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凍えるほどに暗いマンションの一室に、何かの音が響き渡る。
ぐちゅぐちゅ、それは肉を裂く音。
ゴリゴリ、それは骨を砕く音。
少年が生み出した様々な音は、まるで一つの曲かのように鳴り響き、忙しなく、グロテスクな音色を奏でていた。
曲は、時折休憩を入れながら数時間にわたり演奏され、バツンという太い糸を裁断したような音を合図に、ばたりと静まり返った。
拍手は起こらず、代わりに孤独な演奏者が、楽器を片手に血溜まりから立ち上がった。
「おーい、まだ生きてるかー・・・・?」
演奏者――淡島淡は、彼の下でうつ伏せに倒れた男に対して、友人に語りかけるように問いかけた。
「 って、生きてる訳ねえよな」
彼は、血と脂で濡れたナイフを弄びながら、呟くと男の背中から腰を上げた。
男は無惨にも首を根元から荒々しく切り落とされており、苦痛に歪んだ表情は、今際に壮絶な痛みを伴ったことをありありと物語っていた。
(さてと・・・・)
演奏を終え一息ついた彼は、何気なしに自らの姿を見て顔をしかめる。
着用していた黒いパーカーとズボンが血と体液で汚れ、髪は外の雨と汗でぐっしょりと濡れている。
「えーと、シャワー借りるけど・・・・いいよね? 」
足元の死体に尋ねる。
「どうぞお使いください!」彼には、男が返事をしたように聞こえた。
「じゃ、遠慮なく」彼は言った。
短めにシャワーを浴び、脱衣所に出ると、彼はいつもの癖で鏡に写る自分の姿を見つめた。
半年以上放置した髪は、肩口ほどまで伸びている。
細身の体にはトレーニングのお陰か、十分とは言えないものの年相応には筋肉がついている。
「ドライヤー君はどこだー?」
鏡を見るのを止め、濡れた手であちこち開けて調べると、洗面器の下の収納にコードでぐるぐる巻きにされたドライヤーを発見した。
プラグをコンセントに差し、スイッチを入れる。
ドライヤーの温風が髪を優しく撫でた。
彼はこの髪が乾いていく過程が好きだった。
そしてこうして髪を乾かしながら何かを考えることが、いつからか始めた日課だった。
その何かとは、自分自身の存在、在り方についてだ。
違和感、決まってそれは鏡に写る自分に対して沸き上がる。
鏡に写る自分は本当の姿なのか?
それは、誰もが一度は抱くであろう哲学。
大抵の人間は気のせいだと脳内で一蹴し、各々の生活へ戻っていく。
しかし、淡の場合は違った。
いつ抱き初めたのかも分からない感情は、消えるどころか、彼の頭の中で日に日にその大きさを増し、それはまるで頭に巣食う寄生虫のように、片時も離れず彼を思考へと駆り立てていた。
だが、当然解決の仕様もないので答えは出せずにいる。 もはや答えを出そうと考えるのではなく、考える事自体が彼の習慣になっていた。
髪はもう大分乾いたようなのでドライヤーのスイッチを切り、元の場所へ返した。
慣れた手つきで髪を後頭部でひとつに結び、脱いだ服に手を伸ばすが、汚れていてとてもそのまま着ては帰れない状態だった。
もし着て帰れば間違いなく警察に厄介になるだろう。
(ポリシーに反するが・・・・しかたねぇか)
彼は、しぶしぶ全裸のまま脱衣所を出てリビングへ行く。
「わり、また借りるは」死体の横を通りすぎた。
足裏のぬるぬるとした血の感触を無視して、近くにあったクローゼットの扉を開いた。
彼は、高価そうな服の中から白いシャツとジーンズを選ぶと、それに着替えた。
(少しデカイけど、まあいいか)
玄関で脱ぎ捨てた自分の靴を履き、扉を開くと街灯の眩しさに目が眩む。
空を見上げると、幸いにも雨が止んでいることに気がついた。
(傘は借りなくてすみそうだな)
頭上に漂う夜の雲を見て、彼はここが現実であることを思い出した。
『殺人』それはいつも、夢の世界の延長のように虚ろで、まるで自分以外の何かに突き動かされるようだった。
壁一つ隔た向こうは地獄だとは知らずに、隣の部屋ではありふれた日常が送られているだろうな、彼はそんなことを思って笑みを浮かべた。
家から一歩前へ踏み出すも、何かを思い出し立ち止まる。
彼は死体が横たわっている部屋に向かって振り返り、
「あばよ。楽しかったぜ、あんた」
まるで友人との別れのようにそう言うと、身を翻して玄関の扉を閉めた。
暗い部屋には、再び沈黙が訪れた。
首を切り落とされた男の死体は、最後までその口で返事をすることは無かった。