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偽装結婚、仮面夫婦  作者: 宇治遙
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3rd 生きていくための条件

『暮らすところに困っているのかい? だったら私と住めばいい。きっと利害は一致する』

「え……?」


 何を言っているのだと、秦部有稔(はたべゆうじん)の頭は正常な判断ができないくらい沸いてしまったのではないかと聞き返さずにはいられなかった。しかも一回会ったくらいの人間と同居など正常な人が考えることではない。しかし有稔は上杉有紗(うえすぎありさ)に考える猶予を与えず矢継ぎ早に次の指示を出す、というか畳み掛ける。


『しかしそれには条件がある。君が今いる所を言ってくれればそこまで行くが』


 有稔は正気の沙汰ではないと有紗は卒倒しそうになった。しかし無一文の有紗にしてみれば今日一日の寝床があればそれはどこでもよかった。そして有稔の提案に傾きそうになる自分を律していた。


「いえ、でも私たち赤の他人ですし、お互いのことよく知りませんし……」

『少なくとも君のことは知っている、だから初対面でも真っ赤な他人でもない。そうだろう?』


 この男、秦部有稔には付け入る隙がない。屁理屈のようなことでも平気で返してくる有稔に有紗は困り果てた。そして有紗には勝ち目がないと悟った。なんとしても同居させる気だということだ。


「今日の寝床を探そうと思って繁華街へ来てます……いやっ」


 ショルダーバッグを肩から提げて繁華街を歩いていた有紗は、ここが若葉市の中でもとりわけ治安が悪いことを分かっていたはずだった。しかし目先の『今日の寝床』を探すことしか見えておらず、周りへの警戒心を置き去りにしていた。よく注意しなければならなかったのだ。

 二人組の男は有紗の前と後ろに付いて行く手を阻んだ。そして腕を掴み「いいことしようぜ、お嬢ちゃん」などと汚い言葉を吐き、いかがわしい建物へ連れて行こうとするが、恐怖心が勝りどうすることもできなかった。そして初めて『男』という生き物がとても怖い生き物だと思い知った。


「なあ? わざとそんな格好で来たんならどういう意味か分かるだろう?」


 制服のまま出てきてしまったのが悪かったのか、はたまた秦菱大附属高校の生徒だから目を付けられたのか、そんなこと考える余裕すらなかった。


「いや、放してください」


 有稔には有紗の身に何が起こっているかすぐに分かった。幸い有紗が電話を切らないでくれたおかげで状況を判断でき、すぐに向かわねばならないことを示唆していた。

 もうすぐでいかがわしい、いわゆるラブホテルに入ろうか、というときに有紗の視界が急に暗くなって後ろから聞きなれた声がした。その声に安心感を覚え、とっさに名前を呼んでいた。


「その汚い手を離してもらおうか、彼女は私の恋人なんでね。指一本でも触れると容赦はしないが」

「秦部、さん!」


 秦部有稔は黒いスポーツカーの右ドアから颯爽と降りると、二人組の男を殺さんばっかりに後ろから腕で首を絞めあげていた。その瞳は昼間のそれとは違ってとても同一人物とは思えないくらい怒りに燃えていた。有紗は解放されたのち、その瞳を見て震えあがった。勝手なことをするとこうなるのだといやでも思い知らされた。

 二人組が二人の前から散っていった後、いつまでたっても小刻みに震えたままの有紗を見て有稔は胸に抱き寄せた。


「よく名前覚えていたね。遅れて申し訳なかった」

「いえ……来て下さって、助かりました。ありがとうございました」

「ここは君の来るところではない」

「ごめんなさい」

「分かればいいんだ。さあ乗って」


 有稔は繁華街のネオンを映し込み反射させるくらい磨きあげられた黒いスポーツカーの左ドアを開けて助手席に乗るように促し、有紗はそれに素直に応じるが思うように歩を進められない。有稔の怒りに燃えた瞳が嘘のように今は穏やかな澄んだ瞳を宿している。それを見て有紗は安心した。

 有稔は運転席に乗り込むとアクセルを踏み、夜の繁華街を走り抜けた。


「さて、また君と会ってしまったわけだが」

「……はい」


 また何か言われて怒られると思った有紗はショルダーバッグをぎゅっと抱え、身構えて次の言葉を待つ。


「家を出てどうするつもりだった、まだ君は15か16歳だろう? 一人で生きていくことなど出来ない」


 有稔の言うことはもっともだ。15の子供が誰の力も借りずに生きていくことなど不可能だ。しかも未成年というハンデ付き。15といえど『保護者』がいないと生きていけないただの子供なのだ。


「お姉様を私から解放してあげたかった。辛そうだったから。ただそれだけです」

「姉君は君の存在を疎ましく思っていただけじゃないのかい? 君はそのような考え方をするからどうやら姉君とは正反対の人間のようだ」

 有稔は微かに口角を上げわずかに笑みを浮かべた。


「間もなくブリリアント・リバーに到着する」

「ブ、ブリリ……?」

「ああ、私の住んでいるマンションの名前だ。ブリリアント・リバー、輝く川という意味だ」

「輝く川。天の川みたいですね」


 有稔は目を見開き、面白そうに笑みを浮かべた。


「天の川……君は面白いことを言うね。ブリリアント・リバーにそんな意味があったとはね。さあ到着だ」


 マンションの駐車場に車を滑り込ませると、有稔はエンジンを切って車から降り、左ドアを開け有紗に降りるように手を差し出した。


「お嬢さん、お手を」


 差し出す手は有紗のそれより大きく骨張っており力強さを感じさせる。有紗は手を差し出せば、力強くもあり優しくもある独特の手の繋ぎ方をするのだと胸が跳ねた。

 この男に愛される女性はどんな人なのだろうか――。

 地上30階建ての高層分譲マンション、『ブリリアント・リバー』は市内の一等地の小高い丘に建てられている。ほんの数カ月前に竣工したばかりの真新しい新築マンションだ。25階から30階にかけてはプレミアムフロアといって、とりわけ眺望に恵まれ約20帖のリビング・ダイニングからは市内を一望できる一面ガラス張り仕様となっている。

 秦部有稔の住む最上階である30階の3LDKに到着し、玄関を入ってリビング・ダイニングに通されると有紗はあまりの絶景にガラスに張り付き言葉を失うのだ。


「き、きれい……」

「気に入ったかい?」


 いくら公家の上杉宗家令嬢といえど、名ばかり令嬢の有紗には見たことのない高さから市内を一望出来る場所に自分がいることなど生まれて初めてのことだった。


「シャワー浴びておいで。リビング出て左の突き当たりだ。話はそれからだ」


 有紗がバスルームに消えてから有稔はネクタイを緩め、ソファに身を預け物思いに耽っていた。これから実行する計画には有紗が不可欠なのだ。それをいかにして納得させ、さらに自分の元から逃げないように縛り付けておくか考えられる方法は一つだった。

 一歩間違えれば後ろ手に回され犯罪者の烙印を押され一生後ろ指を指されるだろう。次の日には『秦部グループCEO秦部有稔容疑者、逮捕!』などと新聞を始めメディア媒体はこぞってこれに飛び付き書き立てることだろう。そうなれば有紗にも被害が及ぶことは間違いない。だからこそ慎重かつ大胆に行動しなければならないのだ。


「ジャグジーなんて初めてでした。お話って何ですか?」


 風呂上がりの有紗は生乾きの髪をタオルで拭きながら有稔の元までやってくる。有紗はジャグジーが新鮮だったのかとてもご機嫌だった。そんな有紗を見て有稔はふっと口元を緩めた。

 今から有稔が有紗に話すことはとても残酷なもので一瞬で有紗から輝くような笑顔を奪うものだった。

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