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偽装結婚、仮面夫婦  作者: 宇治遙
7/17

7th 妻としての義務

 帰りの道のりでも菜月は有稔の話で持ちきりだった。


「有紗、理事長とてもカッコよかったね!」


 興奮しながら話す菜月に冷や汗が背中を伝う有紗。

 有紗は教室へ戻るまでの道のりで数多くの女子生徒が有稔のことを話していることにいい気がしなかった。今日感じた『背徳的な感情』はもはや消え失せ、代わりに怒りが増していた。手をぎゅっと握りしめ自制していた。


「うん……そうかな……?」

「そうだよ! 理事長のお嫁さんになりたいなー」


 菜月のその一言が余計に神経をすり減らしていたのだ。菜月は決して悪くない。有紗と有稔が人には言えない関係であること、そうでなければ今ここで「私たち結婚しているんです! だから彼の話はしないで」と言い放っていただろう。仮にお互いを愛し合っていない結婚であるとしても、それは有紗の専売特許だ。


「……それもいいね」

「どうしたの? 有紗大丈夫?」


 思っていたことが顔に出、声に出ていたのか菜月は心配そうに有紗の顔を覗き込み、手を上下する。そのときの有紗は眉間にしわを寄せ険しい表情をしていたことは一目瞭然だっただろう。菜月は有紗のしわの寄った眉間に指を押しあてるとニタッと笑みを浮かべた。それは「有紗、眉間にしわ寄ってる」ということを示していた。

 驚いた有紗は学生鞄を落としそうになり、力を込めた。代わりにフッと笑うと菜月は何も言わないで安心したように有紗の隣を歩き始めた。

 有稔には高校へは今まで通り徒歩通学することを約束させた。しかし有稔は一応妻なのだから迎えを寄越すなどと言ったので有紗は断固反対したのだ。それに負けた有稔は渋々了承した。有紗としてはこれまでと普通に学生生活を送りたかったし、なにかあっては有稔に迷惑をかけるとわかっていたからだ。


「有紗、今からお茶しようよ。もちろん私のおごりー!」

「ごめん、今日は都合悪くて……また誘って、ごめんね」

「最近の有紗付き合い悪いー、この間まではお姉さんのいる家に帰りたくないって言って誘いに乗ってくれたのに」


 そうなのだ。この間までは姉のいる家に帰ることが辛かった。帰れば辛く当られ罵倒されていたから、それらから逃れられるならと菜月の誘いに乗っていたのだ。しかし今は状況が違う。いつ何時妻としての仕事をしなくてはならない時がくるかもしれないと想定して、いい妻を演じるために有稔のマンションに帰り有稔の帰りを待つのだ。

 菜月の誘いを断ることはそれはそれで辛く心が痛んだ。菜月に淋しい思いをさせたことについて今は有紗自身の状況を説明することはできないし、隠し事をすることも辛く菜月に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「うん、時期が来たら話すから……今はそういうのちょっと無理なんだ、菜月を嫌いなわけじゃないよ。むしろ好きだよ。ちょっと家庭の事情で……」


 そう言ってお茶を濁すことで精いっぱいだった。菜月は聞きわけがいいのですぐに笑顔になると有紗の頬を軽く引っ張り「わかってるよ、またね」そう言っていつもの分かれ道で菜月と別れた。

 最近の有紗はおかしい、たしかにそうだ。思い返せば有稔の過去を聞いたときからだっただろうか、他人事とは思えなくて真剣に聞き入ってしまったと有紗は感じていた。極めつけは有稔に頭を撫でられて複雑な感情を持ってしまったことだ。有稔は頭を撫でる行為に関しては特に気にしていない様子だったが、有紗にとっては気になってしまうのだ。有紗の過去も話せば辛いものに違いないが、有稔の話に親近感を覚えたことも事実だ。


「上杉さん!」


 ひとしきり考えを巡らせて菜月と別れ一人で帰っているところへ、振り返ると同じクラスの上原知明(うえはらちあき)が後方から息を切らせながら走ってやってくるのが見えた。上原知明はバスケットボール部所属で一年生のうちからエースを勝ち取ったという競争心が強く負けん気も人一倍強い男子生徒だ。知明はキリッとした眉が印象的で、中学生の頃からバスケットボールを続けていたせいか背も高い。そして制服を着崩すことなく、さわやかな笑顔を有紗に向けた。


「上原くん、どうしたの?」

「あ、俺の名前知ってたんだ」

「うん、クラスメイトの名前と顔は一応一致するよ」


 そんな知明は頭を掻くと「参ったな」と呟いたのだ。なにが参ったなのか、有紗は首をかしげた。


「なにが参ったなの?」

「いや、クラスメイトの名前知ってることとか、俺の名前知ってるなんて思わなくて。それと今日は上杉さんと帰りたかった」

「そうなんだ、うちはもうすぐだから少しの間になっちゃうけど」

「それでもいいよ」


 有紗と上原知明は分かれ道まで歩き始めた。知明は決して有紗の前を歩くことなく息がぴったり合ったように有紗の歩幅に合わせて隣を歩いていた。それに気付いた有紗は、有稔が隣を歩いていたならば彼はどのように歩くだろうかと考え始めていた。有紗より先を歩くか、後ろを歩くか、隣を歩くか――。はたまた有紗の手を引っ張りながら歩くのか。


「上杉さん! 危ないよ!」

「?」


 気付けば少し甘い香りのする知明に体を預ける格好になっていたのだ。何が起こったか理解できていない有紗に向かって知明は深く呼吸をするとまるで幼い子供に言い聞かせるように口を開いた。


「上杉さん、ちゃんと前見てなきゃ。もう少しで轢かれるところだったよ」

「ごめん……ありがとう」

「俺が上杉さんに車道側を歩かせてたのが悪かった。気をつけるよ、ごめん」


 体型に似合わず力強く引っ張った知明に有紗は終始驚きっぱなしだった。そして車道側を歩かせていたと反省し知明が気遣ってくれたことに対して有紗は嬉しかった。


「上原くんて優しいね、女の子が放っておかないと思うよ」

「……そうかな。あまり嬉しくないよ」


 ぼそっと呟いたことは有紗に聞こえることはなく、知明は困ったような視線を有紗に向けていた。有紗はその困ったような視線にどう応えたらいいのか困惑していた。これもこれまで異性との交流がなかったせいかもしれない。

 その後、知明と有紗は別れると有紗は一目散に小高い丘にある一際目立ち人目を引くブリリアント・リバーへと駆け込んだ。有紗の知っている誰かに会わないように、見つからないように。そしてエレベーターに乗り部屋に近づくにつれ胸が高鳴った。

 相変わらずリビング・ダイニングのガラス張りの壁からは若葉市が一望できる。初めて来たときは夜だったために夜景を望めたが、昼間の若葉市もなかなかよい眺望で、夜景に劣ることはない。リビング・ダイニングのソファに学生鞄を置き、寝室のベッドに横になった。有紗は疲れきっていた。ストレスも溜まった。だから少し休むために寝ることを選んだのだ。それに有稔が帰ってくるのは夜遅い、起きていても予習復習以外にすることがないのが正直なところだ。

 帰りが遅いということはどこかの女性とよろしくやっているということだろう。家庭を省みない男の典型だ。それなのに律儀に条件を守り健気な妻を演じる有紗は彼の目にはどのように映るのだろうか。


「……さ。……りさ」

「ん……」


 名前を呼ばれた気がした有紗は目を開けると夫である有稔が有紗の顔を覗き込んでいた。今日も相変わらずきれいな顔を有紗に向ける有稔。本人にはその自覚が全くないようだが。

 時計を見ると23時を回っていた。かれこれ6時間は寝ていたということらしい。


「あ! 夕食!」


 律儀でお利口な妻を演じるためにはその過程が必要だと有紗は考えていた。ベッドから跳び起きるとキッチンへ駆け込もうとしたところを寸手のところで有稔に阻止された。

 有稔を見上げるとなぜか眉間にしわを寄せじっと有紗を見据えていた。


「有稔さん……?」


 心配になった有紗が声をかけても更に険しい表情になるだけ。原因が分からない有紗はただただ戸惑い後ずさることしかできなかった。しかし有稔は一定の間隔で距離を詰めてくる。それが今はとてつもない恐怖心を煽った。


「君は妻としての義務も果たせないのか」

「つ、妻の義務……?」


 たしかに夕食を作らなかったことは反省されてしかるべきだろう、しかしそれだけで義務を果たせないなどと言われなければならないのだろうか。

 後ずさった有紗はついにベッドルームのガラス張りの壁に背中をついた。壁は冷たく、今の有稔の心の内を映しているようだった。有紗を見下ろす目が今はとても冷たい上にいつもの心地よいバリトンの声は怒りを含みとても低い。


「有紗、これは君の香水ではないだろう? 男と寝たのか。そんな貞操観念の低い汚い女だったとは……」


 有稔は制服についた香水のことを言っているらしい。有紗は香水などつけることはないので有稔の言う香水に心当たりなどない。しかし貞操観念が低いと言われ有紗は自分の母親を思い出したのだ。そして顔面蒼白になった。自分は母親とは違うのだと今の有稔に言っても分かってはもらえないだろう。

 有稔は有紗の制服のリボンタイをぐっと引っ張る。反動で有紗はつんのめってつま先立ちになり有稔の顔が近くなり怖くなった有紗は顔を逸らせた。


「私……そんなこと……ずっとここで」


 疲れて寝ていただけなのに。有稔はこの部屋に男を連れ込んでよろしくやっていたと言いたいのだろう。仮にもこの部屋は有稔名義で購入したマンションだ。事実そのようなことをしていたならば即刻追い出されることは違いない。だが、それは事実とは違う。


「君と結婚したのが間違いだった」


 有稔は下等生物を見るが如く目を細めて見下しそう静かに吐き捨てた。今日の高校視察での「可愛らしい人」発言はなんだったのか、あのときの有稔は決して嫌な顔をして言っていなかった。それなのにこの変わり様はなんなのか、有紗は困惑するばかりだった。

有稔は怒り狂っていますね笑 そしてとんだ勘違いをなさっておられる。これが事実ならば自分名義で買った部屋でそのようなことをされては激怒しますし叩き出すでしょうね。

さてさてこれから有紗と有稔は歩み寄れるのでしょうか。

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