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終わりと始まり(2)

 わたくしは大きく息を吸い込み、薄い肌掛けを体に巻き付けて身を起こす。

 ところがうまく力が入らないため、シーツに着いた腕がへたりそうになってしまった。

 そこに、ネルガスト様がすかさず逞しい腕を伸ばして支えてくださる。

「……ありがとうございます」

 いまだに互いが裸身であるため、いくら肌掛けで体を隠していても気恥ずかしさは隠せない。

 それに、肌掛けから出ているネルガスト様の上半身は何も纏っていないのだから。

 真っ赤な顔を俯かせながら礼を述べれば、彼がわたくしを支える仕草から抱き締めるものに変えてきた。

 引き締まった筋肉のついた胸にすっぽりと抱き込まれる。

「着替えは一人で出来るか?」

 その問いに、さらに顔を赤らめて頷き返した。

 貴族令嬢たちは一般的に下着以外の着付けを侍女に施してもらうことが多いようだが、わたくしは絹の靴下も自分で身に着けることが出来るし、ドレスも一応は自分で着ることが出来るのである。

 怠い腕や足を動かし、なんとか衣服に袖を通していった。

 ただ、思った以上に足に力が入らず、度々ベッドの端に腰を掛けながらの作業であるため、やたらと時間がかかってしまった。


 わたくしがやたらと恥ずかしがるので、ネルガスト様は背を向けてご自分の着替えを進めている。

 背中越しに聞こえていた衣擦れの音が先に止んだ。身なりを整えたネルガスト様が「終わったか?」と声をかけてくださる。

「……まだです。リボンが上手く結べなくて」

 今日のためにあつらえたドレスは、背中にあるいくつかのリボンが特徴。それらのリボンを絶妙な力加減で結ぶことにより、上半身はしなやかに、腰から下は華やかに広がるようになっているのだが。

 わたくしが一人で着たドレスは、侍女が苦心の末に仕上げたものとは雲泥の差である。

「手伝おうか?」

 その申し出を即座に辞退した。

「とんでもございません。ネルガスト様のお手を煩わせる訳には参りませんので」

 わたくしは後ろに回した手を懸命に動かし、なんとか侍女と同じ出来栄えに近付けようと頑張ってみる。

 ところが、何度手直ししたところで、やはりどこか不格好である。


――早く済ませないと、ネルガスト様を待たせてしまうわ。


 焦るほどに、手の動きはぎこちなくなってゆく。

 結んでは解き、結んでは解きを繰り返していたところで、「サーシェ」と苦笑まじりに名前を呼ばれた。

 ハッとなって顔を上げると、ネルガスト様がベッドに腰を掛けているわたくしの前に立っている。

「やはり、手伝おう。これは流石にサーシェ一人では無理だ」

「で、ですがっ」

「夫である私に遠慮など無用だろうが。サーシェはもっと私に甘えるべきだ。夫婦とは、互いに支え合うものだろう?」

 優しい微笑みを向けられ、わたくしの頬が熱を持つ。

「いえ、やはり、それは……」

 ネルガスト様が口ごもるわたくしの手を取って立たせると、ソッと反転させてその手を壁に着かせる。

「少しの間、まっすぐ立っているように」

 穏やかではあるがピシリと言い聞かせてくる声音に小さく頷き、怠い足に力を入れて懸命に背を伸ばした。

「こうも無防備なサーシェを見ていると、また、ドレスを脱がせたくなるな」

「え?」

 驚いて振り向くと、額にチュッと口付けを落とされる。

「冗談だ。いや、脱がせたいのは冗談ではないが、これ以上、皆を待たせるわけにはいかないからな」

 クスクスと笑うネルガスト様に「ほら、前を向くんだ」と促され、わたくしは正面に向き直った。

 剣技に長けた手が、素早くリボンを結んでゆく。数度軽く引っ張って左右の傾きを調整すると、今度は裾を引っ張られる。

 まさかと思って振り返れば、そこにあるはずの凛々しいお顔がなかった。なんと彼はその場に膝を着いて、ドレスを整えていたのだ。

「なにをなさいますか!?ネルガスト様がそこまでなさることはないのですよ!?」

 先程まで赤く染まっていた顔を青色に変え、わたくしが声を上げる。

 そんなわたくしを見上げ、ネルガスト様はユルリと目を細めた。

「サーシェこそ、なにを言うんだか。妻を綺麗に仕立て上げるのは、夫の役目で特権だぞ。さぁ、今度はこっちを向くんだ」

 その笑顔に逆らうことが出来ず、オズオズと彼に向き直る。

 全体を見ながら慎重にドレスのあちこちを引っ張っては、腰周りの締め付け具合や裾の広がり具合を調整してゆく。細部に至るまで神経を使う様子は、わたくし付きの侍女と同じである。

「うん、これでいい」

 ようやく納得したらしく、ネルガスト様が立ち上がった。

 その出来栄えはわたくし自身が施したよりも無駄な締め付けが減って動きやすく、そして何より、上半身から裾までの輪郭が流れるように優雅だった。

「とても器用でいらっしゃるのですね」

 感心したように思わず呟けば、

「散々、妹の着付けを手伝わされたからね。幼い頃のあの子はとてもやんちゃで、しょっちゅう、ドレスを崩れさせていたんだよ」

 と、説明してくださった。

「そうでしたか」

 他の令嬢のドレスをこのように直した経験があるのではと考えてしまったけれど、まったくの杞憂だったようだ。


――そうよね。褥に関することですら実技に及ばなかったとおっしゃってくださったのだから、ネルガスト様を信用しなくては。


 例え一瞬でも彼を疑ってしまったことに恥じて気まずそうに笑みを浮かべれば、クスリと笑うネルガスト様が顔を近づけてきた。

 そして、大きな手がわたくしの頬を優しく包む。

「妹以外のドレスを直したのは、サーシェだけだよ。……それと、脱がせたのはサーシェだけ」

 艶っぽく囁かれ、わたくしの顔が再び赤く染まったことは言うまでもない。




 足取りがおぼつかないわたくしは、ネルガスト様に手を引かれて寝室を出る。

 私室に備え付けられている大きな鏡の前に連れて来られると、そこに置かれている椅子に腰を下ろすように言われた。

「化粧はそれほど崩れていないから簡単な手直しで大丈夫だろうが、髪は丸きりやり直さないと駄目だな」

「では、侍女を呼んでまいりますね」

 腰を浮かしかけると、ネルガスト様がわたくしの肩に手を置く。グッと力を込められ、わたくしは座面に逆戻り。

「あの……」

 戸惑うわたくしの髪を一房掬い取ると、毛先に口付けを落とすネルガスト様。

「侍女殿の腕前には及ばないが、私が髪を結おう。なにしろ、サーシェの髪が崩れてしまったのは私の責任だからね」

 そう言って「すまない」と笑う鏡の中のネルガスト様はいたずらっ子のようで、口ぶり程反省なさっているようには感じられない。

 鏡を通して睨み付けると、「赤い顔で睨んでも、色っぽいだけだぞ」と返され、しかもつむじに口付けされてしまう。

 これはもう、大人しくしていた方が身のためだと察し、わたくしは彼と視線を合わせないように僅かに顔を伏せた。

 鏡台に置かれていた櫛を手に取ったネルガスト様は、腰下まで伸びた髪を丁寧に梳いてゆく。

「私は妹の髪も直したことがあるんだ。だから、安心していい」

 その言葉通り、彼は器用に髪を捻じってはピンで留めてゆく。

 おおよその形が出来あがると、ネルガスト様は櫛を当てながら細かく手直しをされ、そこで、ふと部屋を見回した。

「サーシェ。花瓶の花をいくつかもらってもいいだろうか?」

「はい、構いませんが」

 わたくしの返答に彼は櫛を置くと、テーブルセットへと歩み寄る。

 花瓶にはドレスと同じ色の花が活けられていた。

 彼はそれを数本引き抜くと、適当なところで茎を折り、わたくしの髪にソッと差し込んだ。

 左右の耳の後ろで咲く花が、髪とドレスに一体感をもたらし、侍女渾身の作に匹敵するほど素晴らしかった。

 静かに表情を綻ばせるわたくしを、ドレスと髪が崩れないように背後からネルガスト様が優しく抱き締めてくださる。

「気に入ったか?」

「ええ、もちろんでございます。ネルガスト様の手ずから、このように素敵に仕立てていただけて、わたくしは幸せでございます」

 嘘偽りない言葉を口にすれば、彼も嬉しそうに微笑む。

「ドレスも髪も、乱れるたびに私が直してあげよう」


 その腕前がしょっちゅう披露される事態を避けたいと願ってしまったのは、いけないことでしょうか……。


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