【IF】もしもスターリンがあと10年生きていたら
1953年,膠着状態の朝鮮戦争は長引き,戦時体制が続く中でも贅沢な暮らしを続ける李承晩や資本家に対する韓国(大韓民国)人民の不満はどんどん高まっていた。それはついに爆発し,1954年夏,韓国革命が発生。それに乗じて中国人民志願軍と朝鮮人民軍は最終攻勢をかけ,同年の冬には朝鮮半島が完全に朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)によって統一されたのである。
朝鮮労働党は半島南部でも8時間労働制の導入、重要産業や企業所の国有化、資本家の資産接収、農地改革や女性解放を推進し,絶大な支持を集めることにも成功した。韓国の卑怯な独裁者・李承晩は済州島にまで撤退し圧政を敷きつつ,尚も抗戦を継続するが国聯軍という名の国際帝国主義聯合軍は南部奪還を諦め,事実上の休戦となった。
一方,朝鮮半島に於ける国際共産主義の成功を見て日本でも社会主義陣営が大きく勢力を伸ばし,日本社会党が総選挙で圧勝。スターリンが生きているため中ソ対立もなく,社会党内閣は中ソへ悠々と接近。スターリン議長や毛沢東主席はアメリカ帝国主義の日本支配を声高らかに非難,日本の抗米斗争を熱烈に支援し1955年中頃には,米国と袂を分かち,また内政でも進歩主義的政策で絶大な支持を集めた社会党内閣は人民民主主義体制への移行と憲法改正を実施。1956年,日本社会主義共和国が成立した。天皇、右翼政治家や資本家は持てるだけの金銀財宝を船に積み込んで一路アメリカへ亡命。
東アジアに於ける国際共産主義の,事実上の“完全勝利”によってインドでも共産主義運動が膨張し,これに焦ったインド政府は軍隊に出動を命ずるも軍人ら拒否し,インド共産党が権力を掌握。インド人民共和国の建国が宣言され,直ちに中国、ソ聯、朝鮮、日本との同盟を締結する。すぐにこの同盟はソ聯を中心とし,本部を北京に設置する北京条約機構へ発展。
その後も中国とソ聯の関係がいまだ蜜月であるため極めて効率的な国際共産主義運動が展開され,焦ったアメリカや西側諸国は軍備拡張や思想弾圧のため抑圧や搾取を強化。それに不満を持った人民が共産主義運動に傾倒するという革命循環が起きていった。
1958年にはモーリス・トレーズが領導する“モスクワの長女”フランス共産党と,トリアッティが領導するイタリア共産党が各国で政権を獲得し,フランス人民共和国、イタリア社会主義共和国の建国がされた。これに刺激を受けて西ドイツ人民も一斉に蜂起,東西ドイツの政治的統合は一気に進展し,東ドイツに吸収される形で西ドイツは消滅。東ドイツのウルブリヒト議長の領導するドイツ統一社会党と,西ドイツの社会民主党が合体し統一社会党はふたたび“ドイツ共産党”の名前に戻り,国名はドイツ人民共和国となった。1958年は西欧大国の共産化が一気に進み,西欧の春と呼ばれることになる。
これに絶望したアメリカ帝国主義やイギリス帝国主義は最後の戦力を動員してソ聯に宣戦布告,核爆弾の投下と奇襲攻撃を開始した。だが社会主義ドイツや,軍備をソ聯に任せ経済科学発展に注力した社会主義日本の科学力で大きな躍進を遂げたソ聯防空軍の前に米軍爆撃機は次々と撃墜され,ソ聯が受けた被害は軽微なものであった。
これを見てワルシャワ条約機構諸国と北京条約機構諸国は一斉に参戦し,まずはソ聯陸軍の大戦車部隊が先陣を切って西欧に進軍を開始,同時に世界最大級の人口を誇る中国人民解放軍、インド国家人民軍の歩兵聯合が人海戦術によってアジアの各国を次々と解放,マレーシアからシンガポールまで一切が社会主義となる。
英国海軍もまた核攻撃で壊滅し,紅色ドイツ、紅色フランス語、紅色イタリアの造船所がフル稼働で生産した輸送船にソ聯軍、中国軍、朝鮮軍やインド軍の将兵を満載して英本土を総攻撃。英国人民も決起して資本主義政府は倒れ,英国共産党による政権が樹立された。英国共産党はすべての植民地に於いて共産主義政権を樹立した上で独立を認め,植民地を蜂起した。国内でも英国共産党と英国労働党が合併し,ソ聯軍の後押しを受けて次々と進歩主義的改革を打ち出し支持を集める。
英国も脱落したためアメリカは残ったアフリカの資本主義諸国と連携し抗戦を継続するも,アフリカはすでに旧宗主国のイギリスやフランスによって共産主義陣営となっており,残った資本諸国も次々と共産化していった。もともと貧民が多いアフリカでは共産主義が絶大な支持を集めたのである。
権力を握ったアフリカ各国の共産党は,地主制の廃絶、呪術・封建文化の禁止、女子教育や解放を一気に進めていった。族長や保守的男性は,女性解放に不満を持って暴動を起こすがそれらはソ聯軍及びアフリカ共産諸国の聯合軍によって鎮圧される。現代に於けるアフリカで女性の地位が高いのも,共産政府の賜物といえる。
こうして同盟国を喪失したアメリカはいよいよ追い詰められていった。国内では締め付けを強行し軍需工場をフル稼働するも,さすがに一国で全世界をあいてに戦うのは難しかった。やがて海軍は壊滅して各国の共産軍が上陸を開始。南部からはメキシコ人民軍が,西部・北部からはアジア共産軍が、東部からは西欧共産軍が陸上進撃を開始,ホワイトハウスは陥落しアメリカ合衆国は消滅した。あとは残った小規模資本諸国を取り潰し,1961年,ついに世界革命は完了した。
その後は戦争に備える必要がなくなったため各国は軍備を大幅に縮小し,社会主義経済の建設に邁進する。地上からは貧困、女性差別や民族差別がなくなった(守旧派の暴動は共産聯合軍が鎮圧)。こうして人類はかつてない和平で幸福な日々を手にしたのである。
1963年,スターリンが息をひきとる。その死は全世界に惜しまれ,彼の英雄的活躍は人民の心の中に刻まれた。その中に於いてはスターリン批判の生まれる余地もなく,世界は共産主義統一が堅持され,今日まで地球は進歩的共産主義を守り抜いているのである。現実の世界では今も紛争が続き貧困や差別もなくならないが,スターリンが生きていた世界では,そういった類のものはとっくに廃絶されている。