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015 美波奏乃 4

 家に帰り着いた時には日付が変わっていた。家族を起こさないよう、そっと玄関のドアを開ける。両親はあたしが遅く帰ってくるのに慣れっこだから、なんとも思わないはずだ。


 浴槽でゆっくりしたあと、自分の部屋に上がって、ベッドに転がる。冷蔵庫から取り出した紙パックのいちごオレがもう汗をかき始めていた。今夜は熱帯みたいに蒸している。冷房を強めに設定して、扇風機もつける。


 スマホをカバンから取り出して、LINEを見る。あたしのひよこのスタンプに既読がついてから、先輩とのトークに進捗はない。スタンプがかわいいとかかわいくないとか、そんな話をしたのが遠い昔のような気がしてくる。でも、日付を確認したら昨日だった。


 べつに、先輩に何か送ろうと思ってLINEを開いたわけじゃない。もう夜遅いし、先輩は寝ているはずだ。


 だから、何もしない。何もしないつもり、なんだけど。


 今日考えてしまったことが、鉛のように頭の底のほうに降り積もっていた。ユキとミサが彼氏を作って、しかももう済ませている(・・・・・・)なんて。


 あたしも二人と同じ環境にいれば、きっとああなっていただろう。別にあたしがまじめちゃんに変わったわけでも、ユキたちがだらしなくなったわけでもない。周りがそうだったってだけ。本当は、あたしたちは何も変わっていない。


 それなのに、ユキやミサに置いて行かれたような気分になる。二人だけがあのことを知っている。まるで、彼女たちに隠し事をされてるみたいな、疎外感を感じてしまう。


「………」


 ……何もしないつもり、だったんだけど。


『……奏乃ちゃん?』


 3コール目で切ろうと思ってたけど、2コール目が終わる前にスピーカーから声がする。驚いたのと、うれしいのと、緊張するので、心臓がばくばくしている。寝起きとは思えないしっかりした声だったので、ひとまず安心だ。


「えっと、こんばんは。あたしです。寝てました?」


 こんばんは。先輩とこんなあいさつをしたこと、あったっけ。夜は一緒にいるのが当たり前だから、したことないかもしれない。


『ううん。ごろごろしてたけど、なかなか寝付けなくて、ケータイ見てた。いきなり電話かかってきたからびっくりしたよー。……あと、こんばんわ』


 ふふ、と笑みがこぼれる。あたしと一緒だ。


『……なんで笑うの?』

「笑ってなんてないですよー」

『でも今、ふふって』

「えー、ほんとですってば」


 にやにやしたくなるのを抑えようとして、電話だから別に抑えなくていいんだと気づき、頬がゆるむのに任せる。先輩はどんな顔をしているだろう。いつもみたいに、ちょっと口をとがらせてるかな。


「……うそです。先輩と一緒だったからです。あたしも、ごろごろしてました」

『……うそつき』


 拗ねるかな、と思ったけど、笑ってくれる。表情がわからなくても、声のトーンとか息遣いでわかった。

 先輩の柔らかい声を聴いていると落ち着く。長電話をするつもりはなかったけど、ついつい話し込んでしまいそうだ。


「明日はお休みですか?」

『うん、休みだよ。学校閉まっちゃうんだって』


 そうだっけ。そういえば、お盆の間の数日間は宿直の先生も警備員さんも学校に来ないから、休みになるとか聞いたかもしれない。せっかく先輩がお昼も寮にいるのに、あたしのほうが実家に帰って部屋を空けているのはなんだかもったいない。


 隣の部屋で寝ている家族に気をつかって、ベランダに出る。夏の夜の空気がむわっと押し寄せてきた。半袖の腕にまとわりつく。


『夜更かししても大丈夫だね』


 先輩は夜更かししたことなさそう。あたしの勝手な予想だけど。


「眠くなったら、言ってください」

『……奏乃ちゃんもね』


 言い返してくる。勝負みたいだ。先に眠くなっちゃったって言った方が負けの、くだらない勝負。でも、先輩にはそんなに勝ち目がない。あたしにとって、徹夜は、中学時代の良くない習慣だったから。


 ベランダの柵にもたれて、いちごオレのストローに口をつける。


「あたしがいなくて、さびしいですか?」

『……べつに。奏乃ちゃんがいなくても、ふつうだよ』


 そう言われても平気だった。本心じゃないのがすぐに分かる。先輩には、簡単にひとを傷つけるようなことはできないと、あたしは知っている。


「そうですか。ちょっと悲しいです」


 真に受けたふりをして、わざとらしく、しなを作る。ほんとは悲しいなんて思ってない。それでも、先輩にはてき面だ。電話口から、慌てたような声が聞こえた。


『か、奏乃ちゃんは? わたしがいなくて、さびしい?』


 先輩が尋ね返してくる。ずるい、と思う。あたしが「さびしいです」と言えば、先輩もそう言えばいいんだから。


「……そうですね」

 先輩が息遣いを乱す。自分で聞いておきながら、あたしの言葉は予想外だったみたいだ。


『……ほんと?』

「ほんとです」

 先輩は、と言外に尋ねる。


『……わたしも』

「うそつき」

『お互いさまだよ』


 先輩と笑いあっていると、胸のわだかまりが(ほど)けていくのを感じる。ユキとミサとのことを先輩に話してしまえば、どれくらい楽になれるだろう。先輩がやってるお昼の放送のお悩み相談コーナーにメールを送るひとの気持ちが、なんとなくわかった。


 でも、妹に相談する姉ってどうなんだろう……。


 先輩の「お姉ちゃん」としてのあたしに後ろ髪をひかれそうになる。でも、妹に、いなくてさびしいなんて言う姉がどこにいるのだろう。今日はもう、美波姉乃は、なんかダメだ。


 話しちゃえ、と後輩としてのあたしが背中を押した。


「ちょっとお話、付き合ってもらっていいですか」

『そのつもりだよー』


 先輩だって、あたしがこんな時間に電話をかけてくるんだから、何かわけがあるって感づいていたのかもしれない。先輩の声が聞きたいとか、そういうロマンチックな理由もないことはないけど。


 もういちど、いちごオレを飲む。イチゴの酸っぱさなんてまるでなくて、ただ甘いだけの後味が舌に残る。


「……今日、中学の時の友達に会ったんです。ユキとミサっていう子で、中学の時は、不真面目グループみたいな感じでつるんでて、一番仲良くて……まあ、親友、でした」

『えー、奏乃ちゃん、不良さんだったの?』


 からかうように言われる。そっちの方がありがたかった。苦い話をすると、口も重くなる。


「うーん……不良とまでは。授業さぼったり、深夜まで遊んだりしてただけで」

『ふ、不良さんだ……』


 犯罪には手を染めてないから、ちょい悪、くらいだ。あるいは、ただ自堕落になっていただけ。それでも、星花みたいなおしとやかな学校じゃ、判定基準が低いから、不良だと思われても仕方ない。先輩みたいなまじめなタイプは、特に。


「それで、ふたりとも東京の一緒の高校に行ったんですけど、もう彼氏作ってて、初体験も済ませたらしくて……。なんだかあたしだけ置いてけぼりみたいな気持ちになっちゃいました。そのせいで、あたし、星花に来たのがほんとによかったのか、わからなくなって……二人とおんなじ、東京の高校に行けばよかったのかな、なんて」

『そっか……』


 先輩は、少しの間考えるように黙った。先輩の言葉を待ちながら、都心のビル街に目を向ける。


 林立するビルディングは、暗い海に浮かぶ島のようだった。夜を切り取る黒い影のところどころに赤い光が輝いている。空の宮に比べて、東京は夜が来るのがずっと遅い。


『たしかに、ずっと一緒の世界を見てきたひとが──ずっと一緒に歩いてきたひとが、自分より一歩先を行っちゃうのは、さびしいかもね』


 夜更けの空の宮から、先輩の声が届いている。


「……先輩は、星花に来て後悔したこと、ありますか?」


 先輩も、中学は星花じゃない。空の宮に来たてのころは、あたしみたいな気持ちになることもあったかもしれない。


 でも、先輩はきっぱりとした口調で否定する。


『わたしは、ないよ。あそこには、友達も思い出も、もう取りに戻らないって決めてるから……。奏乃ちゃんは、星花に来たこと、後悔してるの?』


 先輩の質問には、答えることができなかった。先輩みたいに「後悔してない」って言えたらかっこいいけど、あたしにはそれができない。

 でも、後悔してるってことを認めるのも、怖い。認めてしまえば、東京に戻ってこない限り、この思いを引きずることになるような気がする。


「……わからないです」


 あたしがなよなよした答えを返したせいか、先輩はちょっとむすっとした声で言う。


『奏乃ちゃんは、星花にいて、さびしくなったことあるの?』


 星花にいて、さびしくなったこと……。


 胸をつかれる。そんなの、ひとつも思いつかない。


 クラスには汐音(しおん)ちゃんも夏芽ちゃんもいるし、部活に行けば、紀香ちゃんやはじめちゃんがいる。それに、なにより、515号室には、先輩だって。


 ふたりに会ってから、あたしは過去に囚われているだけだったんだ。先輩の言葉は、そんなあたしを今に振り向かせるのに十分すぎるほどだった。


「そんなの、あるわけないじゃないですか」


 ふふ、と先輩が笑う。

 あたしにとって、世界を一緒に見たり、一緒に歩いたりするひとは、もう東京にはいない。ユキやミサじゃないんだ。そのひとは、今は、空の宮にいる。


 ストローを吸う。ぬるくなったいちごオレは、さっきよりもずっと甘く感じる。


「話聞いてくれて、ありがとうございます」


『それが先輩の仕事だからねー。わたしも、奏乃ちゃんと話できてよかったよ』


 唐突にそんなことを言われて、頬が緩みまくった。顔の筋肉がなくなったみたいにふにゃふにゃになってしまう。ユキに言われたことも、あながち間違いじゃない。


『もう大丈夫?』

「大丈夫です」

 よかった、と先輩がつぶやいて、そのあとにあくびが聞こえる。


『……ごめん。安心したら、つい』

「いいですよー。おねむさんですね」

『……急に来ちゃった』

「じゃあ、今日はこの辺にしときますか」


 そだね、と先輩が言う。


 おやすみなさいです、と言ってから、返ってきたやわらかい声を最後に、電話を切った。


 ユキもミサもいなくても、今のあたしには先輩がいる。


 あたしは先輩と同じ今を見ていたい。


 先輩の言葉を思い出して、まただらしない顔になる。部屋に戻って、枕に顔をうずめた。


 今日はよく寝られそうだ。

ユキとミサによる番外編『私はえっちなので』:https://ncode.syosetu.com/n4622fn/ も、もしよければご覧ください。

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