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偽装結婚、仮面夫婦  作者: 宇治遙
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6th 背徳の高校生活

「有紗、おはよう」

「あ、おはよう、菜月」


 春川菜月(はるかわなつき)は有紗の親友の一人だ。菜月はいわゆる一般庶民出身のごく普通の高校生で、名ばかり上杉家令嬢の有紗とはよく話が合う。自然と知り合い、親友となった。菜月はうわさ好きの一面もあり会話に華を咲かせてくれる存在だ。

 菜月は自分の机に鞄を置いて有紗の席までやってきていつものうわさ話を始める。有紗はいつもと変わらない菜月を見て安心した。まだ自分が結婚したことは彼女たちにはばれていないと。高校の全生徒に対して背徳的な感情を持ってしまうことがとても刺激的だった。


「ねね、有紗。ウチの高校の理事長が結婚したらしいよ。開校以来一度も姿を見せたことのない理事長が、よ」

「え、そうなの? 知らなかった。ウチにいるのって総長までだもんね。ていうか理事長って結婚するような年齢だったんだ?」


 有紗は一瞬ドキッとした。結婚という単語敏感になってしまっている。これはいけないことだと、菜月に気づかれないようにそっと深呼吸をし気を落ち着かせた。

 有紗の疑問はもっともだ。一般的に理事といえば50代60代が多いと思われるのに、結婚とは。よくいわれる晩婚だったのか。菜月はさらに続けて有紗にだけ聞こえるようにひそひそと小声で話し始める。


「今日の11時に理事が初めて視察に来るんだって。それでね、体育館でお話するからみんな集合しないといけないんだってさ」

「へーそうなんだ。秦菱始まって以来だね」


 有紗はまたいつものうわさ話が高じて半分冗談だと思っていた。『理事長といえばおじさま』という既成概念から抜け出せなかったせいだ。そのせいで完全に眩ませられてしまったのだ。だからあまり話に身が入らなかった。

 二限目の授業が始まる頃、担任の教師が教室にやってきてなにやら神妙な面持ちで生徒を着席させた。そして担任の開口一番は――。


「今日は11時に理事長が初めて視察に来られます。みなさんは11時には体育館に集合するようにしてください。そして午後からは授業風景を視察されますのでしっかり授業を聞いてください! いいですね」


 どうやら菜月が言ったことは本当だったらしい。有紗は創立以来初めて訪れる理事長に対しなんてやる気のない理事長なのだと悪態ついた。本当に名ばかり理事長で教育に熱心ではないのではないかとさえ思ってしまうのだ。

 そう締めくくった担任は意味ありげに有紗を一瞥するとそのまま授業を始めた。有紗はその意味を知ることなくついに11時を迎えてしまった。


「今日はお忙しいところ、ご来校いただきまして――」

「お気になさらず。理事長として視察することは当然のことです。まあ名ばかり理事長ですが」


 そんな滅相もございませんと総長は理事長を前にしてとても腰が低い。理事長が秘書を始め、スタッフで脇を固めていたからだろう、とても存在感があり総長は威圧感を感じて縮こまってしまったらしい。


「さ、こちらが体育館となります」







 体育館はバレーコート6面取れるくらい広かった。そこで有紗は上杉なので一番前に出席番号順に並んで全生徒が静かになるまでじっと待っていた。それは全生徒同様なのだが、一人がこそこそ話し出すと不思議なもので波及していくものだ。だから全員が静かになるまでじっとしていた。


「さて、みなさんおはようございます。今日はお忙しいところ理事長にお越しいただき本校を視察していただこうと以前より計画しておりました。理事長は本校にお越しいただくのは初めてのことです、ですからみなさんはしっかり理事長のお話を聞き今後の人生の参考になることもお話しいただけるでしょう。しっかりと聞き今後の今後の人生に活かすようにしてください。では理事長、どうぞご登壇ください」


 こんなに退屈するのは入学式以来でさっさと終わってくれないものかと有紗はそわそわしていた。そこで思考は中断され、ザワザワと騒々しくなってきたので壇上に目をやった。それは我が目を疑った、目を瞠るとそこには夫である秦部有稔が登壇していたからだ。女子生徒は黄色い声を上げ始めたが自制しているようだった。有紗は絶句した。どうしてここにいるのかと、その一言がすべての感覚を麻痺させてしまっていた。いつか言われた『また会うかもしれない』という一言が頭をよぎった。こういうことだったのかと合点がいったのだ。

 登壇した有稔の胸元には今朝有紗が選んだネイビー色のネクタイと薄くネイビーがかったボタンダウンのカッターシャツ、そして黒に近いネイビー色の背広というスタイル、相変わらずフルオーダーメイドのスーツを身に纏っていた。そして全生徒を一通り見渡す。


秦菱(そうりょう)大学の理事長を務めている秦部有稔です。秦部グループという名前を聞いたことのある生徒さんもいらっしゃるかと思います。私はその会社のCEO、つまり最高経営責任者として会社をまとめています。学校の実質的な運営は総長を始め、多数の先生方にお任せしてきましたが……」


 有稔は壇上の下にいる総長を始め教職員に軽く頭を下げた。そして正面に向き直り続きを話し始めた。


「この秦菱大学は秦部財閥解体前に初代総帥がまだ学校の少なかった時代に『子供たちに教育の機会を、そして世界に羽ばたいてほしい』という理念の下創立しました。その理念は今も変わっていません。みなさんには世界に羽ばたくような立派な大人になってほしいと思います。そのために大きな目標、夢を持ち続けてそれに向かって努力し続けてください。広い視野を持つことも必要です。現状に満足せず貪欲に上を目指していく上昇志向が大切だと思います。これが一番伝えたいことです。それと……」


 有稔は置かれた水を飲み、一息つくとマイクを持ちかえ続けて話し始めた。マイクを通じて聞こえる有稔のバリトンの声がとても心地よい、しかし肉声で聞いた方がより心地よいことを有紗は知っている。何を言おうとしているのか有紗にはなんとなく分かっていた。有稔はきれいにぼかして遠まわしな言い方でまとめてくれるだろうと、確信した。


「知っている人もいると思いますが、先日は私的なことでメディアを騒がせてしまいました。政治や経済状況など報道しなければいけないことがたくさんあるにもかかわらず、大きく報道されてしまったことには正直驚き、申し訳ない気持ちでいっぱいです――」


 否定も肯定もしない実に有稔らしい報告の仕方だった。有紗がフッと笑みを浮かべると有稔は有紗を一瞥し、かすかに笑みを浮かべた。有稔がマイクを置くと一斉に拍手が沸いた。


「さて、理事の方から、ぜひ生徒のみなさんからの質疑応答の時間を設けてほしいというご意向の元、10分程度設けさせていただきました。グループのことでも何でも質問してくださいということです。質問のある生徒さんは挙手をお願いします」


 その質疑応答の中でやはり聞かれたことは結婚相手はどんな人物なのか、これに関して有稔は特に顔色も変えずに淡々ととても可愛らしい人だと答えた。それはお世辞であっても有紗にとってはとても嬉しいものだった。だから赤くなった顔を隠すために体育座りのまま膝に顔をつけ下を向いていた。

 他にはどうして若くして会社のトップに立てたのか、という質問。これには有稔も答えるのに困っていた。有紗もその話はまだ有稔から聞いたことがなかったので興味があった。先日聞いた次期当主の話とはまた別物だからだ。


「現当主および夫人にグループの統括その他一切の権利行使を任されました。実力でなったわけではないと言えばそれが正解かもしれませんが、私以外にも候補はいました。しかし私が選ばれたこいうことは何かしら当主や夫人にとって任せるに足る何かがあったのでしょう」


 とだけ答え、それで10分は経ってしまった。

 他の生徒はきっと有稔の人生が充実したものだと思っているに違いないと思うのだ。だが、有紗は有稔が何の苦労もせずいきなり会社のトップに立ち充実した人生を送っているとは思わなかった。先日のことからも有稔は何をするにも人生バラ色というわけにはいかないのだと分かり始めていたからだ。

 そして、どうして有稔が今日ここに現れたのか本当の理由を有紗は知らなかった。しかしその後の総長および担任、さらには学校経営陣の態度を見れば一目瞭然だった。有紗が体育館から退場しようと彼らの前を通ると明らかに緊張しているのだ。それは有紗に向けられたもので他の生徒には分かりそうで分からない、そんな変化だった。

 有稔は高校側に、秦菱大学の創始者が旧秦部財閥であることをいいことに秦部グループの圧力と情報規制をかけたのだ。だから一度も顔を見せたことのない高校でひとしきり伝えたいことを伝え、学校側の要求に応じた、というのが正解らしい。つまり高校側としては圧力と情報規制をかけるのだから秦菱大学の創始者の一族として一度くらい顔を見せろということだ。顔を見せたことが思いのほか反響があり女子生徒に黄色い声を上げられる始末となったが。

 有稔が体育館を退場しようとすると残っていた女子生徒が寄ってきて「秦部グループで働きたい」とか「メールアドレスを教えてくれ」、さらには「住所を教えてくれ」という生徒まで。秘書を始めスタッフは彼女たちの対応に困り果てていた。

 遊びたい盛りの27歳の有稔の結婚が不思議でしかたないのと、理事と聞いて実は初老の男ではなく若い男が来たことが。「申し訳ない。そういう要求には応じられない」と堅物の伊瀬が。「ごめんね、次の授業視察のために一旦理事長室に戻らないといけないんだ」と大学時代からの信頼できる人物である大河原。

 さすがの有稔も元気すぎる彼女たちには苦笑いすることしかできなかったのだ。

有稔が高校に乗り込んできました笑 裏話として、前々から教育に熱心ならば一度は高校へ来て生徒を指南してくれという要求があったんですね。以前上げた話の中で「また会うことになるかもしれない」というようなことを有稔は言いました。それがこの場面です。ですからすっぱ抜かれたことで「いらん事言うな」と圧力をかけに来たときに交換条件として指南することになったわけです。情報はすぐに漏れますからね、既の所で止めたという感じですね。次回もお楽しみいただけたら幸いです。

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