祓魔師による福音の鐘
魔女の森 小屋
三人はヘクセの小屋に泊まった。火はヘクセを完全に無視して速攻で床についた。
ヘクセは夜空を箒で飛び回っている。アリスの声の届くところにはいたくないらしい。
だが、もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない。二人で話し合いなさいと。
「アリス、私はどうすればいい?」
蛇にはわからない。
レントをハングドマンの前で殺すことは正しいのか。間違っているのか。いや、そんなことはどうでもいい。
それが、火蟻のためになるのかならないのか。それが重要だ。
『私もわからないよ。このままついていくしかない』
「火が誰かを傷つけるところ、見たくない……」
嘘だ。本当は、このまま火が復讐を完了すれば、彼が死んでしまうのではないかーーやることが終わったので生きてる意味などなくなったなどと言い出していなくなってしまうのではないか。
そんな気がしてならなかった。
彼にとって自分たちよりも復讐の方が大事なのかもしれないということが、恐ろしかった。
そんな蛇の心を読んだのか読んでないのか、アリスが優しく笑った。
『でもどうするの? 火、このままだと向こう側に行っちゃうよ』
向こう側……。言いたいことはわかる。それは死である。火の肉体だけではない。心が死んでしまう。
針が振り切って折れてしまう。
もしも復讐が完了して、仮に火が一緒に帰ってくれたとして、誰かがこう言ったらどうなるのだろうかーー『君のやったことはハングドマンとまるで変わらないよ』、あるいは、『君は復讐を完了した、でどうする? それは本当に罪滅ぼしになるのかな? 君の仲間はこれで満足したとでも?』など。
その言葉はいつまでも火を蝕みやがて火の心を殺す。
いや、誰かが言わなくてもとっくに彼はそう思うはずだ。
では自分達はどうすればいいのか。助けるべきか止めるべきか。助けても止めても火は救われない。
なぜなら火の仲間はもう死んでしまったからである。死人は何も言ってくれない。どうすれば満足なのかを言ってくれない。
だからずっと、火を苦しめる。
自分達にできることなど、本当は何もないのだ。
『ねえ、もし私たちが火を止めようとしたら、火は私たちを嫌いになるかな?』
核心的な質問だった。火にとって、ハングドマンへの復讐心と二人への愛情……どちらが勝るのか。試すことができない。試す方法もわからない。怖い。
『私たちが考えても仕方ない。今は寝るしかないね』
○○○
欧州連邦 ブレーメン エーゼル宅
エーゼルの家は人里離れた田舎。あるのは打ち捨てられた畑と木造の家。少し遠くには一件の教会があった。荒れ果てた土地には一切の音がしない。
扉を開いたエーゼルは訳知り顔だった。
「事情はわかっています。でも殺させるわけにはいかない。まずは話し合いです。こちらについてきてください」
連れてこられたのはエーゼル宅の地下室。地上の家は普通だったが、地下室は広く、一面をスピーカーが覆っていた。
「まずい! こいつは!」
アリスが気づいたときにはもう遅い。
エーゼルの心の声はまるで何人もの人間が話しているようで、まったくわからなかったが、この状況下で気づかないわけがない。
「レントくんを殺させるわけないでしょう。一応、この間までは一緒に女神を助けようとしていたんですから。僕は友人だと思ってるんですよ。そして友人を殺させる訳にはいかない。君たちもレントくんも僕がが止めてみせる」
スピーカーからのかん高い音に三人が悶絶する。火蟻と蛇は横になって倒れてしまった。
「結局、私はお前と戦ってばかりだな」
アリスは頭を押さえながらも何とかこらえる。
「僕は負けてばかりだけど」
「いいや、初戦のあれは私の反則敗けだ。だから、一勝一敗だ。いくぞ教皇!」
「戦いたくなんてない。でも、僕は君たちを止めて見せる」
ハートの女王に対するは神の声を聞く教皇。
「這いつく……」
蝗の声が消えた。今回は音叉ではない。エーゼルの地下室で、エーゼルに勝てるものなどいない。
「さて、どうする?」
一切の能力が通じない蝗のやることは、ただひとつ。エーゼルに向かって走りだす。とっさのことにエーゼルは反応できない。アリスとの戦いは決して肉弾戦ではなかったのだ。
鼻頭を蹴り飛ばす。エーゼルは後ろにのけ反る。それと共に鼻血が弧を描いた。うまくいったが次はこうはならないだろう。
「君ってそういうのするっけ」
アリスはにっこりと笑った。エーゼルは鼻を押さえたまま壁に手をついている。非常に苦しそうだ。
「く、うるさい。出て……くるな。僕はお前たちを封じているんだ。悪魔ども。こんなかすり傷にも満たないので出てこられるわけにはいかない」
アリスにはエーゼルの言っている意味がわからなかったが、これがおかしなことであることはわかっている。何せエーゼルの瞳は黄色になったり戻ったりを繰り返しているのだ。
(お前たちを……封じているんだ。アスタルテ。最近……知らないうちに出てきていたみたい……だが、許した覚えは……でもエーゼル、この人、苦手でしょ。私は確かにあなたに封じられてるけど、私たちはあなたを、あなたの魂を気に……いって、うるさい……黙…………らない! 私たちはあなたの行動理念に基づいて行動する!)
ーーいったい何を考えている?
エーゼルの顔つきが完全に変わった。瞳の色は黄色。
「傲慢は身を滅ぼすわよ、女王」
○○○
教会の中、目の前には女神が彩られたステンドグラス。後ろには長椅子が並ぶ。かつては賑わっていたであろうその席は冷たく凍っていた。
念願だった祓魔師になったものの、悪魔は未だに彼の身体を拠り代にしていた。正確には彼らはエーゼルに捕らえられていた。
エーゼルはその強靭な意志を持って、悪魔たちを心に閉じ込めたのだ。
普通の人間であれば、ただの悪魔一人で“持っていかれる”。魂は憑いた悪魔のものとなり、身体は悪魔の奴隷となる。
だというのに、エーゼル・ハイエロファントは最高位の悪魔をその身に封じていた。
「君に力を与えよう。なに、福音が聞こえるようになるだけの弱い力ですよ」
礼拝に来た少年がエーゼルに言った。
するとステンドグラスから差す光のように女神が現れてエーゼルの耳を優しく撫でた。
それが彼を、決定的に弱めたのである。
○○○
「傲慢は身を滅ぼすわよ」
声色、表情などがわずかに柔らかくなった。それだけだというのに美形のエーゼルの姿はまぎれもなく女性のそれであり、彼を知らないものはきっと彼を女だと誤解するであろう。
ーー多重人格……やっかいな。
「エーゼルはレント君を殺させたくないの。ううん、それだけじゃない。エーゼルは本当にすべてを救いたいと願っているのよ。馬鹿みたいじゃない? 世の中には私やほかの二人なんか比べものにならないくらい強くて、エーゼルが考えられないほどの悪党がいるって言うのに、救ってみせるって。自分が救われたようにいつか世の中に恩返しをするんだって。そのために魂を悪魔を縛るための檻にした。悪魔が自分の中で更正できるように。エーゼルがされたことを考えれば、そんなに寛容でいられるはずがない」
「なぜいまそんな話を?」
「戦いたくないの。だからあなたが引いてくれるなら私はあなたを傷つけずに……エーゼルを傷つけずに済む」
「図に乗るなよ。たかが人格変わったくらいでーー」
エーゼルは小さくため息をついた。
脳が揺れ、視界が暗転する。
ため息の波動だけでアリスは意識を失ってしまった。
「さて、君たちは止められた。レントくんも止めて見せる!」
神父服を翻し、アスタルテは地上に出る。
○○○
アスタルテは荒れた庭園に出た。目の前にいるのは、光の剣を構え、女神を抱くレント。
「俺は悪人なのか」
「どうしたのレントくん。なんだか、君らしくないよ」
アスタルテが笑いかける。一緒にいたときはただの少年だったのに、今のレントは苦悩する罪人のようだった。
「アスタルテさんの方か……俺は人が食べたくなってしまっているんだ。この女神は正直もうどうでもいい。ムカつくから盾として使っているだけだよ」
女神の髪をつかみゆらゆらと揺らす。
「食べたいんだ、だめだ。俺は悪人なのか」
レントが頭を抱え出す。吸血鬼のように牙が伸びた。
「レントくん! しっかりして! 私はあなたを悪人だとは思わないよ! 純粋な信仰心を持った、優しい男の子でしょ!」
「でも俺は人を殺したい殺したい殺したい! 殺したくて仕方がないんだ!」
アスタルテが一歩下がる。レントは頭を抱えたまま動かない。
「どうしてそうなっちゃったの! 何があったの!」
その瞬間、上空から勿忘草色が降りてくる。
「テンペランス……」
なぜ、ここにテンペランスがいるのか。アスタルテには理解できなかった。
「レントはね。四分の一が吸血鬼なんだ」
アスタルテは怪訝な顔をする。
吸血鬼はわかる。だが、四分の一とはどういう意味なのか。
「とにかく、人を食べたくなる人っていうこと。だから、自分が何なのかを知りたがっているんだ。教えてあげてよ」
テンペランスが横に退く。現れたのは吸血鬼と化したレント。
「やめるんだレントくん! 君がそんなことをすれば君の友達が失望する! それに、人殺しはやってはいけないんだ!」
「どう……して。ここに“俺は人じゃない。栄養段階が高いものが低いものを食べるのは当たり前”って書いてある!」
吸血鬼が出すのはボロボロの手記。それが彼にとっての聖書であり、今の信仰対象なのだろう。それでもーー。
「君はテンペランスさんや、シャルロットさん、レオナさん、正義子さん、エレミットさんの前で人が殺せるのか! いや、もっと言おう」
君は彼らをも殺したいのか?
○○○
地下室から火蟻たちを助け出したのは蜏。
体の自由を奪われながら火蟻たちは庭へ出てきた。少し離れたところにアスタルテ、テンペランス、レントがいる。
ーー四分の一が吸血鬼? どういうことだ。
蜏が賭けをしかけた。
「もし、ここでレントくんがテンペランスを殺せると言ったら、君たちを解放しよう。すぐにでもあの第三真相を殺すがいい。でもテンペランスを殺せないと言ったら、君のその復讐心を奪う」
「貴様! そんなことできるとでも!」
「ああ、できるよ。少なくとも問題の先伸ばしはできる」
火蟻が蜏をにらみつける。その顔は鬼のものだ。
心を消すーー蜏なら可能だろう。だからこそにらみつけるしかできない。
「まあ、たぶんレントくんはね、わからないって言うよ。そうしたら、次は蘭央ちゃんのところだ。この場から君たちとレントくんを切り離す」
残念ながら、蜏には敵わない。それはもう重々わかっていた。だけどせめて。
「じゃあ、せメてアの本を見せろ。何も知らなイままなンて我慢できなイ」
○○○
わからない……俺は……どうしたいんだ……




