春色の天使に恋をした
在りし日の次期公爵家当主です
この子が、ほしい。この子以外は、いらない。
この子を手に入れるためならば、私はなんだってしてみせる。
私がサーシェと出逢ったのは、忘れもしない八歳の春だ。
その頃、私は自分の髪の色が嫌で嫌で仕方がなかったものだ。
公爵家の血筋に連なる者は、大抵が金髪である。生まれ落ちた瞬間は色が判別付きにくくとも、年月とともに見事な金色となるのだ。
父はもちろんのこと、もともとの一族ではなかった王妹である母も、多少は色の濃さに違いはあるものの、見紛うことなく金髪である。
私の後に生まれた弟も妹も、やわらかい輝きを放つ金色。
しかし、私はいつまで経っても、こげ茶色の髪だった。
顔立ちは父に瓜二つなので、母の不義が疑われたことはない。
自分は確かにこの両親の子供なのに、どうして、自分だけが違うのだろうか。
ある日のこと。
誰にぶつけることも出来ない孤独感がついに張り裂けそうになり、私はたまらず家を飛び出した。
手持ちの中でも一番地味な服装に身を包み、金貨を数枚握りしめ、街中をひた走る。
通りかかった街馬車に乗り込んで行けるところまで進むと、やがて自然豊かな土地にやってきた。
ここは確か、カイザルフェンド伯爵の領地だ。
公爵家の跡取りである私は、幼い頃から周辺貴族のことを覚えさせられてきたので、割りあいすぐに分かった。
馬車を降りると、優しい春風が吹いてくる。
少しだけ、ささくれ立った心が落ち着いた気がした。
この辺りをしばらく歩けば、私の孤独はいくらかでも癒されるだろか。
景色を楽しみながら散策していると、大きな樹の下にしゃがみ込んでいる少女の後ろ姿が目に入る。
なにをしているのか気になって、つい、声をかけてしまった。
「ねぇ、きみ」
パッと振り返った少女は、春の息吹を感じさせる鮮やかな緑の瞳をしていた。
あどけない表情で首を傾げる少女は、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
「お兄ちゃん、だれ?」
「わ、私は、ネル……だよ」
うっかり名前を出しそうになって、慌てて止めた。こっそり家出中なのだから、万が一にも公爵家の者だと知られてはいけないのだ。
そんな私を怪しむことなく、少女はニコッと笑う。
「わたし、サーシェ。きのう、六さいになったのよ。お兄ちゃんも、おくすりのはっぱをとりにきたの?」
「あ……。うん、そうだよ」
なんとなく違うとは言えずに肯定すれば、少女は小さな手で私を手招きした。隣にしゃがみ込むと、こそっと耳打ちされる。
「あのね、ここは、ひみつのばしょなんだよ。わたしのおうちの人しか知らないの。だから、ほかの人にはないしょね」
少女は、ここで取れる薬草は腹痛に効くのだと教えてくれた。
それからしばらくは、薬草を摘むふりをして、少女とのおしゃべりを楽しむ。
屈託なく笑う少女と穏やかな春の日差しのおかげで、塞いでいた心が徐々に柔らかくなってゆく。
「あのさ、聞いてくれるかな」
思わず、そんなことを口にしてしまった。
どうせ、幼い少女には自分の孤独感を話したところで理解はできないだろう。
でも、それでよかった。
答えなど求めてはいない。
ただ、吐き出してしまいたかった。
何ごとかを感じとったのか、少女はピタリと私に寄り添い、ジッと見つめてくる。
「ないしょのおはなし?」
本当は誰に聞かれても構わないけれど、この少女と秘密を共有するのは、すごく楽しいことのように思えた。
「うん。サーシェと私だけの秘密」
クスッと小さく笑えば、少女はしばし考え込む。そして、真面目な顔でコクリと頷く。
「わかった。だれにもいわない」
温かくて真剣なまなざしを受け、私はポツリ、ポツリと、言葉を続けた。
鬱屈と溜め込んでいた物を吐き出し、最後にもう一度口にする。
「ほかの家族は太陽みたいにキラキラした金なのに、どうして自分だけが……」
長く息を吐いたところで、少女が私の手をギュッと握ってきた。
「おひさまは、お兄ちゃんのことがだいすきなんだね」
「え?」
ポカンとする私に、少女は身を乗り出して力説してくる。
「だいすきだから、おひさまがお兄ちゃんをギュッてだっこして、かみの毛がこげちゃったんだよ。だって、とうさまが言ってたもん。おひさまをたくさんあつめると、火がでるんだよって」
ギュウギュウと私の手を握り締め、自分よりも小さな少女が私を慰めようとしてくれる。
六歳とは思えない知恵で、心遣いで、一生懸命に慰めようとしてくれる。
ああ。この子は、なんて魅力的なのだろうか。
こんなに優しくて聡明な少女なのだから、数年も経たぬうちに貰い手が付いてしまうだろう。
――それは駄目だ!私はこの少女と結婚するんだ!
ここでグダグダと燻っている場合ではない。私の髪の毛など、些末な問題だ。そんなものにクヨクヨとこだわっている時間はないのだ。
密かに決意を固めると、スクッと立ち上がる。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
突然立ち上がった私に驚く少女へ、数年ぶりに浮かべた心からの笑みを向ける。
「ありがとう!きみのおかげで、元気がでたよ!」
私は少女の前に片膝を着き、まろみのある額に軽く唇を押し当てた。
「サーシェ、私の愛しい天使。必ず、迎えに来るから」
何のことかさっぱり分かっていない少女が、大きく首を傾げている。その様子に改めて笑み崩れると、私は足早にその場を後にした。
それからは公爵家の跡取りとして相応しい人間になるべく、努力に努力を重ねる。
幸いなことに頭の出来はそれなりに良かったらしく、さらに体も丈夫であったおかげで、貴族学院において、私の名を知らぬ者はいなくなる。
私の存在は名だたる貴族たちの間に広まり、両親も、一族の者たちも鼻が高い様だ。
あれから二年が経った頃には、まだ幼いながらも私が次期公爵家当主となることが約束されたようなものだった。
仕掛けるには今しかない。これ以上、ほんの少しだって時間をかける訳にはいかない。
「父上。カイザルフェンド家のサーシェ嬢を私の許嫁とする旨を、あちらに伝えていただけますか?」
「……ネルガスト。お前、何を言ってるんだ?」
執務室にいきなり現れた私が単刀直入に本題を切り出せば、書類棚の前に立っていた父上は硬直した。
しかし、父上に構っている暇はない。こうしている間にも、サーシェに言い寄る人間がいるかもしれないのだ。
一分、いや、一秒だって無駄にできない。
私は自分の考えを剛速球でぶつけた。
「彼女以外の女性を妻に迎える気はありません。彼女と結婚できないのであれば、私は公爵家を捨てます」
「ネ、ネルガスト!お前、まだ、十歳だったよな!?どこで、そんな人相の悪い笑顔を覚えてきたんだ!?」
怯える父に尚も詰め寄る。
「そのようなことは、どうでもいいのです。父上、サーシェ嬢を私の許嫁に、ひいては私の妻として迎えることを、了承していただけますよね?」
「だ、だが、公爵家に嫁ぐとなれば、それなりの家格というものが……。カイザルフェンド家は、伯爵だっただろう?」
額に冷汗を浮かべる父に向けて、グッと笑みを深めた。
「それが、なにか?カイザルフェンド家は、近いうちに家格などという下らない格付けで収まるものではなくなります。サーシェの兄君のことは、父上もよくご存知でしょう。兄君はこの先もますますその成果を上げ、この国にとっても、諸外国にとっても、重要な人物と成りえます。家格に胡坐をかいているボンクラ貴族の腰抜け跡取りよりも、よほど素晴らしい人物ですよ」
ズイッと一歩前に出れば、父は三歩下がった。
「わ、分かった!分かったから、その笑顔をやめなさい!」
こうして、当時十歳の私は見事に父を説得し、サーシェを自分の許嫁にする約束を取り付けることに成功したのだった。
許嫁として引き合わされた時、サーシェはあの日のことをすっかり忘れていた。
だが、そんなことは気にしない。
彼女に救われ、恋に落ちたあの日のことは、私の胸の中で、今もキラキラと輝いているのだから。
以降は更新が不定期になります。
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
次話更新は気長にお待ちくださいませ。
更新の目処が立たない場合は、後日、完結設定に切り替える可能性があります。あらかじめご了承くださいませ。