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6 アレンヤの奇手

 「ようこそいらっしゃいました」

 店主は、入ってきたオソを笑顔で迎えた。この店で盤と駒を買ってからおよそ半年がたつ。オソは毎月一度は来店するようになっていた。白の指し手も得意客らしいのでいささか落ち着かないが、最初のとき以来ここで出会ったことはない。

 「今日も一局指して行かれますよね」

 「ええ」

 オソの答えを聞くより早く、店主はいそいそと応接テーブルに盤と駒を用意しはじめていた。店に来たときに店主と対局するのはほとんど習慣のようになっていた。オソがこの店に通う大きな理由はこの対局であると言ってよい。

 オソは壁際の本棚へと足を向けた。そこには古今の名手の棋譜、定跡の研究書、詰め遊戯集といった棋力向上に役立つ実用的なものから、遊戯の歴史を解説した本、遊戯の指し手が執筆した随筆、はては遊戯にまつわる事件をえがいた探偵小説にいたるまで、およそ遊戯に関連するありとあらゆる本が陳列されていた。盤や駒は頻繁に買い替えるものではないので、いまではオソがこの店で買うのはほとんど本である。

 本棚には遊戯に関する話題を扱う専門の雑誌も置いてあった。オソはそちらに手を伸ばそうとして、そのとなりに並んでいる別の雑誌に目をとめた。こちらは一般向けの総合誌である。この国で最も人気のある月刊誌の最新号で、オソはこの号には自宅ですでに目を通していた。なぜなら、オソ自身が記事に取り上げられているからである。この店に入荷されたのもひとえにそのためにちがいない。

 この雑誌には芸能や工芸などの伝統文化を紹介する連載記事があり、このたび千年遊戯を取り上げたいということで、先ごろオソの屋敷に記者が訪れ、インタビューをしていったのである。その場には政府の役人も同席していたが、これはオソが万一にもまずいことをしゃべらないように監視する役目であっただろう。

 店主がそばに来て言った。

 「その雑誌の記事、拝見しましたよ。私のような者が言うのも何ですが、立派なお話をなさっておいででしたね」

 「いえ、そんな。おはずかしいかぎりです」

 くだんのインタビューでオソが話したのは、伝統を守ることの意義がどうたら、責任がどうたらといった心にもない内容であり、事前に役人からわたされた想定問答集のとおりにしゃべっただけであった。さすがにこの場でそのような裏事情は明かせないので、オソはすこぶる歯切れが悪い。

 「伝統を守っていくというのは大変なことです。ましてその若さ、その境遇であれば、重圧はなおさら大きいでしょう」

 「どうでしょうか。一般の人たちから見たら、僕の仕事はほとんど遊んでいるように見えるんじゃないでしょうか。雑誌の取材のときには言えませんでしたが、税金の無駄づかいと批判されてもしかたないと思ってます」

 オソは思い切ってそうこぼしてみた。今もオソの後ろには監視役の警官二名がいる。もし不穏当な発言をすれば、それはしかるべきところに報告され、締めつけが厳しくなるおそれもあった。だがそれでも、オソは儀式に対する一般人のなまの意見を聞いてみたかったのである。

 店主は大きく首を振って答えた。

 「いやいや、無駄づかいだなんて、そんなことはありません。もちろん今では、千年遊戯をやめると世界が滅びるなどという話をまともに信じている者は少ないでしょう。ですが、ずっと昔から営々と続いてきたことです。やめたりしないで今までどおり続けていったほうが安心だと、そんなふうにみんな思っていますよ」

 「ありがとうございます。そのようにうかがうとなんだか気持ちが軽くなります」

 「堂々としていらっしゃい。あなたは立派に務めをはたしておられます」

 店主の言葉には真心がこもっており、それはオソの胸にしみた。だが同時に、オソの頭は別の計算をはじめていた。

 盤を壊そうが駒を盗もうが、人々が必要を認めるかぎり儀式はいやおうなく続いていく。儀式を終わらせるには、あんなもの意味がないとみんなが認めざるをえなくなるような何かを起こすしかない。


 アレンヤはときどき便りをよこしていたが、自分が何をくわだてているかについてはいっこうに語ろうとしなかった。オソとエレナがついにそれを知ったのは、アレンヤの口からではなかった。

 いつものようにオソが昼まえに起きて遅い朝食をとり、食後のお茶を飲みながら新聞をひらいたところ、その紙面にアレンヤの肖像画がでかでかと載っていたのである。すわ例の盗みが明るみに出たかとあわをくって記事を読んでみれば、それは以下のような内容であった。


 ――殷賑を極める都の中心部を去ること暫し、海に面して造船所の立ち並ぶ一角がある。ここに一隻の汽帆船が繋留され、現在大改造を受けている。近くこの船が臨まんとする航海の目的をもしも読者諸兄が知ったとすれば、必ずや驚嘆その極に達するであろう。それは、東部辺境への西回り航路開拓のための遠征なのである。

 この世界が古来考えられてきたような平面ではなく球体であることは夙に知られ、今や年端もゆかぬ子供でも当然のごとく知っているが、それを実地に証明した者はまだない。そこでこの遠征が企図されたのである。実地に証明するとは、一言で縮めれば、西に向かって出発した者が東の果てに到着するということである。

 船はさる交易商人の所有物であったが、先日若き冒険家アレンヤ・ベルフレン氏の買い取るところとなった。氏はもとは国立大学に籍を置く俊秀であった。その第一の研究分野は地理学であったが、これを深く学ぶにつれて、教室での議論は我が精魂を傾けるに足らず、実地の調査こそ己が使命なれと信ずるに至り、遂に学窓を去って渺茫たる大海原に乗り出すことを決意したものである。


 オソはしばらくあきれかえって言葉もなかった。ちょうどエレナが部屋の外を通りかかったので、呼び止めて記事を見せた。読み終わるとエレナはテーブルをたたいてどなった。

 「なんなんだいこれは! ええ? なにが事業だ、さいころかカードの博打のほうがまだしも確実だろうよ!」

 「僕に言われてもこまる」

 「しかも金をどぶに捨てるだけじゃすまない! ひとつまちがえば難破して命を落とすことになるだろうが! 昔っからそうなんだ。あのとんちきは隙あらば軽はずみなことをおっぱじめるから目が離せないんだ。この歳になってもちっとも成長しちゃいない!」

 エレナはひとしきりどなりちらし、そのあと数日間はきわめて機嫌がわるかった。ふだん仲の良い家政婦の婆さんでさえ扱いかねてエレナを避け、オソは記事を見せるのではなかったかもしれないと後悔した。もっとも、遅かれ早かれどこかで知ることにはなっただろうが。

 アレンヤは多忙なのか、なかなか姿を見せなかった。新聞にも続報は掲載されず、エレナは休火山のようなありさまで日を送った。

 ある夜、オソが儀式を終えて帰宅すると、エレナが居間でアレンヤを締め上げていた。

 「あんたという男は、祝言も上げないうちにあたしを後家にする気か!」

 「いや、そういうわけじゃなくて」

 「そういうわけじゃなくて何なんだい! あれが手の込んだ自殺以外の何だっていうのさ!」

 「だからちゃんとそれなりに見込みがあってだな……おっと、じゃましてるぜ」

 アレンヤはオソに気づいてあいさつしてきた。その小柄な体はエレナによって吊り上げられ、足は空中でぶらぶらしているが、当人はいたって落ち着いている。オソもかまわずたずねた。

 「例の新聞記事の内容は合ってるのか?」

 「ああ、おおむね合ってる。おれの考えだと、ここから西に向かって出航して、大洋を横切って、大陸の東端までは二か月ぐらいだろう。いまは東回りの航路で陸伝いでだいたい片道六か月かかるから、およそ三分の一になるわけだな。行きはコーヒー豆とか毛織物、帰りは磁器だの漆器だのを運んで売りさばけば相当もうかると見てる。早ければ二年ぐらいで十分な金がたまるはずだ」

 何をするために十分な金なのかは、言われるまでもなかった。エレナの両親の借金を返すためだ。

 「危険なんだろう?」

 「ああ。だが望むところさ」

 アレンヤは自分を持ち上げているエレナの手にふれた。

 「船は予算の許すかぎりの最高の性能。乗組員も腕利きぞろいだ。成功すれば大きいもうけになるのもまちがいない。ただ、絶対に生きて帰ってこられるとはやっぱり約束できない。ごめんな」

 「なんで、なんであんたがあやまるのさ。そもそもうちの借金なのに」

 エレナはへなへなとアレンヤを床に下ろす。アレンヤは爪先立ちしてエレナの頭をなでながらオソに向きなおった。

 「エレナをここから解き放つにはまだ何年かかかる。そこでおまえに言っておくことがある」

 「そのあいだエレナに手を出すなってことか」

 「いや、逆だ。エレナに手を出してもおまえをうらみには思わないってことさ。それに、もしおれが戻らなかったら、やっぱりエレナの面倒を見てくれるのはおまえだろう。おいエレナやめろくるしい」

 エレナは今度こそ手加減なしでアレンヤの喉首を締め上げにかかっていた。オソは心のなかでエレナに声援をおくった。

 エレナはアレンヤを存分に締め、意識を失う寸前でやっと解放した。紫色の顔になったアレンヤがぜいぜいと息をするのにむかって言う。

 「さっき言ったことを取り消しな。さもないと」

 「さもないと?」

 「ここを抜け出してあんたの船に密航してやる」

 まさかエレナも本気で言ったのではないだろうが、ともかくアレンヤは発言を撤回してあやまった。ふてぶてしいその顔は、自分が死ぬなどとはまったく思っていないようだった。

 帰りぎわにオソは聞いた。

 「出発はいつだ?」

 「来年の春と思ってるが、資金の調達しだいだな」

 「まだ足りてないのか。いくらだ。少しであれば、もしかしたら僕が出せるかもしれない」

 アレンヤは疑わしげな顔をして金額を告げた。かなりの額だったが、オソはこともなげにうなずいた。

 「いちおう、僕の立場では日用品以外に金を使うときは事前に政府の審査を受ける必要がある。却下されたときは、悪いがほかを当たってくれ」

 「なんだよ、その金は。どこから出てるんだ」

 「指し手としての手当て。もとをたどれば税金だな。使いみちがないものだから、たまってしまって」


 担当の役人からあとで漏れ聞いたところでは、審査はかなり紛糾したらしい。黒の指し手の投資、ひいては蓄財を認めてよいのか、という懸念が出たためである。

 決め手になったのは、アレンヤが以前エレナの恋人であり、しかもその関係がいまでもつづいているかもしれない、という点だった。つまり、エレナにオソの子供を産ませるためには、アレンヤがいなくなったほうが都合がよい。遭難して死にでもすればますます結構である。

 このような経緯でともかくもオソの出資は認められ、アレンヤの準備はついに万端ととのった。

 あくる春、アレンヤの乗った汽帆船は西へとむけて出航した。


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