あなたのことが
過去 黒蛾の舘 蝗の部屋
黒蛾が連れてきた童顔の青年。黒蛾と違って、聖として典型的な容姿をしている。中性的な顔で、平均よりは背が小さい。
だが全体的な印象としては不気味がふさわしいだろう。かわいい顔して目の奥が死んでいたからだ。
今は二人きり。黒蛾に蝟がつっかかているのを雷蜘蛛が止めているのだろう。
言い争う声を聞けばこの青年に何があったのかは把握できたーー黒蛾が間に合わなかったことを蝟が責め立てている。
彼がハングドマンを仕留めず、女神を放置していたからこのような事態になったと怒り狂っているに違いない。
自分は椅子に座り、青年をベッドに腰かけさせた。
『私は蝗。言葉が暗示になっちゃうから口を縫ってるだけだよ。だから別に怖くないよ』
とりあえず自己紹介する。目の前の男の子と、沈黙になるのが怖い。彼が恐ろしいので話しかけずにはいられなかった。
「僕は……火。聖 火。こんばんわ。怖くなんかないですよ。蝗さんかわいいですから」
だが、その言葉には感情が乗っていない。暗いのではない。まるで台本を読んでいるようだ。かわいいと言われてもなんとも思わなかったのはそのせいだろう。
『ありがと。君に何があったか、正確にはよく知らないんだ。だけど今はここで一緒にお話でもしませんか?』
スケッチブックを掲げる。
「いいですよ。何の話を?」
困った。話すことがない。無いわけではないが、どれがこの子の感情の引き金になるかわからない。
しばらくの沈黙が続く。
「じゃあ、蝗さんの本名聞いていいですか? それが本当の名前ではないんでしょう」
火の方から話しかけられた。
『呼ぶときは蝗、って呼び捨てでいいよ。本名はアリス・クイーンハート』
「アリス・クイーンハート……それでこの部屋はハートでいっぱいなんですね」
そんなことはない。確かにハート柄は好きだからよく使っているが、それでもけばけばしくならないように配慮している。男の子的には嫌なのかもしれない。
『そうかな。火、この部屋嫌い?』
少し不安げに尋ねた。
「そんなことないですよ。ハートかわいいし、いい匂いがします」
ーー匂いとか言われるとドキドキする。はあ、でもこの子はきっと、本当は何も感じてないんだ。
『ため口でいいよ。そうだ、火。名前決めましょう! せっかく仲間になったんだから』
「はあ」
『みんな虫偏で統一してるの。私はクイーンハート。女王だから蝗にしたよ。雷蜘蛛は雷雲。蝟は紋章の位置が胃だから。火はどうする?』
「じゃあ、正義を入れたいな」
火が笑った。一瞬だけ本当の笑顔に見えた。それが心が読めたという経験からなのかあるいはただの直感からなのかーーよくわからなかった。
『待ってて、辞書持ってくるから』
そう言って立ち上がり、本棚から分厚い辞書をとる。
ペラペラとめくりながら、ベッドに腰かける。火の隣に。
『あったよ、蟻なんかどう?』
そう書いて、気がついた。それはあまりにもできすぎていて、未来を暗示しているようで。
ただの言葉遊び。意味なんてない。だけど、気になって、恥ずかしくなって、変えてしまった。
『いや、火蟻がいい。火蟻にしよう。火が入ってる方がいいよね!』
蝗がスケッチブックをつきだす。
「じゃあ、火蟻で」
火蟻が少し赤くなった。蝗もつられて赤くなる。
『じゃあ、決まりね! 火蟻!』
○○○
大広間
数日後、偶然二人きりになる機会があった。相変わらず、目の奥が死んでいる火蟻。笑ったりもするのだが、目の奥の黒みは消えない。
『ねえ、火蟻。本当のあなた』
そう書いてやめる。本当のあなたと会いたい。会って話してみたいだなんてーー笑ってしまう。
気になってしまうのだ。どうしてかと聞かれてもーーわからない。ただ、この人は私がいないとーーなんて思ってしまう。なにせ、彼の面倒は主に自分がしているのだから。
「なんか言おうとしてたでしょ。遠慮しないで」
火蟻がにっこり笑う。完全に自分を隠しきっている。
『ねえ、火蟻。本当のあなたと会いたい』
自分で書いて何言ってんだと思った。でも、気になったのだ。もっと知りたいと思った。
「うーん、半分ならいいけど。怖がらない?」
心配そうに言う。
『口を縫ってる女の子よりも怖いの?』
火蟻に笑いかける。考えてみれば、自分の方がよっぽど恐ろしい見た目をしている。
「じゃあーー」
そう言って彼の片目が赤くなる。
「で、なんだ?」
戻ってきた火蟻の声は荒々しく、刺々しい。怒っているーーすべてに。
『火蟻?』
「遠慮すんな。別に二重人格じゃアなイ。ただ、心の針が向こうに戻ってイるだけだ」
『ありがと。火蟻は苦しくないの?』
充血した赤い目はどことなく苦しそうだった。
「苦しイ……僕はそんなこと言っちゃイけなイ」
苦しむことさえ赦されない罪とはいったい何なのか。
『どうして』
「僕は……グウウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
いきなり発狂しだした火蟻。両目が充血し、頭を抱えた。身体には黒いもやがかかっている。
あわてて口の封印を解く。
「火蟻、正気に戻れ」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
酷くなる一方だ。声が耳をつんざき、怒りがこちらにも移ってきそうになる。腸が煮えくりかえる。赦せない!
その気持ちを押さえて、火蟻に必死に呼び掛けた。
「火蟻、ごめん! 正気に戻って、正気に戻って、正気に戻って」
「ウウウウウウウウググアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
ついに血の涙が溢れ、空気が赤く染まっていく。
ーーユルサナイ。全テヲ。地獄ニ落トシテ、地獄ニ落チテ。
「おい、蝗! どうした!」
咆哮を聞きつけた黒蛾が現れる。
心を持ってかれるところだった。黒蛾が現れなければ地獄に落ちるところだった。
「火蟻が、正気に戻らなくて、私、どうしたらいいか」
なんとか自分を制御するのに必死だ。それでも目の前で自分より苦しんでいる火蟻を何とかしなければいけない。この事態を招いたのは自分なのだから。
「逆だ。蝗! 狂気に戻れだ!」
「は?」
意味が分からないーー狂気とは戻るべきところではない。正しい針の位置ではない。
それでも、こういうときの黒蛾ほど正しい判断のできるものはいない。
「早く!」
「狂気に戻れ!」
その瞬間、火蟻の目が元に戻る。息苦しい空気もすぐに回復し、赤みが消える。
落ち着いたのは自分も同じだ。先ほどまでの怒りがスッと消えている。まるで無かったかのようにように。
「れっか!」
火蟻を抱きしめた。安心して、抱きしめずにはいられなかった。抱きしめてから、安堵と後悔と謝罪が溢れてくる。本当は逆でないといけないのに。
ーー自分のことばっかりだ。
「ごめんなさい……私……」
「いや、僕こそごめんよ。もっと強くなんなきゃね」
「どうして……」
取り返しのつかないことをした。彼の心の傷を抉ったのだ。それなのに、どうして自分が謝られるのか。どうして謝るのか。
「蝗が安心するくらい強くなんないとね」
火蟻は蝗の頭をポンポンと撫でる。泣きそうになった。
ああ、私にはこの人に光をもたらす力はない。
彼を好きになって……あきらめた。
○○○
西サハリア ハングドマン異能研究所
蛇が何度も何度も『火蟻、火蟻、火蟻』と呼びながら火蟻を抱きしめている。
見て……いられなかった。
みんなと離れた所で思いっきり泣いた。
女王が泣いてる姿なんて誰にも見られてはいけない。
見せてはいけない。
見られたく……ない。
特に……火蟻には。困らせたくない。
私も、私だって、私だって。
夢中で自分を抱きしめた。
涙が止まらない。
彼を取られたことが悲しいんじゃない。
火蟻の心の支えになれなかったのが悔しかった。
○○○
聖執行部跡
「あの子はなあ、記憶がなくなってからずっとお前と一緒だったんだよ。だからあの子はお前を最強だと思っている。あの子はお前の弱さを理解できない。そんなあの子が今、お前の弱さのせいで泣いているんだ。“お前が”泣かせてるんだ。あの子の前では最強でいろ」
火蟻の為に泣きながら書いた。
それでも、自分の口で言うことは出来なかった。
だから、蘭央に頼んだ。
他のみんなも手伝ってくれた。
訓練だぞ、としか言ってない。
だけど、きっとみんなは私のことを……。
○○○
蛇に殴られた。地面に這いつくばって、火蟻と蛇の口づけを見守る。不思議とあの子は嫌いじゃない。
だって、あの子は私の大好きな人の、大好きな人なんだから。




