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4 間男のこと

 ある夜、儀式から帰ってきたオソが屋敷の中に入ろうとしたところ、馬丁の爺さんが声をひそめて引きとめた。いつになくきびしい顔である。

 「旦那、疲れてるところすまねえが、ちょっくら付き合ってもらえねえか」

 爺さんに連れて行かれたのは、屋敷の庭の一角だった。木立のかげになって母屋からは見えない塀ぎわである。そこで爺さんは何かごそごそやっていたかと思うと、塀の上のほうをちょうど人ひとりぶんほどの幅にわたって取り外してみせた。いくつかの煉瓦が漆喰か何かでくっついていて、まとめていっぺんに取り外せるようになっているのである。外したあとはさしづめ泥棒用通用口といった見た目であった。塀の向こうは林になっているので、こっそり出入りするのになおさら都合がよさそうだ。

 「旦那、こいつはこないだ見つけたんだがね。おぼえてるかね、あのアマが修繕した場所だよ」

 言われてオソも思い出した。エレナが屋敷に来てすぐのころに、崩れた煉瓦塀を積みなおしたことがあった。その時はオソもしばらく見物してそのあざやかな手並みに感心したものだが、このような細工を施していようとは思いもよらなかった。

 「エレナはいったいどういうつもりだろうか。もしばれたらただではすまないだろうに」

 爺さんは苦々しげに吐き捨てた。

 「そんなこと決まりきってるでねえか」

 「というと?」

 オソがただすと、爺さんはいささか答えにくいようすだったが、どのみちここまできてしまった以上、話さないわけにはいかなかった。

 「間男だよ」


 とりあえず塀をもとどおりはめ込んでおいて、オソは爺さんと馬小屋にもどり、詳しく話を聞いた。

 それによると、爺さんはここしばらくエレナが庭をうろついているのを何度か見かけたのだという。もちろんまめなエレナのことだから今度は庭の手入れでもしてみるつもりなのかもしれなかったし、爺さんとしても奥様の行動の詮索をするのは職分ではないから、ほうっておいた。ところがである。

 「こないだ旦那が外に出かけた日だがね。あのとき屋敷のなかで何があったか、旦那はまるで知らねえだろう。あのアマ、男を家に引き入れて、一日じゅう乳繰り合ってやがったのよ」

 もっとも、爺さんはその現場を押さえたわけではなく、男の姿も見てはいない。オソが帰ってくるすこし前に庭のすみのあたりでエレナと男の話す声がしたのを聞いただけである。だが、爺さんはもともとエレナを疑わしく思っていたこともあり、あとでこっそり庭を調べてみたところ、塀の細工を発見したのだ。そこを通って男が屋敷に出入りしたことはまちがいない、と爺さんはいう。

 しかし、ほんとうに間男が入り込んでいたとして、爺さんはいつも馬小屋にいるからその姿を見なかったとしても、屋敷の中で仕事をしている家政婦の婆さんはそうではないはずだ。なのに何も言ってこないのはどうしたことだろう。オソのその疑問に、爺さんはこう答えた。

 「そりゃ、あのばばあは、あのアマのことがお気に入りだもの。なんでもあのアマ、ばばあのために冬着を一着つくってやるって約束したそうだ。もともと屋敷の修繕をしてくれて偉いってほめてたところにそんなことまでしてもらって、いまじゃあのアマの子分も同然だよ。あのアマも抜け目のねえこった」

 爺さんの話のとおりだとすると、先日遊戯の盤と駒を買いに行ったとき、店主と対局などせずすみやかに帰宅していたら、その間男と鉢合わせすることになっていたかもしれない。万一そいつが逆上して襲いかかってきたりしたら太刀打ちできなかっただろうから、幸運だったといえるだろう。オソは荒事の心得は一切ないのである。

 さしあたり爺さんに他言はしないようにと釘をさしておいて、オソは家に入った。寝室をのぞいてみると、エレナはいつものようにベッドの上でぐうぐういびきをかいていた。エレナと間男ははたしてこのベッドで睦み合ったりしたのだろうか。エレナとどうこうなりたいとは夢にも思わないオソだが、その想像はさすがにおもしろくなかった。

 しかしそれではその間男が憎いかというと、そういうわけでもなかった。むしろ気の毒にすら思う。おそらくエレナとその間男は以前から恋仲だったのだろう。エレナがここへ送り込まれることにならなければ、すんなり結婚していたかもしれないのだ。

 その間男と話をしてみたい、とオソは思った。


 三日後、都の中心部にある広場で植木市が催され、オソはまたぞろ外出許可をとって出掛けていった。家の中が殺風景なので何か花のつく鉢植えがほしい、というとってつけたような理由は本当にとってつけただけで、裏の目的は屋敷を留守にして間男をおびきよせることである。

 つごうのよいことに、植木市をしばらく見てまわっていると雨が降ってきた。屋外で開催されるものであるから、こうなれば予定を切り上げて帰宅したとしてもおかしくはない。エレナの間男に会うために早く帰りますなどと監視役の警官に告げるわけにはいかないので、もともとの計画では気分が悪くなったということにして早く帰るつもりだった。雨のおかげで仮病を使わずにすんで、オソとしては願ったりである。

 予定の時間よりだいぶ早く、オソは意気込んで帰宅した。門のところで警官たちと別れ、門番にあいさつして敷地に入る。すぐさま馬丁の爺さんが駆け寄ってきた。爺さんにはあらかじめ言い含めてある。

 「どうだ」

 「来やがったよ。姿は見てねえが、まちげえねえ」

 「わかった。僕は例の場所に行くから、手はずどおりにたのむ」

 オソは言い置いて、小走りに庭のすみのエレナが細工した塀のところに行った。塀はいつもどおりはまっていたが、よく見ると新しい泥がすこし付いていた。おそらく一度はずして近くの地面に置いて、間男が侵入したあとではめなおしたのだろう。オソは手近な木のかげに隠れた。さいわい雨はあまり強くならず、ぽつぽつ落ちてくる程度にとどまっている。

 ほどなく表のほうで爺さんが「お帰りなさいまし、旦那。お早かったですね」とわざとらしい大声をあげるのが聞こえた。時をおかず、屋敷の二階の窓があいた。エレナの声が、「大丈夫? けがするんじゃないよ」。それに答えるのは聞きおぼえのない男の声、「大丈夫大丈夫、このぐらいの高さ、椅子から床に飛び下りるのといっしょさ」。どさ、と地面で音がして、「じゃあ、そのうちまた来るぜ」と男の声も地面に移動している。なかなかに身の軽い男らしい。

 オソはおもむろに木のかげから歩み出た。地上と二階で同時に、あっと声があがった。

 男はオソと同じぐらいの年ごろ、少年と青年の境目といったあたりに見えた。向かい合ってみるとかなり小柄である。エレナと並べばなおさらだろう。体はひきしまり目はするどく、見るからにすばしっこそうだった。

 「すこし話がしたい」

 オソがそう口火を切ると、いまにも走り出しそうだった男は出ばなをくじかれて踏みとどまった。

 「まず名前と素性を聞いていいか? 僕の名前は言うまでもないだろう」

 「ああ、よく知ってる。いいぜ、自己紹介してやるよ。おれの名前はアレンヤ。そこにいるエレナの幼なじみで、国立大学の学生だ」

 「国立大学だって?」

 それはこの国にただ一校だけ設置されている最高学府である。授業料は全額国費でまかなわれ、そのうえ学生には手当まで出る。当然ながら競争率はおそろしく高く、なまはんかな頭の出来では入学試験を受けることすら認められない。この間男はそこの学生なのだという。そんな大それた頭脳の持ち主であるとは思わなかったので、オソは少なからず驚いた。

 「ちょうどよかった。こっちもおまえにはひとつ言っておきたいことがあったんだ。黒の指し手、オソさんよ」

 「エレナに手を出すな、ということなら約束できない」

 「なに?」

 間髪をいれずにオソが答えると、アレンヤだけではなく二階の窓からなりゆきを見守っていたエレナも聞き返してきた。オソは言葉をつづける。

 「僕としてはエレナに何かするつもりはない。だが、もし政府が強引な手を使ってきたら、僕はやりたくなくてもやらざるをえない身の上なんだ。そこはわかってくれ」

 「強引な手って何だよ」

 「たとえば僕とエレナを一つの部屋に閉じ込めて、何をするまで部屋から出さないし食べ物もよこさない、といったようなことだね」

 「政府がそこまでするか?」

 アレンヤはかなり疑わしげだったが、オソははっきり言ってやった。

 「エレナをここに無理やり送り込んだ政府を、いまでも信用できるのか?」

 これにはアレンヤもエレナも返す言葉がなかった。

 「僕のほうからもひとつ言っておきたい。アレンヤといったか、きみがエレナと添いとげたいなら、どんな方法をとるにせよ急いだほうがいい」

 「そのうちに、いまおまえが言ったみたいなことになるってことか」

 「そう。いまのところ政府はおとなしく様子を見ている。若い男女を一つの家に住まわせれば、あとはほうっておいても自然に間違いが起きると踏んでいるんだろう。だが、一年たっても二年たっても何も起きなかったらどうだ?」

 オソは二階の窓を見上げた。エレナはこれまで見せたことがないような青い顔をして窓枠をにぎりしめている。

 「僕もいろいろ考えてはいるが、自由に動ける身分ではないし、正直に言って見通しは暗い。きみはきみで何か手立てを講じたほうがいい」

 立ち尽くすアレンヤと二階の窓辺のエレナをそのままに、オソは玄関へと向かった。

 「心から健闘を祈るよ、アレンヤ」


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