第十三話「我が友に願う」
第十三話「我が友に願う」
「ではキリーナ先輩、留守をお願いします」
「ええ、いってらっしゃい」
近衛騎士団の食堂で軽い目のお昼をいただけば、すぐにお仕事だ。
先輩には仮事務室で物品の手配に必要な書類の作成をお願いして、私は双竜宮のクレメリナ様の元へ向かった。
「失礼いたします」
「いらっしゃい、レナ」
昨日と同じく紫雲の間にお伺いすれば、クレメリナ様は少し緊張気味でいらっしゃった。
「……どうかなさったのですか?」
「レナ、驚かないでね」
「は、はあ。えっと、なるべくは……」
あのね、と一言の後、クレメリナ様がごくんと息を飲み込む。
「もうすぐね、皇帝陛下がいらっしゃるの」
「へ、は……!?」
「わたくし、頑張るから! レナは隣で見守っていてね」
これは流石に……今日は忙しいので帰っていいですかと、口元まで出かかった私である。
もちろん、別の仕事に逃げるなど出来るはずもなく、落ち着かないというクレメリナ様の横に立ち、私はその手を握っていた。
「レナ……」
「大丈夫ですって」
少なくとも、取って食われることだけはない。……と思いたい。
しばらくして、ぎいと控えの間の扉が開き、二人してびくんと背筋を伸ばす。
ヤニーアさんに先導されて入ってきたのは、陛下ではなく、先触れの侍従殿だった。
陛下の露払いを任されるぐらいだから、相当偉い人に違いない。
「間もなく、陛下が参られます」
「は、はい!」
侍従殿はそのまま陛下を待たれる様子で、壁際へと下がられた。
私も下がろうとしたけれど、クレメリナ様が手を離してくれない。
ちらりと侍従殿から視線を送られたけど、すぐに小さく頷かれたので、お許しが出たのだと知る。
……後になって、目に見える礼儀作法よりも大切なもの、即ち客人の気持ちを重んじることで、帝国は度量の大きさを示したのだと、教えられた。
もっとも、幼き姫を徒に追いつめるような真似は人としてあってはならぬが、小うるさい外野を黙らせる為の方便も重要なので、今後はよく配慮するようにと、付け加えられている。
これも本来なら、側付き女官のお仕事となるようだった。
沈黙の中、待つことしばし。
「失礼致す」
紅い裏地の黒マントをなびかせた偉丈夫が、文官と武官、そして侍女の一群を従えて入ってきた。
男性にしては比較的長い金の髪に、意志の強そうな碧の瞳、そして、間違えようのない帝国の象徴――二頭の竜があしらわれた略冠を頭に載せていらっしゃるこのお方こそ、帝国第四十九代皇帝リュークレス陛下である。
もちろん、お目通りするのも初めてだ。近づこうなんて、考えたことさえない。
クレメリナ様の手が一瞬、ぎゅっと私の手を握りしめ、離れる。
私も小さく黙礼してから、緊張の分だけ少し遅れたクレメリナ様のそれにタイミングを合わせて跪いた。
「……畏れ多くも、宸襟を騒がせ奉り恐縮でございます、陛下」
「それを口にするのは、余の方であるのだが……無事で何よりだった。ああ、ともかく立たれよ。幼き姫を虐めておるようで、居たたまれぬ」
陛下は自らクレメリナ様の手を取って、椅子をお引きになられた。
私も立ち上がり、一礼してクレメリナ様の背後、給仕とも御用控えとも取れる位置を取る。
お茶の用意が紫雲の間付きの侍女ではなく、別の――恐らくは皇帝陛下の専属侍女の手により整えられ、文官殿、武官殿、先触れの侍従殿を残して、引き上げた。
「さて、クレメリナ姫」
「はい、陛下」
「姫の国とは懇意であろうと、ガミロートの娘を宛ったのは帝国の不始末、こちらはお預かりした姫を命の危機に晒してしまったわけだが……」
「いえ、手引きの元を辿れば、我が国の誰かに繋がっていることは明白、帝国にご迷惑をお掛けした事実は重うございます」
お二人とも、お互いに非を認めつつも、さて、どうしたらという表情である。
幸い、皇帝陛下はクレメリナ様を詰るおつもりなどないご様子で、私もこっそりと胸をなで下ろした。
「全ての目が出揃ったわけではないが、この件、先に知らせておいた方がよいだろう。サテラーグ、任せる」
「はっ!」
サテラーグと呼ばれた武官殿が、一歩前に出て一礼する。
「クレメリナ殿下、自分は近衛騎士団参謀部のサテラーグであります。殿下にはご不快なお話となりましょうが、先日の事件について、現時点で確認の取れた部分を報告させて戴きます」
「宜しく願います、サテラーグ殿」
まず最初に、ガミロート伯爵夫妻の逮捕が告げられた。
これは大して驚くべき事ではない。
娘のカディーナが皇宮内であれだけの大事件を起こして、単独犯と言い張るのはむしろ無理がある。
問題はその背後だ。
主犯格と目されるガミロート伯爵は、家業である商売を人質に取られ、仕方なく娘に王女暗殺を命じたと口にしているそうだけど、これをそのまま信じるにはかなりの無理がある。
ガミロート家の屋敷とガミロート商会の本店を捜索させたところ、フラゴガルダ側との繋がり――『フラゴの光』商会や、第二王女の母たる側室の実家マシャーム家との密約を記した秘密文書はともかく、他の帝国貴族やフラゴガルダの隣国カレント王国との後ろ暗いやり取りまで出てきた。
領地を持たない官位貴族であるガミロート伯爵は、事が成った暁にはフラゴガルダに領地を持てるという約束だったらしい。
正しくは、次男が独立してフラゴガルダの貴族となり、新たに家を興すという筋書きが用意されていたと推測される。
皇帝陛下は、もう少し裏付けを取ってから、フラゴガルダ王にも非公式な書簡を送り、『相談』するそうだ。
帝国としては、小国の王位を巡る混乱も近隣諸国同士の争いも、首を突っ込んだところで面倒くさいだけなのだけど、自国の貴族がこれに一枚噛んでいたわけで、無視を決め込むわけにもいかないらしい。
国内については現在も内偵中で、貴族院直属の諜報組織まで動いているという。
「また、柏葉宮につきましては、先に捕縛した女官、侍女の他、料理人、園丁、侍女七名侍従五名が協力者と判明いたしました。残りの者については無関係と確認できた者四名、調査中の者四名であります」
思わず私の方を振り向いたクレメリナ様に、小さく頷き返す。
柏葉宮の侍女従者の半分以上に息が掛かってたようで……うん、窓から逃げて正解だったよ。
つまり、ガミロート家は見事に自派閥で柏葉宮を固めていたわけだけど、ハーネリ様が個人的な伝を頼って私を女官に推薦し、その私がキリーナ先輩を呼び寄せたように、親族や知己で周囲を固めることはよくあるし、むしろ推奨されている。
派閥と縁故こそ貴族社会の力の根幹であり、円滑な意思の疎通は仕事の効率を上げるだけでなく、それは勢力の拡大と安定に繋がった。
反面、癒着の温床にもなりやすいけれど、その事も十分に認知されている。
近衛騎士団を筆頭とする皇帝陛下直属の各帝国騎士団は、上級貴族への強制捜査権を与えられているし、噂では、実在しているのか否かを口にすることさえ憚られる裏仕事専門の『よくわからない組織』も……おっと、夜中に黒い服の人が来たら恐いから、ここまでにしておこう。
サテラーグ様が報告を終えると、陛下が口を開かれた。
「少なくとも、国内については徹底的に締め上げる。隣国カレントについては、フラゴガルダの都合もあろうが……ふむ、クレメリナ姫」
「はい、陛下?」
「フラゴガルダ王国は、我が帝国に何を望まれる? 先日の失態の挽回と思っていただいて構わぬ。何かお望みはあられるか?」
「それは……国の主ではないわたくしには、お答えを返せぬ問いにございます。また、根深さの大元を辿ればフラゴガルダの内紛、これ以上陛下に何事か申し上げては、恥を上塗りすることになってしまいます」
それもそうか。
クレメリナ様は、王女殿下ではあっても、国王陛下や外交の代表者じゃない。
ほう、と、陛下が嬉しそうな表情を浮かべられた。
……意地悪なお試しだったのかな?
「ですが父より一通、万が一に備えた陛下への書状を授かっております。わたくしも中身は存じませんが、お読みいただいても宜しゅうございますか?」
「うむ」
最初からテーブルに置かれていた書状が、陛下の手に渡る。
しばらくの沈黙。
読み終えられた陛下は、ふむと顎に手を当てて考え込まれた。
「あ奴、ついに決意したか……」
書状がクレメリナ様へと返される。
「読まれよ」
「……はい、失礼いたします」
ものすごく気になるけれど、私の位置からは、中身まで見えなかった。
再度、沈黙が部屋を支配する。
こくんと、クレメリナ様の頭が揺れた。
「レナーティア」
「え!? は、はいっ!」
「読みなさい」
ちょ、ちょっと待って!
いや、読んでみたいけどさ、陛下とそのご一行様がお帰りになられてからでもいいんじゃないでしょうか!?
ほら、陛下だけでなく、他の皆さんも不思議そうにしておられるし……。
「……拝見いたします」
もちろん、選択の余地はない。
両手で押し頂き、手紙を開いた。
▽▽▽
我が友、リュークレスに願う。
本状開封時点で我が子クレメリナが存命であれば、例の物を渡し、フラゴナリアスの名と責を捨て自由に生きてもよい、己で決断せよと、伝えられたい。
落命後であれば、例の物を含め、貴君の判断に委ねる。
ヴァリホーラ・ジークン・ティル・フラゴナリアス、記す。