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コンクエスト・ワールド  作者: あるべど
アルテニアの箱庭
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老女と少年

「一度に質問するんじゃないよ。あたしが、おしゃべり好きの十八の少女に見えるかい?」


「す、すみません。でも、ぼくは早く家に帰りたいんです」

「……家? それはどこの家のことだい?」

「それは……」


 ぼくは青ざめた。

 確かに今朝、目が覚めた時には、はっきりと覚えていたのに、自分の家が何処なのかを思い出せなくなっていた。


「えっと、高層ビルが建ち並ぶ大きな都市があって、そうだ、そこから少し離れた郊外にあるマンションだったような」


 あやふやな答え方をしたぼくに、老婆が更に問うた。


「両親といったが、名前は? 顔は思い出せるかね?」

「えっ?」


 もちろん、思い出せるはずだった。

 はずだったが、大きな肩をした男の姿と、髪の長い柔らかい感じのする女性のイメージが浮かんだだけだった。はっきりとした顔も声も、思い出せない。


「お前は何も知らない。何も覚えちゃいない。でもそれで良いんだよ。ホラ、腕を出しな」


 意味ありげなセリフをつぶやいた老婆は、ぼくの右腕の傷に、止血ドメの軟膏を塗ってくれた。


「違うんです! ちゃんとぼくには、家があって、両親がいて」


 まるで、目覚めた時には覚えていた夢の内容が、次の瞬間には、思い出せないかのように、ぼくは、ここに来る前のことを何ひとつ、思い出せなくなってしまっていた。


「コラ! 包帯を巻いてるんだ、じっとしてな!」


 身をよじらせたぼくに、老女が叱咤した。

 

 頭の中が真っ白になっていく。

 ぼくはいったい、誰なんだ? 

 ぼくは……。

 もはや、自分の名前すら、思い出せなくなっていた。


「誰でも最初はそうさ」


 包帯を巻き終わった老女は静かに立ち上がた。


「あたしもそうさ。気がついた時には、お前さんと同じように、原っぱの上で目を覚ました。それも真っ裸かさ。それ以前のことは、何も覚えていなかった。随分、昔の話しだがね」


 入ってきたということは、必ず出入り口があるはずだ。きっと、ここを抜け出せれば、全てを思い出すに違いない。


「お婆さん、出口を教えて下さい! ぼくは、家に帰らなければいけないんだ!」


 居ても立っても居られず、立ち上がった。

 拍子に、テーブルの上のコップが倒れて、こぼれたお茶が床を濡らした。


「……」


 老女は黙って雑巾を取って来ると、床にこぼれたお茶を拭き取った。


「お前に、その覚悟があるのかい?」


 立ち上がった老婆は、じっとぼくの目を見つめて問うた。


「……覚悟?」

「そうさ、決意ともいうかね。決意には、悲しみさえも乗り越える強さが必要だよ?」

「ここを出て、家に帰ることができるなら、何だって、どんなことでも乗り越えてみせます。だから」


 グ〜……。 


 拳を握りしめ、腹に力を入れた時、ぼくのお腹が鳴った。


「フフ」


 口もとに手をあて、老婆は優雅に笑った。


「どんなに辛く、悲しくとも腹は空くか。若者は、そうでなくちゃ〜な。さあ、お食べ」


 老婆はそう言って、テーブルの上に用意されていた一人分の朝食をすすめた。

 目玉焼きをフォークで半分に分けてから、その一切れを口へと運んだ。  

 塩気がなかったが、それでも美味しかった。新鮮な卵の黄身は、濃厚で深みがあり、調味料なしの、それ自体の味で十分だった。


「その、お婆さんは、食べないんですか?」


 ぼくが食べる様子をじっと眺めていた老女の眉間にシワが走った。


「アルテニア。アルテニアにと、呼んどくれ」


 アルテニアは、お婆さんと呼ばれて、機嫌を悪くしたようだった。名前を聞くまえに、ぼくを殺そうとしたくせに。


「アルテニアさんは、食べないのですか?」

「あたしゃ、卵は食べないんだよ。アレルギーでね」


 不思議なことを言うものだ。卵を食べないのに、卵料理を?


「遠慮せずに食べな。泉のほとりで採れた野いちごのジャムだって、あるんだからさ」


 アルテニアは、他人と会話できることが嬉しいとばかりに、声を弾ませた。

 丸テーブルの上に並べられた小瓶を取ろうと、手を伸ばした時、南側に設けられた窓から自然光が射し込み、薄暗かった部屋が明るんだ。


 その瞬間、アルテニアの横顔が違って見えた。

 みずみずしい肌艶をした、栗毛色の髪のまだ十代後半くらいの若い少女が微笑していた。しかし、それも一瞬の間だった。


「えっ!?」


 目を擦りあげ、再び老女の顔を確認した時には、深いシワとまだら模様のシミだらけの顔のままだった。


 まぼろしを見たのか? 

 その瞬間、喜びや悲しみ、全ての感情が同時に押し寄せ、 老女に対して言いようも無い懐かしさを覚えた。


「ぼくは、あなたを知っているのですか?」 


 サジですくった野いちごのジャムを、ナンと目玉焼きがのった皿の縁に盛りつけくれた老婆のシワだらけの手が、震えた。


「……」


 少しの間、無言だったアルテニアが、背を向けた。


「バ、バカなこという子だね。あたしが何年、ここに住んでいると思っているんだい?」


 老女のしゃがれ声が、怒気をはらんだように、震えた。


「50年だよ!」


 振り返ったアルテニアのパサパサの白髪が、乱れた。


「50年……」


 ぼくはその当方も無い年数に、絶句した。

 この人はずっとこの閉鎖された六角形の空間で、生き続けていたというのか!? それもたった独りきりで。 


「あたしゃ、お前のような青臭いガキが大嫌いなんだ。さっさと皿の上のものを食べておしまい! それが済んだら、出かけるよ」


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