第十四話「クレメリナ・レール・ティア・フラゴナリアス」
第十四話「クレメリナ・レール・ティア・フラゴナリアス」
「ヴァリの奴……変わらぬな」
「え!?」
「ああ、姫は知らぬか? ヴァリホーラ王とは同い年でな、四歳の時から『友達』だ。玩具を取り合って殴り合いの喧嘩もしたし、乳母に悪戯がばれ二人して尻を叩かれたことも一再ではない」
私は震える手で、手紙をお返しした。
その内容に衝撃を受けている間に、手紙はクレメリナ様から鋭い目つきをした文官殿へと回される。
名を捨てて、自由に生きよ。
……それがたとえ、クレメリナ様の命を繋ぐ為の選択であっても、どこか、哀しい気がした。
「クレメリナ姫よ」
「はい、陛下」
「ヴァリは……我が友などと手紙には書いておきながら、友達甲斐のない奴だと思わぬか?」
陛下は何故か、笑顔をお作りになられた。
「親として娘を思う心、大いに結構。……だがな、友なら損得を抜きにして頼れと、余は思う」
「ですが、それは……なりません! 絶対に、なりません!」
「うむ? 余は何も口にして居らぬが、姫は何を思うた?」
声を荒げたクレメリナ様に、陛下が優しい声を掛けられる。
「これを機に、フラゴガルダを平らげる、と……」
「……ふむ」
「明らかな国力差、皇宮内での毒殺未遂の手引きという不義、加えてわたくしが存命で旗印かつ大義名分と成りうる状況、全てが揃いすぎております!」
国力差は言うまでもない。船の数では大差がなくても、人口比は、二十倍じゃきかなかった。
毒殺未遂の件は、王様の命令じゃないと分かっていても、家臣の暴走をとめられなかったという時点で、名分が通ってしまう。帝国の面子に泥を塗ったことも間違いない。
クレメリナ様を旗印に……本人が嫌がっても、無視して押し通す方法は、幾らでもあった。
それ以前に、『気に入らないから潰す』なんて理由でも、戦争は可能なわけで……。
貿易の摩擦でも要人への無礼でも、理由は何でもいい。
勝てば官軍であり、国の強さは即ち正義だった。
私も昨日、帝国の気分次第では半年しない内にフラゴガルダ王国が消えても不思議じゃないと、聞かされていた。
……クレメリナ様が帝国を頼ってフラゴガルダを平定することは、可能だろうと思う。
本当にそれぐらい、国の規模が違いすぎるのだ。
同時に、戦争になれば貿易という『お宝』も大打撃を受け、帝国は国土こそ広がり面子も保てるが、おそらく戦費の回収に数十年かかる……というような話を、クレメリナ様から聞かされていた。
もう一つの問題は、クレメリナ様が帝国の力でフラゴガルダを平定してしまうと、その後フラゴガルダは帝国の属国、あるいは傀儡国家に成り下がってしまうことだ。
それ以上に市井の民の暮らしぶりを心配しておられたけど、貿易が衰退すれば、結局、名前だけ残って国が滅ぶのと同じ結果になりかねないので、やはり禁じ手だった。
それらは一旦、横に置いて。
陛下はふむと、頷かれた。
「ああ、確かに揃うておるな。だが、大きな見落としがあるぞ」
「えっ!?」
ああ、もう。
分からないことがまた増えていく。
「フラゴガルダの現国王は、誰だ? 姫の父君であろう?」
「ですが、父は自らも認める凡庸な王、間違っても――」
「それこそ間違いだぞ、姫」
陛下はテーブルに肘をついて、大きなため息をつかれた。
「……ヴァリのどこが凡庸なものか。本物の凡人であれば、今頃とうに首と胴が分かたれ、ついでにフラゴガルダも二分しておる」
「ですが……!」
「あ奴はな、実に困った男なのだ。自らを凡庸と嘯いておるが、こと海戦に関しては百年に一人の逸材ぞ。その証左に……ふむ、隣国カレントとの海戦に、一度でも負けがあったか? 二大商会は、あ奴に直接手を出したことがあったか?」
クレメリナ様が、驚きの表情を陛下に向けた。
思い当たる何かに行き着いたのだろう。
「内なる争いならば、極論すれば誰が勝とうと、国は命脈を保つ。だが、他国との争いはそうも行かぬ。故に海戦の天才たるあ奴は、政はともかく、命に関してはむしろ二大商会により手厚く守られておる」
「……」
「それらの状況に加え、先の手紙を見た上で断ずるが、あ奴が狙うは、クレメリナ姫廃嫡により残った継承者のどちらかに王位を譲り、早期に国をまとめたい、というあたりだろうな」
「……はい」
「そして、あ奴よりの預かり物だが……キーマット」
「はっ」
キーマットと呼ばれた文官殿が、書類を差し出される。
何かの証書のようだけど……。
「帝国商人ギルドの預金証書だ。……丁度、帝国内で小さな領地が一つ買える金額だな」
クレメリナ様がフラゴナリアスの家名を捨てれば、王位継承権も返上され、王族としての歳費も受け取れなくなる。
この証書は、家名を捨て去った場合の生活費なのだろう。
贅沢をしなければ、一生食べて行けるのは間違いない。
「あ奴との約束通り、これは姫にお渡ししよう。領地が得たいのであれば、このキーマットに相談なされよ。帝室の直轄領からよい地を選ばせよう」
クレメリナ様は、何か言いたげな素振りを見せつつも、小さく頷いて書類を受け取られた。
「この一件、余の預かりとしている。……意味は分かるな?」
「はい」
「その上で、改めて姫に問いたい。姫はどちらの道を選び、我が帝国に何を望まれるか?」
王族のまま生きるか、野に下るか……。
十二歳の女の子にする質問じゃないと思う。
でも、避けては通れない質問でもあった。
「わたくしはもう、決めております」
「ほう?」
凛とした表情で、クレメリナ様が胸を張る。
「クレメリナ・レール・ティア・フラゴナリアスは、我が身がクレメリナ・レール・ティア・フラゴナリアスであることを誇りに思います。なればこそ、わたくしは王位を目指します。王家も王国も、二大商会の好きには、させません」
心が、震えた。
これは……すごい場面に遭遇してるんじゃないかな。歴史的にも、個人的にも。
お付きの三人が目を見張り、陛下は静かに笑みを浮かべて首肯された。
「余への望みは?」
「今しばらく、皇宮に置いていただければ助かります。無論、遊学中の客人への歓待を超えぬよう願います」
「心得た」
「また、帝国にご迷惑が掛からぬ範囲にて、人を集め、物を動かすこともあるかと思いますが……」
「む?」
「こちらから剣や魔法を振りかざすような真似は、決して致しません」
一瞬だけ、陛下の目つきが鋭くなったのを、私は見逃さなかった。
でも、すぐにその表情は和らぎ、くすりと笑みが浮かぶ。
「認めよう。しかし……それでは、余は何もしておらぬのと同じだな」
「いえ、わたくしが今も命を落とさずにおりますのは、陛下のご厚情があったればこそ。その事には、感謝以外に申し上げようがございません」
陛下はお立ちになり、クレメリナ様へと手を伸ばされた。
くしゃりと、愛しげに、小さな頭が撫でられる。
「姫は幼いながらも優秀だ。国を追われてなお国を思い、王女たらんとする姿には、心打たれる。……だがな」
ぽんぽんと、優しく頭が叩かれた。
「親子揃って、頭が固い。いや、親子だからこそか? ……『リュークレス小父さん、内緒で力を貸してください!』ぐらいは言ってもよいのだぞ。絶対に分からぬよう、上手く計らうぐらいは簡単だ」
「そ……! それは絶対、駄目です!」
「……むう」
後ほど、聞かされたところによれば。
陛下はあれだけの事件があってなお、親友が治めるフラゴガルダと戦争を行うつもりなどなく、成り行き次第ではクレメリナ様を義理の娘にしてでも守らねばと、気負ってらっしゃったそうだ。
また、親友の娘に頼られたいとお考えだったようで、その成長と心映えを喜ばれつつも、少し寂しい気分を抱かれたご様子であったという。
「キーマット、ガミロート家の取り潰しは大きく公表せず、それとなく噂を流すに留めよ。……ああ、取り潰しの理由は余の不興を買ったとでもしておけ」
「承知いたしました」
「サテラーグは引き続き調査を。連なっておるのは小物ばかりだろうが、目障りだ。しばらく泳がせて裏を取り、一網打尽にしてしまえ」
「御意」
フラゴガルダを巡る諸問題というものは、皇帝陛下が私事として『余の預かり』、つまりは気分優先で判断を下されても、帝国の国政や経済に大して影響がない、その程度の問題なのだと気付かされる。
正しくは、戦争になろうと交渉になろうと、どちらに転んでも帝国には面倒くさい出来事であると同時に、利益となるよう修正することも可能なのだと、後々クレメリナ様から教えていただいた。
だからこそ、この状況から王位を目指すというある種無謀な決意も、皇帝陛下はそのままお認めになられたのだろう。
でも……。
「そうだ、もう一つ用があってな。レナーティアよ」
「ひゃ!? は、はいっ!」
どうして私の名前、陛下に知られてるの!?
なんで?
……って、そうだ、さっきクレメリナ様が口にされてたよ。
「よくぞ、クレメリナ姫を守ってくれた。改めて礼を言わせて貰いたい」
「もったいないお言葉です!」
「信頼も十分得ているようで、余も嬉しく思う。これからも、よくしてやってくれ。それから……」
にやりと、意地悪そうに微笑まれる。
「近衛の騎士と恋仲だと聞くが、くれぐれも城内の風紀は乱さぬようにな!」
「……へ!?」
一安心したところに、この不意打ち。
はっはっはと豪快に笑いながら、陛下は紫雲の間を去られ……私は、その場に崩れ落ちた。
「陛下は特に気に入った者を、時にああしておからかいになるのだ」
「まあ、気にせずともよい。いつものことである」
「結婚に至れば、祝いぐらいは届こう。よかったな、女官レナーティア」
お付きの三人も、言いたい放題を口にして、陛下の後に続かれた。
それにしても、内容が内容なだけに、どういうルートで騎士リュードのことが陛下のお耳に入ったのか気になりすぎる……。
「レナ、大丈夫?」
「大変失礼いたしました、クレメリナ様……」
クレメリナ様が私を立たせようと、手を差し伸べて下さった。
その手を軽く握り、自分で立ち上がる。
「ねえ、レナ」
「はい」
「その恋仲の騎士って、あの時、門にいた若い騎士?」
私の顔を覗き込むクレメリナ様の目が、期待できらきらしていた。