その黒龍は魔王、その剣は勇者
西サハリア 蝟サイド
「ひじりんごって呼んでねっ」
目の前のふざけた少女は見た目とは裏腹に強い。
「私の能力は負荷領域。あらゆるパフォーマンス低下させるのぉ。ここに近づくとぉ」
林檎が指差すのは、その年齢にしては大きすぎると言っていい胸。見た目の年齢はスカーレットやサバキと同じくらいなのに、エレミットやレオナには遠く及ばないものの、正義子や蘭央よりも大きく見える。シャルロットでは話にならない。
「こうそくいどうがなくても!」
高速移動ができなくても彼は普通に強い。バーシニアほどではなくとも体術の心得くらいはある。火蟻と組手をしているからだ。彼らはやはり男の子なのである。
蝟は林檎に近づくが、
「遅いですよっ」
林檎の甘い酸っぱい声が聞こえる。そして、後ろからナイフで刺された。
パフォーマンスの低下は異能だけではなく運動能力、思考能力にも適応される。蝟のろれつが回らないのは青い紋様のせいだけではない。
「あっぶねえなっ」
蝟は振り向いて後ずさったあと、ポケットから針を取りだし投げる。
だが、パフォーマンスの低下は物にも適応される。
針のスピードが落ちて、
「いやーん、いたいー」
針は胸の谷間に挟まる。
ふざけやがって、と思うものの蝟には打つ手がない。林檎に対抗するには火蟻の無間闇処や黒蛾のオッカムの剃刀または全力の雷蜘蛛のように超高火力の攻撃だけだ。
「それにしてもぉぉ、全然わたしにきょーみないのねぇぇ」
「おまえなんかどうでもいい」
林檎は終始誘惑していた。それには雷蜘蛛のような芸術的な美しさではなく、淫乱という言葉に尽きた。しかもそこに犯罪的な匂いというスパイスが効いている。
それでも彼は一ミリも揺らがない。彼の心を占めるのは紅い頭巾と山吹色の髪。彼自身も自分に失望しているが、あのとき頬にキスをされただけで完全に虜になってしまったのだ。
あれからというもの目を合わせれば心を惹かれた。気になってると言わされた日からは甘いけんかをしてばかり。一緒にいるだけで……。
「ひっどおおおい」
林檎がどれだけ胸を寄せようとも、蝟の頭にあるのは早く帰ってスカーレットと痴話喧嘩したいということだけだ。
○○○
西サハリア 黒蛾、雷蜘蛛サイド
雷蜘蛛は上空の女神を重力子操作で潰そうとするが、白い影により阻まれる。
「それがアクィナスの粘土ですか」
「ええ、これでなんでも作れるのですよ」
その白い影は女神の作ったもの。黒蛾のオッカムの剃刀とは真逆の能力。不必要を切り落とすのではなく、必要なもの白い影から生成する。
「例えば」
白い影から刃が出現する。刃はそのまま雷蜘蛛の心臓を貫こうとする。その刃を雷蜘蛛はどうすることもできない。重力子操作も電撃も受けつけないのだ。
だが、その刃を黒い影が阻む。
「オッカムの剃刀」
「天敵だろ、これは不必要なものは何でも消せるからな」
アクィナスの粘土にとってオッカムの剃刀が天敵であるように、オッカムの剃刀にとってもアクィナスの粘土は苦手な相手だ。切っても切っても増殖されては叶わない。
そして、雷蜘蛛が女神へ電撃を飛ばす。だが、またも白い影に阻まれる。電撃も重力子も女神には届かない。黒蛾はともかく雷蜘蛛は一切の手加減をしていないのにも関わらずだ。
単調な繰り返しが続く。
○○○
西サハリア 火蟻、蛇サイド
「蛇!」
エレミットが正面からくないで思い切り刺そうとするが、蛇の目の焦点が戻る。彼女はスカーレットがウルフに針山を飲ませた段階でこちらに戻ってきたのだ。
「火蟻、向こうは終わったよ」
火蟻の頭はすでに元に戻りかけている。エレミットは動けない。蛇はエレミットに顔を近づけ鼻をつけて小声で脅す。
「火蟻の私に手を出すな」
エレミットには何を言っているかさっぱりだったのだろう。蛇は火蟻に言いたかったのかもしれないが、こんなこと恥ずかしくて言えるはずもない。
火蟻の鎖がエレミットの首をはね、頭の方は煙となる。さらにエレミットの体をその鎖で体をぐるぐるに巻いた。
「エレミットっ」
シャルロットのブリューナクから出でた銃弾が蛇を狙うが、蛇をドーム状の黒い炎が囲み、銃弾が飲まれる。
「あまり、僕の蛇をなめるなよ。僕は別に蛇が弱いから守りたいんじゃない。好きだから守りたいんだ。調子のってると……呑まれるぞ」
シャルロット、レオナ、正義子の動きが止まる。三人が火蟻をあきらめ、蛇に注意を向けたからだ。この女なら大丈夫だろうと。
「黒縄・等喚受苦処」
砂の鎖が三人をとらえ、鎖からさらに生えた砂の刀が三人を封印する。
「残りは貴様のみだァ、レント・ルクセリア」
「この剣は男女の縁以外は何でも切れるそうだ。お前の鎖も壁もな」
蟻を吹き飛ばし姿を現したのはレント・ルクセリアただ一人。
「それならお前など一捻りだ」
火蟻がとっさにいった一言に彼自身気づかない。火蟻の発言に基づけば、男女の縁さえあればお前など一捻りだということになる。火蟻の脳裏によぎった人はもちろん……。
「焦熱・龍旋処」
火蟻の背後にそびえるのは巨大な黒い龍。
「女神のために!」
レントは見えない剣を火蟻に向ける。
「行くぞ、無神論者!」
「来イ、狂信者!」
その黒龍は魔王。その剣は勇者。
○○○
黒蛾の館 エントランス 蝗サイド
蜏によるとウルフから何かしらの情報を引き出そうとして逆に反撃をくらったらしく、真っ先にぐるぐる巻きに縛り上げられたらしい。
だが、蝗は気づかない。ぐるぐる巻きに縛り上げたのは、蜏本人である。自分で自分を縛ったのだ。
『では皆さん出ていってもらえますか』
スケッチブックを掲げ、スカーレット、蘭央、テンペランス、バーシニア、蜏を追い出そうとする。エントランスにいるサンとスノー、エーゼルをもう一度深く眠らせるためだ。
グリムは自分の頭に爪が刺さって一生起きないであろう。バーシニアさんはあれでいて結構恐ろしい人だなと蝗は思った。
ウルフについてスカーレットに尋ねると一言『仇なので殺しました』この童女のどこにそんな力があるのかと蝗は疑問を抱いたが、あまり深くは詮索しなかった。
「僕、部屋戻っていいかな」
蜏が手をあげる。蝗にとってはエントランスにさえいなければよい。
『ご自由に』
スケッチブックを見せると蜏は中央階段を上っていく。
ほかの四人も各々自分の部屋に戻った。
そのせいでスカーレットの姿が消えたことを発見できなかった。
○○○
西サハリア 黒蛾、雷蜘蛛サイド
「これではらちが明かないな」
女神は白い影を使って、さらに上空に飛び立つ。
「兄よ、私はこんなものが作れるようになった」
女神の足元、白い影から半径百メートルほどの巨大な岩が出現する。
「全能者の石!」
黒蛾の黒い影でその石を消すことはできなかった。女神が作ったのは『オッカムの剃刀にも耐えうる誰にも持ち上げることのできない石』。
その石に雷蜘蛛が電撃を撃とうが、重力子制御により落下を阻止しようとしようが、びくともしない。ゆっくりとだが確実に地面へ向かう。
地面に穴を開けようと黒蛾も雷蜘蛛も下を向くがそこはもう砂漠ではなく真っ白な何かに覆われている。全能者の石と同じ色だ。
まずい、このままだと、潰される。二人ともそう思った。だが、
その時、電話が鳴る。
「あなたの願いはなんですか?」
○○○
黒蛾の館 蜏サイド
二階に上がり自分の部屋に入った蜏は機械の山を登り、たくさんのモニターを同時に凝視する。彼にとってこの程度は容易い。
モニターに映るのは黒蛾の館の全部屋や西サハリアの各種戦闘風景。他にも世界中のあらゆる場所が彼には見えている。これが彼の機械式の千里眼だ。蛇の視野を軽く凌駕する。
「もうそろそろだな」
そう言って自分の座っている機械の山から電話を引っ張り出す。
「もしもし、僕の願いはスカーレットを黒蛾と雷蜘蛛のもとへ送ることだ」




