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2 連れて来られた娘

 ある昼さがり、黒の指し手である少年オソが自宅でぼんやりと新聞の事件記事など眺めていると、来客があった。

 「こんちわー。政府からのご注文の荷物をお届けにまいりました」

 やってきたのは幌のかかった荷馬車と三人ばかりの作業員で、オソの返事も待たずに馬車から何やら巨大な荷物を下ろしにかかっていた。新しい家具が運び込まれるなどという話は聞いていなかったが、べつに不思議なことでもなかった。オソの住んでいるこの屋敷は国有の物件で、国が管理している。調度や備品に関して、オソは要望を出すことはできるが、決定権はない。

 「今までお使いだったのを運び出してから搬入するように言われてるんですが、失礼ですが寝室はどちらですかね」

 「こっちです」

 不愛想にオソは案内した。作業員たちがオソの黒い肌をぶしつけにじろじろ見てきたが、気にしなかった。黒の民がほぼ滅びてオソ一人を残すだけとなったいま、このような目で見られるのには慣れている。

 作業員が寝室から運び出したのはベッドであった。オソの毎晩の寝床で、作りはよいがごく質素なものである。替わって運び込まれた新品は、オソの眉をひそめさせた。これもとりたてて豪華というわけではないが、横幅がいままでのベッドの五割増しほどもあったのだ。どう見ても一人で寝るためのものではない。

 これはどういうことだろうと不安まじりに考えていると、作業員たちが撤収する間際になって別の馬車がやってきた。こちらは政府の紋章の入った箱馬車で、下りてきたのは顔なじみの役人である。

 「もっと早く来るつもりだったのですが、少々手間取りまして」

 淡々とそう語る役人の目元にはみごとな青あざがあり、そのうえ血に染まったハンカチで鼻をおさえたりしているものだから、オソは目をみはった。この役人はオソの暮らしに関する責任者で、役所の中での地位もそこそこ高く、それにふさわしい落ち着きのある人物であった。とてもだれかと殴り合いの喧嘩などするとは思われない。役人は搬入されたベッドをあわただしく確認して作業員を帰してしまうと、おもむろにオソに向きなおった。

 「もうお察しかもしれませんが、今日からこの屋敷に住人が一人増えることになります。ご面倒でしょうが、政府の決定ですのでご了承ください」

 そして自分の乗ってきた馬車を振り返る。

 「いつまで乗っているのですか。早く下りてきてください」

 「いやだ」

 馬車の中から返事があった。若い娘の声である。

 「いやも何もありません。決まったことです。おとなしく下りてこないと、また力づくということになりますよ」

 「いやだと言ったらいやだ。うちに帰してくれるまで馬車から下りるもんか」

 これにはオソもあきれた。

 「いったい何ごとです。若いご婦人をかどわかしてくるなんて、政府がそんなことをしていいんですか」

 「かどわかしたなどと、人聞きの悪いことを言わないでいただきたい」

 役人は渋い顔になり、なおも馬車の中に呼びかけた。

 「何度も言っていますからとっくにおわかりのはずですが、この件はあなたのご両親の了解のうえで行われています。そして、ご両親の事業の負債は政府が肩代わりし、ご両親とあなたには年金も払われる約束になっています。ですが、あなたが逃げ出したりすればそれはすべて取りやめになるのですよ」

 聞くだに不穏な内容である。不本意ながらいささか興味がわいてきて、オソは役人の肩越しに馬車の中をのぞきこんだ。

 座席にすわっていたのは、声からわかっていたとおり、ひとりの若い娘だった。こちらに顔を向けて役人をにらみつけていたが、オソを見たとたんその表情がはっとこわばった。つぎの瞬間、金切り声をあげる。

 「このけだもの! あんたなんかいまこの場でくたばってしまえばいい! そうすればあたしは大手を振って家に帰れるんだ!」

 初対面の相手からけだもの呼ばわりされたオソは驚いて体を引いた。だが、怒りはなかった。なぜなら、顔をひと目みただけでこの娘がここに連れてこられた理由がわかったからだ。胸のうちにわいたのは怒りではなく憐みだった。

 娘は白の民にはめったにないほどの浅黒い肌をしていたのである。


 ひとしきりどなりちらしたあと、娘はついに観念したかみずから馬車を下りた。役人は露骨にほっとした表情を見せた。どうやら役人の顔をなぐったのはこの娘だったらしい。娘は背丈も肩幅もオソよりひとまわり大きく、体つきもがっしりしていて、暴れたらさぞかしすさまじかろうと思われた。

 「で、いったい何がどうなっているのか、僕はまだろくに説明を受けていないのですが」

 オソと役人と娘は屋敷の居間で互いに微妙な距離を置いて椅子にすわっていた。オソの問いに、役人は血染めのハンカチを顔から離して答える。

 「まずこちらのお嬢さんですが、名前はエレナさんといいまして、この都のはずれの石工の娘です。この人を今日からこの屋敷に住まわせます」

 「へえ、それはまたどうしてです? 住み込みの家政婦さんか何かですか?」

 すっとぼけて聞いてやると、役人はさすがに答えかねて口ごもった。かわりに口をひらいたのは、問題の娘だった。

 「あたしが言ってやるよ。あたしとあんたのあいだに赤ん坊を作らせるためさ。できるだけ色の黒い赤ん坊をね!」

 そんなところだろうとオソもすでに察していた。じっと役人を見つめると、役人は目をそらし、ハンカチで額の汗を拭こうとしてそれが血まみれであることに気づき、しかたなく上着の袖で汗をぬぐった。ぼそぼそと語る。

 「政府の決定ですよ。儀式をつづけていくために、黒の民の血すじは保存しなきゃならない。オソさんには何がなんでも子供を作っていただかなくてはなりません。そして、どうせ作るならなるべく黒い肌になるようにしたほうがいいでしょう。そのために色の黒い未婚女性を国じゅうから探して、いちばん黒い人を選抜したのです。それがこのエレナさんです」

 「ふざけるんじゃないよ。黒いのと黒いのをかけあわせて黒いのをこさえようなんて、家畜の種付けか。あたしらは牛かなにかか」

 気色ばむエレナに対して、役人はおなじみの切り札を出す。

 「とにかく、ご両親のつくった莫大な借金の返済は、ひとえにあなたにかかっているというわけです。賢明な行動をされることを望みます」

 ふたたび役人になぐりかからんばかりだったエレナは、その言葉でしぶしぶ椅子にもどった。借金こそはこの猛犬をかろうじてつなぎとめる鎖なのだ。この様子では、その鎖もいつなんどき引きちぎられるかわかったものではないが。

 役人は説明することを説明してしまうと、これ以上なぐられてはたまらぬとでも言いたげにそそくさと去ってゆき、二人は気まずい雰囲気のなかに取り残された。

 「ああ、ええと、お茶でも入れるよ。ちょっと待ってて」

 気詰まりな沈黙にたえかねてオソは席を立ち、居間のすみに用意されている茶器のところに行った。アルコールランプで湯を沸かしながら、すわったままのエレナをちらりと見る。落ち着いてよく観察すれば、エレナの肌はたいして黒くなかった。白の民のなかではたしかに黒いほうだろうが、オソに比べれば全然白い。挽いたコーヒー豆に湯をそそぎながら聞く。

 「牛乳か砂糖は入れる?」

 「両方。たっぷり入れとくれ」

 できあがったコーヒーは、エレナの肌にかなり似た色になった。オソの分は砂糖しか入っていないので、こちらはこちらでオソの肌の色にだいぶ近い。

 カップに口をつけながら様子をうかがうと、テーブルの向かい側にすわるエレナはコーヒー豆の缶を手にとったところだった。中身はほとんど残っておらず、カラカラと軽い音がする。豆の銘柄にでも興味があるのかな、とオソは思ったが、それはまったく違った。

 「ちょっと見ててごらん」

 そう言うと、エレナは右手に持った缶をいきなり握りつぶしてみせたのだった。

 「うちの家業は石工でね。あたしはずっとその手伝いをしてたせいか、人よりだいぶ力が強いんだ。ところでふと思ったんだけど、この缶とあんたの喉首ってちょうど同じぐらいの太さじゃないかね?」

 無惨にひしゃげた缶を見せつけられて、オソは声もない。エレナはにやりと笑った。

 「いやいや、なにも心配することはないさ。あたしも人殺しにはなりたくない。だから、おたがいお行儀よくふるまうとしようよ」


 その晩は小雨が降っていた。オソはいつものように馬車で森に行き、儀式に参列した。白の指し手が老齢を感じさせない力強さで駒を動かすのを見ながら、オソはあらためて自分の将来というものを考えた。

 石舞台の上に現存する駒は、白方六十二個、対する黒方はわずかに二個である。戦争での度重なる敗北にともなって黒の民の人口が減った結果、指し手の水準もしだいに低下し、儀式の盤上の形勢にも大きく差がついたのだ。先代の指し手であったオソの母親にいたっては、駒の動きさえおぼつかなかったらしい。オソが指し手の役目を引き継いだときには、すでに現状の形勢であった。

 これだけ差がつけば、白側はすぐにも黒の《王》を捕獲、つまり詰みにできそうなものである。だがオソが指し手を務めたこの数年間、黒の《王》は詰まされることなく余喘をたもっていた。オソの実力が卓抜しているため白側の攻めをかわしつづけることができた、というわけではない。ただ単に、白側が黒の《王》を詰まそうとしていないのだ。

 言い伝えによれば、儀式が行われるかぎりこの世界は存続するのだという。しかしそれでは、勝負がついてしまった場合はどうなるのだろうか? 以後は儀式を行わなくてよいのか、それともふたたび最初から勝負を始めなければならないのか、あるいはもしかして、勝負がついた瞬間に世界は滅ぼされてしまうのだろうか。

 民衆のなかには勝負がつくと世界が滅ぼされると信じている者もいないわけではなかった。もしも実際に勝負がついてしまったら、多大な社会不安を引き起こすおそれがある。そこで政府は白の指し手を語らって、黒を生かさず殺さずの状態に置いたままで儀式を永久につづけてゆこうとしているのだった。

 「白番、《ライオン》を三百四十七列の百六十一段へ。本日の儀式は以上となります」

 これまでオソは、自分が死んだら黒の指し手の後継ぎがいなくなって儀式は終わりになるだろうとぼんやり考えていた。自分が子供をつくるなどという可能性は頭のすみにもなかった。だがこの日の昼間の一幕によって、そんな考えはあっけなく崩れ去った。

 白の民の政府は、儀式を終わりにするつもりなどまったくない。それが白の指し手の勝利によるものであれ、黒の民の絶滅によるものであれ。もしオソが子供を作らないまま死ねば、政府はエレナか誰か適当な人間をあらたな黒の指し手に仕立てて、儀式をつづけてゆくだろう。

 その考えはオソを打ちのめした。いまやオソの目にはこの儀式が魔物に見えた。あたかも儀式がみずからの意思で多くの人間をもてあそび、不幸におとしいれているかのように思われた。もしかしたら政府が儀式を管理しているのではなく、儀式のほうが政府をあやつっているのかもしれないとすら思った。

 ついぞ感じたことのない恐怖のために、砂利道を戻るオソの顔からは血の気が引き、歯がかちかちと鳴った。随行の役人がそのようすに気づいて、雨に当たって体が冷えたものと誤解し、早く帰って休みましょうといたわった。


 寝室の新品の巨大ベッドの上では、エレナが雄大な寝相でいびきをかいていた。自分の喉首の頑丈さを試す勇気はなかったので、居間の床で毛布を体に巻きつけて寝た。


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