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(2)

 幼い頃は、執事や侍女、護衛の目を盗んで兄と一緒に屋敷を抜け出していた。

 それが伯爵家令嬢としてあるまじき行動だと理解したのは、七歳になった時だ。

 子供なりに家のことを理解するようになり、貴族令嬢としての自覚が芽生え始めた。

 屋敷を抜け出さなくなったおかげで、肌の色は透けるように白くなってゆく。

 わたくし付きの侍女が、「どのドレスもお似合いになりますね!」と、鼻息荒く、嬉しそうに身支度を整えてくれるようになったのは、喜ぶべきことなのだろう。

 父譲りのしなやかな銀の髪。美姫として名の知られた母譲りの顔立ちのおかげで、年を一つ取るごとに、わたくしはそれなりの美少女として知られることになる。


 そんなわたくしがネルガスト様の許嫁となったのは、八歳の誕生日を迎えた日のことだった。


 いつもよりおめかしして連れて行ってもらったのは、広大な敷地を誇るハーヴェス公爵家。

 わたくしの屋敷もそれなりの大きさと荘厳さを持っていたけれど、国王の妹姫が嫁いだハーヴェス家は格が違った。幼いながらも、緊張で身が引き締まる。

 父に手を引かれて長い廊下を進み、応接間へと向かう。

 ドキドキしながら室内に足を踏み入れれば、公爵家当主であるノイゲスト様と、その傍らには、わたくしとさほど年の変わらない男の子がいらっしゃった。

「本日はお招きに預かりまして」

 父が頭を下げたので、わたくしも精いっぱいおすましして頭を下げる。

「そう硬くならずに。さぁ、茶でも用意させよう」

 ノイゲスト様はとても気さくな様子で、わたくしたち親子を歓待してくださった。

 だが、この顔合わせが『ただのお茶会』であるはずがない。

 横に立つ父を静かに見上げれば、「あのお方が、サーシェの許嫁になってくださる方だよ」と、こっそり告げられる。

 思ったとおり、これは許嫁としての顔合わせだったのだ。父と並んでソファに腰を下ろすと、失礼のない程度に、向かいに座る彼をそっと窺う。

 まだ十歳だというネルガスト様は、とても聡明なお顔立ちをされていて、同じ年頃の男児よりも背が高い。

 ノイゲスト様と父の話からすれば、貴族学院の初等部で、かなり優秀な成績を収めているとのこと。文武両道で、今から将来が嘱望されている方だったと分かった。

 砂糖がたっぷり入った紅茶を飲んでいると、自分に視線が向けられているのを感じる。

 カップから目を上げれば、ネルガスト様が年齢に見合わぬ大人びた顔で微笑んでいらっしゃった。

 わたくし付きの侍女が見れば、間違いなく黄色い歓声を上げて飛び跳ねただろう。彼女は殊の外、顔立ちが整った男性を好む傾向にあるのだ。

 でも、わたくしは正直よく分からなかった。素敵な方だとは思ったけれど、胸がときめいたわけでもない。

 ただ、『この方が、わたくしの結婚相手なのだ』と思っただけだった。




 なぜ公爵家の方が、伯爵家の娘を相手に選んだのか。

 家柄を考えれば、同じ公爵、もしくは一つ家格が下がる侯爵の娘を選ぶのが定説だ。

 しかし、それについては分かりやすい理由がある。薬学研究者である兄が、大きな功績を打ち立てたのだ。

 貴族学院高等部を卒業した兄は、その年に難関とされる国の薬学研究所に就職。十八才での就職という最年少記録は、いまだに破られていない。

 三年に亘る地道な研究の末、副作用もなく、子どもからお年寄りまで安心して服用できる胃薬を開発した。それは確か、わたくしが七歳の誕生日を迎えてから半年ほど経った頃だと記憶している。

 兄の研究意欲は留まるところを知らず、翌年には原因不明の奇病とされた湿疹に効果のある塗り薬を開発。

 その成果は瞬く間に国内外に広まってゆく。国として有効な貿易材料であり、そして国民の健康を図る有益な手段としての成果を認められた兄には、毎年、高額な俸禄が与えられていた。

 おかげで、我が家は下手な豪商よりも貯えを持っている。

 異常なほど研究熱心な兄なので、さらなる新薬を作り出すのも間もないことだろう。


 兄の将来性。

 我が家の資産。


 それを鑑みれば、親族関係を結ぶには十分な理由だ。

 こちらとしても、公爵家と縁続きになるのであれば断わる理由はない。

 もちろん、格下の伯爵家がお断りできるはずもないけれど。




 それからは手紙でのやりとりを主に、交流を深めてゆく。

 ネルガスト様はとても穏やかで、いつでもわたくしを気遣い、優しいお心を傾けてくださる。

 貴族学院での学業の他に、公爵家跡取りとしての教育も受けていらっしゃるネルガスト様は、お忙しいにもかかわらず、折に付けては伯爵家まで足を向けてくださった。

 季節を追うごとに友好的な関係は深まり、私が十三になった時には、二つ年上の許嫁に本気で恋をしていた。


 出会いは、親が決めた許嫁として。

 はじめは「これも貴族に生まれた娘の役割だ」と、どこか諦めていたけれど、今では、その出会いに深く感謝している。

 ネルガスト様に恋をしてからは、十六の誕生日が待ち遠しくなった。

 早ければその年に、遅くとも真の成人となる十八には正式な婚姻関係を結ぶ。

 引き合わされた日から今日に至るまで、ネルガスト様も公爵家も、許嫁の解消を申し出ることはなかった。


 だから、本気で信じていた。

 いずれ私は、大好きなネルガスト様を夫に持つ、世界一幸せな花嫁になるのだと。


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