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雪山山荘:Q5友達の時間

 斉賀が気付いた所で、止められない。

 台所にいた太郎とユウ、リビングにいた斉賀では距離があった。数秒の遅れ、そして駆け出した時には間に合わない現実。

 伸ばした手は、太郎へ包丁を突き刺すユウの身体に届かなかった。

 太郎が浮かべる驚愕。深々と突き刺さる包丁、貫く感触が徐々に実感として伝わり沸騰していた怒りが急速に冷却され、我に返ったユウは包丁から手を離し、取り返しのつかない事実に顔を覆う。


「――ま、仕方ないか」


 太郎がその場に倒れる。 


「ユウの馬鹿っ」


 斉賀はユウを無視して太郎の元へ駆け寄る。包丁の刺さった隙間から抑えきれない血が流れる。


「あぁ……あぁ。わる、わるい」


 混乱したユウが、包丁を抜こうと手を伸ばしたのを斉賀が払う。

 拒絶されたと思ったユウの顔色が絶望に広がる。


「馬鹿! 包丁を抜いたら死ぬ確率が上がるに決まっているだろ!」

「あっああ、そ、そっか」


 思考が回らない。太郎の苦しそうな表情が、目に焼き付いて離れない。


「ユウ!」

「……あぁ」

「ユウ! 綺麗な布を持ってきて、応急処置をするから!」

「わかった」


 ユウは指示に従い風呂場から大量の布を持ってくると斉賀がひったくるように受け取り、手早く包丁の回りに布を巻く。

 切羽詰まった斉賀の表情を、苦しそうにする太郎の顔を、ユウはただ眺めることしかできなかった。

 包丁で突き刺した感覚が蘇る。殺すつもりはなかった。

 ただ、エリカの無念を思ったら我を忘れて原因の太郎を突き刺していた。

 現実に視界が真っ暗になる。


「病院で手術をしてもらう必要がある。救急車をよんでまつより病院へ直接運んだほうが早い。僕は車の運転ができるようにする。ユウは太郎を運んで!」


 真っ暗な視界を現実に引き戻したのは、斉賀の声だ。


「あ、あぁわかった」


 ユウの方が運転の腕前は上だが、放心状態のユウでは危ないと斉賀は判断する。

 太郎の車のキーを取り出して玄関へ駆け出す。

 幸い、猛吹雪の荒れは収まり始め雪は降り続くものの先を見ることはできた。これからば免許取り立ての自分でも運転はできると安堵する。

 後頭部席に太郎とユウがすわり、ユウの膝の上に太郎の頭を乗せる。

 斉賀が急ぎつつも身長が違う太郎に合わせるため運転席の位置とミラーをずらし、アクセルを踏む。

 山荘までの道路を運転で疾走する。何度かスリップしそうになったが、斉賀がスピードを緩めるのをやめなかった。やがて、公道に出る。

 ユウは荒々しい――それ以上に、免許を取得できたのが奇跡と思える運転技術に顔を引きつらせる。

 赤信号でブレーキとアクセルを間違えて踏んでも被害がなかったのは、車と歩行者自転車が誰もいなかったからだ。

 右折と左折がものすごく危険でも大丈夫だったのは、道路が広かったからだ。

 アクセルを強く踏み過ぎて高速道路並みの速度になっても無事だったのは、車通りが少なく、直線が多かったからだ。

 様々な幸運に恵まれ、病院に辿り着く前に自滅するという危険性を回避した。



 病院へ駈け込むとすぐさまユウの手術が行われた。ユウは手術室の前で、椅子に座りなが祈る。


「……タロー。死なないでよ。皆――僕なんかよりずっといい子なんだから、大好きなんだから」


 掠れる呟きを最後に、しばらくの間無言が続く。

 無言を打ち消したのは、此方へ近づいてくる足音だった。手術室の前へ、二人のスーツを着た人物が現れた。


「警察……か?」

「吉原エリカはいるか?」

「へ? あいや……」


 てっきり包丁で刺した自分を逮捕しに来たのだろうと思ったユウは予想外の言葉に思考が停止する。エリカが死んだことは、山崎太郎が刺されたことによってまだ告げていない。なのに、何故刑事がエリカに用があるのかがわからなかった。

 理解出来なかった栗林とは対照的に、その一言で斉賀は全てを理解してしまったようで顔を真っ青に変える。


「ちょっと――まさか、エリカ……」

「吉原エリカの行方を知らないか?」


 再度刑事が問う。


「エリカの居所を教える前に、一つ訪ねさせて。エリカは――山田希美を殺したんだね」


 斉賀が導き出した真実に笑いたくなった。悲しみが心を多い、荒波を立てるばかりだからいっそのこと笑って全てを吹き飛ばしてしまいたい。

 おかしくて、おかしくて、おかしくて――涙が出る。


「そうだ。で、吉原エリカは」

「此処にはいませんよ。エリカは、自殺しました」

「なんだと」


 警察が驚愕する。どの驚きを横に、斉賀は手のひらで顔を覆う。


「僕は勘違いしていた。エリカは、希美さんを殺したから、死んだんだ。死ねば刑務所へ送られることはなく、被疑者死亡で書類送検されるだけだ」

「……けど」


 ユウは何か言葉をかけようと思ったが、何も思いつかない。


「命を使って復讐を企んだわけではなく、希美さんと太郎が結婚するのが許せなかったから、殺したんだ。けど、捕まることだけは避けたかった。エリカのプライドが許さなかった、だから自殺して、復讐もした」


 太郎は婚約者である希美と連絡がつかないのは、希美が約束を破ってエリカたちと遊ぶことを優先したことにたいして怒っているものだと思っていたが、実際は違った。希美が殺されていたから連絡が取れなかったのだ。

 エリカが、リビングでテレビを見させないように動いたのは恐らく、万が一にでもニュースで希美の死を報道していたら困るからだろう。

 斉賀が詳細を告げ、死体は警察にまだ通報していないから別荘にあると告げた。

 そしてユウは、太郎を刺したことを自首した。

 斉賀は後々事情聴取を受けることを承諾し、ユウは警察と一緒にいなくなった。

 壁を背もたれに斉賀は座り込む。

 太郎の手術が終わり、執刀医に駆け寄ると無事に成功したことを告げられ安堵する。


「良かった。助かったよ……」


 安堵して椅子に座り込んだとき、表情が強張る。

 何かが違う。何かがおかしいと違和感が脳内に宿ってこびりついた。

 警鐘を鳴らす音はどんどん巨大になっていく。

 固まったはずのピースが、音を立てて崩れていく音が、確かに聞こえた。


「違う」


 思案する。違和感を見つけ出す。

 見つけたとき、斉賀は腹を抱えて笑った。


「ははははっ! あはははははっははっ」


 突然狂ったように笑い出す。

 斉賀の瞳は、涙をこぼしていないのが不思議なほどに泣いていた。


「馬鹿か、僕は!」


 病院である事実を忘れて斉賀は笑う。

 笑うしかなかった。


「僕は間違っていた」



◇◇◇

 ――エリカは、タローを愛していて同時に恨んでいた。だから復讐をしようとは思った。けど、エリカが望んでいた復讐は、太郎に殴られることだったんだ。犯人にしようと思うことではなかった。


 街灯の少ない夜道を斉賀は歩く。


 ――エリカは、例え殺人に偽装しても真相を僕に見破られることくらいわかっていたはずだ。吉川線を知っていたとしても、僕は自殺だと見破ったに違いない。なら、殺人へ偽装するのは、ただの僕が太郎とエリカが付き合っていた事実を知るための時間稼ぎ、違和感を覚えさせるだけの手段だったんだ。


 誰もいない。静寂な夜。満月が照らし、雪が降り積もる。

 斉賀を白く染め上げていく。


 ――エリカが自殺したのは希美を殺したからだ。そして、太郎がふったからだと知れば、ユウは一発太郎を殴る。

 ――それで終わりの、小さな復讐だったんだ。


 元恋人である事実だけを斉賀に告げたかった。

 事故のことを隠蔽しようとしたわけではなく、ただエリカは知らなかった。


――エリカは、太郎がひき逃げ犯だとは知らなかった。気付いていなかった。

 

 黒い車にひき逃げされたと思っているエリカが、青の車が怪しいと気づくことはなかった。仮に気付いたところでひき逃げ犯が太郎だと疑うことはなかっただろう、疑ったのは目ざいと斉賀だけだった。

 斉賀は、忘れていた。

 いや、常に理解しているのに、理解ができない。

 自分が理解していることは他人も理解していると勘違いしてしまう。

 だから、エリカも、太郎がひき逃げ犯だと気づいていると間違えた。知っていると思い込んでしまった。


 ――エリカが望んだことは太郎が一発殴られて終わりの、それだけのことだった。

 ――けれど僕は捻じ曲げた。余計なことまで公言してしまった。だから、ユウは包丁で太郎を刺してしまった。

 ――エリカのことだ、いや僕らの友達のことだ。ひき逃げ犯だと太郎が知っていれば、ユウが殴るだけで済まない、かっとすれば何をするかわからないユウのことを熟知していたエリカが、殴る以上の可能性を考慮しないわけがない。


 間違えていた。

 全て間違えていた。

 エリカの自殺を見抜いた時点で、後のことは警察に任せるべきだった。

 何も言わず、口を紡げばよかった。


 ――復讐という言葉は重く見えるが、違う。お茶目なものだった。僕が太郎とエリカが付き合っていたことを解明して、ユウが一発殴って、それで終わりという復讐を、死ぬから、最期にやりたかっただけだったんだ。エリカは、そうしたかっただけだ。

 

 事実が心にしみこんでくる。気付いたつもりで、何も気付けていなかった。


「何故、僕はそんなこともわからなかったんだ! 一人、事態をひっかきまわして悪化させただけだ。僕は、何年エリカと、タローと、ユウと友達だったんだよ!」


 唇が切れるほど歯で噛みしめる。血の味が広がる。

 広がった血を味わうように口内を満たし、空を見上げる。街灯の少ない、薄暗い世界に輝く星々は眩しい。


「だから、僕は」




◇エピローグ◇


 深夜の病室は物音ひとつしない。うっすらと目を覚ました山崎太郎は、自分の置かれている状態をすぐに理解した。麻酔が効いているのか、痛みは殆どない。刺されたのは腹部だから首は無事だと判断して、首を動かして視線を窓側へ移動させると、カーテンが揺れていた。

 冬の夜中に窓を開けたままとは考えられない。閉め忘れもないだろう。疑問を抱くと、うすらぼけた視界の中で動く物体があった。それが近づいてくる。誰だか、眼鏡をかけていなくても太郎は判断出来た。


「斉賀」


 斉賀実は悲しげな笑みを浮かべていた。ただ一人、罪を犯さずに終わった友達――否、もう斉賀は自分のことを友達と思っていないだろう、と太郎は思う。

 恋愛の縺れはともかく、ひき逃げをしたことは許されないことだ。

 ユウに刺されたことも自業自得だと思っているが、関係を修復するのは無理だろうと思うと、自分が招いたことが酷く愚かで取り返しのつかない大馬鹿をやらかしてしまったと実感出来て自嘲する。


「タロー」

「……どうして、ここに……」

「僕が運動神経もいいことは知っているでしょ」

「……そう、いう……問題、でもないだろ」

「まぁ細かいことは気にしない気にしない。僕さーエリカも、タローも、ユウも好きなんだ。エリカが望んだ結末は、タローがユウに一発殴られることだった。けど、僕がそれを捻じ曲げちゃったんだ。明らかにする必要のない真相まで突き止めて。……ごめんね」


 友達に対して、斉賀は謝る。


「今の状況はエリカが望んでいない未来だ。タローもユウも未来を一つ失った。僕が壊した。だから、僕は」

「斉賀……」

「タローやユウが、つらいなら――生きているのがつらいなら、僕が殺してあげるから」


 斉賀が流した透明な雫が、太郎の額に落ちた。


「そんなことしたら、お前まで犯罪者になるぞ」

「僕だけ仲間はずれって酷くない? 友達なのに」

「なんだよそれ」


 ははっと太郎は笑う。斉賀が握る銀色に輝くそれへ視線を向ける。


「別にいいんだよ。僕にとって大切なのは、友達だから」

「……まだ、俺を友達だと思うか?」

「当たり前でしょ。だから――君の望みをいって」


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