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「なんだこれぇ! 」
階段を下り、六階に到着した淡の眼前には、まるで体育館のような、だが、学校の規格より遥かに広い空間が広がっていた。
空間の中心には、五階建ての建物があり、その奥に、射撃場らしきスペースが見てとれた。
「六階、地下演習場へようこそ、淡くん....?」
朱桜が、振り向いた時には、既にそこに淡の姿は無かった。
「オラオラオラァ! 」
声のする方向へ目をやると、そこには、中心の建物によじ登っている淡の姿があった。
「えっ、ちょっと何してるの!? 」
朱桜は、階段を下りて、急いで淡の近くへ行った。
淡は、その間にも登り続け、三階にたどり着こうとしていた。
「はぁはぁ....ねえ! 何してるの! 破天荒すぎておねえさんついていけないよ....」
淡は、動きを止め、地上にいる朱桜を見て、口を開いた。
「........よっこらしょ」
「いや、よっこらしょ、じゃなくて」
「うんこらしょ」
「変えれば良いって訳じゃない! 」
「じゃあ何だ! いそがしいんだ!」
淡は、見るからに不機嫌そうな顔を作った。
あっ理解不能!
朱桜は、理不尽に怒りすら覚えたが、笑顔に努め、珍獣を刺激しないように優しく、諭すように話しかけた。
「わかったわ、オーケー。君の登りたいってキモチは、十分に、わかったわ」
宥めるように両手をあげて続けた。
「けどね、今は、やらなきゃいけないことがあるの、登るのはその後にして貰える? それに、その建物仮組みしてあるだけだから、危ないよ。チンパンジー」
「ウキキッ!」
淡は、掴んでいた鉄骨から手を離し、地面に着地した。
「ああ、良い汗かいた! で、どこ行けばいいの?」
「......ついてきて」
朱桜は、ため息をつくと無言のまま奥の射撃場へと歩いていった。
コンクリートの壁に面したシューティングレンジは、等間隔に仕切りがついた長机がならんでおり、そこから覗いた奥には人型の的が立ててあった。
辺りには薬莢が転がっていて、仄かに花火のような煙の臭いが立ち込めている。
と、朱桜はその一角に、見慣れた黒い上司の姿を見つけた。
相手もこちらに気がついたらしく、手に持った銃を机に置き、朱桜の方へと顔を向けた。
「やけに遅かったな、緋染。どこで春を売ってた?」
「油と言ってくださいジェーンさん....」
朱桜は、淡のせいで落としていた肩を、さらに脱臼しそうなほど落とした。
「淡くんが破天荒すぎて遅くなってしまいました」
「ああ......」
ジェーンは、朱桜の疲れはてた様子を見て全てを悟ったようだった。
一方、淡は、拾った薬莢を興味深そうに眺めていた。
「淡、オモチャをやるぞこっちに来い」
淡がジェーンの近くへ行くと、近くの机に何種類もの拳銃が無造作に置かれている事に気がついた。
淡は、机の上から一つとると、ジェーンに尋ねた。
「これ、本物?」
「ああ、正真正銘、本物の銃だ」
淡は、ニヤリと笑みを浮かべると、銃口を的へと向けた。
引き金を引き、轟音に身構える、が、いつまで経っても弾は発射されなかった。
「あれ?」
「セーフティーを外さなければ弾は出ないの、ほらここ」
朱桜が、教えてくれた通りに、セーフティーと呼ばれた部分をスライドする。
再び銃口を的へ向ける。
「さあ、淡。お前の才能がどれくらいか見させてくれ」
淡が引き金を引くと、凄まじい爆発音と共に弾が発射され、的の中心に吸い込まれるように.........当たらなかった。
どころか、的に掠りもせず、弾はあらぬ方へと命中した。
「よし、狙い通り!」
「........」
ジェーンは、彼の対人戦の能力を高く買っていただけに、彼が全くのノーコンであることに酷く落胆した。
「.......淡、この中から、好きな銃を選べ。我々の組織は、サイドアームだけは、自分で選ぶことになっている」
自分に合うのを見つけろ
ジェーンは淡に言った。
淡は笑顔のまま頷くと、銃を手にとってどれが良いのか物色しはじめた。
ジェーンは、朱桜を見て、
「緋染、子守りは任せた。こいつにジェフクーパー四原則から教えて、銃が決まったら、今日はもう帰って良いぞ」
と言うと、背を向けてそのままどこかへ去っていった。
「子守り......ね」
懐かしい誰かの影が、朱桜の心に浮かび、そしてすぐに沈んでいった。
子供、淡くんに抱いたのは、本当にそんな印象。
だからかもしれない、あたしがまだ、普通に接していられているのは。
淡は、それから朱桜の指導を受けつつ何十発も撃ったが、一向に上達する気配は無かった。
「ノーコン!」
朱桜が声を上げた。
「ちゃんと狙ってんだよ! これでもなぁ!」
そしてさらに何十発か撃ち、いい加減朱桜も退屈になり始めた頃、
「これだ!」
腕を組んでいた淡が一つの銃を取り、天へ掲げた。
「ちょっと、見せて」
淡から、選んだ銃を手渡される。
それは、一般的な物よりも、一回り小さく、非力な女性でも軽く持てる程の重さの、オートマチックピストル。
「デトニクスコンバットマスター。小さいけど、威力は確か。......どうしてこれを選んだの?」
「デカいと持ち運びにくいし、それに――――――」
先ほど教わった通りに弾倉をグリップエンドに収め、スライドを引く。
「近距離で取り回し良さそうだし」
その瞬間、朱桜は、淡の雰囲気が最初に感じた『子供』ではなく、もっと別の、得たいの知れない何かに変化したのを感じ取った。
あえて例えるなら、そう、底の見えない湖、だろうか。
そして、同時に淡のような人物が、どうして自分達の部隊に入ることになったのか、その理由が分かったような気がした。
「ねえ、淡くん。いままでに、誰かを――――」
殺したことがあるの。
そう言いかけて、朱桜は、口をつぐんだ。
「ん?なに?」
「ううん、やっぱり何でもないわ。......部屋に帰りましょ、早く寝ないと明日起きれないわよ」
朱桜は、誤魔化すために、髪をかきあげると、まだ銃を持っていた淡に机に置くように手で指示する。
淡は、それに従って銃を机の上へ置き、朱桜と部屋のある階へと帰ることにした。
「朝早いのか?」
歩きながら淡が言った。
「六時起床よ、遅れたら連帯責任だからね」
「ほーん。って早!」
途端に、淡の足取りが重くなった。
「いやいや、学校とかもこれぐらいでしょ?」
「しばらく、学校行ってないからなあ。十時に起きるのは当たり前だったし」
思えば、バイトも職種柄夜の営業が主だったので、シフトが入った日は、いつも深夜に帰っていた。
あのバイト先は、出るとこに出れば訴えることができるだろう。
「そう、行ってないんだ......学校」
朱桜は、何か聞いてはいけないことを聞いたような気がして、声をすぼめた。
「どうした? 腹から声出せ?」
「あっ、ひどい!気を使ってあげたのに!」
朱桜は立ち止まり、淡に抗議した。
「気なんか使わなくても良いよ。行かなくなったことに特別な理由は無いから」
さらりと答えた。
「えっ、いじめられたんじゃないの? 」
予想が外れたとばかりに、朱桜は天を仰いだ。
「......実は、そう、いじめられたんだよ」
言いにくそうに、淡は切り出した。
精一杯の涙を添えて。
「どんないじめを受けたの....?」
朱桜は、声のトーンを落とし、出来るだけ辛くしないように慎重に質問した。
「昼に登校したら、ロッカーに入れてあった上履きの中に、ぎっしり納豆詰められてた」
朱桜は、それを聞いて腹を抱えて大笑いした。
その後、数分の間、朱桜は笑いっぱなしで、時々足を止めて笑いを噛み殺していた。目には笑いすぎて出た涙が浮かんでいる。
「ふう~、すぅー、ふう~~。.....あー面白かった!」
ようやく笑いが収まった朱桜が口を開いた。
「喜んでもらえて良かった」
淡は立ち止まって振り替える。
「全部嘘だけどね」
「うん、知ってる」
朱桜は、真顔で答えた。
くだらない話をしている間に、入り口に戻ってきていた二人は、地下演習場を後にした。
「ジェーン・ドウ君、新しく迎え入れた彼について聞かせてくれるかな?」
口ひげを生やした肥満体型の中年の男が、ジェーンに問うた。
彼が着用しているスーツは、それなりに高価なようにも見えたが、彼自身の肉によってその形を大きく変形させていた。
ワイシャツのボタンは、今にも弾け飛びそうで、その姿は、さながらボーンレスハムのようで、ジェーンの目には滑稽に写った。
「はい。散爪やちるを殺害した際、彼はこの世ならざる力、つまり能力を使用しました」
「異端....か」
異端、それは日本だけに存在するとされる生物。姿形は人間と似ていても、その系統樹を辿れば根本から異なっている存在。
こんなオカルトな話は、ふざけたテレビ番組だけで十分だと、局員時代は思っていたものだ。
実物をこの目で見るまでは。
「ええ。散爪の最期から能力を推察するに、|分類青であるかと思われます。彼女は、腹部は無傷だったのにも関わらず、まるで何かに取り憑かれたように地面に落ちた何かをかき集めていました」
異端には、それぞれ能力を色ごとに分類されており、その色は、青、赤、緑、そして白。
分類青は、人間の精神に働きかける能力を持つ。
そのメカニズムは、体のある器官から、幻覚作用のある成分を分泌し、鼻や口、傷口などを媒介して、対象の大脳の機能を掌握する、というもの。
敵にすれば、面倒この上ないが、味方にすれば戦力として大いに期待できる。
「それで?」
男は、口ひげを弄りながら続きを促した。
見ると、彼のデスクの上にはワインボトルが飲みかけのまま置いてある。
この豚は、仕事中に酒を嗜んでいるらしい。
「淡島淡は、射撃については、若干以上劣りますが、延び代という点においては――――――」
「そんなことを聞いているのではないッ!」
男が声を荒らげた。
「そいつを入れることは、貴木刀里を失ったことと等価値かと聞いているんだ!」
貴木――――淡が殺したアイツは、組織内部で作らせた薬物を横流しして、不正に利益を得ていた。
もっとも確固たる証拠をつかんだのは、アイツが死んだ後に私が部屋を土足で荒らしてからだったが。
目の前のこの豚――――梶間観児の先程の発言は、ともすれば、部下を思いやる発言にとれなくもない。
だが、実際は貴木をこれ以上利用できなくなったことに対する憤りでしかない。
その証拠に、貴木の家から私が引き上げて直ぐに、直属の部下が横流しに関する書類の回収にやって来た。
以上のことから、豚が絡んでいることは、間違いないが、急いで手を出すわけにもいかない。
手に入れた資料だけでは、いささか以上に決定打に欠けるのに加え、奴は私を必要以上に警戒している。
この豚は、こと自分の利益になると、とたんに嗅覚が強くなる。
さながら、動物の勘といったところか。
だから、私がもし動けば、十中八九、豚は、汗水たらして証拠隠滅に奔走することだろう。
殻に籠られては、こちらからは動きようもない。
「申し訳ありません。しかし、お言葉ですが、彼の能力は、貴木と同価値以上であると言えます。今はまだ、研鑽が足りていないだけかと」
梶間はデスクの引き出しから葉巻を取り出すと、火を着け、大きく息を吸い込み、紫煙を吐き出した。
「そうか、そうか。よし、もう良いぞ」
梶間は空いている手をヒラヒラさせて言った。
どうやら出ていけという意味らしい。
私は無言で執務室から出た。
扉から出る間際「CIA崩れの雌犬が」と背後で豚が呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
淡は、ベットに仰向けになりながら天井を見て、一人これからのことについて、あれこれと考えていた。
こんなにもワクワクしているのは、産まれて初めてかもしれない。
早起きな点は、昔いた孤児院を思い出して多少憂鬱になるが、その他の点は大いに楽しみだった。
特に銃を撃つのが一番楽しみだ。
刃物以外で人を殺ったことがないから、どんなものか興味がある。
あっ、そういえば、コブラネタをやった時に誰か乗ってくれた人いたよな。
明日友達になろう。
というか、みんなと友達になろう。
これから、四年もここで過ごすのだから。
淡は、次第に微睡み、やがて目を閉じた。
淡の刺激的で運命的で致命的な一日は、こうして幕を閉じた。