第七話「フラゴガルダ」
第七話「フラゴガルダ」
離宮監様のアドバイスに従い、侍女を借りて宮内卿閣下を筆頭に、女官長様や近衛騎士団長殿、それから宮内府主要部署への挨拶回りを済ませていると、もうお昼前になっていた。
食事については、宮内府の大食堂が利用できると聞いて、そちらに向かう。
今朝は仲良くなった近衛女子隊の皆さんと一緒に、寮の食堂で食べたんだけど……これがまあ、朝からがっつりで、女学院の寮の三倍はあった。
すんごい美味しかったけど! 特に鴨のローストは絶品だったよ!
……お昼は少な目でいいかな。
「あ、選べるんだ」
ビュッフェ形式になっているけど、この食堂は早朝から夜遅くまで解放されているそうだ。
侍従も女官も、交替とはいえ、ご主人様やお客様の行動に合わせてお仕事をしなきゃならない人も多い。食事の時間は、ばらばらが基本だった。
宮付きなら各宮の厨房で食事が用意されるから、私は柏葉宮が再始動するまでは、ここか双竜宮の食堂が主な食事場所になる。クレメリナ様がそちらにいらっしゃるからね。
結構な人の数だなあと思いながら列に並び……小さめの白パンと、ハム一切れチーズ一かけ、あとはニンジンの蒸し煮だけにしておいた。
さて、一心地ついたし、お仕事再開だ。
お世話をするクレメリナ様のところへ伺うには、帝国で最も警備が厳しいと言われる皇帝陛下のお住まい『双竜宮』、その正門にて誰何を受ける必要があった。
……三日前までは、一生縁のない場所だと思ってたよ。
「こちらの魔法陣の中心にお立ち下さい」
「はっ、はい!」
出入りを認める書類は先ほど持たされたし、何も間違ったことはしていないけれど、一人の来訪者に対して魔法使いが二人もついて検査するという徹底振りだった。
これが毎日は勘弁して欲しいなあと思いつつ、案内役の従僕についてクレメリナ様がご滞在中だという『紫雲の間』に向かう。
「いらっしゃいまし、レナーティア様」
「遅くなりまして申し訳ありません、ヤニーアさん」
次の間から、クレメリナ様が国許から連れてきた『唯一』の侍女、ヤニーアさんが出てきてくれた。
ヤニーアさんは三十過ぎぐらいかな、優しそうな目元が印象的で、上品な奥様って感じの人である。昨日も随分と感謝されたけど、彼女はクレメリナ様が生まれたときから侍女としてお仕えしているそうだ。
「失礼いたします、クレメリナ様。お待たせいたしました」
「ご苦労様、レナ。ヤニーア、今日は貴女も同席して」
「はい、ではそのように」
クレメリナ様は昨日とお変わりないご様子で、トラウマの心配はなさそうだ。『慣れてるだけよ』とは仰っていたが、やはり気を遣わざるを得ない。
さて、聞きたくないけど、詳しい事情とやらを聞かなきゃ。
「どこからお話ししたものかしら。……レナはフラゴガルダのこと、どのぐらいご存じ?」
「昨日、クレメリナ様からお伺いしたお話を除けば……そうですね、帝国西方に位置する海洋王国で、特に海産品の乾物は帝国でも良く知られていると思います」
うちのお父様は干し貝の煮戻しが大好きで、ムールリア貝やオウギュ貝は我が家の食卓にもよく上る。
帝国にも海岸に面した国土はあるけれど、フラゴガルダ産は品質もいいと聞いていた。
「それから……フラゴガルダの商船団は帝国に匹敵する規模で、群島にある国土は小さくても経済的に豊か、そして同時に、商船団を守る軍船や竜騎士も強者揃いと伺っております」
「あら、商船団をご存知なら、話が早いわ」
流石ねレナと褒められたけれど、ごめんなさい、地理学の先生の受け売りです。
家名や出身地って様々な評価や話題の基本になるから、女学院の授業でも地理学は割と重要な科目に位置づけられていた。
「実はその商船団こそ、我が国最大の問題なのよね……」
あーあと可愛く伸びをされたクレメリナ様の目は、憂いを帯びていた。
「商船団はね、帝国との貿易に強い『フラゴの光』商会派と、その他の国との航路を多数持つ『海鷲の翼』商会派に大別されるの。対外的には一枚岩だけど、内幕は酷いものよ」
両商会は貿易立国の屋台骨であると同時に、それぞれが勢力拡大を狙っていて、時には港の使用権を相争い、あるいは秘密裏に海賊を嗾けと、勢力争いは激しさを増しているという。
海賊なんて、堂々と悪いことをしてるんだから自慢の軍船を差し向けて捕まえればいい、とはならなかった。軍船や竜騎士の出撃情報は反対派閥を通じてすぐに海賊へと流れるのか、船の出し損になることも多いそうだ。
「それで、対立する両者は決定的な勝利が欲しくて、『フラゴの光』商会が第二王女アジュメリナに、『海鷲の翼』商会が第三王女ソラメリナについているの。正確には、それぞれの生母たる側室とその実家、にね」
なるほど、筆頭女官カディーナの実家ガミロート家は、『フラゴの光』商会と仲良しさんだったわけだ。海産物に強い商会って、フラゴガルダに食い込んでるって意味もあったのか……。
「あの、クレメリナ様の後ろ盾は……」
「いないわ。わたくしのお母様は、オステンの王族なの。お父様が若い頃にも似た様な対立があって、遠国から正妃を迎えることで、国内の均衡を保った……ということになるかしら」
オステンは、フラゴガルダとは帝国を挟んだほぼ反対側にある内陸国だ。二大商会のどちらかが外戚になって専横などされてはたまらないと、遠交婚姻策を選んだという。
政略結婚とか、夢も希望もないけど、国内の安定は無視できない、か。
「ふふ、お父様には大事にしていただいてるわよ。……姉妹均等に」
「……」
「わたくしの味方はお父様とお母様、帝国行きを手伝ってくれたヤニーアら少数の侍女達と海軍の幾人か、そして……レナだけね」
二大商会の前にはあってないようなもの、と仰りたいらしい。
味方を増やすのにも気を遣う程度の力しかない第一王女よと、クレメリナ様は微笑まれたが、ヤニーアさんは多少表情を強ばらせた。
「ともかく、二代商会の争いは宮中にも影響が出ていて、それでわたくし、急遽帝国に遊学……言葉を飾っても仕方ないわね、脱出しましたの。毒はまだましな部類で、侍女に混じった刺客も視察先での凶行も、大抵は経験しているわ。……継承権を放棄すれば、命だけは助けてあげる、とも言われたかしら」
うん、毒と刺客は、私も昨日体験してる。
あんな騒ぎが頻繁に起きるようじゃ、本当にまずい状況なんだろうな……。
「お父様は……ご自身でも凡庸と分かっていらっしゃって、その状況でも必死に抗ってこられたの。『最悪、アジュメリナかソラメリナに王位を譲ってもいいが、国を割ると程なくして近隣諸国に飲み込まれるであろう。それだけは避けねばならない』と零しておられたわ」
国王陛下も均衡を保とうと精力的に動かれていたけれど、双方の欲望が大きくなりすぎ、更には外国との繋がりを切らせようにも貿易立国という観点からは下手に手出しも出来ず……そうこうする内に、制止のきく段階を通り過ぎてしまったらしい。
……この状況は、たとえ私が勤続数十年の超ベテラン女官だったとしても、お悩みを聞いて頷く以外に出来ることはないんじゃないだろうか。
しばらくの沈黙の後、お茶を入れ換えましょうと、ヤニーアさんが控えの間へと向かわれた。
「ねえ、レナ」
「はい、クレメリナ様?」
「わたくしがヤニーアしか侍女を連れてこなかったのには、理由があるの」
ヤニーアさんが出ていった扉に目を向けたクレメリナ様は、先ほどまでの憂いた表情を消し、にこりと微笑まれた。
「逃げ出すのに身軽な方がいいという理由もあったけれど、今頃、国許に残った者達は……そうね、半数ぐらいは大人しく両派に取り込まれているかしら」
「え!?」
「嵐の海には逆らわず、港でやり過ごすのが良い船乗りよ。……それが一番、彼女達には安全なの。ふふっ、でも、内側に入り込んでしまえば、情報を得るのにも丁度いいわね」
「は!?」
「もう半分は……この帝都を目指している頃よ」
思わず、まじまじと見つめてしまった。
本当に十二歳ですか、クレメリナ様!?
って、この状況から、まだ逆転狙ってるし!
でも、理解が追いつかなくて、下手に意見も言えない。
これでも人生二回目で、社会人さえ経験してるんだけど、ついていくのがやっとだよ……。
「でも、状況は一変してしまった。昨日の一件で、恐らく勢力図が書き変わるでしょうね」
「……」
「『フラゴの光』商会とアジュメリナ派は、帝国を甘く見すぎている。特に、その面子をね」
確かに、皇帝陛下のお住まいたる皇宮内で毒殺騒動を引き起こすとか、言い訳が出来なさすぎる。
逆にガミロート家は、フラゴガルダを海運だけの小国と侮りすぎたのかもしれない。
あるいはその背後に揉み消せるだけの力があるのか、それとも、毒殺なんてどうでもよくなるぐらいの裏があるのか……。
「帝国は皇宮内で騒動を許してしまったという失点、フラゴガルダはそれを仕掛け実行したという失点。それぞれ、手痛いでしょうけど……」
でもカディーナらへの沙汰を待たないと、どちらとも言えないかな。
他国からの賓客を皇宮内で毒殺未遂なんてレベルの重大犯罪だと、表立って罰した方が得なのか、秘密裏に処理した方が国益に繋がるのか……それこそ『政治的判断』が本気で必要になる。
「海洋貿易の規模は同等に近くても、それ以外がまったく比較にならないことを、陸に上がらない彼らは、本当の意味で知らないのでしょうね。あるいは、海洋の覇権以外は興味がないか。でも、知った上で強行したのなら……」
「どうなるのですか?」
「半年後、フラゴガルダが帝国領になっていても、それほど不思議じゃないわ」
「クレメリナ様……」
「もちろん、恩情ある沙汰の結果、無事に国が残る可能性もなくはないけれど……」
国外に出れば問題は先送りに出来ると思っていたのにと、若干寂しそうな笑顔で、クレメリナ様は茶杯に口をつけられた。
「これはまだ、ヤニーアにもレナにも中身を告げられないけれど、お父様からは秘密のお手紙をお預かりしているの。それで……もしかしたら、レナには『個人的に』動いて貰うかもしれなくて……」
「じゃあその時は、何か表向きの御用と一緒にお申し付け下さい」
私は小さく一礼して、にっこりと微笑んだ。
驚いた表情のクレメリナ様に、小さく頷く。
「レナ、あなた……」
「少しぐらいなら、お力になれると思います。家族に迷惑は掛けられないし、帝国を裏切れとか言われたら困りますが、それ以外ならまあ、いいんじゃないかなと……」
「レナ!」
ぎゅっと抱きつかれたので、頭を抱いて優しく背中を撫でる。
応援したいと思ってしまったからには、仕方がない。
昨日の今日だけど、私は自分でも驚くほど、このお姫様のことを気に入っている。
とにかく、毒殺未遂事件のお陰で、王位争奪戦どころじゃない状況が生まれた。
帝国の判断次第じゃ、フラゴガルダという国が消える。
消えなくても、次代の女王が誰になるかさえ帝国の判断の影響をもろに受ける、ということは分かった。
そして。
目の前のクレメリナ様は、その当事者なのだ。