蜜蠭
ムーンライト城
「ハングドマンはどこにいる? 言わなければ肺を燃すぞ」
「んがあああああ」
これでは、ウルフは喋ることすらできない。
「……」
声も出なくなった。これではいけないと火蟻は、口から肺にかけてウルフの気管を蹂躙していた黒い蟻を消す。
「ハングドマンはどこだ」
突如、電話が鳴る。火蟻は夢中で電話をとった。
『もしもしここだよ、なんちゃって』
○○○
「ハングドマンじャないな。さすがに。なんのようだ。蜜蠭」
『何の用って、決まってるでしょう。ハングドマンに会いたいんでしょう』
甘ったるい声だ。誘惑に抗えなくなるほどに甘美。耳の奥から脳までゆっくりと腐っていきそうである。
「誰がお前の力を借りるか」
火蟻は彼女の力を借りない。彼女に願って無事だった人間などいない。雷蜘蛛よりも古い選抜者なので詳しいことは火蟻もよく知らない。
『君には直接恨まれる理由ないと思うんだけど』
「蝗と黒蛾がうるさくてな。特に蝗。余程のことをしたんだろ」
蝗は特に蜜蠭を毛嫌いしている。その程度は尋常ではなく会うたびに本気で殺しにかかっている。火蟻は詳しくは聞いていないけれども、蜜蠭に何か願ってしまったようである。黒蛾の選抜者は皆、ストーリーシリーズを倒して戦争を止めるのとは別に、様々な思惑を持っている。
『助けてあげただけなのに。ひどいなあ』
蜜蠭は悲しそうでも申し訳そうでもない。ただただその声はーー嘲笑っていた。
「悪趣味な」
『悪趣味? 高尚だと思うのだけれど』
「ほざけ。お前はそうやって誰よりも高いところにいる“つもり”になっているだけだ」
一瞬、蜜蠭の声が細くなる。
『黒蛾に言われたのか』
「まあそうだな。だが、本当のことだろ」
『私は正義感でやってるのに。まあいいわ。無駄話はいいじゃない。願いは?』
「貴様に願うものなどねエ。だま、おっと危ない。黙れって言うのは願いになっちまうのか」
『いいや、その程度じゃ、お噺にならないからね。例えばーー』
放心状態だったウルフが突然声をあげる。
「逃がしてくれ、誰かあああ」
『その願い、聞き受けた』
突如、ウルフの姿が消える。逃げられた。
「何て事しやがる。ハングドマンへの鍵だったのに!」
『じゃあ、私に願う?』
「願うわけないだろ。もういい。ところで、あいつの願いの対になった願いは何だ」
彼女の能力の制限とは、願いは二人以上から受けつけるというものだ。
『んー、教えない』
「まあいいさ、ウルフはもう終わりだな」
『何で? 私に願ったから?』
疑問形になると余計に淫靡さが際立つ。もう聞きたくない。
「違えよ。僕があいつをクソ野郎だとわかったからだ」
○○○
「ああ、逃げちゃったね。狼」
火蟻の目は充血が引き、口調は元に戻っている。
「追っかけなくていいんですか?」
後ろから蛇が尋ねる。
「面が割れているんだ。どうとでもなる」
火蟻は蛇の手をとる。
「帰ろう」
火蟻と蛇は朝日を背に歩き出した。
○○○
黒蛾の館 大広間
「で、今回は二人だけか」
大広間のソファに座るのは五人。空席は三つ。
黒蛾、雷蜘蛛、蝟、蛇そして火蟻。
「ウルフはまあいいだろう。反射なら面倒だし、さらに、人工能力もついてるなら一回じゃ無理だ。しかし、ルクセリアたちはそうではないだろう」
話を切り出すのは雷蜘蛛。蛇はそわそわして落ち着きがない。そして黒蛾は、いつもと違い本を熱心に読んでいる。
「ん?どうした火蟻。読むか?面白いぞ。『うんちの出来かた』だ。しかし不思議だよな。生物というのは飯を食っているのに糞をするんだ。糞をする意味がわからんなあ。糞をするくらいなら飯を食わなきゃいいのにどうして腹が減んのかなあ」
答えるのは火蟻でなく蝟。
「生物というのはそういうものです。他者を余るほど食い、余計なものは糞だと言って切り離す。そんなことはしたくないと思っても、空腹には勝てないし、勝てたやつは死だ。報われない。まったく、最低だよ」
「最低は貴様だ、ネズミ。人が説教している最中に何、勝手にお喋りしてんだ。それから、火蟻。貴様も余所見してるとこうなるぞ」
蝟へ電撃が飛ぶ。
「いでっ」
「しかし、どうしてレント・ルクセリアたちを捕らえられない。そんなに強くはないんだろう? しかもルクセリアにいたっては自分の能力もわかってないんだろう」
「なんと言うか、急に気持ちが大きくなってお前の成長を見たいとか言いたくなるんです」
「精神干渉か?」
「蛇に首をはねてもらいましたが、変わらなかったです」
「じゃあしばらくルクセリアについては保留。これからの話をするぞ」
○○○
黒蛾の館 尋問室
尋問室と言えば恐ろしいが、この部屋に限ってはそうでもない。ここは蝗の部屋である。広さは蛇の部屋と同じくらいで、若干の生活感がある。 この部屋の主は無口で、年相応の落ち着きを見せるが、カーテンや枕などはハート柄でやや幼い印象を受ける。
「他の仲間の居場所は?」
縫い糸を取った蝗が話しかける。あくまで事務的だ。
「「ドイチュ」」
サンとステラは椅子に縛りつけられている。さらにサンは手を組んだまま縛られ、ステラは目隠しをされている。
ドイチュ……ということは欧州連邦か。国名までわかればこっちのもの。あとは、蜏の作った機械式の千里眼で見つければよい。後聞くべきは、
「あなた方の能力は?」
「炎弾」
「直近未来視」
炎弾はともかく直近未来視か。
ーーこれは使えるかもしれない。
「ああ、ありがとう。ではーー眠りなさい」
○○○
黒蛾の館 大広間
「これからの話をしよう」
そう言って雷蜘蛛は一枚の手紙を見せる。
「これだ」
その手紙は蜏のものだ。行き先と地図が描かれている。
「またそれですか。あいつ、俺より後輩の癖に部屋にこもって手紙を出すだけ。たまーに見かけるときはすげー愛想いいし、良いやつオーラがすごいんすよ。逆に不気味っていうかなんというか」
雷蜘蛛の眉間に縦筋が入る。
「おい貴様。あいつが来てからどれだけ発見が楽になっていると思ってる? 」
「それは……」
蝟の姿勢がピンと伸びる。それは彼が意図したことではない。雷蜘蛛の重力子操作能力によるものだ。
「そしてお前は何か貢献したことがあるか?」
「俺だってびゃぐはっ」
蝟へ電撃が飛ぶ。
「サバキは捕まえたうちに入らん」
サバキ達はたまに来ては、何だかんだで、この館のお手伝いとなっている。掃除、洗濯、買い出し等々。嫌なら出ていけと蝗も言っているが他に行くところがないのだろう。ずっとここに住んでいる。
「お前の捕まえた数は? 」
「ぜろでずぐはっ」
「私の言いたいこと、わかるな」
「あび、ばかりばじだ」
雷蜘蛛は、わりと蝟に厳しい。おそらく、ここで一番年下だからなのだろうか。見た目の話だが。
年の離れた姉と弟のようだ。厳しさの裏側にあるのは……。
「話を戻すが、次の目標はドイチュ。ここに行くのは火蟻と蛇だ」
「ところで、蛇。自分の能力はわかったか? 」
「いえ」
雷蜘蛛の視線が火蟻へ向かう。
「おい火蟻。なぜだ」
「忘れていました」
「おい、私は言ったよな。新人に能力の使い方を教えろと」
雷蜘蛛の機嫌が再び悪くなる。
「見て学ぶものかと」
雷蜘蛛の表情が若干和らぐ。これが蝟なら電撃、黒蛾ならもっとひどいことになる。
「まあ、それも一理あるだろうが。いいか、蛇。能力はこうしたい、と思ったら使えるようになるものだ。もう一度火蟻と一緒にいくといい」
「はい!」
蛇のその声はとても嬉しそうだ。