願う魔女と叶える妖精
欧州連邦 ハーメルン 魔女の森
その森はレントを拒んでいるようだった。
朝方であろうと、魔女の森は暗い。暗い色の葉から漏れるのは僅かな木漏れ日。
そして暗がりから出てきたのは魔女。紫色のとんがり帽子にピンクがかった髪。ローブや箒などは典型的な魔女のそれである。
「次はここで聞いてきてください」
勇者は上空から墜とされたのだ。天空の声はテンペランスのものだった。
「俺は悪人なのか?」
レントが腰をあげる。
蜏に身を委ねるのは心地のよいものではなかったが、いまはそんなことよりもこの血を沸かす衝動の方が気になっていた。
前からその節はあったかもしれない。
ただ女神との一件以来、衝動はますます強くなる一方で、言葉にするなら肉への執着となる。その肉を骨から綺麗に引き剥がして、啜ってしまいたい。
これが親父の日記とどう関係するのか。悪とどういう関係があるのか。
自分は罪人か勇者か吸血鬼かーー何なのかを魔女に問わなくてはならない。
森の中のヘクセは、申し訳ないような、しかし面倒くさそうな表情をしていた。
「ち、なんか吹き込まれたか」
ヘクセは箒に腰掛けながら、厄介ごとを押しつけられたかのようにぼやいた。
それでも火蟻と違って話し合う気はあるらしい。
「俺はなんなんだ」
「お前は何しをに来た? そこの女神を殺すために来たんじゃないのか?」
女神を殺すのは二の次だ。いまはこの女よりもこの血の衝動と親父の日記について知りたい。
「俺は悪人なのか」
「やはりそうなったか。すまないな」
ヘクセはため息をついて
「なるほどわかった。私もまた駒なのか。では、お望み通りやってやるさ。サバキ以外はどうでもいい」
吹っ切れたかのように箒から飛び降りた。
「悪人? そうだな、例えばこいつのことだ」
ヘクセが横にそれると、葉巻とサングラスにじゃらじゃらとした金の首輪の褐色肌の男が現れた。趣味が悪い、と思いながら、どこかで見たことあるようなないような顔だった。
「こいつは金 を使う能力者。ゴールド二世。自国民はこれで裕福になった。そして、金の価値が下がり、今まで金を溜め込んで、私腹を肥やしていた人間は今、泣き叫んで暴動まで起こしている。だがまあ、ある意味でこの世界は平等に近くなったわけだ。一方で、こいつ自身は女の子を傷つけるクソ野郎だ。もう去勢済みだがな。私はこいつを悪人と定義する。これで満足か?」
「では、女の子を傷つけるから悪人なのか?」
「女王が来たらもう一度、説明してやるよ。それまで、少し遊ぼうか」
「行け、私の使い魔!」
ゴールド二世が手から金の刃を飛ばす。刃は最強の盾にすべて受け止められた。しかし使い魔は陽動に過ぎなかった。
「我、ヘクセ・パイドパイパーの名において崇め願い奉る。地獄の公爵、純白のユニコーン、音楽会の長、歌と躍りの司者アムデュスキアスよ。汝の音により我が敵を錯乱させよ」
その音は、光の剣も女神の盾も防ぐことができない。レントはばたりと倒れた。
○○○
昼過ぎになり、ようやく火蟻、蛇、蝗が到着。
「ヘクセ、ありがとう。これはもらっていくよ」
火蟻が笑顔でレントと女神の髪を持つ。蛇と蝗は火蟻の両サイドでたたずんだ。
「ちょっと待った。それを地獄に持っては行かせない。罪人の息子だというだけで、どうして殺させなきゃいけないんだ。火蟻、お前の気持ちはわからなくもない。だがな、悪人のであっても大切なものを奪わせる訳にはいかないさ……いや、こんなのは魔女らしくない、まったく」
火蟻の片目が赤く染まる。
「アリス、こいつは何を考えている?」
火蟻が蝗に目配せをする。だが、蝗は顔にシワを寄せて難しい表情を作っていた。魔女の心は読みにくいらしい。
「私はそれでもレント・ルクセリアを地獄に送ってみせる! 私はハートの女王! 裏切るならその首を」
蝗が指を構えると、ゴールド二世が素早く金の刃を飛ばす。その刃は火蟻の出した土壁で止まったものの、蝗の言葉も止まってしまった。
「ああ、私には無理だ、蜏! 言うべきことは言ったはずだぞ! はやく、助けろ!」
ヘクセが虚空に叫ぶと、蜏が見えない床があるように空に立っていた。
「ちょっと早くない? まあ、いいや。次はエーゼルだ。ところで蛇、君は本当にレントくんを地獄に送る気かな?」
蜏の言葉を聞いた蛇は、一拍したあと、呟く。
「火が望むなら」
「そうか、まあ、考える時間をあげよう。レント君をエーゼルのところに明日の昼頃連れてくよ。じゃあね火蟻」
蜏が消えると同時に、レントと女神がいなくなる。さらに、火蟻が気づくと、ヘクセの姿もない。蝗の尋問を恐れたからであろうか。
○○○
聖執行部跡 ログハウス
一方その頃。
ログハウスで座り込む蝟、スカーレット、シャルロットにレオナ。火蟻たちに置いていかれたシャルロット、レオナは憤慨していたが、現時点で、彼らにかなうはずもなかったし、レオナとしても、林檎と話したいことがあった。予想通り、林檎は蝟のことを恨んでなどいなかったし、逆に喜んでいた。
正義子は聖の少年少女たちを迎えにいった。彼らを見守る人間がいないと、またレントに襲われたり、逆に彼らがレントを報復に殺すかもしれないそうだ。
ログハウスの扉が開かれる。
「久し振り。みんな」
「テンペ!」
シャルロットが声をあげる。久し振りの友達との再会が、嬉しいようで、レオナも喜んでいる。
「まあ、まあ。今日はねスカーレットさんに用があるんだ」
スカーレットがソファに座りながら、テンペランスを睨む。スカーレットはずっとこんな感じだ。やさぐれた女教皇は目の下に隈を作っている。かわいらしい紅ずきんはもういない。
「なんだ? 私は何もしないぞ」
「いや、絶対する。なぜなら」
ウルフ・ムーンライトが逃げた。
スカーレットが絶句した。
「ウルフって?」
何も知らないシャルロットがポカンと尋ねた。ウルフはスカーレットの敵だ。彼女の唯一の肉親は彼に殺された。考えうる最も残酷な方法で。
「どうしてだ?」
シャルロットを無視し、スカーレットが尋ねる。
「レントが間違って逃がしちゃったんだね。だから、後始末にいこうか」
テンペランスが扉を開く。くぐるのはスカーレットと蝟。
「行っちゃった……わね」
残っているのはシャルロットとレオナだけ。恋敵なので何となく気まずい。
「これからどうする?」
レオナが椅子に腰掛けながら話す。一方のシャルロットはベットの端に座り、壁に寄りかかっていた。
「どうって、どうもこうもないでしょ。私たちはここでレントの帰りを待つしかないわ。どこにいるかわからないんだもの。あんたわかる?」
レオナは電話を開き、閉じた。蝗にでも聞こうとしたのだろう。そして諦めた。無意味なのだから。
「ふう。ところでシャルロット。あなたはレントのこと、本気で好きなの?」
シャルロットの顔が真っ赤になり、ツインテールが逆立った。
「わ、私は! 別にそんな」
「ねえシャルロット。あなたがもしレントを諦めないと言うなら」
レオナが椅子から立ち上がりベットに向かってきた。顔が火照っている。
そのままシャルロットのいるベットに膝を立ててシャルロットに迫った。
「私はあなたを頂くわ。シャルロット」
耳元で囁いた後。
「いたっ。あんた何してるのよ」
耳を噛まれた。突然のことで痛いと言ってしまったが、実際には痛くなかった。
ーー甘噛みされた……どうして!
そのまま耳のなかを舌が犯してくる。
「ちょ、ちょっとやめなさいよ……。あたしたちは……」
シャルロットは抗うことができない。手を壁に押しつけられ身動きがとれないからーーだけではない。
シャルロットの顔はいつしかその髪と同じように赤く染まっていった。
ーーだ、だめ……。やめ、やめなさいよ!
甘美な誘惑に抗いながらもがく。
「私に何してるのよ。これは、この体は大切な人のために取っておいてあるのよ!」
その瞬間、拘束が解かれた。
「ご、ごめんなさいシャルロット。私、そんなつもりじゃ」
正気に戻ったようだった。レオナははっとしたようにベッドから飛び退く。
「どうしたのよ、あんた。まさかあんた! レントじゃなくあたしのことが……。それで……」
「ち、違うわ。本当よ。今のはなぜかそういう気持ちになったってだけ。ほんとそれだけよ」
ーーそういう気持ちってどんな気持ちよ。あたしの耳を噛みたい気持ちって。意味がわからないわ。レントならともかくどうして。
「でも、シャルロット。女神はどうするの? 彼はあの人を信仰している。もしレントがあなたでも私でもなく、女神を……。いや、もしじゃないわね。レントの心にいるのはいつだって女神なのよ。あなたはそこんところどうするつもりなの?」
ーーいくら頑張ったって、女神には勝てない。それでもあたしはレントのことを。いや。
「ふん。絶対に振り向かせてみせるわ。女神よりもあんたよりもあたしの方がいいって何年かかっても証明してみせるんだから」
真っ赤になりながら叫んだ。その後に。
「「あたしはレントのことなんて全然好きじゃないけど、あいつがあたし以外の女の子を好きになるのが嫌なだけなんだから!」」
その言葉は同時。シャルロットと、レオナ……ではない。
「わー、当たった当たった。お久しぶり、シャルロットさん……ってそうでもないのか」
目の前には女神。透き通るほどに白い髪とそれと同じくらい白い肌。当然、服も純白の衣だけだった。
顔立ちはまさしく偶像。
ーーこんな人に叶うわけ……ってか、女神様ってレントと一緒でしかもボロボロじゃなかったっけ。
「行ってレントを待ちなさい。そこで決着がつく」
女神はすぐに姿を消した。
まるで泡沫のようだった。
それでも疑問は一瞬で吹き飛んだ。なぜなら行く先が決まったのだから。
女神の後に残ったのは一枚の紙。
『向かうのは西サハリア。ハングドマン異能力研究所よ』
○○○
黒蛾の館 エントランス
時はほんの少しだけさかのぼる。
「で、蝗の呪縛をといて、願いを叶える能力を取り戻したいと。それで、僕のところに来たの? いい度胸じゃないか」
深夜、蜜蠭が黒蛾の館にやって来た。助けてほしいと。一般兵のごとく、蝗やステラの下にいるのが耐えられないと。
「ふーん、じゃあ、地面に額を擦り付けながら全裸になって、“蜏さま。いけない私にエッチな注射をしてください”って言えたらいいよ」
「くっ、誰が!」
蜜蜂が下唇を噛みちぎる。
「じゃあ、いいよ別に。じゃあねー」
蜏が扉を開き、出口へ誘う。
「クソッ、わかった。わかったわよ」
蜂蜜色の髪を後ろにやり、蜂蜜色を貴重にした服を脱いでいく。
蜏の目の前にいるのは、蜂蜜色の下着姿の甘く美しい女性。蜜蜂色の布が、たわわに実った豊満な胸と、禁断の領域を隠す。目を潤ませながら蜜蜂が後ろに手をかけ、下着を外そうとしたその時ーー。
「私がそんなことするはずないだろう、蜏」
蜜蜂が手をかけたのは下着ではなく、蜂蜜色の髪。それを、蜏の心臓に突き刺す。しかし、それは蜏ではない。
「僕がそんなこと要求するわけないでしょ、蜜蜂」
蜜蜂の後ろでは本物の蜏が、蜜蜂にコートをかける。
突き刺したのは蜏ではなく、グリム。顔が歪んでグリムの顔に戻る。
「グリム、君のそういうところは大嫌いだな。次そんなことをすれば首だからね」
「旦那はこいつの裸を見たくないんですかい?」
髪の束が突き刺さったまま、グリムが呟く。
「蜜蜂はムカつくけど、一応女の子なんだから、こんなのはダメだよ」
蜏がそう言うと、グリムが倒れた。異能で脳を揺さぶってみただけだ。
「大丈夫? 蜜蜂」
蜏が手をさしのべる。その手を蜜蜂は勢いよく振り払う。
「お前は何がしたいんだ」
「もちろん嫌がらせさ。気分悪いだろ。嫌いな相手に優しくされるのは」
蜏が片目をつむる。
「ふん、そんなの私は何とも思わないな。これでも食らえ」
蜜蜂が振り返って立ち上がり、本当に下着を脱いだ……が、
「ああ、さすがにそうなったら何とも思わないね」
蜜蜂はテンペランスの手の中。背後から近づくテンペランスに気づかなかったようだ。
「君にはこの指輪をあげよう。言っておくけどプロポーズじゃないよ。ずっとその大きさでいるためのものだ。蝗の呪縛を解いてあげよう。その代わり、今度の仕事はちゃんとしろ。お前好みにしてやるさ」
蜜蜂がテンペランスの手の中でもがく。まるで子供に捕まった虫のように。
「かわいー、よしよし」
テンペランスが妖精の頭を撫でる。
「こんのおおおお!」
と言いつつ、テンペランスとの会話は少し、どこか懐かしい気がした蜜蠭なのであった。




