女神に愛された少年
マイアミース アルカナ教会附属高校 レント・ルクセリア私室
「起っきろおお」
甲高い声が耳を刺す。
目を開けると、赤毛のツインテールがまず目に飛び込んできた。大きな目に、まだあどけない唇。それが俺に馬乗りになって銃で殴ってくる。銃は鈍器じゃねえぞ。痛い。だからって撃つなよ。痛い。ここは俺の部屋だぞ。痛い、どうやって入ってきたんだ。
赤毛の隙間から見える俺の部屋のドアノブ。ぶっ壊れている。
ああ、銃で壊したんですか。そうですか。
「わかってるよ、シャル。落ち着けって」
無駄なのは分かっているが落ち着けと言ってみた。言うだけいってみた。興奮している人間に対して他になんて言えばいい。
冷静になるべきだよ、シャル……カッコつけすぎだな。
「今、何時だと思ってるのよ!今日も訓練するわよ!」
今は四時だ。こんな時間から訓練……最悪だ。だが、これも悪魔を殺すためと思えばできる。この世界に仇なす悪魔。必ずや駆逐する。
女神のために。
「わかったから降りろって。ってうわっ」
「うわぁっ」
ありえないこけ方、それこそ体操選手のようにアクロバティックにこけて、シャルロットの平たい胸に覆い被さる。小学生でもまだあるんじゃないか。だがそれでも女の子。柔らかい。この甘くていい臭いがぁ、じゃなくてこのちっこい感じがまた、じゃなくてあああああ
「こんのぉぉ変態がああ」
シャルロットは俺の顔に銃弾を浴びせる。
俺の顔面が蜂の巣になった。
○○○
アルカナ教会附属高校は他の学校と違うところがたくさんある。まずは教師が少年一人のみ。この少年の名はサバキと言い、来歴など一切不明。本当に少年なのか。はたまた少年に見えるだけなのか。明らかにひ弱なのだが、欠勤は一度もない。怒ることもなく、いつも笑っているサバキは先生というよりも俺たちのマスコット的な存在だ。
次に生徒数。俺を含めて五人。赤毛のシャルロットは小さくて誰よりも喧嘩っ早い。俺はシャルロットの尻に敷かれてばかりである。物理的にも、精神的にも。
「おはようレントさん。今日も訓練頑張りましょう」
廊下を曲がるとレオナ・ストレングスと合流した。豊満な胸に金髪が映える美しい女の子だ。ぺったんこのシャルロットとは違い、もう大人の女性の雰囲気さえ出ている。いやでもシャルさんも可愛いですよ。
「シャルロットはいらなーい。きらーい」
レオナはシャルロットと仲が悪い。理由はわからないが、何かとレオナにシャルロットが突っかかる。それを面白がってレオナがシャルロットを焚き付けるからますます大変だ。
今も猫なで声でシャルロットを怒らせる。同学年にこんなことをいうのもあれだが、大人なんだから大目に見てやれないのか。
「私も嫌いよ。レオナ・ストレングス。話しかけないで金髪牛女。部屋で牛乳でも作ってれば?」
お前ら、仲良くしてくれ。
「相変わらずですね」
「相変わらずだな」
いつの間にか二人は俺の後ろにいた。
一人はテンペランス・パルシモーニア。青みがかった髪で、いつも眠たそうだ。テンペランスには何かと見透かされているような気がして、シャルロットとは違った意味で苦手である。
もう一人は聖 正義子。日輪出身の少女で黒い髪をくくり、瞳もまた吸い込まれるような黒をしている。その名前の通り正義感が強く、そして異能抜きにしても彼女にはかなわない。ほかの三人よりも考えがわかりやすいので、俺としてはとってもやり易いのだが、地雷を踏むと、シャルロットの蜂の巣がましだと思えるほどの拷問が始まる。
「止めないんですか?」
テンペランスが欠伸をしながら、シャルロットとレオナを指差す。すこしにやけているように見えるのは気のせいだろうか。
「今すぐにでも止めるべきだ。幸いお前の言うことなら聞くのだから、お前が止めるのが妥当だろう」
二人が俺の言うことをよく聞くと本当に思っているのなら、正義子の目は節穴だ。
まあ、止めにいくのだけれども。
「これから一緒に訓練するんだから仲良くしようぜ」
こういうとき仲裁にはいるのは俺。テンペランスが笑ってるのは気にしない。
「はいはい、じゃあ、レントさん。わ・た・し・と仲良くしましょう」
「ちょっ、やめろって」
そう言って俺の顔をレオナの胸にうずめてくる。シャルと違って豊満な双丘の間と間に顔が入ってしまった。苦しい。苦しい。気持ちいい。この先の苦しみに備えるため幸せを密かに噛み締めておく。
そして。
「こんのぉぉぉど変態がぁぁぁぁぁぁ」
シャルロットはレオナから俺を無理矢理引き離し、俺を組伏せる。まあ、いつものやつだ。もう慣れた……慣れていいのか。
いつも思うのだがなぜ俺に銃口が向いている? お前、レオナが嫌いなんじゃないの? それ以上に嫌いなの?ショックです。
俺の顔面は再び蜂の巣になった。
○○○
体育館ほどの広さの練習場は床も壁もすべてコンクリート製であり、叩きつけられたりするとひとたまりもない。ある意味実戦よりもきつい場所だ。
今日のチーム編成はレント、シャルロットVSレオナ、正義子、テンぺランス
いつも通り俺たちが普通の人間という前提で、殺す又は戦闘不能にして先に全滅させた方が勝ち、って俺1時間前と10分前に殺されてんだけど。味方のはずのシャルロットに。
「じゃあ行こうか、シャル」
「……」
同じチームなのに無視か。無視するシャルロットもこれはこれで可愛かったりする。
俺はレオナに剣を向け走り出す。消極的な動機だが、彼女が一番痛くない。
「いくぞっ」
「私ですか?」
まずは、腕を切り落として戦闘不能にっ!
レントは剣を降り下ろすが、軽く、つまむように片手で掴まれる。
「ですよねー」
レオナの能力はリミットブレイク。肉体の限界を超えた力を持つ。その力は岩をも砕き、音速を超えることさえある。
なので、そのまま俺は練習場の床に投げられた。
「がはっ」
俺、戦闘不能。
○○○
「まともに戦いなさいよ、正義子、テンぺ」
「やはり弱い人間に攻撃をするというのは気が引けるというか……」
「私の能力は攻撃向きではなく、防御向きですので」
六発の銃弾が正確に二人に向かうが、それを空中から突如現れたタイルが迎撃する。
シャルロットの能力は銃弾をコントロールし、正義子の能力はその目の中に物を出し入れすることができる。
「戦いなさいよ、まさよしこ!」
シャルロットが地雷を踏んだ。正義子は“せいぎこ”と呼ばれることを好み、逆に“まさよしこ”と呼ばれると血管がぶち切れるほどに怒り狂うのである。
「はあ! 私の名前は正義子だあああ」
拷問具、鉄の処女が出現し、シャルロットの前で開く。
「リリース・鉄の処女」
今度はシャルロットが蜂の巣になった。閉じた鉄の処女からは血が漏れる。
○○○
俺たちを含め、女神の信徒というものは、食べなくても死なないが空腹は訪れる。朝にも関わらず、全員好きなものを好きなだけ頼む。
シャルロットはショートケーキ、レオナは大盛りカレーライス、正義子はもりそば、テンペランスはバランス栄養食品、そして俺は、パンを頼んだ。パンは神の肉、積極的に摂るべきだ。
「また負けたね」
「うるさいうるさい。だいたいあんたの能力はなんなのよ」
また、はじまった。
「俺もわかんねえよ」
紋章があることは分かっているし、傷もすぐ治る。だが、能力がわからない。俺もみんなの役に立ちたいが、これでは足を引っ張るばかりだ。情けない。
「紋章は心臓なんですよね。じゃあ、ものすごい体力があるとか」
「でも、異能と呼べるほどではないですよね」
正義子とテンぺが失礼なことを言っているが、本当のことだ。
正義子は黒髪、エイジア人にしては鼻筋が通っている。一方、テンペランスは青みがかった髪でシャルロットよりも小柄だが、胸はわずかにシャルロットよりも大きい。
「もう俺行くからな、ってうわっ」
椅子の足に引っ掛かり、正義子に覆い被さって倒れる。正義子の黒髪、シャンプーのいい臭いがする。でも俺、どうやったらこんなこけ方をするんだよ。
「全く気を付けろよ」
正義子は少しだけ怒っていたが、そんなことよりも、麺に絡まる正義子はなんというか、卑猥、じゃなかった、魅惑的だ。
「ごめん、まさよしこ」
やってしまった。あー、終わった。終わった。俺いつもせいぎこって呼んでるよ。覆い被さって倒れるーーそんなことは正義子にとって大事ではない。正義子にとって大事なのは正義子か正義子か。それだけ。なんでだよ、こんなときだけ俺、まさよしこって言っちゃう? シャルもなんか怒ってるし、あーあもうどうにでもしてくれ。
「それが、あなたの能力かもしれないですよ。ふふっ」
テンぺの青みがかった髪と見下すような目が霞んでみえる。笑ってんじゃねえよ。
スマートフォンからかすかに警告音が聞こえた。あぁ、今日も授業なしか。
俺たちの目的は女神に仇なす、悪魔を駆逐することである。
○○○
フローリダ半島 マイアミース港 倉庫街
学校からすぐ近く、徒歩で行ける距離に港がある。
赤く錆びたコンテナが迷路状に入り組んで集団には不向きだ。だが、そんな地の利が無くとも火蟻が勝つ。
「はいっ! やーっ」
レオナのパンチが火蟻の顔に迫る。しかし、レオナが殴ったのは火蟻の前方、地面からはえたコンクリートの壁。
だが、レオナは轟音と共にその壁をそのまま破壊する。
「あぁ、そういえばこれくらいの壁は壊せるのか。じゃあ、ごめんね、かなり痛いよ」
火蟻の顔はかなり申し訳なさそうだ。
「叫喚・普声処」
レオナの周りを壁が囲み、箱のように閉じる。中からレオナの呻き声が響く。
「がああああああァ」
まずは一人。
「あれ、中どうなってるんですか」
隠れていた蛇がそっと火蟻に近づいてくる。
「あれは、中で、壁や地面から生えた杭が体を貫いているんだよ。痛そう。本当は閉じ込めるだけがいいんだけど、殴って壊されちゃかなわないからね。次、来るよ」
○○○
「リリース・鉄の処女」
突如現れた処刑具、鉄の処女が火蟻を飲み込む。
「不意打ちか。ひどいな」
火蟻が軽く蹴りを入れるだけで、鉄の処女は爆発する。
「貴様がレオナにしたことだ」
正義子がコンテナの陰から現れる。
「僕のは不意打ちじゃあないよ。まさよしこちゃん、だっけ」
「リリース・ファラリスの」
「そうはいかないよ」
正義子の攻撃は火蟻でも少し注意をする。あの中で群を抜いて強いのが正義子とテンペランスだ。
視界を塞ぐのと捕獲のために、正義子の周りに壁を包み込むように出現させる。だが、
「インストール」
正義子の目の前にある壁が正義子の目に吸い込まれるように消える。目の前の壁を目に入れたようだ。
「あぁ、そういう使い方もあるんだ。じゃあ、こうしようか」
火蟻は正義子の目を封じにかかる。
まず新しく壁を作る。
次に新しく生えた壁を眩しく光らせ、正義子が目を閉じる。その瞬間を狙い、壁から鎖がはえて正義子の顔に巻き付く。
「二人目」
火蟻の後ろでは鎖を剥がそうともがく正義子がいた。
○○○
「火蟻さんの能力ってなんなんですか。さっきから色んなことやってますけど」
傍らの蛇がそっと火蟻に話しかける。
「僕の能力は仕事量操作。足の紋章を通して仕事量の制御をするんだよ」
彼女は首をかしげる。
「どういうことですか」
「うーん、僕もよくわからないんだけど、足下に仕事をしてもらうみたいな感じ、かな。ごめん、説明難しい」
地面に仕事をしてもらう? じゃあ海に仕事をしてもらって凍ってもらう。地面に仕事をしてもらって壁になってもらうみたいな感じ?
「それって……」
「まぁ、万能だね。でも、目的は捕獲で殺生ではないから。これくらいじゃないと務まらないよ。それにしたって彼らは弱いよ。弱すぎる。殺さないようにするのが大変だ」
ひどい言いよう。彼らも異能者だし、蛇にしてみれば、なかなか強そうだった。でも火蟻が遊んでるのに対して(仕事のつもりなのだろうが)彼らは本気で殺しに来てたから、火蟻がそう言うのも無理ない。
「でも、なぜか、取り逃がしちゃうんだよね。だから、僕が少しでも変なことを言ったらさっき渡した斧で首をはねて」
その発言が変なことなんだと蛇は思う。首をはねてって。でもそれより彼女が気になるのは、こんなに強い火蟻が取り逃がすなんてことがあるのかと驚いた。
「首をはねることで新しい頭が生えてくる。それによって洗脳が解けるんだ。気持ち悪いけどね」
○○○
横からコンテナが飛んでくるが、見もせずに火蟻は壁で阻む。凄まじい音をたて、コンテナが潰れる。
「おっ来たね。僕は君とまさよしこちゃんがこの中では一番強いと思うんだけど、テンぺランスさん」
テンペランスの顔からは嫌悪感をにじみ出る。
「私の名前を呼ばないでください、赤鬼。あと、まさよしこって言うと怒られますよ」
「すごい形相だったよ。大丈夫、いつも通り殺してないよ。僕は殺生が嫌いだからね」
テンぺランスは手近にあったコンテナに触れる。すると、コンテナがテンペランスの手に吸い込まれるように見える。だが、あれは吸い込んでいるのではなくコンテナが縮んでいるのだ。
「君の能力は攻撃向きじゃないよね。ということはそれはフェイクでそっちが本命かな」
テンペランスの異能というのは物を手のひらサイズにする能力。火蟻の作った壁にも効果的だ。一方、超攻撃型なのは……。
後ろの銃弾を壁が阻む。
「何でわかったのよ、この変態触手野郎!」
後ろからシャルロットが地団駄を踏みならしながら現れる。もちろん言ってはいないがプンプンと聞こえそうだ。
しかし、変態触手野郎。火蟻は落ち込む。
「火蟻さんってそういう……」
コンテナの陰から蛇が話しかけてくる。違うんだって。この人には誤解されたくない。なぜだか、彼はそう思った。
「違うって、君がそう言うからわざわざ、縄を鎖にしてるんだよ。ただでさえ炎とか血の華とか使ってないんだから、我慢してよ」
シャルロットは地団駄を何度も何度も踏む。だが、火蟻が気にしているのは戦っている途中のシャルロットではなく、蛇に変態と思われているかどうかだ。もちろん蛇だって本気にしていないのだが、火蟻は気が気でない。
「うるさいうるさい変態。変態はレントだけで十分なんだぁー」
シャルロットは銃を乱射するがもう弾がない。すでに周りを火蟻の壁が囲んでいっている。
「させない」
テンぺランスが手のひらサイズのコンテナを四つ投げる。すると、手を離れた瞬間、コンテナのサイズがもとに戻り、巨大なコンテナ群が火蟻を襲う。だが、
「君は能力に頼りすぎだ」
飛んできたコンテナを鮮やかに蹴飛ばし、今度はテンぺランスを四つすべてのコンテナが襲う。テンぺランスは手のひらでコンテナを小さくしていくが、捌ききれない。
「うっ!」
そして二人を壁が囲んでいく。
○○○
「残り一人かな。レントくん」
火蟻はギロリと振り返る。レントにとってそれは悪魔の目だが、火蟻が考えていたのは早く終わらせて誤解を解きたいと思う気持ちのみ。
「あぁ、だが俺一人で十分だ」
レントは剣を構える。なんの特徴もない両刃剣だ。けれども彼は自分のことを勇者か何かと勘違いしているのだろうか。それとも本当に……。
「いい心意気だね。でも、心意気だけじゃ勝てないよ」
レントの周りを火蟻の壁が囲んでいく。楽勝だった。
「ふぅ、終わった。全員を船の積み荷に、ん?」
レントを囲む壁が爆発し、砂煙の中からボロボロのレントが再生しながら立ち上がる。
「そう、何度も何度も同じ手は食わないぞ」
この時点で運命の歯車が狂う。いや、もうすでに狂っていたのか。
「爆弾か。でももう持って無いでしょ」
「どうかな」
見え見えのハッタリ。火蟻は笑う。
「気に入ったよレントくん。もう少し頑張って」
普段の火蟻はこんなこと言わない。仕事は仕事。
復讐の時までは真面目に働く。
地面から現れた鎖がレントを襲う。レントはなんとか捌く。
「すごいじゃないか。全部捌ききるなんて」
「今度は俺の番だ」
レントが剣を構える。笑っていた火蟻が急に真顔になり、
「君の番なんて無いよ」
四肢をレントの後ろから出現した鎖が繋ぎ止め、地面に縫い付ける。
「でも、僕はとても気に入ったよレントくん。君には何かを感じる。今回は見逃そう。君が強くなった姿が見たい」
「何言ってるの?」
蛇は疑問を感じた。なんか変なこと言い出して仕事放棄してる。何かを感じる? 今回は見逃そう? 君が強くなった姿が見たい? なんだそれ。蛇と火蟻の一緒にいた時間は少ないが、それにしてもこんなこと言う人でないのはわかる。
これか。このタイミングで首をはねるのか、と蛇は斧を握りしめる。
「火蟻さん、えいっ」
火蟻の首が落ちる前に砂になった。
うげー、気持ち悪っ、とはさすがに蛇は言わない。だが断面がグチョグチョ言ってる。
「あんた何してんだ」
鎖に繋がれたレントが蛇に話しかける。蛇は信用できない変態とは口を利かない。
「よく、凝視できるな」
そう言いつつ、レントの刃は自分に向いているように見えた。
「……」
「ってか無視か」
しばらくすると、火蟻の首が生え変わった。だが、
「あぁ、ありがとう。でも、今回は彼らを見逃すと決めたから。精神干渉じゃなかったみたいだね」
本当にいいのだろうか、蛇は思う。
「じゃ行くよ。こっちは練習みたいなものだからね」
火蟻はものすごくやり遂げたような晴れやかな表情だ。仕事したーという感じだが実際は何もしていない。
「どこへ行くんですか? 」
だが、これが仕事だったのかもしれないと蛇は無理矢理言い聞かせ、
火蟻はレント達を残し、船へ向かう。
「メキシクス、イシュチェル遺跡」
○○○
そして、道中、火蟻は後悔に襲われる。
「また、やってしまった」