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髪飾り

作者: ぺたぴとん

 フクロウが鳴く夜の中、街の一画に小さな煉瓦造りの家が一軒あった。真夜中ということもあり他の家々は灯りが無く、誰もが寝静まっていた。しかしその家のみ灯りがついている。

 そして大きな音ではないものの何やらごそごそと探るような音が暗闇の中に微かに響いていた。泥棒ではない、家人が物を探す音であった。

 灯りの中を一人の若者が何かを探している。傍には老いた女性が若者と同じく何かを探していた。

 探していた若者だが落ち込んだように一つ、大きく息を吐くと老婆に悲しげな瞳を向けて呟く。

「婆ちゃんの大切にしていた髪飾り、どこにも無かったよ。あちらこちら探してみたけれど、とんと見当たらない」

「そうかい、留守中に盗人にでも押し入られたのかね」

 若者の言葉に老婆は悲しそうな声を返した。

 老婆の大切にしていた髪飾り、それは彼女の夫が結婚の祝いにと贈ったものである。その夫は既に亡くなっている。いわば形見の品というものだった。

 部屋の中に重い空気が立ち込め、時計の時を刻む音が妙に大きく耳朶を打つ。

 その空気を破るように、老婆が若者へと優しげな笑みを向けた。

「気にしなさんな。あんたも十分探してくれたんだ、これで無いのなら仕方がない」

「けれども」

「いいんだよ。そりゃ、あの髪飾りが無くなったことは悲しいけどね。もし家の中にあるならきっとひょっこり出てくるだろうよ。そうでないなら出来れば新しい持ち主がその髪飾りを大切にしてくれればいいんだよ」

 若者は再び黙り込む。

 老婆はやれやれと言った様子で足取り遅く部屋のドアへと向かった。ノブに手をかけた老婆は立ち止まり、若者の方へと振り返ると優しげな声音で言う。

「もう夜も遅い。早く寝なさい。探すのを手伝ってくれてありがとうね」

 そう言い残すと、老婆は部屋を出た。扉が閉まる音が物音一つしない部屋の中に大きく響く。

 部屋には一人、若者だけが残された。老婆はあのように言ったものの、若者は彼女の髪飾りへの思い入れを考えるとただただ辛い面持ちになっていくのだった。



 昼時、若者は賑わう街の通りを歩いていた。今は昼休みの時間、昼飯を食べようといつも通う食堂へと向かっていた。

 時刻は昼時である。通りには香ばしい匂いや客引きの声が響いている。中には路上で何かしらの技を見せる者がおり、それを人々は歩きながら、はたまた足を止めて見ていた。

 髪飾りが無くなってから随分と時間は経った。

 若者が横目で通りの端を見る。彼の視線の先には装飾品店があった。若者はじっと店を見ていたが、諦めたように視線をそらす。

 あの後、盗人がどこかの店に売ったのではないかと考えた若者は装飾品を扱っている店を見て回った。しかし、どこにも老婆の大切にしていた髪飾りは無い。

 冷静になって考えてみれば、盗人がすぐさまこの街の店に売るという確証は無い。もしかしたら別の街かもしれないし、最悪捨てているかもしれないのだ。

 しかし若者は諦めきれなかった。老婆がその髪飾りをどれほど大切にしていたか知っていたが故に、諦めるということができなかった。

 それでも時間が経てば経つ程希望は薄れ、今では店の前を通る時に確認する程度となっていた。

 歩いていた若者だが、通りに面したある食堂に入った。仕事の疲れが感じさせるような顔で暖簾をくぐり、扉を開ける。

「いらっしゃい。いつものかい?」 

 机の上に置かれていた食器を片付けていた女性は若者へ顔を向けると、笑顔と共に明るい声を若者へとかける。若者も小さく笑みを浮かべて頷いた。

「あぁ、いつもの定食で頼むよ」

「あいよ」

 若者の注文に女性は威勢よく答えると、食器と共に厨房へと引っ込む。若者は入口近く、定位置となった席へと座った。

 食堂の中は若者と同じく昼飯でも食べに来た客がそこそこ入っており仲間と喋る人もいれば黙って食う人、そして雑誌を読みながら料理を待つ人と様々である。

 店の中にはとんかつのソースの匂いや味噌汁の匂いが漂い、空かせた腹を更に刺激していた。

 若者が昼休み後の仕事についてぼんやりと考えていると、先程の女性が定食を持ってやってくる。今日の定食はどうやらとんかつらしい。きつね色に揚げられたとんかつの上にはソースがかけられ、傍にある味噌汁とご飯からは暖かそうに湯気が出ていた。

 女性は水の入った透明なコップを置くと、ごゆっくりと言って奥へと下がる。

 若者は割りばしを手に取り、空いた腹に昼飯をおさめ始めた。

 とんかつの衣は丁度良く揚げられているためか、噛むと何とも食欲をそそる音がする。角切りの豆腐とわかめ、そしてねぎが入った味噌汁は飲もうとお椀を顔に近づけると味噌の良い香りが鼻をくすぐる。

 程よい固さのご飯はそのまま食べてもいいが、上にソースのかかったとんかつを乗せて頬張るとますます美味しい。

 思わず笑みがこぼれてしまいそうになりながら、若者は昼飯を終える。手を合わせ、小さくごちそうさまと言うと会計へと向かった。

 定食の代金を女性へと渡す若者に、女性は代金を受け取る。

「そういえば、近くの小さな装飾店を知っているかい?」

「小さな装飾店?」

 代金を受け取った女性の言葉に若者は木霊のように返す。

「この店の近くに細い通りがあるのだけれど、その通りを少し行った先にあるんだよ。中々品揃えが良くて時たま利用するのだけれど、この前あるものを見つけてね」

「あるもの、というと?」

「髪飾りだよ。それだけ値札がついていないから不思議に思って、手に取ってもいいか聞いてみて見たのだけれどね。あんた、前私にお婆さんの髪飾りについて教えてくれただろう?」

「そういえば、そうだった」

 若者は以前、女性に老婆の大切にしている髪飾りについて教えていた。

 しかしなぜ女性がその話をここでするのか。若者はまさかと少し目を見開いて、女性を見た。

「あんたが前に言った髪飾りの特徴にその髪飾りが似ていてね。こりゃそっくりだと驚いたもんだよ。文字が書かれてあったし、よく似ていた」

「すみません、ちょっと失礼します」

「おや、そうかい。それじゃまたね」

 女性の言葉を聞いた瞬間、若者はそう言うと出口へと向かう。女性はそんな若者に手を振り言葉をかけると、自分の仕事へと戻った。



 裏路地ほどではないが細い通りには辛うじて陽の光が差し込んでいる。近道なのか時々忙しそうなスーツを着た人とすれ違った。

 その通りを若者は駆け足で突き進んでいた。

 動悸が激しい。もしかしたらという期待が自分の足を急がせる。心臓の鼓動が感じ取れる程強い。今まで探していた物がもしかしたら、そう思うと徐々に速さを上げる足を止めることはできなかった。

 しばらく歩いていると通りの右手にぽつんと一軒の小さな店が建っていた。どこかくすんだような煉瓦造りと渋味が出た木製の扉といい、店の名前しか書かれていない古ぼけた看板といい、通りにある洒落た装飾品店とは異なっていた。店の名前も装飾品とは関わりのない名前である。食堂の女性にそうだと言われなければ、装飾品店だと思いもしないだろう。

 一瞬、あの女性が言ったことは本当であろうかと若者は考えたがその考えを振り払うように小さく頭を横に振る。そしてその古ぼけた扉を開けた。

 木が軋む音と共に小さく来客を告げる鐘が鳴る。若者は中を見て再び立ち止まった。

 店内を照らす天井の灯りはどこか温かみを感じるようで、店内に流れる控えめなクラシックと共に雰囲気を作り上げていた。

 両脇には棚が設けられており、ブローチや首飾りなどが値札と共に並べられている。そして店主であろう女性の前にはガラス張りのケースに灯りを受けて様々に輝く装飾品がさりげなく主張していた。

「いらっしゃいませ」

 女性は静かに笑みと共にそう告げると、視線を目の前の装飾品に視線を移す。それは我が子をいつくしむような優しい瞳だった。

 空気に呑まれていた若者だったが、女性の言葉で我に返ると目的の品を探す。右の棚、左の棚、そして目の前のガラス張りのケースに目を向ける。

「あ……」

 思わず小さい声が漏れた。若者の視線の先には一つの碧を基調とした髪飾り。添えられている小さな白と黄色の花が可愛らしい。

 その髪飾りには他の装飾品と異なり値札が張られていなかった。非売品、ということである。

「すみません。その髪飾りを見せてもらってもよろしいでしょうか」

「いいですよ」

 女性はそう言うとケースから髪飾りを取り出し若者に渡す。

 似ている。老婆の大切にしていた髪飾りに色も特徴も。そして、髪飾りに書かれている小さな文字を見た若者は確信した。間違いない、これは老婆の髪飾りだと。髪飾りに書かれた言葉を見て思わず小さな笑みが漏れた。

 しかしこの髪飾りは現在この店のものであり、加えて非売品だ。

「すみません、この髪飾りはどこに?」

「それは結構前にある男性が置いていったものです。非売品にしたのは、まぁ、その髪飾りに書かれてある言葉が原因ですかね」

 女性は優し気な瞳で髪飾りを見ながら話す。若者は女性に話を切り出した。

「この髪飾りが非売品とはわかっていますが、どうか譲っていただけないでしょうか。いえ、無理なお願いとはわかっているのですが」

「構いませんよ」

 若者の話を切るように女性が言う。若者は一瞬呆けたような顔を浮かべ、女性へとその顔を向けた。

「よろしいのですか」

「構いません。以前いらっしゃった女性の方がそのようなことを話しておりまして、いずれ来るだろうとは思っていましたし。先程のあなたの表情はこの髪飾りが綺麗だから欲しいというものではありませんでした。それに何より」

 女性は一旦言葉を打ち切り、若者に微笑みを向ける。

「そこに書かれた文字をあのように優しげな顔で見るのです。そのような顔を見たならば女性が仰っていた方だと思うのですよ」

「……ありがとうございます」

 若者は女性に深々と一礼した。上げられたその顔は嬉しさによって泣きそうで、しかし嬉しそうであった。 

 そして彼は両手で髪飾りを大切に握っている。それはもう、大切そうに。



「婆ちゃん、いるかい」

 仕事を終えた若者はどこにも寄らず家へと帰ると、老婆の姿を探した。台所から良い匂いが漂ってくる、おそらく晩御飯の仕度をしているのだろう。

 そう考えた若者は台所へと向かう。そこには鍋に火をかけ、具材を切る老婆の姿があった。

「どうしたんだい」

「婆ちゃん、これを見てくれ。見てくれよ」

 嬉しそうな顔の若者を何かあったのかと不思議そうな顔で見る老婆に、若者は近づきながらポケットから取り出したものを見せる。

 若者の手のひらの上には灯りを受けて碧色に煌めく髪飾りがあった。

 老婆は包丁を置き、その髪飾りを信じられないといった様子で見る。髪飾りへと差し出された老婆の手に、若者はそっと髪飾りを渡した。

 老婆は目を見開いて髪飾りを見る。もう戻ってこないと思っていた髪飾りに似たものが以前見たままの姿で今、自分の手のひらの上にある。

 若者にはああは言ったものの、本当は悲しかった。それでも若者に心配をかけたくはなかった。

 碧色に添えられた白と黄色の小さな花が灯りを受けて仄かに光る。もしかしたら似ているだけかもしれない、若者が自分を気遣ってよく似たものを買ったのかもしれない。たとえそうだとしても、その気持ちが嬉しい。

「婆ちゃん、裏返してみなよ」

 若者はそんな老婆の心情を知ってか優しげな声音でそう言った。

 老婆はゆっくりとその言葉通りに髪飾りを裏返した。その目に映るのは髪飾りに書かれていた小さな小さな文字である。年老いて良く見えないはずのその目は、なぜかしっかりとその文字を読みとった。

 途端、老婆の目からは涙があふれる。しっかりと両手でその髪飾りを握り、床に膝をついた。髪飾りを胸に抱き、嬉し涙を流す老婆を見る若者の目はもらい泣きか少し潤んでいる。

「ありがとう、ありがとう。お帰りなさい」

「良かったね、婆ちゃん」

 老婆はただそう呟いた。老婆の目からこぼれる涙は床へと落ちる。若者はそんな老婆の背を優しげに擦った。

 手のひらを開くとそこには碧の髪飾り。その髪飾りを確認するように、涙で視界がぼやける目でずっと老婆は見つめる。

 髪飾りに描かれた文字の上に老婆の喜びの涙が一滴、ぽたりと落ちた。



『生涯を添い遂げると誓おう 妻へと』

 

 

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