七章 男達と老犬の十月(5)~鍋とプロポーズと老犬と~上
鍋パーティー当日の日曜日、夜明け前という早過ぎる時刻に、遊び道具と少量の食材を持参した仲西青年が一番乗りで到着した。
萬狩は、既視感を覚える光景に、もはや常識を説く言葉を出す気力も湧いてこなかった。明けていない空を仰ぐと、先日までの不安定な天気が嘘のように晴れていたので、ついでに手伝わせようと考え直し、軽い朝食を取った後に庭の雑草刈りを一緒に行った。
庭を一通り整え終わった頃、獣医の仲村渠老人が、日曜日の朝のアニメ放送が終わらない時間帯に、塩オニギリと茶葉と珈琲豆を持って訪問した。それから少し遅れて、本日の主役である古賀が、花火とカット野菜と鳥肉の入った荷物を抱えて、若い恋人と共にやって来た。
「あの、本日はよろしくお願いします」
童顔の女性が、恐縮しきった様子で「私が『古賀君』の恋人です」と恥ずかしそうに切り出した。薄化粧をしても学生に見える幼い顔立ちをしており、小男である古賀と並んでも、違和感を覚えないほど背丈も低かった。
彼女の顔を正面から見た萬狩は、見覚えがあると気付いて「あ」と声を上げた。彼女も遅れて察したのか、続けるはずだった自己紹介も忘れて「えッ」と目を見開き、小さな口に手をあてて、まじまじと萬狩を見つめ返した。
「……ぶつかってしまった、おじさん?」
「……ぶつかってきた子か?」
古賀が目を丸くして、「どこかで会ったんですか?」と驚いたように言い、茫然と見つめ合う二人へ視線を往復させた。彼女が慌てたように彼へ視線を走らせて、「スーパーでぶつかってしまったのッ」と、萬狩の記憶にない説明をした。
偶然の縁には驚かされたが、何故嘘を吐くのだろうか、と萬狩は顔を顰めた。
すると、少女にも見える古賀の彼女が、どこか焦るような目を向けてきた。感情豊かそうな彼女の丸い目が、あの時の事は出来れば詳細を語らないで下さい、と訴えているような気がする。
もしかしたら、彼女は既に古賀の隠し事を知っているのではないだろうか。彼女が大事そうに腕の中に抱えていた書籍は、彼がもう一つのペンネームで描いているという、例の作品だったのでは……?
そう考えてみると、全てが繋がるような気がしてくる。都合の良過ぎる話とも思えるが、ここに移住してから、特に人間関係については妙な偶然が多く続いているのだ。あっても不思議じゃないだろう。
萬狩が小さく肯いて見せると、少女のようなその女性は、安堵したように胸を撫で下ろした。それから、彼女はやや緊張した顔に控えめの微笑を浮かべて、萬狩達を見渡しこう言った。
「改めて自己紹介させて頂きます。ツトム君――あ、皆様には『古賀君』と呼ばれている彼とお付き合いさせて頂いている、西野マリナといいます」
萬狩達が揃って視線を流し向けると、古賀が遅れて察したように「ぼ、ぼくの下の名前が『ツトム』なんです……」と、何故が頬を染めて補足した。
なるほどと納得したところで、萬狩は改めて彼女に向かい「家主の萬狩だ」と、短く自己紹介をした。彼の後ろにいた仲村渠と仲西も、どうやら古賀の秘密は彼女に筒抜けらしいと顔を見合わせて笑い、愛想よく「仲西です」「仲村渠です」と名乗った。
一通り自己紹介を終えたところで、古賀が、少し遅れて顔を出したシェリーを見て「いつも話していた『シェリー』だよ」と、どこか嬉しそうに彼女へ紹介した。
その光景を見ながら、萬狩は、この『プロポーズ大作戦』とやらは、きっと失敗しないだろうと思った。西野マリナが、くびれのないロングスカートの前で組んでいる両手は、これから起こる事を察しているかのように、どこか期待感を漂わせて緊張している様子でもある。
不思議ではあるが、心境はまるで、手間のかかる息子を眺めるような気持ちだ。
萬狩は、父親目線で「やれやれ」と吐息をこぼした。仲村渠が孫を見る目で「うふふ」と笑い、仲西が兄貴ぶって「成功間違いなしッ」と声を潜めて笑った。
※※※
西野は、実家で猫と犬と鶏を飼っていたらしい。飼い主である萬狩が、改めてシェリーを紹介すると、抵抗もなく老犬に手を伸ばして慣れたように撫でた。シェリーも気持ち良さそうに「ふわん」と上機嫌に鳴き、初対面とは思えないほど愛想良く懐いた。
初の訪問である西野の緊張を解してやろうと、家に入る前に、仲西と古賀がシェリーを連れだって広い庭を案内した。
昨日までの曇天が嘘のように晴れた空の下を、若者三人組と老犬が散策する。まるで老犬との距離感を少しでも縮めようとするかのように、西野は、仲西に勧められてクッキーを片手に「お座り」「お手」もやっていた。
その様子を、萬狩は庭先のテーブル席に腰掛けて、煙草を吸いながら眺めた。向かい側には仲村渠が座り、「シェリーちゃんも、随分彼女が気に入ったみたいですねぇ」「若いっていいですねぇ」と満足そうに独り言を口にした。
鍋の開始は夕刻だったので、前回のバーベキューと同様に、日中は仲西が持ってきたビーチボールやボードゲーム、トランプゲームが行われた。西野はこの手のゲームは好きなようで、開始早々に仲西とも打ち解けた。
「このレースゲーム、四人で出来るんです」
トランプゲームのネタが付きた頃、仲西青年がやけに凛々しい表情で、最新のゲーム機を取り出して見せた。萬狩は、「ここにきてテレビゲームか」と呆れてしまった。
「子供じゃあるまいし……」
「萬狩さん、知らないんですか? ゲームは大人でも楽しめるんです!」
「俺は全く触った事がないんだが」
「ふうむ。私も、この手のゲーム機は経験がないですねぇ」
「操作も簡単なので、すぐに出来ると思います!」
仲西は自信たっぷりに言った。同じゲーム機を持っているという古賀と西野も、「使うボタンは少ないですから」と口にし、親や祖父と同じ年齢である二人を説得した。
萬狩は当初、全く乗り気ではなかった。しかし、しばらくもしないうちに何となくゲームの操作方法が分かってきて、同じド素人であるはずの仲村渠老人に対抗意識を燃やし、後半は完全に「負けるものか」と意地になってゲームのコントローラーを動かした。
老人獣医が驚異的な上達を見せたテレビゲームは、鍋料理にとりかかる予定時刻まで続いた。薄暗さに気付いて顔を上げると、あっと言うに二時間が経過してしまっていた。
鍋パーティーの本題は、『告白大作戦』である。西野と古賀の緊張が解れてくれているタイミングを逃してはならないと考え、萬狩達は、手早く鍋料理の準備を行った。
鍋が始まって早々、古賀は緊張が戻って来たのか、ビールの力を借りても中々告白を切り出せなかった。前日に打ち合わせしたにも関わらず、仲西が三回ほどタイミングを作っても、用意していた台詞の一文字も言えなかった。
見守っていた萬狩は頭を抱えたし、仲村渠は「あらあら」と首を傾げた。
「仕方ないですね、ここは僕が一肌脱ぎましょう!」
すると、仲西がそう言って唐突に立ち上がった。お節介という名の使命感に燃える表情を見て、萬狩は、猛烈に嫌な予感がし「まさか」と顔が引き攣った。
直後、仲西は実にあっさりと、西野に向かって「古賀さんがその漫画家さんなのです」と笑顔でカミングアウトした。用意していたプロポーズの言葉まで言いそうな雰囲気を察し、古賀が慌てて立ち上がり、勢いのまま「黙っててごめんッ」とようやく本題を切り出した。
古賀が真っ赤な顔でしどろもどろに告白するのを、西野は、少しだけ目を見開き聞いていた。そして、場がようやく静まり返ると、緊張と恥ずかしさで俯く彼氏を見据えて「――うん、知っていたよ」と優しげな声で言った。
「でも、ツトム君は隠しているみたいだったから、ずっと知らない振りをしていたの。私、ツトム君が言ってくれるのを、ずっと待っていたんだよ」
微笑んだ西野の瞳は、暖かく潤んでいた。それを見た古賀が、自分の事だけしか考えていなかった事を恥じるように「ごめん」と涙ぐんだ。
予想していた結果でもあったが、萬狩は、こっそり安堵の息をこぼした。仲村渠老人と仲西青年も、初々しい古賀と西野のやりとりを、微笑ましそうに眺めていた。
※※※
全員で鍋料理をゆっくり食べ進めた後、前回のバーベキュー会と同様に広い庭で花火が行われ、シェリーも以前と同じ盛り上がりを見せた。
仲村渠老人は懲りもせず、今回は持参物の――どこかに隠していたらしい――鼠花火を続けて投入した。男達はそれぞれの表情で逃げ惑ったが、何故か老犬シェリーと、少女に見える西野は楽しそうにしていて、仲村渠老人と同じように器用に逃げ回っていた。
最後は全員で星を眺めて、鍋パーティーを締めくくる事となった。
庭の中央にビニールシートを敷いて、人数分のクッションを置き、それを枕に並んで横になった。古賀が別のペンネームで描いている漫画の話になり、仲西が「早速買って読んだんですけど」と、唐突にカミングアウトして古賀を驚かせた。
「えッ、仲西さん、アレを読んだんですか?!」
「うん、読みましたよ。熱い青春物みたいな感じで、楽しく読めました」
「青春…………え、どの作品を読んだんです……?」
「隣のクラスの気真面目な美少年が、戻ってきた幼馴染にからまれて、青春を送るやつですよ」
「……濃度は薄い方だけど、あれでも、内容がアレなんですけど……」
まぁ、いいか。そう古賀は、どこか安心したように呟いた。翔也から同性愛ものであると教えられていた萬狩は、それを微妙な心境で聞いていた。
シェリーは前回と同じように、狭いビニールシートに並んで横たわった萬狩と仲西の間に寝そべっていた。常に誰かが彼女を気に掛けて、声を掛けたり、撫でたりする。そんな様子を、萬狩は視界の端に留めて耳にした。
流れ星を二つほど見送った後、仲西青年がカメラを取り出して「撮っていいですか」と、珍しく確認してきた。
恐らく、初対面である西野に、それなりに気を配ったのだろう。萬狩は「俺は構わないが」と答え、古賀と彼女の方へ首を向けた。
古賀が「大丈夫ですよ」とぎこちなく笑って、西野は「素敵ですねッ」と手を叩いて笑顔を見せた。並んで横たわる彼らの隣で、仲村渠老人が「私も『バッチコイ』ですよ」と、どこから拾ったのか、年齢に合わない台詞を口にした。
反対意見がないと確認したところで、萬狩は、隣の仲西へと視線を戻した。
「そういえば、お前、横になったまま撮るつもりなのか?」
「伸ばし棒があるので、問題ないです!」
「なんだ、それは」
「自分撮り用に販売されている便利グッズですよ。デジタルカメラとセットで購入すると、すごくお得なんです。西野さんも、それで構いませんか?」
「私も大丈夫ですよ。髪をセットしても、とくに可愛くならないもの」
西野は、そう打ち解けた顔で笑った。前髪が横に落ちて額が大きく覗いたその顔は、高校生に思えるほど幼かった。
仲西が『伸ばし棒』と評したものが取りつけられたカメラは、やはり萬狩達には見慣れないグッズだった。横になって見上げている夜空に、それが、そろりそろりと伸びていく光景は、一同の笑いを誘った。
仲西青年は「最先端の流行なんですよ」「海外では大人気なんだから」「今後、新しい携帯電話が流通した際には、国内でもきっと人気が出ますからねッ」と主張し、それからカメラの最終設定を行った。
数秒も待たずに、カメラの撮影ランプが灯り、自動でシャッターが切られた。
途端に仲村渠が、「前髪をセットしておけば良かったかなぁ」と呟いて、西野がクスリと笑った。どこの女子高生だ、という言葉が、萬狩の喉元までせり上がった。