おっさんとお正月。
むくり。
起きる。
外はまだだいぶ暗い。
いつもなら寝なおすところだが、今日はこれで良いのだ。
俺は寝癖のついた黒髪をくしゃくしゃとかき混ぜつつノビを一つ。
「……さて、イサトさんを起こしにいくか」
ぼんやりとまだどこか眠気の滲んだ声で呟いて、俺は身だしなみを整える。
ことの始まりは今日――…というかもう昨夜の夕飯時のこと。
年末のバカ騒ぎに盛り上がる酒場の片隅で、イサトさんがふと言い出したのだ。
『秋良青年、唐突だが――…初日の出を見に行かないか』
『………初日の出?』
『そうそう、初日の出。それぐらい正月らしいことをしても良いだろう?』
『確かになー』
他に特に何か正月らしいことができるいうわけでもないのだ。
こちらでの年始年末というのは、それぞれ神殿にお参りして一年が無事に終わったことを女神に感謝し、そして迎える新年を祝うお祭りであるらしい。
それはそれで盛り上がって異国情緒を楽しんだわけなのだが……やはり和風の正月らしさを恋しく思う気持ちはあった。
そんなわけで、イサトさんのお誘いに乗った俺である。
異世界で迎える正月、グリフォンの背から眺める御来光というのもなかなかオツなものだろう。
顔を洗って外に出る支度を整えた俺は、欠伸をかみ殺しつつ部屋を出る。
イサトさん起きてるかー、と声をかけようとして。
「……?」
ぺたりとイサトさんの部屋のドアに貼り付けられた紙切れが目に入った。
『西門にて待つ 伊里』
…………。
なんだろう。
初日の出を見に行くつもりでいたけれど、実は決闘だったりしたんだろうか。
何かしたか俺。
思わず日頃の行いを振り返ってしまった。
まあ、西門で待っているというのなら、西門に向かうまでだ。
俺はイサトさんの部屋の前に貼られていた書置きをぺりっと引っぺがすと、懐にしまいつつ悠々と歩き出した。
新しい一年の始まりを祝い、盛り上がり、飲んだくれる人々の合間を縫って、西門へと訪れる。
「……む」
見てわかる辺りにはイサトさんの姿が見当たらない。
いったいどこに隠れているのか。
それともまだついていないのか。
……あんな貼り紙をしておいて、実はまだ部屋で寝てました、なんてオチだったならば笑えないが――…イサトさんならありえそうで怖い。
ちょっと周囲を探しにいくべきか、なんて思いつつ周囲を見渡していると……。
「秋良青年」
そっと、背後から声をかけられた。
やはりどこかに隠れていたらしい。
「イサトさん、いったいどこに」
隠れてたんだ、なんて。
言いかけた言葉が、そのまま喉で固まった。
少しだけ恥じらうような色を含んだ声に、何か期待のようなものがなかったと言ったら嘘になる。
けれど、このイサトさんという人は、そんな俺の期待を軽々と飛び越えていく人なのだ。
「……正月らしいことを、してみました」
褐色の頬がほんのり朱に染まっている。
照れ隠しのように俯いた頬に、一房残された銀色がさやりとかかる。
イサトさんは――…淡雪のような色合いの振袖に身を包んでいた。
夜明け前の夜闇に薄く光るような白い振袖の袖や裾のあたりには薄紅の花がはらはらと散っていて、淡く朱がかっている。ベージュがかった優しい桃色の帯は、まるで綻びかけた薔薇の蕾のように形作られている。俺が振袖と聞いて思い浮かべる色鮮やかさとは少し違ってはいたものの、それは呼吸すら忘れてしまいそうなほどに、綺麗だった。
もう、『綺麗』以外の言葉が出てこない。
珍しくアップにまとめられた銀髪を留めているのは、芍薬の花を模した大振りの髪飾りだ。花芯は鮮やかに赤く、外に向かうにつれて白く透けていく。花の付け根から下がる銀鎖が、月光をはじいてきらきらと煌めいている。
「……あの」
「…………」
「秋良青年」
「…………」
「……何か言ってくれないと非常にいたたまれない」
はっ。
気づいたらイサトさんに涙目で睨まれていた。
俺は相当長い間間抜け面を晒して硬直してしまっていたらしい。
小さく頭を左右に振って、一言。
「滅茶苦茶綺麗だ。なんかもう、それしか言えない」
「……そうか」
にへり。
嬉しそうにイサトさんの口許が緩んだ。
つんと澄ましていると侵しがたい美の化身めいているイサトさんであるけれども、そうやって笑っているととたんにそんな雰囲気が崩れて、可愛らしくなる。一生懸命緩みそうな口許をこらえようと唇をむにむにしている姿は、どこかちょっと少女めいて幼げですらある。
「さ、御来光を見に行こうか」
すっとイサトさんが俺に向かって手を差し出す。
「お伴致しましょう」
俺は恭しくその手を取って歩き出した。
グリフォンの背に乗って、薄群青の空に向かって飛び上がる。
本日のイサトさんは、着物姿故に横座りである。
油断するとするっと滑って落ちてしまいそうで、何故か背後から抱き支える俺の方が緊張してしまう。
「そんな捕まえなくても落ちないぞ、たぶん」
「そのたぶんが信用ならないんだ」
「……私の信用のなさが切ない」
「反省してください」
「はい」
いつもなら手綱を取る腕の間にイサトさんがいるだけなのだが、今日はなにぶんいつもよりも安定感に欠けている。左手で手綱を取りつつ、右腕は軽くイサトさんの腰に添わせておく。
これはこれで、せっかく綺麗な帯を崩してしまわないか緊張するし、粋な感じにすっと抜かれた襟元から覗くうなじに妙に鼓動が早くなる。鎮まれ俺の下心。
「でも、イサトさん、そんな着物いったいどこから手に入れたんだ?」
「作った」
「……はい?」
いともあっさりと言われてしまった。
「去年だったか。年始年末のイベントで男女共に着物が出ただろう?」
「ああ、あったな」
「あの時のレシピが残ってたんだ」
「なるほど」
毎年年始年末にかけてのイベントでは、和服を取り扱うことが多い。
俺も去年は着流し的なものを着ていたような気がする。おっさんは確か紋付き袴だったか。そんなイサトさんが、今はこんな綺麗な振袖姿を披露しているのだと思うと、なんだか奇妙な気がした。
「あ」
「ん?」
「秋良青年、日の出だ」
イサトさんの声に、視線を地平線へと向ける。
暗く闇に包まれていた地平線の縁に、赤々と朱金の光が滲み初めていた。次第に光が強くなり、太陽が姿を現していく。
「綺麗だな」
そう呟いて俺を振り仰いだイサトさんの横顔も、白々とした朝日に照らされている。その口許に浮かんだ柔らかな微笑みに、はっと息が詰まった。長い睫が目元に影を落とし、金色の瞳が光を弾いてきらきらと輝いている。
「……ああ、綺麗だ」
本当に、綺麗だ。
イサトさんが、こてんと軽く俺の方へと体重を傾ける。
「あけましておめでとう、秋良青年」
「あけましておめでとう、イサトさん」
二人してしみじみと新年の挨拶を交わしあう。
「今年も、大量に迷惑をかけるつもりなので――…よろしくお願い致します」
「……そこは自重しよう?」
「楽しみにしておいてくれ」
「なあ、自重しよう?」
くふふ、と楽しそうにイサトさんが笑う。
どうやら、俺は今年もイサトさんに全力で振り回されることになりそうだ。
今年も、心を強く持とう。
ちなみに。
グリフォンによる遊覧飛行を終えてセントラリアの西門近くに戻って。
「あ」
「どうした?」
「帯が解けた……気がする」
「え」
――え。
見る。
咲きかけの蕾のようだった帯がはらはらと散るかのように崩れていく。
それと同時に着物の袷がゆるりと緩み――…
「わーわーわー!!!!」
俺は慌てて帯ごとイサトさんの腰をひっ抱えて宿屋に向けて走り出したのだった。合掌。
あけましておめでとうござます。
今年もよろしくお願い致します。
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