6
走る、街を疾走する。
辺りは暗くなり、路地にはすでに街灯の光がポツポツと落ちていて、住宅の窓からは灯りが洩れている。
この状況、あいつの時と真逆だな
と心の内で自嘲した。
あいつも逃げるときはこんな気持ちだったのだろうか、
恐怖に慄いた男の顔が脳裏に甦る。
しかしすぐに背後からの気配がそれをかき消した。
脚を刺したのが効いたのか少女との距離は開きつつある。
「はぁはぁはぁ――――」
とはいえ淡もそろそろ限界だった。
身体中の筋繊維が限界を迎えていた。
普段あまり運動をしない淡にとって、十階建てのマンションの雨どいを尺取り虫で登ったり、身元不明者と戦闘したり、長い距離を走るのは重労働以外の何物でもないのだ。
淡は走りながらあの少女の事を考えた。
あんな女の子に殺されかけるような事した覚えは....ありすぎる
しかし、あの子は何だったんだろう、あの洗練された身のこなしは、訓練された動きだ、断じて素人のそれじゃない。
ほんの数分前のことを思い出す
右手に握った刃物の柄を握りしめる。
正直ナイフがもう一本なければ危なかった。
できればもうあいつとは殺りあいたくない。
淡にとって命のやり取りをしたのはこれがはじめての事だった。
一方的な殺人こそすれ、本当の意味での戦いをしたことがなかったからだ。
「ハハッ」
淡は自然と笑いだしていた。
そのやりとりは今までの殺しよりずっとスリリングでよいものだと感じたからだ。
休憩しようと走るのをやめた淡は側にあった電柱にもたれ掛かかった。
汗が頬を伝う。からだ中が汗でぐっしょりと濡れていた。
喉がカラカラだ、思えば水を全然口にしていなかった。
息を整える。
気配は...まだ遠い。まあ家まで帰ればなんとか......あれ?
辺りを見渡す。
「ココドコデスカ?」
夜の閑散とした住宅街で、ただ一人呟いた。
見覚えのない道、建物、看板、etc...
見事に迷っていた、完全に迷っていた。
ここら辺は迷いやすいことをすっかり忘れていた。
「と、とりあえず北斗七星を探そう、うん、そうだ」
動揺を押さえて空を見上げる、幸い星は出ていて見つけられそうだ。
けれど、星の見方なんて、そういえばわからなかった。
適当に三角形見つければいいかな――――――
「今晩は、子犬ちゃん」
背後からかけられたその女の声に、淡は全身が芯まで凍りついたような錯覚を覚えた。
感じ取ったのは異質な気配、さっきの少女とも違う別なモノ
「――――――――ッ!」
凍った体をむりやり引き剥がして、とっさに右に上体を捻り、背後に向けて斬撃を放つ。
相手が常人ならばここで終わりのはずだった。
―――――――しかし刃先は、右腕の関接を極められたことで、相手に届くことはなかった。
腕の痛みを感じる間もなく、膝の裏側を蹴られ、そのままうつ伏せに地面へと倒される。
「――――――――ぐッ!」
アスファルトに体を叩きつけられ、痛みで呼吸が苦しくなる。
顔半分を覆面で隠した女はその上にマウントポジションをとる。
「なんだ....お前....は..?」
息も絶え絶えになりながら淡は問う。
「んーその質問、今は答えられないわねぇ」
赤子をあやすような口調で女は言うと、黒い軍服のような服の
ポケットから赤褐色の液体で満たされた注射器を取り出した。
「子犬ちゃんがこれに耐えられたら、その時は、答えてあげるわ」
そう言うと女は首に狙いを定めた。
「おい、やめっ――――」
注射器が首筋に刺される、チクリとした痛みと共に液体が中へ流し込まれる。
その瞬間、全身が烈火の如く熱くなった。
心臓は早鐘を打ち、全身が一つの臓器になったように脈打っている。
「アアアアアアアアア!!」
熱さは鋭い痛みへと姿を変え、淡の体を貫いた。
体内から針を突き刺された様な激痛に、次第に意識が朦朧とする。
いっそ殺してくれ―――
そう思った時、何かの光景が止めどなく目の前に広がっていった。
ああこれが走馬灯ってやつか
薄れ行く意識の中で、この感覚が、どこか懐かしいように感じる自分がいることに気がついた。
けれどそれを考える間もなく
意識は......暗転した。
刺された足を押さえながら少女は走る。
血が滴って、通った後の道には点々と血痕が続いていた。
足を動かす度に激痛が走った。
けれどそんなことは、今追いかけている獲物を逃すことに比べたら何でもなかった。
憎い、憎い憎い憎い!
刀里様を殺したあいつがッ!
「はぁはぁはぁ.....グッ」
少女はよろよろと壁に手をつきその場で吐血した。
薬を絶った今の自分は、あと数時間も命は持たないだろう。
それでも、辞める訳にはいかなかった。
相手の場所はここから一キロも離れていない。
次は必ず仕留める。
ホルスターに入れた拳銃を取り出した。
S&W社M668リボルバーが街灯の光を鈍く反射する。
外部での私的利用は禁止されているが、最早組織に戻れない自分には関係のないことだ。
「やあ、やちる。満身創痍みたいだね」
十字路に差し掛かった辺りで待っていたように、黒ずくめの上司に呼び止められる。
「命令違反した私を殺しにきたの?」
「そう殺気の籠った目で見つめないでくれ、かわいい顔が台無しだよ」
少女は直も緊張を解かない。
上司はたばこの煙を吐いた。
「私には君をどうかしようと言う気は無いよ。
君の恨みも....まあ、わからんでもないからな」
優しく諭すような口調で上司は続ける。
「彼なら私の部下が弱らせておいた。今ごろはその先で横たわっていることだろうさ」
それを聞いた少女は、今度は上司を一瞥もせずその先へと歩き出した。
少女の小さな後ろ姿を見送る上司は、その美しい顔に不敵な笑みを浮かべる。
「そう.......『私には』な」
拳銃を構え、 セーフティーを外す。
目標はあの頭、いや直ぐには殺さない、何発も何発も
打って、苦しませてやる。
近寄って倒れた男の腕へ照準を合わせる。
「まずは一発目、後悔しなさい」
ドロリ 、ボタッ ボタボタ
「えっ?」
少女が銃弾を発射する直前に、何かが地面に落下した、
それは赤黒くて、長い、まるでなにか管のような――――――
「――――アアアアアアアアア!?」
落下したのは少女の内臓だった。
ボタボタと次から次へと腹部から内臓が地面へとこぼれ落ちる。
ナニガオキテイル?
脳が状況の処理に追い付かない。
その場にしゃがみこみ必死に内臓をかき集めて自身の腹へ押し戻そうと試みる。
ターゲットの男がむくりと立ち上がった。しばらく自分の体を見つめた後に、少女に視線を移す。
その表情にはこの世のものとは思えない笑みを浮かべていた。
一歩一歩、ゆっくりと少女に近づく
「なっ内臓がァ、わた、私の内臓がァァ、集めなきゃ、ああ集めなきゃ」
少女は恐慌状態に陥っていて。それに気がついた様子は無い。
二歩、拾い上げた肉切り包丁が街灯の光を怪しく反射する。
「いたい....いたいよぉ....だれか...だれかたすけて...」
嗚咽混じりに小さく声をあげる。
三歩、少女の眼前に立つ
「ああ....刀里様.....みち――――」
四歩、放った斬撃は首を両断し少女の命を絶った。
「あれ?」
次に気がついた時、淡は道の真ん中で立っていた。
ぬるっとした感触に手を見ると血で真っ赤に汚れていた。
それどころか体中が血まみれだった。
「うおっなんだこれ!」
「やあ、やあ、見事な殺しだったよ、淡島淡くん」
どこからともなく声をかけられる。
振り替えると、そこには淡を組伏せた軍服を着た外国人らしい女と、黒ずくめで長身の女が拍手をしながらこちらへ近づいて来ていた。
「あーー! あんたは昼間の!....それと――――」
淡は戦闘体制に入った。
「――――俺を痛めつけたヤツ」
今にも斬りかかろうとしたその瞬間、黒ずくめの女が手で制した。
「こちらに君と戦う気は無い。安心したまえ。君も不要な殺しはしたくないだろう? 」
淡は、戦闘体制を解除し、元の年相応の少年へと戻った。
「あああ....やちる君は私好みの美少女だったんだが、こうなると見ていられないな」
女は近くの死体を見つめてそう言った。少女の死体は首だけが、すっぱりと両断されていた。
「これ、俺がやったのか?」
淡が口を開いた。その体は震えているようだった。
「ああそうだ、正確には薬を投与された君だが....」
「すげぇーな、こんなにも綺麗な断面図今まで見たことねぇや」
淡が首を見て感心そうな声をあげると、女は面食らった顔をしてから笑い声を上げた。
「ハハハッ、いやすまない、君は殺しに対するポリシーがあったんじゃないのかね?」
「殺っちまったもんはしょうがねえさ。いまさらなかったことにはならないし、死んじまったらどうしようもないだろ?」
笑いすぎて涙が出たのか女は目元を擦った。
軍服の女はというと趣味が悪いと感じているのか、あまり良い雰囲気ではない。
「皮崎市連続殺人事件....あれをやったのは君だろう?淡島淡」
女はなおも笑みを浮かべたまま尋ねた。
「その様子じゃ警察って訳でもないらしい....そうだよ俺がやった、一人を除いてな」
と淡は嬉々として答えた。
「それは分かっている。一連の事件で、君が最後に殺した者が私の上司でね、今日は君にその礼を言いに来た」
言い終わると女はくわえたタバコの煙をはいた。
「“礼”ねぇ....つまり俺を殺すってこと?」
「どいつもこいつも私を信じてはくれはしないんだな....そんなに私は胡散臭さいか?」
そう言って落胆したようなそぶりを見せた。
同時に遠くの方からサイレンのような音が近づいてくるのが聞こえた。
「ジェーン、そろそろ」
軍服の女は黒ずくめの女―――ジェーンに短く伝えた。
「今の騒ぎで、地域住民が通報したらしい。」
ジェーンは音のする方を見て、そして淡に向き直った。
その赤い瞳は淡の瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「単刀直入に言わせてもらう」
先程とは打って変わった口調でジェーンは言った。
「君の才能が欲しい」
....芸能プロダクションのスカウトか?
ジャーンは面食らった顔をした淡を無視して話を続けた。
「私はとある組織に所属していてね、そこは君のような人を殺す能力に長けた人材を欲しているんだ」
ジェーンは一歩前へ出ると右手を差し出した。
「君に残された選択肢は、二つだ。私と来るか、ここで捕まるかだ」
そんなのは決まっている。
楽しそうな方
選ぶ理由はそれだけだ。
淡は差し出された女の手を握った。
ジェーンは満足そうな笑みを浮かべた。
「よろしく、淡島淡。私の名はジェーン・ドゥ これから長い付き合いになる」
淡が握ったあとの女の手の平には、赤黒い少女の血がベッタリとついていた。