第九話「補佐役の侍女」
第九話「補佐役の侍女」
一度、用度部に戻って案内を付けてもらい、今度は中宮にある皇城、光晶宮へと向かう。
光晶宮は帝国の表の顔で、最も格式が高い宮殿である。
他に例えようもないけれど、デザインの基本は尖塔のある遊園地のお城に近い。但し、サイズはドーム球場よりもずっと大きく、迫力満点だ。
一度だけご招待を受けた舞踏会の思い出を僅かに懐かしみつつ、近衛連隊の司令部と隣り合う城の裏手に向かった。
「通用口はこちらになります」
「ありがとう」
口には出さなかったけれど、流石は皇城、通用口も通用口という名に相応しくないほど大きかった。
例のごとく確認が取られ、中に入ると今度は裏方専用の長い廊下をひたすら歩く。
もちろん、裏方仕事には大がかりな荷運びなども多く、過剰な装飾こそないものの、招待客が歩く表廊下と同じ程度には、幅が取られていた。
忙しい時間のようで、モップを手に列を為す侍女や、木箱を載せた台車を押す厨房係などと幾度もすれ違う。
鬼気迫る一歩手前という感じで、関係ないはずの私の背筋までぴんと伸びそうだ。
キリーナ先輩は、季節に応じて配置される調度品の管理や、他部署に属さない城中の廊下やバルコニーなどの清掃や営繕を行う『内装部』に所属している。
今日の内に引き抜けるかどうかは分からないけれど、異動の命令書はもう手元にあるわけで、行かなきゃ時間が浪費されるだけだ。
「失礼いたします、内宮柏葉宮付きの筆頭女官、レナーティアと申します。お忙しいかと存知ますが、アランゼナ様へのお取り次ぎを願います」
「はい、直ちに伺って参ります!」
待つ間もなく、すぐに奥へと通された。
皇城である光晶宮の内装部は、大厨房を預かる司厨部と並んで大きな部署だ。お城を美しく維持する大事なお仕事で、所属する人数も数百人を数えるだけあって、裏方ながらその本部もかなり大きかった。
正式な謁見に加えて、各種の儀式、夜会、外交交渉、論功行賞など、常日頃からあらゆる行事が集中するので、それに耐えうる人数が配属されているのだという。
こちらの世界には、掃除機も洗濯機もない。
規模の大きな作業は、魔法で補うか、人数を投入して人海戦術で押し切るのが普通だった。
「アランゼナです。お待たせいたしました」
アランゼナ様はハーネリ様よりもお年を召した老婦人で、苦手だった礼法の先生みたいな雰囲気をお持ちだった。
……ちょっと腰が引けてくる。
自己紹介をして、先ほどと同じように事情を説明しつつ、書き付けと異動の命令書をお見せして、私は頭を下げた。
「ペタン様とハーネリ様の添え状には逆らえませんわね……。クレリア、清掃第八班のゼーリア班長とキリーナを呼びなさい。……そうね、呼び出しの理由は話さないように」
「畏まりました、アランゼナ様」
クレリアと呼ばれた秘書さんは、素速く執務室を出た。
どうぞと、ソファを指さされ、向かい合う。
「早速ですが、レナーティア殿、人選の理由を教えていただけますか?」
「はい。私は昨日任官したばかりなのですが、諸事情により、今朝から離宮付きの筆頭女官となってしまいまして……」
目上の人からレナーティア『殿』なんて呼ばれると、少しむずがゆい。
でも役職に基づく序列の上だと、数百人の部下を配された光晶宮内装部のまとめ役アランゼナ様と私は、ほぼ同格となる。
内宮の離宮を一つ預かる重みを、いやが上にも感じさせられた。
恐縮しつつも、本気で困っていることや、ここまでならお話ししていいかなという指名理由を並べ立てる。
「クレメリナ王女殿下の一件は、私も耳にしています。さぞ、お心を痛めておいででしょう……」
アランゼナ様も、そういうことならばと、首を縦に振って下さった。
引き抜きはよくあることだし、基本的には出世に繋がるから、広く認められている。
でも、強引な引き抜きは軋轢の元になるし、巡り巡って部署ごとの争い――セクショナリズムを引き起こすそうだ。
「レナーティア殿、貴女は人事監ペタン様の一筆などという離れ業をお使いになられたけれど、それでもきちんと挨拶と事由を述べて、筋を通されている。もちろん、引き抜き理由も、至極納得の行くものでした。……それは大事なことなのですよ」
「そうなのですか!? いえ、本当に助かりましたが……」
「筋の通らない強引な引き抜きは、今も時折あります。ペタン様が宮内府の人事を掌握される以前には、美人と見て引き抜こうとする馬鹿者さえおりました」
「それはちょっと……って、え!?」
ペタン様、五十年以上もその職に就いていらっしゃるのだけど……どういうこと?
「ふふ、私も魔人族にしてペタン様の遠縁、皇宮に奉職して九十年ほどになります」
「大変失礼いたしましたっ!」
お、おおう。
人間族と魔人族は、見た目じゃほぼ区別が付かないけど、不意打ちはご勘弁下さいませ。
無理な引き抜きのお詫びを改めて述べていると、しばらくして、班長付きでキリーナ先輩がきてくれた。
「清掃第八班ゼーリア、キリーナ、参りました!」
久しぶりに見るキリーナ先輩は、以前にも増して綺麗になってた。
皇宮侍女のメイド服も、清楚な感じ出ていてよく似合ってる。
「よろしい。……侍女キリーナ」
「はい、アランゼナ様!」
「本日付けで内装部侍女の職を解きます。退寮と出立の用意をなさい」
「えっ!?」
「お待ち下さいませ、アランゼナ様! このキリーナは新人ながら働き者で、解職に至るような問題など、ただの一つもございません! この一年彼女を育ててきた班長として、とても承伏できるものでは――」
「最後までお聞きなさい、ゼーリア。……どうぞ、レナーティア殿」
小さく笑みを浮かべられたアランゼナ様に促され、ソファから立ち上がる。
……手練手管と言うには直截すぎるけど、私に班長さんの激高振りを見せたかったのだと、納得させられた。
とても申し訳なく思うと同時に、キリーナ先輩が大事にされていると分かって、複雑な内心だ。
「え、レナ!? ……いえ、失礼いたしました、レナーティア様。ご無沙汰しております」
キリーナ先輩は女官仕様のメイド服を身につけた私に気付いて、困惑を露わにした。
それでもきちんと切り替えの出来るところが、先輩の並じゃない部分だ。……その他も、並じゃないけど。特にその、細身の割に大きなお胸とか。
「突然の来訪と呼び出しで、混乱させてしまいました。侍女キリーナだけでなく、ゼーリア班長にも申し訳なく思います」
私はもう一度、アランゼナ様にお話ししたことを、二人に説明した。
難しい顔で聞いていた班長さんとキリーナ先輩が、顔を見合わせる。
「班長、あの……」
「行っといで、キリーナ。あんたは一年、真面目に内装部の侍女を務めた。……神様は、ちゃあんと見て下さってるんだ。そうでなきゃ、十年に一回だって、こんないいお話来ないよ」
「はい。お世話に、なりました。レナーティア様、そのお話、受けさせていただきます」
少々困り顔ながらも、キリーナ先輩は私の手を取ってくれた。
「レナーティア様、内装部を去るにあたって、一つお願いがあるのですが……」
「えーっと……?」
「皆様へのお詫びに、特製ケーキを焼いていただけますか?」
「いつものあれ、ですか?」
私の焼くパウンドケーキは、女学院の寮では特製ケーキ、あるいはレナのケーキと呼ばれていた。
もちろん、先輩からも好評……というか、よくせがまれたのを覚えている。
同じように作っても、何か違うそうだ。
「ええ。……出来れば内装部の全員に行き渡るよう、五十本ほど」
「え、そんなに!?」
「ふふ。レナ、引き抜きの悪評を、好評に変えたくないかしら?」
小声で耳元に囁かれ、ちょんと、ほっぺをつつかれる。
私は先輩の笑顔に押し切られ、近日中に五十本のパウンドケーキを用意すると約束した。