8.魔術師の工房
説明不足だったので、前話に”今の俺の袖は空っぽだ。”という一文を追加しました。フィーを包み持った左手と、悪魔がにょろっと生えてる右手は流石に袖へ通せないので。あと、序盤(2話)の魔術関係の設定が定まってないあたりの、「元素精霊の使役は~」のあたりを「精霊の使役は~」に変えたり、その他の描写をちょっと弄ったりしました。出てくる情報として変わったのは前述の文のみです。あとなんか読み返した時に前書きがうざかったので多分一話と最新話以外消してくと思います。
「さて、用事とかなんとか言ってたな」
男が煙草をふかし、ジロジロとこちらを見て言う。ヤニ臭いというよりも薬草臭いと言うべき煙が宙を漂っていた。
「あー……なんか見たところ貧血っぽいなぁ。増血剤か? 在庫ならそこの棚にいくらか入ってた気がするが……」
くるりと棚の方に向かって男が歩く。いやいや、勝手に話を進められても困るんだが。
「え、あの、いやちょっと待ってくださいよ、違います。いや増血剤も買えるなら買いたいですけどそうじゃなくて、本題はこっちの妖精……フィーのことなんです」
ローブの下に隠していた手を出し、その上に乗ったフィーを見せる。
「ああん? ……妖精か。めんどくせぇな。魔法生物学は専門じゃねぇんだが。まあ良い、なら500リエルだ」
高っ! えーっと、宿で食った粗食が大体2リエルだから、これだけあれば食事250回分、三ヶ月弱は生きていけるぞ。いや栄養とか宿代もあるからそう簡単じゃないだろうけど、それでも無茶苦茶高い。保険の無い医療代と考えたらこんなものかもしれないが。いややっぱ高いわ。相対的に。
「あー、待ってくれ爺さん。今回は俺が払う。この件は俺がちっとばかしやらかしちまったことでな。責任は俺にあるんだ」
予想外の高額に狼狽えていると、おっさんが助け舟を出してくれた。いや、そもそもおっさんが払ってくれるって話だったか。……それでも金額のせいか、何か借りを作ってしまった気分になってくるな。嫌な気分だ。
「ほーん。まあなんでも良いけどな。過度な親切は誰のためにもならんと思うがねぇ……」
「あら、それがグレルちゃんの良い所なんじゃない。ウォーも分かってないわね」
「いやだからこれは俺の過失だと言ってるんだが……話を聞けってこのボケ老人どもめ」
わちゃわちゃしてる雰囲気に若干の気まずさを感じつつ、掌中のフィーをそっと差し出した。
「アンタらがふざけてるから坊主が口を挟めねぇじゃねえか……すまんな坊主。ほら、早くこいつの妖精を見てくれよご老体ども」
男はおっさんの言葉にわざとらしい溜息を吐き、仕方がないと言わんばかりに肩をすくめてこちらにやって来る。俺が若干ビビりながらもフィーを預けると、男は意外にも丁寧な手つきでフィーを受け取り、──そのまま横の妖精に腕を向けた。
「じゃ、頼むわラーヴァ」
お前が診るんじゃないのかよ。
「はぁ……別に良いけど、いかにも自分が解決してあげますみたいなドヤ顔しておいて人に丸投げするのは凄くかっこ悪いと思うわ。今さらだけど」
「はっ、体面なんてどーでも良いんだよ。投げ捨てとけ」
男の妄言を無視して妖精が妖精を……ラーヴァさんがフィーを受け取る。ラーヴァさんはお姫様抱っこのような体勢でフィーを抱えたまま空中に浮かび、熱でも診るみたいにおでこ同士をくっつけた。と思った瞬間、ばっと顔を上げて早口に叫ぶ。
「ウォー、まずいわ! 魔力偏向よ! 赤に偏ってる! かなり深刻で、あと数時間も猶予がない!」
その報告を聞いた瞬間、男の表情が一変する。
「はぁ!? クソっ、めんどくせぇなぁ! おいクソガキ、テメェの師匠は誰だ!」
「えっ、は、え?」
男は俺の返事もロクに聞かずに走り出し、フィーを奪い去ると、その足でそこらの箱を蹴飛ばしてラグのような布の巻物を取り出した。すぐさま片手で乱雑にそれを広げ、上にフィーを寝かせる。膝立ちになって手を布へ置いた男が、神妙な顔で言葉を唱えた。
「──色彩を示せ、ネハウの鏡」
そう呟いた瞬間、男の手から布の上へ穏やかな青緑の魔力がほとばしり、フィーを中心とした幾何学的な模様を浮かび上がらせた。一呼吸の後、どくん、と拍動するように図形が震え、フィーから濃い青紫の光が染しみ出ていく。図形を塗り替える光に男が悪態をついた。
「ちっ……かなり寄ってんな。即座に死ぬってほどじゃねぇが。おいラーヴァ、元魔色はなんだ!?」
「コード9bdeff!」」
「じゃあ28番の棚にある偏魔紙だ! 持って来てくれ!」
一瞬で緊迫した雰囲気に包まれる現場。困惑する俺 (とついでにおっさん)を無視して状況は進む。
「はい紙。ついでに聖別された銀も持って来たわ」
「っしゃでかした! 正直協会のクソッタレどもが作った物なんざ使いたくねぇが、そうも言ってられねぇしな」
先程から飛び交う不穏な言葉。一体何が起きているんだ? フィーの事について尋ねようにも、俺が介入できそうな雰囲気ではない。男は布につけていた手を放すと、ラーヴァさんが持って来た紙をフィーの上に掲げ、魔力を通した。すると、魔力を受け取った紙が濃い緑に染まっていき、下から透けるような水色の魔力が漏れ出ていく。目に痛い水色の魔力は、しんしんと降りしきる雪のようにフィーへ積もっていき、そのまま吸い込まれていった。青紫の幾何学模様が、心なしか水色に傾いていく。
「ウォー、このままじゃ魔力過剰で……」
「分かってるよ! クソ、本当にこれ使うのは嫌いなんだけどな!」
イラついた様子の男がそばの小箱を乱暴に開け、中から輝くような銀塊を掴み出す。小さなそれをフィーに押し当てると、白磁の輝きを誇っていた銀がみるみるとくすみ、濁った青紫に侵されていった。それと反比例して、フィーを取り巻いていた幾何学模様が薄まり、水色になっていく。
「……っし、取り敢えずこれで問題ねぇだろ。あとはコイツの気力次第だ」
汚い物でも扱うみたいに、指先で銀塊を小箱に投げ入れた男。男は煙草を深く吸いながらこちらを向き、言った。
「さぁて……どうしてくれようか、こんのクソガキ」
えっと……クソガキってもしかしなくても俺の事なんだろうか。そんな暴言を投げ付けられる謂れはないのだが。
「まずお前、さっきも聞いたがお前の師匠は誰だ? 何も知らねぇガキが契約した妖精をこんな状況になるまで放っとく、クソみてぇなヤツなのは確かだが……」
「えーっと……師匠とかはいないです。あと、フィーと契約? とかも別にしてないです」
悪魔とはしてるが。
「うっわぁ……じゃあ我流か? 等級は? つーか魔力や妖精についてどこまで知ってる?」
「等級……? は知らないですけど、我流ではないです。なんか魔術書みたいなのがあるので」
懐から魔導書を出す。
「魔力とかについては……まだ体内制御も体外制御もできてないもんで、そこまで詳しくは知ろうとしてなくて……」
魔力。考えてみれば、俺自身よく理解していない力だ。本物の魔術師ならば自在にそれを操れるらしいが、今の俺にはまだできない。自分の血液ごと垂れ流して使うか、あるいは動物の血液を使うか、適当な素材から魔力を絞り出すかぐらいだ。一応、自分の魔力を操れるようになろうと努力はしていたし、まあ声に乗せられる程度にはなっていたが、魔術に使えるほどには積極的に訓練してこなかった。別にそれで特に問題なかったし。いやまあ確かに動物を罠で狩るのは面倒だったけども、血抜きとか解体とかの面倒な作業は適当な小悪魔たちに任せてたし、水晶森の小屋では魔力を抽出できる素材が腐るほどあったから、別段自分の魔力でやることに拘らなかったんだよな。優先順位が低かった。まあ、もう素材の山も血のストックも全部燃えただろうけど。
「……二大魔術師ギルドたる神秘の扉にも黒の鍵にも所属してない、一応とは言え黒色等級の俺ですら見覚えのねぇ魔導書を使う、素人同然の魔術師だって? ……めんどくせぇ……」
どかりとそこらの小箱に腰を降ろす男。……叩けばいくらでも埃が出るような経歴だとは分かってたけども。そも論この世界の人間じゃないし。だとしても、そこまで変なのか。
「えーっと、そんなことよりフィーがどうなっててさっきどんな処置をして今どうなってるか聞きたいんですけど……」
「そんなこと。そんなことねぇ。まぁどうせ俺には関係ないし良いけどな……」
箱の上にあぐらをかき、膝に頬杖を突きながらスパスパ煙草を吸う男の頭を、ラーヴァさんがちょいちょいと突っつく。
「……ねぇウォー、アレ王の本じゃない? あと、神秘の扉の方には野良魔術師を見つけたら出来る限り本部に報告して知識を分け与えるべしって義務があったと思うのだけど」
「……俺ぁ何も聞かなかった。それで良いな」
いやいやいや、良くない良くない。王の本ってあれだ、なんか川辺で会った爺さんが語ってくれた昔話に出てきたあれだろう。場所的に何か関係があるんじゃないかとは思ってたが、そのものズバリこれがそうなのか?
「さて、そんなことよりも俺が治療した妖精についてだ」
あ、露骨に話題そらされた。あと、若干皮肉られてる気がする。
「まあ治療ってほど大したこたぁしてねぇんだが……簡潔に言やぁ、魔力偏向っつー症状に陥ってたんだ。知っての通り、妖精は最も強く精霊の加護を受けた存在だからな。体の半分以上が魔力で構成されていると言っても過言じゃねぇ。だからこそ、自分が本来持つ魔力色とかけ離れた魔力を過剰に摂取し、魔力偏向を起こした場合は一般よりもかなり症状が重いし最悪死ぬ。本来、魔力偏向なんてのは外部から大量の魔力を入れてやらん限り有り得ないはずなんだが……ま、テメェの顔を見れば大体は察しがつく。後で妖精の魔力補充についてぐらいは講義してやるよ。また来られても面倒だからな。さて、コイツの場合だが……あと数時間処置が遅れてたら……ってとこだったな。まあギリギリ間に合わせたが」
……全然知っての通りではないが。そんなにヤバかったのか。グィレルオの忠告を聞いておいて正解だった。もし大丈夫だろうと高を括って放っておいたら今頃は俺のせいで……。……やめよう。今更になって冷や汗が湧いてきた。とにかく、もう過ぎた事だ。反省も必要だし、思慮が足りなかったのは確かだが、次に生かせば良いことだ、と思いたい。いやまあもう二度と起こすつもりはないけども。……二度と起こさないためにも、気になったことは聞くべきか。
「あの、魔力の色というのは一体……?」
「はぁ”ぁ”ぁ”ー……マジかよ。魔力の色ってのは巨人色、竜王色、精霊色、幻獣色を四原色とした……クソだりぃ。お前こんな初歩も知らねえのかよ……ホントに魔術師かよ……」
……ま、まあもっと時間があればちゃんと魔導書を全部読み込んでたから……何ページあるのかは知らないけど……
「お前ホントに魔術使えんのか? 何ができるか言ってみろよ」
「えっと、宝石魔術、悪魔召喚、簡易的な魔術言語の発声、簡単な魔法陣の作成、あと初歩の調合とか……」
並べてみれば、一ヶ月半で覚えたにしては多いな。ただ、魔法陣を描けるようになるまでかなり時間食ったから、もう少し時間があればもっとできていただろうと思う。真円とか正三角形とか、フリーハンドで書けるようになるまでにかなり手間取ったものだ。その他は大体遊んでるうちに覚えたんだが。まあ、製図も何故か途中からスルスルできるようになったから思ったよりは楽だったけど。なんの面白みもない単純作業って苦痛だよな。
「ほーん……ま黄色等級ならまあそんぐらいって感じか。偏ってそうだけどな。冗談でも宝石魔術回路とか組めそうに見えねぇし。つーかマジで扱えるのかどうかはまだハッキリしてねぇわけだが」
「ウォー、そうやってすぐ喧嘩腰になるのは悪い癖だと思うわ」
「うっせ。できるんならやってみろって話だよ」
……え、やらなきゃいけないのか? なんかもうそういう雰囲気なんだけど。おっさんはさっきから黙ったままだし、唯一常識人っぽい(人じゃなく妖精だが)ラーヴァさんもなんかできるならやって欲しいなぁみたいな目でこっちをチラチラ見てるし。えぇ……
「……あーもう。グィレルオ、ちょっと出てきてくれ」
右手の甲を前へ向けて、声をかける。逆五芒星が黒く光って、空中へと幾層もの魔法陣を描いた。いくつもの魔法陣は拡大しながら重なっていき、ついに人のサイズほどとなったそれから、魔法陣のサイズに見合わぬ2mにも近い巨漢の悪魔が、魔法陣の枠に手をかけ、大きな体を窮屈そうに折り曲げて這い出てくる。悪魔は徐々に全身を運び出し、足先まで現界するや否やこちらを見下ろすように立ち、深い溜息をついた。
「『……全く貴様の浅薄な愚行にはほとほと呆れ入る……』」
開口一番に罵倒とは。相変わらず……と言うほど付き合いも長くないが……失礼な奴だな。
「うおっ、ば、化物!?」
あっおっさん。正直忘れてた。
「『いや全く、軽挙妄動と表す他ない。いいか契約者よ。これは契約故の助言だが、手札というものは出来る限り隠しておくべきものなのだ。ましてや貴様自身に依存しない私という存在を軽々しく明かすなど愚の骨頂という他ない。貴様の頭は単なる帽子掛けか何かか? そのスカスカの頭に何か一つでも意義のあることが詰まっているというのなら今からでも秘匿意識あるいは危機管理というものへの理解を──』」
早い早い。早口で聞き取りづらいって。
「……おいおい嘘だろ。黒色だって? 妖精の症状から推測される固有魔色は紫のはず……まさか王の力を得るってこたぁ……」
ちょっとタンマ! 今なんかあの変な魔術師が不穏なこと言った!
「『──故に実力というものは巧妙に隠すべきであり決して全力を知られてはいけないものだと私は考える。その点から鑑みれば貴様の行動はまさしく落第と言う他ないが今からでも可能なことが──』」
あのー、もしかして外に出てると心の中で呟いてるの聞こえてない? だとしたら今の俺は凄まじく滑稽なんだが。
「あら? 新米魔術師さん、あなたの妖精が起きたみたいよ。ほらほら」
あーもう今それどころじゃないって! マイペースにもほどがある!
「お、おい坊主! なんかそこの変なのが延々と呪文唱えてるが放っといて良いのか!?」
「そうだな悪魔語って知らなきゃわけわかんない呪文に聞こえるよな! でもおっさんちょっと黙ってくれ今状況がややこしいから!」
「お、おっさん……」
あ、しまった心の中で留めておくつもりだったのに。あーもう一応使ってた敬語も滅茶苦茶だよ。
「『──勿論切り札というものは見せておくだけでも抑止力になる物だ。だが初見ならば意表を突けるが知られていれば対策を取られてしまう。だからこそ見せ札と真なる鬼札の区別をつけ常に管理・警戒し──』」
「あああああもう鬱陶しい! 全員一回黙ってくれ!!!」
事態の沈静化にはあと10分を要した。
†
──王都”天鏡爛”にて──
入国待ちの長い行列が、いくつも城門の前でうねっていた。のろのろと進む列の中、とうとうある一人の老人の番がやってくる。老人は今にも肉にされそうなロバを連れ、若い衛兵の前で大人しく立ち止まった。
「あー、悪いな爺さん。一応、荷物を改めろとのお達しだ。面倒臭いが、これも決まりでね。一からひっくり返さなきゃならないんだが……申し訳ないが、手伝ってもらえるかい?」
「はっはっは、構いませんとも。お仕事でしょうからなぁ。しかしまた、なぜこのように大々的な取り調べを? 昔はこのような事なかったはずですがのう……」
衛兵は老人の取り出す荷物を一つ一つ点検しながら言う。その動作は心なしかおざなりだ。
「それがなぁ、つい先日……いや先週だっけ? まあいいや。ともかく、つい最近に取り調べをもっと厳しくやるように、って命令を受けたもんでね。あんまりにも急だし、意味もよくわからんし、全く上の人間は現場の事を考えてないよなあ」
「それはそれは……災難ですなぁ」
老人は苦笑いをしながら荷物を手早く出していく。とうとう最後の荷物が改め終わり、まだ中に何か隠していないか、服の下に変なものを隠し持っていないかを衛兵が確認し、全ての工程が終わった。
「はい、お疲れさん。それじゃ、神より王権を賜いし王の住む都、天鏡爛へようこそ!」
賑やかな通りを歩いていく。活気に満ちた出店の通り。白無垢の石で形作られた、どこか清浄な雰囲気を感じさせる建物たち。老人はしばらくのあいだ人の流れに逆らわず歩いていたが、ふっ、と気づかぬうちに薄暗い横道に消えていた。
薄汚れた白い道を歩く老人。その足はやがて酒場の裏口を踏む。礼儀正しくドアのノッカーを鳴らし、声をかけた。
「──こんにちは。不躾に申し訳ない。少し用事があるのですが、よろしいですかな」
おもむろにドアが開き、痩せぎすの険しい顔をした男が出る。男は老人を一瞥すると、ぶっきらぼうに言い放った。
「何の用だ。物乞いなら表でやんな」
なるほど、薄汚れた旅装姿の老人はいかにも貧乏な旅人といった風で、物乞いに見えなくもない。本来は貴族や豪農しか持てないようなロバも、ここまで痩せ老いていては明日の宿代程度にしかならないだろう。老人は苦笑しながら口を開いた。
「はっはっは、これは手厳しい。旅の道に浮かぶ一筋の休息を。そう見られても仕方ない身なりとはいえ、もう少し手心を頂きたいものですな」
「渡り鳥に雲の安らぎを。いいから要件を言え。老人の暇つぶしに付き合っていられるほど暇じゃない」
「……これはこれは。まさか白天教の総本山たる王都で旅と青空のアズールの挨拶を返されるとは。いやはや、教養のあるお方だ」
男は黙って老人を見つめている。軽口は要らないと言わんばかりの厳しい視線だ。
「おお、これは申し訳ない。老いのせいか、どうも話が飛び飛びになってしまって……うむ、要件ですな。実はラギーという男を探しておりまして。至急、伝えなければならん事があるのです。ここに来れば会えると言われておるんですが……」
「ラギーは俺だ。ふん、どうせロクでもない事だろう」
老人はあご髭をさすりながら納得の表情を浮かべた。
「ああ、なるほど。では、飾り文句は嫌いなようですし、簡潔にゆくとしましょう。"灰の剣"、港町支部からの伝言です。どうも、一ヶ月半ほど前に”王”の封印が解かれていたようだ、と」
「……何? 冗談……ではなさそうだな」
男は老人の取り出したブローチを見ながら軽く舌打ちをした。右半分が白、左半分が黒の素地でできており、色の境界に一振りの灰色をした剣が彫り込まれているブローチである。
「正真正銘、”灰の剣”に所属するものの証か。……チッ、どこで復活したかは掴んでいるのか?」
「はっはっは、切り替えの早いことで。それでこそ王都を任される支部長、というものなんでしょうなぁ……現在、足取りは全く掴めておりませぬ。恐らく、唯一異常に気づいた……当時は異常とも分からなかったわけですが……リーヴァエラが一番近いのだろう、という不確かな事しか」
「検閲が強化されていたから何かあったとは薄々察しがついていたが……よりにもよって復活か」
苦虫を噛み潰したような顔でうめく男。構わず老人は続ける。
「しかし、それにしても向こうの手が早くはありませんかな? ”灰の剣”星神派の王都支部は、確かに潜在的な敵地に存在する支部。どうしても情報の伝達が遅くなりましょう。だとしても、向こう……すなわち教会派などではない、正真正銘の白天教が、あまりにも早く情報を入手している。向こうが独自の捜査網を持っているのか、あるいは……”灰の剣”から白天教の本部に情報が洩れている疑いもありましょう」
「知らん。向こうの知覚手段が俺達よりも優れているとして、妨害の手を打つのは俺達の仕事ではない。そして、情報漏洩など今更だ。同じ組織に属していようと、結局やつらは白天教の信者で、俺達は星の神々を信仰している。所詮は同じ敵を持っただけの違う思想の人間なのさ。……俺個人の考えなどどうでも良い。奥に来い。本部からの指示があるんだろう。詳しく聞かせてもらおう」
男はドアもそのままに酒場の奥へ消えていく。老人はその背中をのんびりと追いかけながら声をかける。
「ええ、ええ。まあ指示なんぞという具体的な対策はまだ誰にもできておりませんのですがな。まあ、できる限り保護するという方針は変わっておりませぬよ。白天教の神官どもは殺してしまえと煩いですがのぅ」
二人が店の中に消え、老人がドアを閉める、寂しげな、かすかな音がわずかに響く。その音が消えた後の薄暗い路地には、居心地の悪い静寂だけが残された。