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7.妖精の危機

「は?」


 突然の事態に言葉も出ない。眠気が一瞬で吹き飛ぶ。呆然としたまま、とっさに手だけが動き、崩れ落ちたフィーが地面に落ちる前に受け止めた。


「……え? な、なんで?」


フィーを落とさないように体を起こし、地面に座る。手の平の上には荒い呼吸を繰り返すフィー。よく見ていればすぐにでも異常に気づけただろうに、今の今まで何も気づかず、呑気に寝ているだけだった自分に愕然とする。なんで? 何があった? 一体どうすれば良い?


「『おい、どうした契約者。なにか問題でも起きたのか?』」


「フィ、フィーが……倒れて……」


 にわかに生じた異常事態に、グィレルオが狂獣を放り出してこちらへやって来た。俺のそばで立ち止まり、両手に乗ったフィーを見ると、うなるように考え込む。


「『これは、確か、貴様の契約した妖精だったか。……契約者よ。私は知恵を()はしたが、知識の量そのものは下級の悪魔であった頃とそう変わらぬ故、すぐには解決法を見出だせん。もし貴様が一刻も早くこれを救いたいなら、今すぐにでも近くにある街に行き、誰か賢き者の智恵を借りた方が……』」


「いや待ってくれ! お前は召喚されたばっかりで知らないだろうけど、ここから街までは結構な距離がある。2、3時間は歩かなきゃならないだろうし、何が起きてるのか分からないけど、その間にフィーが手遅れになるかもしれな……そうだ! 知識ならここにある!」


 一方的な言葉を打ち切ると、フィーを地面に下ろして、懐から魔導書を引っ張り出す。幾つもの魔術や様々な知識の載った、専門書のような本。俺に魔術の知識を与えたこの本ならば、あるいはこの事態を打開する何かがあるかもしれない……俺は魔導書のページを繰り始めた。索引から妖精の項目を引っ張り出して、飛ばし飛ばしに斜め読みする。


 ──妖精について。妖精とは自然の化身そのものであり、主に森に棲息する生物である。精霊の下位存在とも言われており、感情が大きく動いた時に鱗粉を蒔くという特性を持っている。光り輝く鱗粉は魔力の塊で、あらゆる生物の能力を高める働きを──


「ああもう長い!」


 苛立ちをぶつけるように叫んでページをめくる。


 ──稀に町中などに表れて悪戯三昧を働く個体もある。大した事はしないし、飽きれば帰るが、不必要な混乱を招くため注意が必要である。また、気に入った人間に取り憑き契約を結ぶ個体も存在する。多くは悪戯好きな子供と行動を共にするが、子供が成長するにつれ──


「次!」


 更にスピードを上げ、流れる文字を目で追った。


 ──魔力の色は青が多く、これは精霊に連なる者であることを示唆しているものと思われ──棲息環境により個体差が大きく、使う魔術にも──森の加護を失った妖精は、自らの存在を維持するため多くの魔力を必要とするためである。


「待った、これか!?」


 直感が働き、慌てて手を止め、通りすぎてしまった文へと戻る。果たして、そこには答えがあった。


 ──妖精とはほぼ不死身の存在であるが、自らの存在を維持するために、一般的な生命と比べて非常に多くの魔力を必要とするため、森が死ぬと同時に自らも消え去る事を運命づけられている。森の加護、すなわち森からの魔力供給を失うためである。しかし、魔術師など魔力を操作できる存在の庇護下であればその限りではない。この現象は妖精が肉体のほとんどを魔力によって構成しているからだと見られ、その特異な能力と関係が──


「…………」


 思わず達せられた目的に一瞬だけ呆け、その記述を改めて読み直し、内容が頭に染み込んで、ようやく理解し、ぽつりと呟いた。


「……俺の、せいか」


 魔力供給を失った妖精は、自分の維持するための魔力すらもままならくなって、消えてしまうそうだ。俺は魔力を与えた覚えなどない。だが魔力を使わせてしまった覚えはある。先程の、俺を守るための障壁。一体、どれだけの魔力を使ったのだろうか。


「……クソっ!」


 後悔してる暇はない。今すぐ迅速に一刻も早くなんとしてでも魔力を渡さなければ。でもどうやって? 俺の魔力操作技術は、まだ1ヶ月半程度しかやってないにしては高いと思う。魔力だけを体外に出力する事も一応できるし、体の一部に集中させる事だって容易だ。だが、現状では、残年ながら本当に少しの魔力しか体外に出せないのだ。大量の魔力を外に放出できるなら、わざわざ血を使ってまで魔法なんて撃とうとしない。

 息の荒いフィーを見ながら考える。何か、何か他の方法は無いか? 視点を変えよう。動物の血に含まれる魔力を製錬して使うのはどうだろ……いやダメだ。罠も毒餌も無い以上、野生の獣を捕まえることは不可能だ。そもそもどうやって動物を見つけるんだ? 仕方ない、狂獣の体液はどうだろう。いやダメだ。汚染されきっている。じゃあ悪魔はどうだ? いや無理だ、そういえば違う世界の生物だから魔力を持たない。


「……やるしか、ないのか」

  

 一番手軽で、最も確実で、だけどもうやりたくない方法ならある。俺の血を使うことだ。

 だが、もう血なんて出したくない。さっきは命がけだったからこそ耐えられたが、またあの痛みを経験するのかと思うと、情けないことに手が震える。たとえ直ぐに治せるとしても、痛いものは痛い。

 それに、もうあと少しでも血を流せば、すぐにでも倒れてしまうかもしれない。フィーは確かに俺を火災から救った命の恩人だが、俺が命を賭けるまでの価値はあるのか? まだ出会って一週間も経っていないのに? 本当に、俺の命を危険にさらしてまで?


「……ああもう、なんなんだ俺は! このクズ野郎!」


 いきなり叫んだ俺に悪魔が驚く。どうしたと問い掛ける声を無視してナイフを手に取った。


「ごちゃごちゃ考えるのはやめだ! それに、死んじまえばこの夢から覚める可能性だってあるんだからな!」


 自分でも信じていない絵空事を口にして、思いっ切り←の手首を掻き切った。一瞬の静寂。そしてどぱりと血が溢れ、灼熱の痛みが脳内を駆け巡った。治りきっていない傷に対してまたしても与えられた大傷。鳴り響く危険信号を無視して、流れる血で地面に魔法陣を描く。凄まじく痛い。傷口そのものが拍動するように熱を持ち、空気に触れるだけで焼けるような痛みが走る。痛過ぎて一周回って笑えてきた。ヤバい。これはどう考えても深く切り過ぎだ。なんでこんなに深く切ってんの? 馬鹿じゃない?

 それでも、流れる血をそのまま陣に与え続けた。その甲斐あってか、六芒星の魔力を貯める陣の上を、目に痛いほどの紫に輝く光が巡り始める。その中に、血で汚れないよう、無事な方の手でそっとフィーを置いた。これでひとまずは大丈夫だろう。


 なんとかなった、と息を吐き、薬を取り出して傷に塗る。薬が沁みていく恐ろしい痛みに声が漏れた。思わず止めてしまいそうな手を、悪魔に無理矢理動かしてもらいながらなんとか処置し終える。グィレルオの呆れる声が聞こえたが、どうでも良いので無視した。

 しかし、なんと言っても疲労がヤバい。体が重い。自分の体じゃないみたいだ。人間って血を出し過ぎると気絶するんじゃなかったっけ。焦り過ぎだし慌て過ぎだ。注意力も足りない。


「……グィレルオ、俺が倒れたら、ええと、どこか安全な場所に運んでくれ。あ、でもフィーが魔力を取り込むまでは動かさないでくれよ。あと……そう、俺とフィーを離すのもなしだ。あとは……」


 心臓は胸を突き破りそうなくらい暴れているし、冷や汗は体中から吹き出て止まらない。思考が焦りに溶かされて纏まらず、まともな考えが浮かばない。これは、ヤバいのでは。


「……ああ、もういいや。後はお前の判断で動いてくれ。馬鹿みたいだな、俺」


 視界が(はし)から暗くなり、体がふっと軽くなる。ぐらりと地面が近づいて、眠るように意識を手放した。






 ……何か、夢を見たような気がする。


「おお、起きたか、坊主」


 目が覚めると、俺はベッドらしきものに転がされていて、脇に冒険者の宿の主人、つまりおっさんが木の椅子に座っていた。そういやおっさんの名前知らないな。まあおっさんで良いか。いや、つーかどこだここ。あとフィーはどうなった?

 起きようとする俺を、脳内に響く悪魔の声が押し留める。不審に思って右手を見てみると、契約の時に刻んだ五芒星の魔法陣がうっすらと黒く光っていた。これはなんだ? 悪魔との契約が何か関係しているのだろうか。


(『その通りだ。契約者よ、なかなか察しが良いではないか。今、私は貴様の心に直接声を流している。どうやら、契約した悪魔というものは、魔界と現界の間に存在する契約者自身の体を待機場所にできるらしい。現界に存在し続けるのは消耗が激しいが、貴様の体内ならばそれも少ない、という訳でこうしている。しかし、今重要なのはそれではなかろう。差し支えなければこれまでの経緯を説明するが? ……ああ、あと害を為さないという契約には従う。不本意だがな。貴様の心をみだりに望いたりはしないから安心しろ』)


「……大体分かった。何がどうあってなんで俺はここにいるんだ?」


「いや、そんなのは俺が聞きたい。坊主、お前は狂獣を駆除しに行ったんじゃなかったのか? というか、なんでそんなぼろぼろの状態なんだ。狂獣っつっても単なる植物だから、そこまで危険でもなかったはずだろう」


(『馬鹿者。声に出さずとも聞こえている。先程の経験から学べないのか? 察しが良いと言ったのは撤回だな。全く、こうなってしまっては仕方ない、私が適当に釈明してやるから、それをそのまま復唱しろ。貴様の足りない脳でもそのくらいはできるだろう』)


 一度に様々な事が起こり過ぎだ。混乱する頭を置いてけぼりにして状況は進む。俺はグィレルオから垂れ流される言葉をそのまま再生し、ぼんやりと悪魔の説明を聞いた。


 どうやら、グィレルオは俺が倒れる直前の言葉に従って、魔法陣が光を失うまで見届けた後、俺とフィーを街の前、裏門のあたりに運んで転がしておいたそうだ。街の位置は木に登って特定したらしい。住民に見られて騒ぎにならないよう、体を物理的に小さくして俺のローブを被り、住民を呼んだらそのまま姿を消したりもしたようだ。随分と細やかな気配りをするな、とぼんやり考えていたら、お前の害になる行為とやらに当たるかもしれないと考えると意思に関わらず行動が制限されるのだと苦い声で呟かれた。俺はどうも強すぎる契約を結んでしまったらしい。まあ魂賭けて契約してるんだから拘束が弱くても困るんだが。


 おっさんの方への説明は、グィレルオが登場しない事を除けば、ほぼ現実に起きた事の焼き直しだった。狂獣の巨大化、暴走、そして俺の魔術、フィーの失神。グィレルオが登場しない関係上、俺の魔術が少し強く語られてたり展開が微妙に違っていたりしたが、概ね同じだと言えるだろう。最初は狂獣がそのように暴走するなどあり得ない、前代未聞だ、お前の作り話ではないかと散々な事を言っていたおっさんも、いつの間にか俺の懐に入っていた狂獣の一部(グィレルオが千切っていたやつだ)を見せれば黙り込んだ。俺が入れた覚えは無いから、グィレルオが用意したのだろう。心を読まれる点は最悪過ぎるしさっさと防御手段を得ておきたい所だが、それを置いておけば本当に良く気のつく便利な悪魔だ。


(『ああ、私もそう思う。最も、私がここまで頭の回る存在になっていなければ貴様の不利になる行動も取れたのかと思うと、全く嬉しくはないがな』)


 さいですか。さて、一先ずの説明を喋り終わってもおっさんは未だに黙りこくったままだった。ちなみにフィーは机の上に寝ているのを話している最中に見つけた。早く無事かどうか確認したいんだが……と、思っていると、不意におっさんが椅子から立ち上がり、腰を60度くらい曲げて大声を出す。


「すまなかった! 弁解の余地もねえ。こいつぁハナっから戦いは不得手だと言ってたにも関わらず、不用意に狂獣関連の仕事を与えた俺のミスだ。狂獣に関しちゃあ予想外の事なんざいくらでも起きうるってのに、楽観的な対処をしようとしちまった。俺ぁ危うく人死にを出す所だった……」


 ……あっはい、そうですか。


「……はぁ。そうですか」


 えっと、これどうすりゃ良いんだ? 正直、大の大人が思いっきり頭を下げてる状況は、その、困る。経験がない。


「謝らなきゃならん事はまだある。お前さんの事を信じてなかったのもそうだ。魔術師だと言ってるのに、所詮は妖精に気に入られたお貴族様のガキんちょが威張ってるだけだろうと決めつけちまった。仮にも冒険者の宿を名乗るんなら、他所から来た旅人に此処のルールを説明するのが筋だってモンなのに、俺ぁその仕事すら放棄して……」


 とりあえずおっさんを無視して起き上がった。まだ体は少しフラフラするが、動けないというほどでも無い。突然の行動におっさんは口をつぐみ、悪魔はまだ危険だから動くなと騒ぐ。煩いと悪魔を黙らせ、壁に沿って転ばないようにしながら、ベッド脇にある机を見た。


 フィーは眠っていた。穏やかな寝顔で、頬をつついてもピクリともしない。まるで人形のようだった。水晶質に輝く空色の髪、滑らかで傷一つない肌。改めて見るとやっぱり、凄まじい美少女だな、と思う。やんちゃな猫か犬にしか見えないから意識したことなんて無かったが。


「……早く起きてくれよな……」


 まだこいつとは出会って数日しか経ってないけど、それでも分かる事はある。きっと、元気に笑いながら飛び回ってた方がかわいいって事だ。小動物的な意味で。


「……なあ坊主。一つ提案なんだが、その妖精をどうにかして治させちゃあくれんか。これでもちょっとした伝手がある。信用なんてできん、そう思うかもしれんが……」


「…………」


 フィーは、ただ眠っているだけに見える。このまま待ってればやがて目覚めるんじゃないかと思うんだが……


(『契約者。これは一応、本当に一応、このままでは害とやらが及びそうだと感じてしまったから仕方なく、本当に仕方なく忠告するが……』)


 前置きが長い。要点だけ言ってくれ。


(『……この妖精を放って置くという意見には賛同できん。貴様、完璧に妖精の生態やら能力やらを理解している訳では無いのだろう? 先程の慌てぶりは見物だった。また、貴様の想像もつかん事態に陥るやもしれんぞ』)


 ……そうか。確かに、そうかもしれない。そうだな。この申し出を受け入れても、別に損はなさそうだし……


(『まあその妖精が下手な処置で二度と目覚めなくなる可能性も無くはないがな』)


 お前なんなの? 俺にどっちの行動を選ばせたいの? いや悪魔にそんな事言っても無駄なんだろうけどさぁ……


(『おやおや。悪魔だから、などという偏見は心外だな。これは私の個人的な形質だ』)


 そうですか。


「……分かりました、お願いします。でも伝手ってどこにですか? 協会というやつ?」


「おいおい、いくら信用できないからって滅多な事を言うもんじゃねぇ。白天教の協会が幻想種を絶滅させようとしてる、なんて事はどんな貧農の子供でも知ってる事だろうが。それに、近ごろはとんでもない賓客(ひんきゃく)が来たとかで大忙しだとの噂だし、相手にもして貰えんだろう。何にしろ行くべきじゃねぇのは確かだ」


 それは学が無くて悪ぅござんした。


「伝手ってのは、坊主の仕事を断る時に言った馴染みの薬屋だ。錬金術? とかいうのもやってるらしいが、詳しくは知らん」


 錬金術! ファンタジーの代名詞、錬金術じゃないか。ここではどんな技術になってるんだろうか。いや、魔導書にも薬の作り方とか色々載ってたし、この世界では錬金術師と魔術師が大して違わない可能性もあるが。フィーを抜きに考えても魅力的だ。


「さて、もう良いな? これ以上言いたい事がないんなら、準備してくれ。すぐにでも向かうぞ」


 準備などは特にない。そう頷く俺を見て、部屋の扉を開けるおっさん。俺は重い体を引きずるようにおっさんの後を付いていった。







 路地裏。()えた匂いが鼻につく。華々しい南の港口(こうこう)とは正反対に、入り組んで汚れた狭い道。時折見かける人の姿も、こちらに何の干渉もしてこない。ただ無感情にこちらを見ては、視界の隅へ消えていくだけ。


 ここは北の貧民街。無秩序に乱立した建物が日差しを遮り、後ろ暗い人間達を覆い隠す場所。ひとたび視線を走らせれば、怪しげな薬を売り買いする現場、裏道で振るわれる拳、酒を片手に歩く住人、悪事の匂いが立ち込める場所。


 俺達は、そんな暗い路地を、錬金術師とやらに会うために歩いていた。血を失ってふらふらと頼りない体を、こっそりローブの内側へ呼び出した悪魔に支えさせる。今の俺の袖は空っぽだ。ローブをめくったら、手の甲から悪魔の手足がにょっきりと突き出る、コミカルかつホラーな光景が見れただろう。無論、グィレルオからの文句は酷い。ちなみにフィーは左手の中だ。


 おっさんはこれでもそこそこ名前が売れているらしく、わざわざ喧嘩を売ってくるような奴は少ないんだとか。それで、ここがまるで人通りたっぷりの表道であるかのように無警戒で歩けるらしい。まあ、俺は勿論、別途グィレルオに警戒をしてもらっている。悪魔使いが荒いだのなんだのとぶつくさ言っていたが、契約をしている以上当然の権利なので無視した。


 歩き始めはおっさんも肩を貸そうかと提案して来たが、他人をあまりパーソナルスペースに近づけたくない俺が有り難く断ったため、居心地の悪い沈黙が続いている。俺はしばらくの間この沈黙に耐えていたが、よく知らない人物と二人っきりであるという気まずさに耐えきれず、とうとう当たり障りのない話を振り始めた。


「……そういえば、冒険者の宿なのに勝手に店()けて良いんですか?」


 歩きながら、おっさんは肩をすくめて曖昧に笑う。


「あー……まあ、どうせ大して儲かってもねぇしな。というか、繁盛してたらお前みたいな小僧に依頼なんか出さんよ。ここ(リーヴァエラ)は激戦区だからなぁ。腕の良い冒険者はもっとデケぇとこに行っちまうんだ」


 冒険者の宿って一つの街に一つだけじゃないのか。なんて的外れな感想を抱きながら簡単に返事を返す。それっきり会話は途切れて、またもや沈黙が場を満たした。そして、今度は入れ替わるようにおっさんが話し始める。


「あー、坊主はあれだ、魔術師なんだろ? 本物の。一体どこからやって来たんだ? 魔術師ってのはもっと年食ってる奴等ばかりだし、坊主みたいなのがいたらもっと噂になってると思うんだが、生憎と聞いた事がないもんでな」


 ああ、そうなのか。この世界では若い魔術師って少ないのか。あー、そういえば屋台の兄ちゃんに魔術師の弟子なのかとかなんとか聞かれてたっけ。これはつまりそういう(年齢的な)事か? 怪しまれるのは避けたい所だな。違う世界から来た人間に対する扱いが良く分からないし……


 俺はそんな事を考えながら、ぽつぽつと、所々を適当にぼかした身の上話をした。この町に来る前の川原で老騎士に話したのとあんまり変わらない話だ。森の中に引きこもって魔術の修行をしていた事。先日の火事で森を追われた事。師匠は特になく、魔導書を教科書にして学んできた事。そこそこ信憑性のありそうな、しかし核心には触れない話。おっさんは興味深そうに聞き、時々合いの手を入れてきたりする。おっさんの、ここ最近で火事が起きたとは聞かないし、よほど遠くから来たんだな、という言葉には何か引っ掛かりを感じたが、深く突っ込んでもボロが出そうなので黙っておいた。そうこうする内に、路地からは人の姿が消えていき、やがて終端に達する。


 そこは三方を壁に塞がれた行き止まりだった。道を間違えたのだろうか、と訝しんでいると、おっさんはそのまま壁まで歩いていき、


「ここだ、ここだ。あの(じい)さん、他人が嫌いでなぁ」


 と言うや否や、壁にしゃがみこんでと何かを(いじ)り始める。ややあっておっさんが立ち上がり、壁をこつこつと叩くと、どこからかギシギシと(きし)むような音が響き始めた。何が起こるのかと警戒している内に、軋みは更に酷くなる。

 甲高い音はやがて重々しい低音に変わり、壁の一方が地面に沈んでいった。石臼を回すようなゴリゴリという擦過音と共に、壁は地下への入口となる。深い暗闇が穴を開け、頭上から降り注ぐ僅かな日光が、かろうじてその階段を目に写していた。


「油くらい塗っとけよ……」


 そう文句を言いながら、おっさんは何のためらいもなく階段へ足を踏み出していく。俺も遅れないようにと慌てて暗闇へ入っていった。階段に足を取られて危うくグィレルオに支えてもらったりしながら、慎重に闇の中へと降りて行く。


「なんというか……ファンタジーだなぁ……」


 そんな独り言も、この狭い石段では少し響いた。しばらくして、背後で壁の閉まる音が聞こえる。完全な暗闇に視界が潰れ、戸惑っていると、にわかにぼっ、ぼっ、ぼっ、と音を立てながら、俺達の側から下方へと、壁の松明に青い炎が灯っていった。その間にもおっさんは歩みを止めず、下へ下へと靴音を響かせていく。


 俺は万が一にもうっかり転んでフィーを潰さないよう、慎重に足を進めた。いくつかの踊り場を折り返して、いつまで続くのかと考えている内に、思ったよりも短かった階段は唐突に終わりを告げ、木製の古い扉が表れる。先に着いていたおっさんは振り返ってこちらを確認すると、扉のベルを叩きながら声を張り上げた。


「ウォーロックラックの爺さん、ちょっと頼みたい事があるんだ! 昼にもなってまだ寝てるわけじゃないだろう、出てきてくれ!」


 階段内に反響した声が消えないうちに、ガタン! と一人でに扉が開く。入って来いという事だろうか。躊躇する俺を手招きしながらおっさんが中へ入っていく。俺もまた招かれるままに扉をくぐった。


 扉の向こうの、そこそこ長い、これまた石の廊下を歩き、何個目かの角を曲がってたどり着く。行き着いたそこは、まさしく魔法使いの部屋、という感じの部屋だった。


 照明の無い部屋の中でまず一番に目につくのは、中央に置かれた大きな鍋だ。俺の身長よりも大きいので何が入っているかは分からない。ごうごうと燃え盛る真っ赤な炎が、鍋を包み込むように燃え、沸き立つ大鍋が薄緑の煙をくゆらせている。どうも、この大鍋を煮立てている炎が主な光源のようだ。しかし、木材なんかの燃料も、火を遮る柵みたいなのも無い。それに、これだけ炎に近ければ少しは暑そうなものなのに、周囲は涼しいままだ。それもこれも魔術でどうにかしているんだろうか。

 次に目に入るのは壁だ。一面に棚が並び、大小様々、色とりどりのビンが種類ごとにキッチリ分けられて置いてある。随分と几帳面な性格をしているようだ。いや、普通か。ごちゃごちゃしてたら使いづらいし。床にもまた数多くの収納が転がり、縦に仕切られた大きい箱やら、いくつも積み重なった壺の塊やらが大きさごとにグループ分けされている。大きいものは奥の方、小さいものは手前の方、という感じだ。しかしこれだけ辺りを見回しても、部屋の主が見つからない。どこにいるんだろう。思い切って声をかけてみようかと迷っていると、しびれを切らしたのか、俺が声を出すより早くおっさんが声をかける。

 

「おい爺さん、客が来てるのに応対もしないってのはどうなんだ? 急用なんだ。出てきてくれ」


「ああん? その声はダルク坊やか」


 返答は鍋の後ろから響いた。思ったよりも若い声だ。イライラしてるのか語気が荒い。


「今忙しいんだよ。見て分かんねぇのか?」


「ああ分からんとも。何せこっちからは見えないからな」


「チッ、屁理屈捏ねるようになりやがって……」


 鍋の影から、ぬっと大きな人影が立ち上がって姿を表した。ぼさぼさの髪を掻き上げながら、煙草のようなものを吸う男。着崩したローブが性格を物語っているようだ。男は懐から小さなスプーンを取りだすと、手元でひと振りしてから鍋へ投げ入れた。なんかそのちっこい匙が、空中ででっかいお玉になって鍋に入ってった気もするが、まあ、関係のない事だ。そのお玉が勝手にぐるぐると鍋を掻き混ぜていようと、俺の用事には寄与しないわけだし。


「ん? 誰だそいつは。覚えのねぇ顔だな」


 と、男が不意にこちらを向いた。俺がいきなり関心を持たれてビクついているのなんぞお構いなしに、男はジロジロとこちらを眺める。そしてこちらを向いた時と同じように、不意に視線を天井に向けた。


「おいラーヴァ、こいつ今まで来た事あるか!? 作業中断して降りて来い!」


「はいはい、叫ばなくても聞こえてるわよ……」


 見た目よりも高い天井、光の届かない遠くから、紫色の妖精が飛んで来る。手の平よりも大きいくらいの妖精が男の横に浮かんだ。なんだかフィーと違って色々な所が大人な妖精だ。主に体の一部分が。


「あら、ダルクちゃんじゃない。おひさー。隣の子は……見た事ないわね。ウォーがボケてるワケじゃないみたいよ」


「この歳にもなって"ちゃん"は勘弁してくれよラヴァリエルさん……ああ、爺さんがボケてる訳じゃねぇよ、初対面だ。今日の急用ってのはこの坊主の事でな」


「あらそうなの? じゃ、ウォー、自己紹介でもしたら? 初めましての人には自己紹介するのが常識でしょう?」


「マジかよかったりぃな……」


 ガシガシと男が頭を掻く。なんというか、ヤンキーっぽい仕草だ。ヤンキーなんて見たことないが。


「あー……俺はウォーロックラック・リック・ラックロックだ。長いからウォーで構わん」


 背を伸ばし、煙草を咥え直して、うまそうに煙を吸う。吐く煙に、薄い笑いを込めながら男は言った。


「魔術師の工房へようこそ、若きご同輩」

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