沼のほとり
老女の後について、林の中の小川沿いの小道を歩いた。途中、脇の木蔭に椎茸栽培のために組まれた丸太木を見つけた。
ここに、人が住んでいるのか?
ぼくは、ぶつぶつと独り言を云う老女の背中を見て、魔女を連想した。
数分ほどして、林を抜けたその先に小さな沼が現れた。水車小屋が見えた。小川の水を利用して、水車を回しているのだ。
普通、水車というものは、クルクルと回転するものだが、それは違った。
ギギギ、バタン! ギギギ、バタン!
半回転すると、また元の位置に戻る反復運動を繰り返していた。歯車がうまく噛み合っていないのだろう。
水車小屋の前で立ち止まったぼくを、置き去りにした老女は、沼のほとりに建つ平屋のログハウスへと、姿を消した。
「沼のほとりの、魔女の家」そのフレーズがぴったりの、半分ツタに覆われた古ぼけたログハウスだった。
ログハウスの前には、小さな畑と、脇には家畜小屋があり、数羽の放し飼いにした鶏が、地面をついばんでいた。
「やはり、あの老女はここに住んでいる」
巨大な六枚の壁に囲まれたこの閉鎖された空間で、まさか人が住んでいるなんて、想像もしていなかった。
老女の後に続いて、ログハウスの中に入ると、その答えが分かった。
部屋の隅に置かれたベッド、壁に吊るされた干し芋や魚の保存食、蔓を編んだ籠、暖炉の火にかけられ、蒸気をあげる鉄瓶。
部屋の中央に置かれた丸テーブルの上には、土器製のマグカップと皿にのった一切れのナンと目玉焼き、それに、豆やジャムなどの瓶詰めの容器が並んでいた。どうやら、朝食の途中だったようだ。
暖炉にくべられた蒔きが、パチンと乾いた音を立てた。
「座れ」
勧められるままに、テーブル席に着くと、老女は背を向けて、棚へと歩み寄った。
また、不意をついて襲って来るかもしれない、いつでも応戦できるよう、刀をテーブルのふちに立てかけた。
老女は、棚から取り出したコップに、ひと摘みの茶葉を入れると、おもむろに暖炉へと歩み寄った。火にかけていた鉄瓶を手に取り、熱い湯をコップに注ぎいれた。
「毒なぞ入れとらん。飲め」
目の前に出されたコップから、香ばしい湯気が立ち昇った。
向かいの椅子に座った老女を警戒しつつ、熱いコップの縁に口をつけ、 恐る恐る、茶をすすった。
緑茶でも紅茶でも無い、その不思議な味がする茶は、とても香ばしく、後味はさわやかで美味しかった。それに、とても懐かしくさえ思え、心が安らいだ。
「……」
老女は、ぼくが茶を飲む間、じっとこちらを観察しているようだった。
茶の味を気に入ったのが分かると、老女は口を開いた。
「カラスエンドウの野草茶さ」
老女の言葉尻が、少し優しくなった。
「カラスエンドウ……」
「そうさ、お前が今朝、目覚めた広場に、自生していただろ?」
その言葉で、ぼくは何をしようとしていたのかを思い出し、立ち上がった。
「教えて下さい、ここはいったい、何処なんです? 出口が見つからないんです! でも、自分がどうやって、ここに来たのか思い出せない。早く家に帰らないと、両親が心配してしまう」
老女の表情が曇った。