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終わりと始まり(3)

【SIDE:ネルガスト】


 私が許嫁を解消しようと言い出したのは、本当の意味で自分が彼女を妻に望んでいることを伝えるためだったのだが。

 こちらの言葉が足らずに、サーシェにとんでもない勘違いをさせてしまった。

 私はまだまだ未熟者だ。愛しいサーシェに悲しい思いをさせてしまったのだから。

 それでも、『雨降って、地固まる』という言葉のように、私達は結果として互いの想いをより強固に結びつけることが出来た。

「いえ。もう、良いのです。わたくしは今、幸せですから」

 蕾が花開くごとく、美しい微笑みと共に告げられた言葉に、私の方こそ幸せを味わう。

 胸が温かいもので満たされると同時に、ドキドキと鼓動が早まってゆく。


――ああ!涙に瞳を潤ませているサーシェは、なんて艶っぽいんだ!


 幼い頃に目にした太陽の下でのはつらつとした姿も魅力的だったが、すっかり女性らしくなったサーシェの表情は、私の心臓と、なにより雄の部分を容赦なく刺激してくる。

 無事に誤解が解け、私の妻になってくれることに彼女自身が了承してくれたのだから、間もなくサロンで開催される誕生会に二人そろって登場するべきなのだが……。


 もう一度言おう。今の彼女は、あまりにも艶っぽいのだ。


 武芸の訓練を受けていた時には、なにがあっても眉一つ動かさなかったこの私が、柔らかな微笑み一つで理性が瓦解を始めていた。

 その衝動に抗うことが出来ず、慌てふためく彼女を言葉巧みに丸め込む。

 誕生会を気にしていた彼女には非常に申し訳なかったが、こんなにも愛らしい表情を見せられて、我慢できるわけがない。

 それでなくとも、何年にも亘って、サーシャをこの腕に抱くことを夢見てきたのだから。

 婚姻の手続き上、多少順番はおかしくなってしまったが、どうしても、今、この瞬間、想いと一緒に体を重ねたかったのだ。




 無体を働いた私をなじることも嫌うこともなく、私が抱きしめても抗う様子を見せないサーシェ。

 初めての情事で気怠そうにしている素振りが、なおいっそう艶めきを増してみせるが、さすがにこれ以上、寝室に籠る訳にはいかない。

 この家の者たちを心配させてしまう事も気掛かりだが、今日、彼女の誕生会でやるべきことがあるのだから。

 サーシェの身なりを整えてやると、手を取って鏡台前の椅子から立ち上がらせる。 

 その時、僅かに足をふらつかせたものの、彼女は気丈にも大丈夫だと言って、自ら歩みだそうとした。

 だが、サーシェの足取りが怪しいのは私の責任であるし、この後の「やるべきこと」のためにも必要な演出として、恥ずかしがる彼女を笑顔で黙らせ、横抱きにする。……いや、演出ではなく、単に私が彼女に触れていたかったというのが大部分の理由なのだが。


 室内から扉に向かって「開けろ」と短く発すれば、サーシェの私室前で待機していた従者が素早く扉を開けた。

 屈強な彼の肩越しに、伯爵家の面々と侍女や下働きの者たちが見える。誕生会の準備が整ったので、私達を呼びに来たのだろう。

 ところが、素手で熊を八つ裂きにしそうな従者がデンと仁王立ちしていたのだから、どうにもしようがなかったらしい。

 サーシェを抱き上げた私が部屋から出てくると、皆が複雑な表情でこちらを見遣ってきた。

 そんな彼らに、ニッコリと微笑みかける。

「お待たせして申し訳ございません。晴れて夫婦となれるめでたい日ですので、その喜びが抑えきれず、彼女と話し込んでしまいました」

 サーシェの両親に向かって声をかけると、二人はホッと胸を撫で下ろす。

「そうでしたか。もしや、公爵家のご意向にそぐわぬ事態でも起きたのかと思い、少々肝を冷やしておりましたが……どうやら、問題ないようですな」

 彼女の父親が私の腕の中に収まっている娘の姿に、大きく肩の力を抜いた。

 なかなか部屋から出てこなかったのは、婚姻をなかったことにするための話し合いをしていたためだと考えたようだ。

 貴族同士の繋がりには執着しないという彼女の父だが、さすがに公爵家を敵に回す事態は避けたかったらしい。

「意向にそぐわぬなど、滅相もない。サーシェ嬢は、私が是非とも妻にと望んだ女性です。その気持ちは、今日まで一度たりとて違えたことはありません。また、彼女が婚姻を望まないというのであれば、膝を着いて許しを請うことも厭いませんよ」

 この言葉に、腕の中のサーシェを即座に反応した。

「膝を着くなど、公爵家の方がなさってはなりません。そのようなことは、公爵家とネルガスト様にとって、僅かな利もございません」

 抱き上げられることに羞恥ゆえ難色を示していた彼女だったが、私が絶対に降ろさなかったことに諦めを感じ、今ではすっかり大人しくしていた。

 とはいえ、恥ずかしいということには変わりなく、真っ赤な顔で小さく窘めてくる。

 そんな彼女に、皆に向けた笑顔とはまた違う表情で微笑みかけた。まぁ、意識しなくとも、サーシェには自然と甘い笑顔になってしまう。

「外聞など気にするものか。それだけ、私はサーシェが欲しいということだよ」

「ですが、そこまでして求めていただかなくとも……」

 嬉しさと困惑で、サーシェはモゴモゴと口ごもる。


――まったく、しょうがないな。


 私は苦笑した。

サーシェは相変わらず、私がどれほど彼女に焦がれているのか解かってくれていないようだ。 


――これからはたっぷり二人きりの時間が取れるのだから、じっくり教え込んでやるかな。


 心の中で呟きを漏らすと、改めて彼女の両親に視線を向ける。

「こちらの都合で皆様をお待たせしてしまって、本当に失礼いたしました。では、参りましょうか」

 私の言葉で、その場にいる者たちが階下にあるサロンへと歩き出した。

 そこで、私は背中に突き刺さる視線を感じる。

 サーシェをかかえ直す名目で足を止め、チラリと肩越しに背後を見遣れば、案の定、彼女の侍女がジッと私を見ていた。

 他の者たちは誤魔化せたようだが、サーシェの身なりを整えた彼女には、室内で行われていたことが『単なる話し合い』ではなかったこと気付いている。髪型が明らかに変わっているのだから、それも当然だろう。

 少しばかり困ったように目を細めれば、侍女がスッと近づいてきた。

 その様子に周囲の者たちはヒヤリとした表情を見せてきたところを、頷き一つで先に行くように促す。

 階段の手前で、私とサーシェ、侍女の三人となる。

 まず、口を開いたのは私だった。

「サーシェを綺麗に着飾らせてくれたのに、すまなかった。だが、君があまりにも素晴らしい仕事をしたものだから、いつも以上にサーシェが綺麗に見えたんだ。だから、つい、ね」

 公爵家の人間が謝罪を口にしたのだから、侍女の目は真ん丸になる。

「い、いえ、わ、わたしは、けして咎めるつもりはなく……。もちろん、サーシェ様の身なりを整えるために気力の全てを注ぎこみました。ですが、ネルガスト様に謝っていただくなんて、そんな……」

 慌てふためいて視線を彷徨わせていた侍女は、やがてサーシャをそっと伺ってきた。

「その……、サーシェ様は、幸せ、ですか?」

 突然の問いに、今度はサーシェが目を丸くした。

 一瞬、言葉に詰まったようだが、さらに顔を赤く染めながらも、ハッキリと頷いて見せる。

「……ええ、もちろんよ」

 彼女の返答に、侍女はフッと息を吐いた。

「でしたら、わたしはまったく構いません。今のサーシェ様の髪型も、それはそれは良くお似合いですよ」

「……ありがとう」

 腕の中から恥ずかし気に返礼を述べるサーシェを微笑ましい視線で見遣ると、私は一つの提案を侍女に投げかけた。

「女性を着飾らせる腕前は相当なものだな。良かったら、私の妹もお願いできないだろうか。ああ、一緒に母上のこともお願いしたい」

「え?」

 キラッと侍女の瞳が輝いたのを見逃さず、さらに話を進める。

「二人とも、珍しい髪形や流行りのドレスが好きだからね。きっと、君の腕を存分に発揮できると思うんだが。どうだろうか?」

「ぜひ!」

 胸の前で両手を組んだ侍女が、一も二もなく、興奮気味に答えてくる。

 やはり、話に聞いていた通りだった。

 サーシェはかなり裕福な家の令嬢であるにもかかわらず、着飾ることに頓着しないたちだ。

 ところが、せっかくの逸材を前にして、この侍女は日頃から歯がゆい思いをしていたようだった。


『わたくし付きの侍女は、もっとあれこれ着せ替えて、工夫を凝らした髪形にしたいようなのですが。どうも、わたくしはそういったことが苦手で……』 


 いつだったか、サーシェが苦笑まじりにそのような話をしてきたのだ。

 それを覚えていたので持ち掛けてみたところ、予想以上に食いつきがいい。

 だが、それだけで終わらせてしまうわけにはいかない。

 私は素早く周囲を見回し、侍女にこっそりと話しかけた。

「そこで頼みがある。私たちが『なにを』していたのか、皆に黙っていてくれないか?」

 恥かしがり屋のサーシェが、人前で泣き出してしまわないように。

そして、伯爵家の令嬢が、正式な婚姻を前に身体を重ねてしまったという醜聞が触れ回らないように。

 とがは全てこの身に受けるから、彼女のことは不躾な視線に晒したくなかった。

 いや、原因の私が何を言い出すかと顔を顰められても仕方のないことなのだが、それでも、サーシェには窮屈な思いをさせたくない。

 真剣な面持ちで話しかければ、侍女は神妙な表情になる。

「かしこまりました。もちろん、もともと他言無用のつもりでしたけれど」

 サーシェのことを実の妹のようにかわいがってきた侍女のことだから、下手なことは言わないとは分かっていたものの、どうしても言質が取りたかったのだ。

 互いに目を見合わせ、僅かに頷き合う。


 そして、私達は階段を降り始めたのだった。


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