夫婦の家があった。きみが生まれる前の話だけどね。そこに住んでいた夫婦は、ある罪を犯したんだ」
「ふぅん。どんな?」
「私の畑から、萵苣を盗んでいったんだよ。よほどおいしそうに見えたらしいね」
「…………」
ふふん、とご満悦の表情を浮かべる魔女さん。
でも、それはどうだろう。土に埋まってる生の萵苣を見て、おいしそうって思うのはシカさんくらいじゃないかな。
「なぜ黙る。……まあいい。とにかく、いくら萵苣がおいしそうに見えても、罪は罪。罪には、償いが必要なんだよ。だから、私は、生まれた子供をよこせって言ったんだ。私が母親のように育てるから心配はいらない、それに、萵苣は好きなだけ取っていけばいいって。夫婦は無事女の子を生んだ。私はその赤ん坊を、約束の通り引き取ったのさ」
「その赤ん坊っていうのが、わたしなのね?」
学校には行っていないけど、わたしはかしこいので、それくらいはわかるのだ。
「まあ、そういうところだよ。私を恨むかい?」
そう尋ねられて、わたしはすこし考える。
魔女さんは、言った通り、今まで本当のお母さんのようにわたしを育てた。毎日ごはんを持ってきてくれるし、寒い時期はちゃんと毛布まで用意してくれる。自分の娘でもないのに約束を守っている魔女さんは、りちぎだと思う。
それに、わたしはお母さんとお父さんの顔も知らない。会いたくないって言えばうそになるけど、どうしても会わなきゃいけないってわけでもない。罪を犯したら、罰を受けなきゃいけない。お父さんとお母さんに与えられた罰が、わたしと引き離されてしまうってことなら、わたしもそれを受け入れなくちゃだ。
わたしが魔女さんを恨む理由は、思いつかなかった。胸のあたり──心があるって言われてるあたりに手を当て、頭を使って出した答えがわたしの気持ちと同じであることを確かめる。
「……いいえ。あなたは、わたしをほんとうの娘のように育ててくれているわ。それに、罪を犯したら、罰を受けるのが当然だもの」
そう言うと、魔女さんはくすくす笑った。
「お気楽なことだね」
「生き苦しいよりよほどいいじゃない」
わたしも笑う。
けれど、手を当てた胸にひとつだけひっかかるものを感じて、笑顔が引きつった。
……魔女さんが、いくらお母さんのように、わたしを育ててくれたとしても──この塔にいる限り、わたしの「孤独」という病だけは、癒されることはない。