第一話「思いがけない就職先」
第一話「思いがけない就職先」
初夏になって、慣れ親しんだ女学院を卒業し、寮から実家――帝都屋敷に戻って数日。
まだまだこれから暑い日が続くけれど、今日はいい風が吹いている。
「レナ様、奥様がお呼びです」
「ありがと、ライナ」
お父様の執務室で、頼まれていた帳簿のチェックをしていると、メイド頭のライナが呼びに来た。
「応接室でハーネリ様とご歓談中ですよ」
「あら」
ハーネリ様はお母様の親友で、私もよく存じている。
皇宮に務めて二十数年、今は宮内府の用度長をされていた。ちなみにこの用度長――用度とは、各部署で必要な備品や消耗品を調達するお仕事で、なかなかにお忙しいらしい。
もちろん、突然の来訪など失礼千万、先触れがどうのというような、距離のある関係じゃなかった。
軽く身だしなみを整え、応接室に向かう。
「失礼いたします、レナーティアです」
「お入りなさい」
「はい、お母様。ご無沙汰しております、ハーネリ様」
「卒業おめでとう、レナ! 三年振りぐらいかしら、大きくなったわねえ……」
ハーネリ様に手を取られ、ソファに座らされた。
いつものように、されるがまま撫でくりまわされる。
小さな頃から可愛がって下さった方なので、子供扱いでも抵抗はしない。もう一人のお母様みたいな感じの人、というのが一番近いかもしれなかった。
「そうそう、レナ」
「はい、ハーネリ様?」
「貴女、領地に帰るのですって?」
「その予定にしております」
女学院卒業後、就職先が決まらなかったってわけじゃない。就職活動は卒業してからが本番だった。
私と同じような貴族の娘さんなら、帝政府の女官や皇宮の侍女になったり、母親の元で屋敷の差配と家業について学んだりというパターンが大半だ。大貴族お抱えの家人や協会所属の魔法使い、聖職者も多いかな。在学中に婚約していれば、そのままお嫁に出るか、婿を取るのもよくある。
実家が領地を持つ諸侯なら、領政に携わるという選択肢もあった。領主の妻に必要な技術を学ぶという意味で、これも重要な花嫁修業であり、ポピュラーな就職先の一つと周知されていた。
我が家は一応、小さいながらも領地持ちで、爵位をお父様に譲ったお爺様夫婦が領地を切り盛りしている。
私もほんの少しだけ迷ったけれど、特になりたい職業も見つからなかったので、そちらのお手伝いをするつもりだった。
まあつまりは、ありがちな進路だ。
「お願いレナ、うちに来てくれない?」
「はい? って、え、皇宮ですか!?」
「ええ、急ぎで人手が欲しいの! それも、優秀で信用の置ける子が! レナならぴったりなのよ!」
ベタ褒めだけど、あまりに急なお話に、少々身構えてしまう。
ただ……皇宮勤めなんて、もちろんほぼ最上級の就職先ってことは間違いない。
給金も職の安定度も他所の比じゃないし、余禄も多いはずだ。……結婚相手を探すとか。
私も十六歳、縁談と無縁、ってこともなかった。
実際に幾つか話も来ているらしいけれど、両親曰く『どれも今ひとつ、ピンと来ない』そうだ。
世間では家柄や派閥の勢いが重視されるけど、うちのお父様とお母様は、それ以上に人柄と能力を重視していた。
……なんでも、家柄ばかりでお馬鹿且つ好色な伯爵に嫁いだ知り合いが余計な苦労を背負い込むのを見て、色々と考えるところがあったようだ。
そのお陰で、いい人がいるなら連れてきなさいとも言われているけれど……。
「皇太子妃ヴェラ殿下のご懐妊に伴う増員は予定に組んでいたのだけれど、急遽、ポーリエ皇女殿下のお輿入れも決まってしまってね。一時的に人手が取られる上、そこに結婚退職の申し出が四件提出されて――」
ふんふんと頷きながら、事情をお伺いする。
それにしても、皇宮かあ。
貴公子とご令嬢が織りなす華やかな社交界……あー、まあ、実体はともかく、私にも少し、憧れはある。
女学院では宮中儀礼やダンスの授業があり、一度だけ、その一環として皇宮での舞踏会に招待されたことがあった。
正に想像通りの素敵な舞踏会で、今も時々思い出す。
同級生達には社交界デビューを済ませてる人もいたけれど、我が家の家風としても当時の年齢的にも、私には縁がないと思っていたから、ちょっと浮かれた。
用意されたお相手は帝国騎士の見習いさん――従士達で、私達と同じく、緊張でがちがちに固まっていたのを覚えている。
やはり騎士教育の一部だそうで、お互いに粗相も齟齬も数限りなくあったけど、とても楽しい思い出となっていた。
あの時の私のお相手、従士リュードはどうしてるかな……。
彼は如何にも名家のご子息って感じだったけど、若者らしい闊達さと人柄のよくわかる柔らかな物腰で、とても、すごく、強烈に、好感が持てた。
有り体に言えば、一目惚れに近い。
『もし、再会できたなら、その時は……また、踊って貰えますか?』
おお、私にも春が! ってちょっと思ったりもして。
次に、たまたまダンスしただけの相手に惚れるとかないなと落ち込み。
それでも、少しぐらいは人生に夢と希望があってもいいんじゃないかなと未練を残しつつ、現在に至る。
……社交辞令かどうかは、再会してから考えることにしていた。
きちんと騎士に叙任されてるといいけど……って、それは横に置こう。今は私のことだ。
もちろん、皇宮の女官や侍女なんて、そう簡単になれるもんじゃない。
試験も厳しければ、競争率も高い。出自や思想さえ調査される。
去年、仲の良かったキリーナ先輩が侍女の試験に受かった時も、流石だなあと皆で頷き合ったほどだ。
「でもハーネリ様、皇宮の女官や侍女の採用試験って、確か来月……九月の半ばですよね?」
「それじゃあ遅すぎるの。結果の発表を待っていたら、すぐに年末よ」
「はあ、まあ……」
「推薦枠、一つとっておいたわ。もちろん、女官ね。試験も免除、頷いてくれればすぐに採用よ」
女官は管理職で、侍女はその下に位置する。
でも、皇宮女官の推薦枠なんて、同級生達が聞いたら私が焼いたパウンドケーキの端っこ……じゃ失礼だな、東の大通りにある『ハインの煙突』亭の焼き菓子詰め合わせと同じ程度には奪い合いが発生しそうだ。
それこそ、私には縁のない公爵家や侯爵家の子弟枠とか、本当に至急の案件として宮内府の上層部が許可を出さない限り、ありえない。
「あの……私でも、お仕事は勤まりますか?」
「大丈夫よ。最初から無理は言わないわ」
にっこり笑顔で、がしっと腕をつかまれる。
「お願いっ、レナ!」
「えーっと……」
ちらりとお母様に視線を向ければ、苦笑気味で小さく頷かれた。私が決めていいらしい。
少なくとも皇宮なら、下調べをしなきゃ安心できないような怪しい勤め先、ってことにはならなかった。
我が家はお父様も兄様も騎士で、当然ながら勤め先は広い意味で同じく『帝国』あるいは『皇帝陛下』になる。
皇宮なんて、絶対無敵にして究極の親方日の丸……もとい、親方双竜の職場で、信頼の度合いもそこらの就職先の比じゃない。帝国の中枢だから、当然と言えば当然だけどね。
私としては……うーん、このまま領地に帰って竜狩りの合間にお爺様のお手伝いをするのも、のんびり平穏で楽しそうだけど、こんなチャンス、二度はないだろうという気もしている。
しかも、推薦枠で採用確定。
お仕事は厳しいだろうけど、上級職でお給金もたっぷりだ。
それに皇宮で暮らすなんて、滅多に体験出来るもんじゃない。
……よし、決めた。
「じゃあ、お父様が頷かれたら、そのお話、お受けします」
「それなら大丈夫。先に騎士団に寄ってきたもの!」
うちのお父様は、帝都を守る騎士団で教官をしていた。
いかに急ぎのお話でも、一家の家長を蔑ろにしては後々問題になる。そこはハーネリ様も抜かりないご様子だった。
「あの、いつから、でしょうか?」
「今日! ……は、もういい時間ね。明日、馬車を差し回すわ」
「は、はい……」
あらら。
これはまた、急ぎも急ぎ、本気で大急ぎだ。
その場で書類が作られ、持ち込み品の確認なども行われる。
魔法の杖などは武具扱いになってしまうので、許可が必要だった。
それらを済ませ、大喜びでお帰りになるハーネリ様をお見送りして、お母様と顔を見合わせる。
「……レナ」
「はい、お母様?」
「特大の猫、用意しておきなさいね」
「……えっと、はい」
女学院でも何とかなったし、その延長だと思えば……たぶん、大丈夫だろう。
そんなわけで、思いがけない就職先が向こうから飛び込んできてしまった私、レナーティア・エレ・ファルトートである。




