第十一話「『紅い牙』」
第十一話「『紅い牙』」
近衛騎士団女子隊の朝は、早い。
日の出過ぎには、非番の隊員が寮棟の隅にある狭い練兵場に三々五々、集まってくる。
実は女子隊だけが早いんじゃなくて、他の職場も大概朝は早かった。
大抵の仕事はご主人様よりも早く起きて、ご主人様よりも遅く寝るのが基本、この世界に労働基準法はない。早くない裏方の人は、深夜番とか午後番とか、分かりやすい理由がついていた。
代わりに、給金の額や長期休暇で補われている……のかなあ? 里帰りも遠方だと、ひと月ふた月かかる場合も少なくなかった。
でも、ブラック企業ならぬブラック貴族屋敷やブラック農家もないとは言い切れず、非常に微妙なところである。
「おはようございます、モラーヌ隊長、皆さん」
「おはよう、レナ殿」
「おはようございます!」
鎧下と呼ばれる、金属鎧の下に着るクッション兼用の布製防具を身につけた皆さんが、めいめいに木剣を手にしていた。
私は愛用の剣も含めて武具は持ってきていないけれど、昨日の内にトランクが戻ってきたので、大掃除の時にでも着ようと持ってきた作業着――麻布のシャツとスカートに、帆布と同じ厚手の布で出来たエプロンを身につけている。
「一、二、三、突き!」
「一、二、三、突き!」
「右、右、左! 右、右、左! そう、その調子!」
木剣が型に合わせて振り下ろされるのを見ていると、小さい頃を思い出して懐かしくなった。
久しぶりに、私も思いっ切り体を動かそう。
実は……魔法の技も剣を使うことも知られてしまっているし、もう隠さなくていいんじゃないかな、とも思っている。
五人の刺客を一撃で昏倒させた侍女が側にいる、なんて噂でクレメリナ様の敵が躊躇うなら、ある種のストッパーとしても役に立つだろう。
「……よし!」
片手半の木剣の中から手頃な長さの一本を借り、皆さんが並んだその端っこを間借りする。
最初は準備運動を兼ねて、一番基本の振り上げと振り下ろしを繰り返す。
この時、精神が緊張するほど気合いを入れてはいけない。身体が温まる前に全力を出すと、骨にも筋肉にも負担が掛かり過ぎるのだ。
続いて、小さく踏み込んでの軽い突き、斬り上げからの横薙ぎと、徐々に運動量を増やしていく。
小さい頃は死にたくないからって、自分で自分を追い込んでいたけれど、今はもう、剣道少女の親戚みたいな気分だった。
「ほう、流石に綺麗な太刀筋だな」
「ありがとうございます」
こんなものかなと一度木剣を置き、手ぬぐいで汗を拭っていると、皆さんが集まってきた。
「あの、隊長」
「なんだ?」
「レナさまって、女官ですよね……?」
「ああ、言ってなかったか。レナ殿のお父上は、帝都第一の主任教官、ゴトラール殿だ」
「へ?」
一瞬で、皆さんの目つきが、変わってしまった。
感動の喜びというか、いい獲物を見つけたというか、ちょうど私がモラーヌ隊長を見る目と一緒だと思う。
「じゃ、じゃあ、騎士グランダールの妹さん!? 今度紹介してくださいっ!」
きらきらと目を輝かせてずいっと詰め寄ってきたのは、皇太子妃殿下担当のソリーシャさんだ。
専属で妃殿下をお守りする小隊は五組十名、平時は一日二交代で回されている。
「騎士ソリーシャ、兄をご存じなのですか?」
「もちろん知ってますよ! 今回の東方戦役の立て役者だし!」
「へ!?」
「それに極星騎士団の若き勇者、『蒼き獅子』グランダールって、以前から有名なんですよ」
「……はい?」
あ、『蒼き獅子』!?
兄様、いつの間に二つ名を……。
もちろん、兄様が素直な努力家だというのは良く知ってる。その割に負けず嫌いなとこもある性格だったから、伸びるだろうなと子供心にも思ってたけどさ。
最後に会ったのが四年前、私が女学院に入学する直前だ。久しぶりに顔も見たいな。
「あら? ご存じなかったのですか?」
「先月貰った手紙には、『魔物はとても強いが俺も頑張ってるぞ』と書いてあったのですが、任地までは手紙に書かれてなかったもので……」
「そっか、作戦中に任地の名前を書くなんて、あり得ませんよね。まだ参加部隊の名前までは市井には流れてなかったかな……? あ、そろそろ帰還する筈ですから、帝都入城の時には凱旋式があると思います」
時間がとれるなら、会いに行きたいけど……これは無理かな。
兄様は遠征後の休暇が与えられるだろうけど、またお手紙で済ませるしかないね。
「さて、レナ殿。軽く手合わせと行こうか」
「はい、お願いいたしします」
皆から少し離れ、モラーヌ隊長と向かい合う。
盾は持たず、片手半剣サイズの木剣をそれぞれに構えた。
うん。
やっぱり、モラーヌ隊長は格好いい。
構えだけで、底知れない圧力と同時に、懐の深さを感じた。
「いざ!」
「参る!」
最初は小手調べ、というかお互いに様子見で、打撃も軽い。
これは手合わせだ。
訓練でも、勝負でもなかった。
相手をやっつけるのが目的じゃなくて、どんな人柄なのか、どんな意識で剣を振るうのか……剣を合わせることで相手を知るのだ。
それでも剣を手にする者の業というか、戦士の本能というか……いつの間にか熱が入りだして、剣閃は早くなり、一撃の重みも増していく。
「レナ殿、今からでも、騎士を、目指さない、か?」
「魅力的ですが、クレメリナ様に、怒られ、ます!」
会話しながらも、五連撃が飛んでくる。二つはかわして三つは弾いた。
お返しに、フェイントからの詰め寄りで三連突きを放つ。ごく軽く、いなされた。
目だけは剣を追いつつも、モラーヌ隊長の姿勢や足運びにも注意を払い、意識外からの一撃を警戒する。
もちろんお互い、魔法は併用していない。
「ほう、今のを捌ききるか! 次で最後だ!」
「はい! お願いします!」
どちらともなく距離を置き、私は正眼に、モラーヌ隊長は……にやりと笑って腰溜めに剣を構えた。
さて、何が来るかな……って、あ!
駄目だ、詰んだ。
流石、『紅い牙』の名は伊達じゃない。
「はっ!!」
モラーヌ隊長の気合いと同時に木剣を投げ捨ててヘッドスライディング、その場に伏せる。
直後、私の上を『何か』が通り過ぎ、背後の城壁が重い音を立てた。
降参の合図に、寝ころんだまま両手を挙げる。
「……行けると思ったが、見切られたな」
頭を上げると、若干渋い顔でモラーヌ隊長がため息をついていた。
「あれは受け切れませんって……」
エプロンの土を払いつつ立ち上がって城壁を見やれば、斜めに削れたような痕があった。
斬撃をそのまま飛ばしてしまうというモラーヌ隊長の得意技の一つ、『隼の爪』である。
もちろん魔法剣には分類されない純粋な剣技であり、しいて言うなら気の力も上乗せ……でいいのかな? こっちの世界、結構出来る人がいる。うちのお父様とか、兄様とか。
にもかかわらず、この技はモラーヌ隊長の得意技とされていた。
彼女のそれは、『溜め』が極端に短かいのだ。うん、十分にその恐ろしさを味わったよ。
ついでに、この大技を木剣でやっちゃう人は私も初めて見た。……普通は木剣じゃ、力に耐えきれず折れるか、技が出ない。
「手合わせ、ありがとうございました!」
「いや、私も楽しかった。……勝手を言えば、今すぐ女官から引き抜いて育ててみたくなるほど、心躍った」
ぽんぽんと肩を叩かれたけど……予告なしなら、まともに受けていたと思う。
それに先ほどの隼の爪は、幾つかある『得意技の一つ』であって、『必殺技じゃない』わけで……。
やっぱり、モラーヌ隊長はすごい。
誘って貰えて良かったよ。
手合わせが終わったと見て、皆さんが集まってくる。
「うちの隊長にあんだけついていけるとか……」
「……レナさま、ほんとに何で女官やってるんです?」
「何でと言われましても……」
私はどちらかと言えば魔法寄りで、そこまで剣技は極めていない。コツは教えて貰ったけど、隼の爪までは届かなかった。
わいのわいのと人が集まりだし、収拾がつかなくなったところで、モラーヌ隊長がぱんと手を打つ。
「さあ、散れ! 朝練の続きだ!」
「じゃあ、魔法はあっちでやりましょうか」
「はーい!」
私は希望者を連れて練兵場の隅に移動し、髪を乾かすドライヤーの魔法を教え始めた。
「最初は小石とか木ぎれとか、壊れてもいいものを相手に練習して下さいね。術の構成は攻撃魔法そのままですから、本当に危険なんです」
私は真面目な態度で、注意点を並べていった。
次に実演を交えつつ、威力を落とすコツは込める魔力を減らすだけでなく、炎よりも風に意識を傾けることだと伝える。
私も慣れるまでは、大概練習重ねたからね。
とにかく元が攻撃呪文なだけに、失敗すると大惨事になる。
女子隊全員爆発アフロとか、そんな流行は最先端過ぎてついていけない。
「【待機】【微風】、【待機】【単炎】……あわわ、【発動】!」
あっちこっちで、ぼふん、ぼかんと、小石が跳ねる。
当面は第一段階として、威力も制御も二の次で二系統同時行使の練習のみ、安定して成功するようになってから、次の段階を教えることにした。




