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八章 冬の訪れ、別れの足音(1)

 鍋パーティーの告白に気を取られていた萬狩は、元妻から、古賀のサインをもらうよう催促されていた事を忘れていた。


 思い出したのは、日中の平均気温が二十五度も届かなくなった十一月の上旬の事である。すっかり朝明けの遅くなった薄暗い早朝、郵便ポストに入っていた官製ハガキを見て、萬狩は「あ――……しまった」と思わず呟いた。


 そこには、旧姓の苗字に戻った元妻の名前があり、白紙の目立つハガキの裏面に、たった二文で『もう一度だけ書くわ。サインを送ってちょうだい』と書かれていた。


 というか、お前、そんなにファンなのか?


 実に不思議でならない、と萬狩が重い気分でパソコンを立ち上げると、長男の和也からも久しぶりにメールが届いていた。そこには『母さんが、ハガキを見て対応しろと言っている』と、短文が打たれていた。


 シェリーは少しずつ食が細くなっており、夜中の目覚めは毎日になっていた。小まめに食事を与え、彼女が眠れない間中起きて付き合っている萬狩は、睡眠不足もあって朝は頭痛に悩まされていた。だから元妻からの便りと、和也からのメールには頭を抱えた。


「…………畜生。頭痛が余計に悪化しそうだ」


 放っておいたら、第二、第三の手紙が届きそうだ。


 萬狩は次の月曜日、仲西達の定期訪問に合わせてやって来た古賀に、「すまないが、元妻から催促されてな……」とサインを頼んだ。


 古賀は恥ずかしがりながらも、萬狩と仲西、仲村渠(なかんだかり)が物珍しげに様子を見守る中、慣れたようにサインを書いた。読者プレゼントでよく書くのだとはにかみながら口にして、作品を好きでいてくれてありがとう、というメッセージも添えた。


 もらったばかりのイラスト付きサインを、萬狩は、その日のうちに郵送した。念のため、長男の和也にも送った旨をメールで伝えておいた。


              ※※※


 仲村渠(なかんだかり)が「そろそろ短い秋から、季節も冬らしく変わってきますよ」と言った数日後、沖縄は小雨の振る日々が続き、気温も穏やかに下がり始めた。


 雨が落ち着いた十一月の下旬には、ジャケットが必要になり、自宅内も暖房が稼働するようになった。萬狩の家は山の上にあるせいか、時間帯によって気温の下がり方が激しく、特に朝は冷えた。


 冬場はもっと寒くなるだろうからと考え、萬狩は、電化製品店でストーブも一つ買ってリビングに置いた。ついでに面白半分で温度計も購入し、花壇側の壁に設置してみたのだが、早朝の外気温が予報の最低気温より三度も低くて驚いた。


 どうりで、朝が寒いと感じる訳だ。


 萬狩は上着を肩に掛けて、テラス席で煙草を吹かした。シェリーは老犬の身であるのだが、寒さには堪えないのか相変わらず彼の足元に腰かけて、上機嫌に尻尾を揺らしていた。



 それからしばらく、仲村渠(なかんだかり)に言わせると時期的なものらしい、日差しが弱い中で一日に何度か、唐突に弱い雨が降る事が続いた。



 庭の雑草が、好機だと言わんばかりに成長するものだから、雨が上がった日は庭の雑草刈りに追われた。そんな時は大抵、定期訪問の月曜日や木曜日でもないのに、長袖のダウンジャケットを着込んだ仲西青年が顔を出した。


「冬は寒くて嫌になりますよねぇ」


 自分はシェリー専属であり、大半の仕事は自由がきくのだと自慢し、仲西はそう言いながら手伝った。庭の雑草刈りにまでやって来るようになった彼に、萬狩は、もはやなんと言葉を掛けてやればいいのか分からなくなった。


 さすがに自由過ぎるだろう。

 お前、仕事はちゃんとしているんだろうな?


 てきぱきと庭で作業に取り組みつつも、仲西は「そろそろ水分補給と休憩が必要ですよ、萬狩さん!」と、時間を計って小まめに声をかけてくる。体調の崩しやすい時期なのだからと、世話を焼いて機敏に動き回る仲西青年に、萬狩は「お前は俺の息子か何かなのか」と何度も喉元に出かけた。


 続く弱い雨で、気温は更にゆるやかに落ちていった。


 最高気温が二十度を切り始めると、シェリーは、リビングに置かれたストーブの前で座っている時間が増えた。寒さに弱いらしい仲西も、しばらくもしないうちに、そこが指定席のようになった。


 仲村渠(なかんだかり)老人は、白衣の下からしっかりカーディガンを着込み、「靴下も厚地ですよ」とわざわざ防寒具合を自慢してきた。


「まだ日中は十八度ぐらいだろうに……」

「沖縄の人にとっては、もう寒いぐらいのレベルなのですよ、萬狩さん。特に私は年寄りなので、寒さが堪えるのです」


 寒さを口にする二人に比べて、古賀は、日中は薄地のパーカー一枚でも平気そうだった。寒がる仲村渠(なかんだかり)と仲西を不思議そうに見て、「そういえば、沖縄の人って寒がりですよね?」と呟いた。


              ※※※


 十一月も最後の週に入ると、晴れ間が広がっても、日中の気温は二十度にも届かなくなった。定期訪問のあった月曜日も、晴天に関わらず吹き抜ける風は冷たかった。


「萬狩さん、焼き芋パーティーをしましょう! 寒いですッ、もう我慢なりません!」

「なんだ、そのおかしな理由は?」


 自分の仕事を終え、シェリーと共にストーブの前で丸くなっていた仲西が、マフラーを常備したスタイルのまま、突然そう主張した。食卓で熱いお茶を楽しんでいた仲村渠(なかんだかり)が、常識人らしい反応で少し眉を寄せて、床に転がっている仲西青年へと目を向ける。


 仕事で来ているはずの彼らは、今日も自由人である。漫画家である古賀は、原稿の締め切りが近いとの事で来てはいなかった。


 萬狩は、仲村渠(なかんだかり)が珍しく仲西青年を嗜めるのかもしれない、と思って見守っていた。しかし、その期待はすぐに打ち砕かれた。


「仲西君。黄金芋と紅芋、どっちの予定なの?」

「おい。そこじゃないだろう」

「いえ、大事なことです。私、焼き芋は黄色い派ですし、焚き火のお供としてジャガバターも楽しむ派なのです」

「いいですね、ジャガイモ! 今週は雨も降らないし、日曜日にやっちゃいましょうよ」

「おい、ちょっと待――」

「早速、僕の方で古賀さんに声を掛けてみますね! 萬狩さんは、木炭の用意をお願いしますッ」


 萬狩の台詞を遮った事にも気付かず、仲西がやけに凛々しい顔で、敬礼するように手を顔の横に構える。そのそばで、シェリーが便乗張るように「ふわんッ」と元気良く吠えた。


 仲村渠(なかんだかり)が、思案するように顎を撫でた。


「ウチに小さなドラム缶がありますから、私の方で持って来ましょう」

「じゃあ、僕と古賀さんで芋を用意しますッ」

「ついでに焼き網も用意して、魚と茄子も焼いて、頂いてしまいましょうかねぇ」


 口の中で独り言のように予定を反芻しながら、仲村渠(なかんだかり)老人が壁に掛かっているカレンダーへと向かった。もはやカレンダーの書き込みの許可もとらない通常風景に、萬狩は、自分の知っている常識を主張する事を諦めた。


 いつもと変わらない日常が、相変わらず続いている――萬狩はそう思っていた。


 仲村渠(なかんだかり)がカレンダーをめくって、予定をかきこむ様子を眺めながら、今週末にはもう十二月に入っているのかと思った。だから、彼らがシェリーを間に挟んで話す声を聞きながら、その日が当たり前に来るだろう事を、この時は微塵にも疑っていなかったのだ。

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