雨の日の
巨大な六枚の壁に囲まれているとはいえ、空がある以上、当然のことながらここにも雨は降った。
雨の日は、ほとんど一日中、ログハウスの中で過ごした。
「雨の日は、どうもヒザが痛おうとかなわん」
暖炉の側の肘掛け椅子に座ったアルテニアは、ぼくが煎れたカラスエンドウのお茶をすすった。
「ここへ来な」
この日始めて、アルテニアは自分のこと、またこの世界について教えてくれた。
「五十年、あれからそんなにも月日が経つんじゃな」
アルテニアは、暖炉前の床に座ったぼくを、祖母が孫を見るかのような穏やかな目つきで、眺めた。
「あたしがまだ、今のお前のように若かったころ、九人の仲間と共に、この地で目覚めた」
「仲間とここへ?」
アルテニアはこくりとうなずいた。
「最初のうちは、みんなで力を合わせ、必死で生きようとした。東のわき水から水路を引いて、土地を耕し、作物を植えた。しかし、やがてあたしたちは、何かと言い争うことが多くなった。食料の多い少ないや、あいつは怠けてばかりだとか、誰それが誰それを好きで、また嫌いかなど」
アルテニアはズズと茶をすすると、また口を開いた。
「一緒にいるからケンカする。そう思ったあたしらは、二つのグループに分かれて、別々に建てた小屋に別れて住むようになった」
あの畑の脇の農作業小屋、やはり人が住んでいたんだ。
「それで、またみんなは仲良くなったんですか?」
アルテニアは首を横に振った。
「しかしそれは、新たな問題を生んだだけじゃった。おかしいじゃろ。端から端まで歩いて半時とかからないこんな小さな世界でも、争うことを止めなかった」
語るアルテニアの表情が険しくなった。
「そっちのほうが日当りが良い。水をもっとよこせ、保存しておいたジャガイモの数が足りない、お前たちが盗んだんだな! と、隣の芝が青く見えるのは、持って生まれた人間のサガなんじゃよ」
「それで、その後、どうなったんです?」
興味を覚えたぼくは、身を乗り出した。
「ある日とうとう、一線を越えてしまった。あることが原因でな」
「グループ間での抗争が起きたんですね?」
ぼくの読みが正しいとばかりに、アルテニアは両目を深く閉じた。
「最初は、畑を荒らしたり、育てていた家畜を奪ったりする程度だった。しかし、段々とその行為がエスカレートしていき、お互いに蓄積された怒りと憎しみが爆発した。相手のグループが石を投げつけ、こん棒を手に破壊行為におよぶと、あたしが所属するグループのリーダーは、ある決断をした」
「決断……?」
「彼は、密かに造り上げていた刀を持ち出し、相手のリーダーを殺害した」
「そ、そんな!」
ぼくは、数十年前にここで起きた悲劇に絶句した。
「相手のリーダーを討ったことで、抗争は終結した」
アルテニアはうつむき、首をふった。
「しかし、もう、昔のような暮らしには戻れなかった。あたしたちの中で、何かが変わってしまったんだよ」
暖炉の中の組んだ薪が崩れ、火の粉が舞った。
「そしてある日、敵対していたグループの残りの四人が、こつ然と姿を消した」
「消えた? 彼らは何処へ?」
「……分からない。しかし、そうなった責任は自分ひとりにあると感じていたのだろう。リーダーは、アイツは、消えた彼らを探しに行くと言い残し、消えた」
昨日の出来事のように思い出したアルテニアは、くやしそうに唇を噛みしめた。
「じゃ、東の泉でぼくが拾った刀というのは!」
アルテニアは何も答えず、重い腰をあげた。
「仲間を探しに行くと言ったものの、結局、ヤツは帰ってこなかった」
アルテニアのリーダーに対する私的な感情が垣間見えて、二人の関係がどういうものだったか察しがついた。
「アルテニアさんは、彼のことが、好きだったんですね?」
余計なことを言ってしまったのは分かっていたが、遅かった。髪を振り乱したアルテニアは、ぼくをにらみつけ、感情を爆発させた。
「結局、ヤツも、この土地とあたしを捨てて、覇道を行くことを選んだのさ!」
「覇道?」
「そうさ、壁の向こうに行きたいと願う者はみな、無数のヘキサゴンで構成された、スフィアの中心を目指すのさ!」
「無数のヘキサゴン? スフィア?」
アルテニアの口から飛び出す、聞き慣れない単語の羅列に、頭が混乱した。
「どうせお前も行くんだ。いいさ、教えてやるよ! 世界の中心にあるという、番外地と呼ばれるヘキサゴンの主となった者は、すべてを知り、この世界を造り変えることが出来るのさ!」
「造り変える? それじゃ、そこに行けば、ぼくは家に帰れかもしれないんですね!?」
「……恐らくな」
一転して、急に弱々しい声になったアルテニアは、身体を沈めるように、 肘掛け椅子に座った。
「しかし、そこに辿りつくまでには、無数にあるヘキサゴンを渡り歩く必要がある」
「その番外地とやらには、どうやって行けば?」
「残念じゃが、そこまではあたしも知らないよ。そもそも、ここが何番地かも分からないんだ。スフィアの一番外側に位置しているかもしれないし、もしかしたら、番外地と隣り合っているかもしれん」
「それじゃ、番外地の方角も、スフィア全体の規模も形も分からない」
アルテニアはコクリとうなずいた。
「それだけじゃない。このスフィアの空の下には、ヘキサゴンを領地とする無数のクランが存在している」
「大勢の人が、争っている? こんなところで?」
「ああ、みんなお前と同じさ。家にかえるため、目的を果たすため、スフィアを征服して、世界の中心を手に入れたいと夢見ている」
「ぼくは世界を造り変えたい訳じゃない! ただ、この巨大な壁の檻から出て、家に帰りたいだけなんだ!」
「甘いな。ハイ、どうぞと、彼らが番外地までの道案内をしてくれると、思ったか?」
話しはそこで終わった。
窓の外を見たアルテニアが、立ち上がったからだ。
「雨があがったね。畑の様子を見に行くとするか」
そして、数週間が過ぎた。