第六話:薄幸の少女(前編)
前園るか(まえぞのるか)。そう書かれたドアの前に日野一馬は立っていた。
「まったく……円社長も無茶言うよなぁ」
そう。一馬はドリームカンパニーのエージェントとしてミッションを受けた。内容を紹介しよう。
『大山市民病院三〇ニ号室に入院している前園るかの願いを叶えよ』
正直気が重い。前園るか。十歳の少女で残り一ヶ月の命らしい。
「こんな子の願いなんて一つしかないじゃないか……」
おそらく生きたいという願いだろう。当然ながら一馬に医学知識なんてあるわけが無い。
「まぁここで立ち止まってもしょうがないな」
コンコン。
「はぁいどうぞ〜」
中から声がする。おそらくこの声の主がるかという子だろう。
「入るよ」
病室には余命一ヶ月とは思えないほど元気な少女がベッドに座っていた。
「こんにちは。るかちゃんだね?」
出来るだけ優しい口調で話しかける。
「うん! そうだよ? おじさんだぁれ?」
「おじさんじゃなくてお兄さんだよ?」
一馬は笑っていたが目は笑っていなかった。
「お……お兄さん」
「よく出来ました」
一馬は満面の笑みで答えた。そこにはやりとげた男の顔があった。
「お兄さんは……」
一馬はためらった。さすがに天使なんて言っても信じてもらえないだろう。
「だぁれ?」
るかが少し怪訝そうに尋ねる。
「て……天使なんだ!」
結局何も思い浮かばなかった。自分のボキャブラリーの少なさには泣けてくる。
「ほんとに天使さんなの!? うれしい!」
るかは素直に喜んだ。一馬は昇が現れた時の自分の疑り深さに少し心が痛んだ。まぁあの時は昇のやり方にも問題があったのだが。
「お兄さんはるかちゃんの願い事を叶えに来たんだよ」
るかはびっくりしたように目を見開いた。
「ほんとに?」
「本当だよ。なんでも言ってごらん? でも一つだけだよ」
一馬はそう言いながらも難しい願いが来ない事を祈っていた。
「えっと、るかのお願いは……」
一馬は唾を飲み込んだ。るかはもじもじしながら願いを言う。
「るかね、お兄さんに友達になってほしいの……」
一馬は予想外の願いに若干拍子抜けした。
「友達?」
「うん!」
脳内辞書をパラパラとめくってみる。
――友達=フレンズ――
この辺りからも一馬の単語の少なさが伺える。
「このミッションもらった!」
一馬は、るかに見えないようガッツポーズをした。
「だめ……かな?」
るかは不安そうに一馬を上目遣いに見る。
「ハッハッハッ。全然ノープロブレムさマイフレンズ」
一馬はうれしさで変な外人になっていた。
「やったぁ! よろしくね。えっとぉ」
「一馬だ」
「よろしく! 一馬お兄ちゃん!」
「でも何で友達が欲しいっていう願いなの? 見た感じ友達沢山いそうだけど」
一馬の意見はもっともだった。るかは、ショートヘアのよく似合う将来絶対美人になるであろう顔立ちに元気で明るい女の子だった。
「あのね、るかね、今までずっと、ずぅっとここにいるの」
ここと言うのは病院のことだろう。
「学校も言ったこと無いから」
るかの表情が曇っていくのに気がついた。
「でもこれからはお兄さんが友達だよ、るかちゃん」
一馬が精一杯のフォローをいれるとるかの顔が一気に綻んだ。
「うん! ねぇ一馬お兄ちゃん、友達ってどんなことするの?」
「うーん。そうだなぁ……」
一馬は頭をフル回転させた。
――カラカラカラカラ――
景気の悪い音しかしなかったがそこは年の功。
「一緒に喋ったり、遊んだりかな?」
結局この程度の答えしか出てこなかった。
「例えば?」
るかが目をキラキラさせて聞いてくる。よほど新鮮なのだろう。
「た、例えば動物園とか遊園地とか」
「るか行ってみたい!」
屈託の無い笑顔を向けて来る。一馬に断れる訳もなく……。
「ハッハッハッ。お兄様に任せなさい!」
「やったぁ! 約束だよ?」
るかは小さな小指を差し出す。一馬の小指はこの小さな小指に絡められた。その日一馬は早速るかの主治医に掛け合ってみた。
「前園さんは順調に回復に向かっていますので、三週間後の日曜とその次の週の日曜に外出許可を出しましょう」
主治医の返事は明るかった。すでに面会時間を過ぎていたのでその日はそのまま帰り次の日にるかに報告する事にした。
「ご機嫌そうですね」
天上界に戻るやいなや昇が声を掛けてきた。
「分かる? 俺のミッション楽そうだぜ」
「そうなんですか?」
「まぁ見てなって。軽くこなしてやるからさ」
「楽しみにしてますよ……こっちはなかなか上手くいきそうにないので困ってますがね」
「なんなら手伝おうか?」
「いえ、結構です。随分余裕ですね? 失敗しなければいいのですが」
「大丈夫大丈夫」
「まぁ手助けは不要です。一馬は初ミッションに集中して下さい」
「じゃあ俺は明日も地上に行くからもう寝るわ」
「ええ……おやすみなさい」
一馬は昇と別れて自分の割り当てられた部屋へと戻った。そして次の日。
コンコン――。
「はぁい、どうぞ〜」
「おはよう、るかちゃん」
昨日の報告をするために面会時間になったらすぐにるかの病室を訪れてしまった。
「一馬お兄ちゃん! 良かった」
「何がだい?」
「昨日のことが夢だったらどうしようって思って」
「どれも現実だよ」
一馬はお見舞いの果物詰め合わせをベッドの横に置き、そばの椅子に腰掛けた。
「現実ついでにうれしい報告だよ、るかちゃん」
「何?」
期待で胸をふくらませたるかが一馬を一直線に見る。
「外出許可がおりたよ。三週間後の日曜とその次の日曜だ」
「やったぁ! 許可おりなかったらって不安だったんだぁ」
「良かったね、るかちゃん」
「うん!」
一馬には眩しすぎる笑顔で、るかは脇にあったクマのぬいぐるみに話しかける。
「やったよ! 久しぶりにお外に遊びにいけるんだよ!」
「そこでだ。どこ行きたい?」
「えっとね……動物園!」
「よし、じゃあ動物園に行こう」
「あ、でも遊園地も行きたいな……」
うんうん悩むるかに、一馬は一つ提案した。
「それなら動物園に行った後、次の日曜に遊園地に行こう」
「いいの? 彼女とか約束してるんじゃないの?」
一馬は病室の隅でいじけていた。
「どうせ……どうせ……ぐすっ」
「そっか、いないんだぁ」
るかは笑いながら一馬にトドメを刺す。
「ぐはぁ! お世話になりました」
一馬は寂しそうに病室を出ようとする。
「嘘だよ嘘、一馬お兄ちゃんがいいならそうしよ?」
「よし、それなら再来週の日曜に動物園な」
るかの頭をなでながら言った。
「うん! 一馬お兄ちゃん次いつこれそう?」
「俺は天使だぜ? 毎日大丈夫さ」
「ほんとに? やったぁ!」
こうして一馬は毎日見舞いに来る事となった。それから一週間が経つ頃にはお互いがかなり仲良くなっていた。いろいろ話して分かったのだが、どうやらるかの両親は、るかの手術代を稼ぐために海外に出稼ぎに出ているらしい。かなりるかは寂しい思いをしたみたいだが……。
「今は一馬お兄ちゃんがいるから寂しくないよ?」
ミッションの為だけに来ていた一馬の心に深く刺さった。それ以来、るかを本当の妹のように可愛がっていた。そんなある日――。
「るかちゃん、何作ってるの?」
「えへへ……秘密だよ」
見てみると何やら熱心に紙に寸法を書いていた。
「楽しみにしててね!」
そう言われてしまったら何か聞けなかった。