六章 九月のバーベキュー(3)~バーベキューin萬狩宅~上
那覇から自宅へと戻る道の途中、萬狩は、仲西青年の『買い物リスト』に記してあった『オススメのスーパー』に立ち寄った。どうやら、通常の店より菓子類が安く買える事で有名らしい。
そのスーパーは古い外観をしており、駐車場のコンクリートはヒビ割れ、店名のインクはすっかり風雨で薄くなってしまっていた。疑いつつも入店してみると、レトルト用品や菓子類が多く取り揃えられており、全商品が通常価格より安く、更にまとめ買いで割引まできくサービスも付いていた。
萬狩は、菓子の種類や定番物を知らなかったから、ひとまず買い物カゴいっぱい分の商品を適当に見繕って購入した。ちょうど午後三時の混んでいる時間帯に遭遇してしまった事もあり、帰宅出来たのは午後四時半の事だった。
自宅の庭先には、既にバーベキュー台がセットされており、仲西青年と仲村渠老人が、玄関前で萬狩の帰宅を待っていた。後部座席に収まっている菓子の袋を見た仲西が、「菓子の大人買いですね!」と喜びの声を上げた。
三人で運べば一回で運び込める量の荷物だったので、荷物の大半を仲西に任せて、萬狩は仲西が持てなかった分の荷物を、仲村渠が紙皿などが入った軽い荷物を担当して家へ運び込んだ。シェリーは荷物も持てないくせに、まるで自分も活躍しているといわんばかりに、三人の足元をついて歩いた。
仲西青年と仲村渠老人は、荷物を運び込んですぐ、まるで勝手知ったる家のように仕分けし片付け始めた。彼らが珈琲豆の保管場所を迷わず開け放ち、キッチンの棚の中で使用目的もなく空いていた大きめの引き出しに、手慣れたように菓子をしまう様子を見て、萬狩は思わず天を仰いだ。
ここは俺が一人で暮らしている家だよな。
心の中で、萬狩は確認するようにそう呟いた。もはや、声に出して突っ込む気にもなれなかった。
リビングの窓辺には、仲村渠老人が持って来た、大きめのクーラーボックスが置かれていた。クーラーボックスの中には、既にアルコール以外の缶飲料が詰められている。角氷に関しては、明日、古賀が持ってくる事になっていた。
クーラーボックスの脇には花火セットが五袋ほどあったが、萬狩は、それに関しては見えない振りをした。
明日使う事になるであろう紙皿や紙コップ、割り箸などがキッチンのカウンター上に並べられた。冷蔵庫前には、肉の入った萬狩の真新しいクーラーボックスが置かれていたのだが、仲西青年が「結構重いですし」と縁側に近い位置まで移動した。
気を利かせたというよりは、クーラーボックスの中を確認したい気持ちもあったらしい。仲西青年は移動してすぐ、真新しいクーラーボックスの中を覗きこみ「わぁ」と瞳を輝かせた。
氷と共に収まった大量の肉を見て、仲西青年が「明日、全部焼いてしまいましょうね!」と意気込んだ。仲村渠老人も、「余ったら持って帰ってさしあげますよ」と、まんざらでもなさそうに肯き、彼らは萬狩が口を挟む隙もなく勝手に語り合い始めた。
「仲西君。バーベキューといえば、やはりビールは必須でしょう」
「塩オニギリこそ必須ですよ、僕は鮭が入っているとより嬉しいですね!」
「塩か鮭、どちらかにしなさいな。念の為に、ビニールシートも用意しておきましょうかね」
「天体望遠鏡なんてどうですか?」
「ここは星が良く見えるから、望遠鏡なんて必要ないんじゃないの? まぁ、クッションは必要かもしれないねぇ」
おい、お前ら。俺の家で一体何をおっぱじめる気だ?
仲西青年と仲村渠老人の会話は次々に進み、しまいには麻雀やオセロ、人生ゲームなどの単語も出始めた。萬狩の知識や常識が正しいとすれば、大人同士のバーベキューに、大勢の子供が遊ぶような遊戯道具はいらないはずだ。
そもそも、どのタイミングで、トランプやらキャッチボールをする気でいるんだ? 食ったら帰るのが相場じゃないのか?
話題に上がっていたオニギリに関して、仲村渠が「妻がやってくれるそうなので、心配に及びませんよ」と携帯電話を片手にそう言った。悶々と考えていた萬狩は、「そっちの心配じゃない」と項垂れた。
「大丈夫ですよ、萬狩さん。腰が痛まないよう、私の方でもクッションを用意しますからね。――おや、目頭を押さえてどうしました?」
「…………もう、勝手にしてくれ……」
これまでの経験から、萬狩は早々に説得を諦めた。仲西青年に撫でられていたシェリーが、楽しげに「ふわん」と鳴いた。
※※※
仲西青年と仲村渠老人を見送った萬狩は、明日のバーベキューの事を考えて、早めに夕食後の片づけも済ませてベッドに入った。
長時間の運転や買い物は、予想以上に身体に堪えたらしい。特に後半、自宅内で飛び交っていた仲西と仲村渠のやりとりで、残っていた精神力の大半を持っていかれたような気がする。
ベッドに入り目を閉じると、しばらくもしないうちに深い眠りへと落ちた。
夢の中で、懐かしいような、気になるような過去のワンシーンを見たような気がした。まだ深夜という時間にふっと意識が浮上し、心地良い眠りを噛みしめつつ少し記憶を辿ったが、つい先程まで見ていた夢の内容は思い出せなかった。
まるで故郷の風に触れて匂いを嗅ぎ、肌に染みついた暖かさに目を細めるような、そんな不思議な印象が胸の中に残っていた。それが何だったのか覚えていない事が、少しだけ残念に思えた。
萬狩は、心地よさそうに籠の中で眠るシェリーの姿を確認してから、もう一度だけ寝直す事にした。浅い眠りの中で、今度は元妻と息子達が夢に出てきた。彼らは口を閉ざしたまま、何を言う訳でもなく萬狩を見つめていた。
なんだ、どうしたんだ……?
微動にもしない彼らに、萬狩は夢の中で問い掛けた。けれど、三人は何か言いたそうにしながらも、引き続き黙っているばかりだった。
話してくれないと、何も分からない。
お前達は何か、俺に言いたい事でもあるのか?
そう夢の中で口にしたところで、萬狩は「ああ、そうか」と思わず呟いた。話す事は、こんなにも必要で大切な事だったのかと、今になってようやく気付いた。
初めて子供が産まれた時、俺は、誰よりも嬉しかったのだ。
年甲斐もなく嬉しくて、嬉しくて……
二番目の息子が産まれた時も、飛び上がり喜びを噛みしめた。生まれたばかりの我が子をぎゅっと抱きしめ、腕の中に感じる新たな生命の誕生の神秘に、どうしてか涙が溢れそうになった。
それを俺は、お前達に話した事はあっただろうか……?
夢を見ていたのは、きっと浅い眠りの中の、数秒の間の出来事だったに違いない。ゆるやかに意識が浮上すると同時に、元妻と息子達の顔は、あっさりと霞んで消えていってしまった。
その時、聴覚に物音が飛び込んできて、萬狩は感傷に浸る間もなくハッと目を見開いた。自分と老犬しかいないはずの寝室に、誰かがいる。
警戒して反射的に起き上がろうとした瞬間、身体に強い衝撃を受けて、萬狩は「ぐぇっ」と情けない声を口からこぼした。予想にもしていなかった朝の奇襲に、強いダメージを受けて再びベッドに沈むと、続いて容赦なく激しく揺さぶられた。
目覚めたばかりの頭がぐらぐらと揺れて、吐き気まで込み上げた。萬狩は「勘弁してくれ」と口を手で押さえた。そんな中、若々しくも騒がしい、最近すっかり聞き慣れた青年の声が聞こえた。
「萬狩さん、萬狩さんッ、朝ですよ起きて下さい! 今日は日曜日ですよバーベキューですよ、おはようございます!」
まず、言葉の順番がおかしい。
まるでクリスマスプレゼントに興奮する子供のようにはしゃいではいるが、お前は二十九歳のいい大人であるし、そもそも朝の挨拶が最後にくるとは、一体どういう事だ?
言いたい事は沢山あったが、萬狩は頭痛と疲労感に襲われ、諦めたように顔を枕に押し当てた。
数秒で現在の状況を整理し、一拍置いてから、のそりと顰め面を持ち上げた。失礼を詫びるのが先ではないだろうかと思いながら、こちらを覗き込む仲西青年を、寝ぼけ眼で睨みつける。
「……お前、なんでここにいる?」
「え。昨日合鍵を借りたじゃないですか」
きょとんとした様子で首を傾げ、仲西があっさりと言い返した。
萬狩は、数秒ほど昨日の記憶を辿った。そういえば帰るように促した際、仲西青年が「鍵をもらっていきますね」と爽やかに言って、流れるように退出していったような気がする。
とはいえ、こいつに合鍵の場所を教えた覚えはないがな。
すっかり室内の事情を把握されているようなさまが、実に腹立たしい。萬狩が苦々しく思いながら再び枕に顔を押し当てると、仲西青年が「ねぇねぇ」とまたしてもせっつくように揺らし始めた。
「バーベキューの準備を手伝うって言ったの、忘れちゃったんですか? 焼き肉のたれとか、焼きそばのたれ、それから野菜も持って来ましたし、缶ビールは一ケースありますよ!」
「……おい、ちょっと待て。一ケースを、どうやってバイクに詰め込んだ?」
「足元に乗っけました!」
仲西青年は、自信たっぷりに胸を張ってそう主張した。
老犬シェリーは、仲西青年の騒ぎのせいで先に起たらしい。既にベッドの足元に礼儀正しく座って待っており、萬狩が上体を起こして視線を返すと、目が合った途端に優雅な尻尾を楽しげに振った。
萬狩がベッドからのそのそと降りる間に、仲西青年が、慣れたようにカーテンと窓を開けた。
「シェリーちゃんの事は僕がやっておきますので、萬狩さんは、先に洗面所の用事を済ませて来て下さいね」
前々から結構気になっていたんだが、お前は俺の息子か何かなのか?
萬狩は頭が痛くなったが、ひとまずは先に風呂に入る事を決めて「……じゃあ任せた」と言って、深い溜息と共に寝室を後にした。