表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽装結婚、仮面夫婦  作者: 宇治遙
14/17

14th 心強い味方

「純玲くん、今いいこと言ってくれたね。患者のプライバシーに関わることは守秘義務により固く守られるべきだ。その話、詳しく聞かせてもらおうか」


 大和は先ほどまでとは打って変わり、無表情で冷たく軽蔑の眼差しを純玲に向けていた。大和は普段は温厚な人柄だが、人の道から外れたことをする人間には厳しく容赦はしないのだ。それは幼少期の経験からくるものだ。

 それを見た純玲は目を泳がせ、落ち着きをなくしていた。


「なによ、孤児院からお情けで拾ってもらった血筋の分からない捨て子が! 私は何も悪くない! ただあの看護師が勝手に話しただけ! それにあの事故だって勝手に……私は何も悪くないんだから!」


 純玲は取り乱し、きれいに手入れした爪を噛み始めた。精神的に不安定になりストレスがかかっている証拠だと大和は有稔に耳打ちする。

 そんな大和は純玲に暴言を吐かれたことなどまったく気にする様子はない。孤児院に入れられた時点で自分の血筋などあってないようなものだった。そんなことでいちいち目くじらを立て無駄な労力は使っていられないと同時に開き直っている部分もある。それならば血筋のことを言わせないようにその人物以上の立場の人間になるまでだと言い聞かせてこれまで生きてきた。その結果が誰からも先生と呼ばれる『医師』という立場だ。


「患者の守秘義務のことは分かった。だがしかし“事故だって勝手に”がどうも解せない。君はあの場に居合わせたのか? “勝手に”とはどういうことか説明してくれ。説明いかんによっては出るべき所へ出ることも検討しよう」


 有稔は場合によっては裁判を起こすことも辞さない構えだ。純玲の滑らせた一言により“事故”の大部分が見えてきた。あの事故には純玲が一枚噛んでいたのだ。およそ純玲にとって邪魔者の有紗を消すことが理由だろう。容易に想像がつく。

 ということは、階段下でうずくまる有紗の横で泣いていたことも芝居を打っていたということだ。それが事実だとすればとても許されることではない。有稔の左手に力が入りぐっと握りしめた。


「まあまあ、有稔くん。落ち着きたまえ。ご乱心はよくないよ」


 知らず知らずのうちに眉間にシワを寄せ険しい表情をした有稔に声をかけ肩に手を置いて諌めた人物は同じく次期当主候補の秦部眞一だ。眞一は有稔がこのような事態を引き起こしたことにより、大方勝負はついていると思っているのだろう。次期当主は自分であると。


「眞一兄さん、私はなにか間違ったことをしましたか。妻を守るのは夫として当然のことだと思いますがね」


 眞一は有稔の意志の強い目を見ると何も言えなくなってしまった。

 そこへ見兼ねた聡子が眞一に助け舟を出したのだ。


「有稔さん、あなたはご自分の立場がどのようなものか理解しているのですか? 女にうつつを抜かして会社を傾かせ、長たる地位を失脚したなど孫末代までの恥です! 秦部家一族の人間は表を歩けませんよ」

「お前の意思など関係ないのだ。おとなしく言うことを聞いて言われた通りに行動すればいいのだ。しかも結婚したという女は子供のできない石女らしいではないか。ちょうどいい、その女と離縁して純玲とやり直すのだ。よいな」


 良蔵は薄ら笑いを浮かべそう吐き捨てるとメイドに支えられながら自室へ戻って行った。

 有稔は有紗をそのような言われ方をして傷つき黙ってはいられない。そろそろ我慢の限界が見えていた。

 良蔵も聡子も秦部家一族の人間は有稔の意思など毛頭聞く気はないようだ。有稔を都合のいい中身のない子供とでも思っているのだろう。


「だったら……私を最高経営責任者になど指名なさるべきではなかったのでは。いや、そもそも私がロシアにいることを突き止め秦部家に連れ戻したのが間違っていたのでは。私はいつまでもあなた方に従う利口な子供ではないのですよ、大人です。有紗のことをそのような言い方をされては黙っていられない」


 リミッターが外れ怒り心頭になりかけたのを察したのか、大和は有稔に両手を肩に強く置き険しい表情で落ち着かせる最善の言葉をかけた。


「止めておくんだ、今何を言っても理解してもらえるとは思えない。今は有紗さんの元へ行って個人情報漏洩の件を調べるべきだ」

「……」


 有稔は有紗の名前が出た途端先程までの張り詰めた神経が一気に緩んだ。


「すまない大和」

「かまわない。いつものことだろう。さあ行こう」


 有稔は大和に促されて帰る旨を伝えた後、真相を突き止めるべく本邸をあとにした。







 有稔と大和は秦菱大学附属病院へ戻るとすぐに有紗のカルテに記されている看護師名に的を絞り、院外秘の情報に医局にある大和のパソコン端末からアクセスした。

 スクロールして出てきたのは――。


「これは……」

「これだとつじつまが合う。そういうことだったのか。有紗に敵意を持っていたのはなにも姉だけではなかったということだ」

「ではこの看護師にこちらでしかるべき処分を――」

「いや。ことを荒立てると有紗が不利になるかもしれない。仮にもこの看護師は有紗の“母親”だった人間だ。何が起きるとも限らない」


 有稔にしては珍しい保守的な結論だった。いつもならばすぐにでも追及したところだろう。


「それもそうだ。その看護師についてはこちらで出来る限り証拠を固めておくよ」


 大和は有稔に同意すると証拠集めをすることを約束した。

 大和がなぜ有稔に力を貸すのかと言えば会社の長としても人間としても尊敬しているからだ。

 二人の出会いは10年前に遡る。当時18歳の有稔は秦部家に連れて来られたばかりでろくに日本語も話せないにもかかわらず当時の理事の一言で――有稔を近くで監視するために身内の大学に入学させた――秦菱大学に入学、17歳の大和は秦菱大学附属高等学校3年で大学受験に向けて必死に勉強していたころに初めて出会った。

 本邸での食事の席で度々大和の名前が出ていたから有稔は名前だけは覚えていたしときどき大和とも席を共にしていた。その頃は大和は養親と離れて本邸で暮らしており、養子という非常に脆く弱い立場だった。


『また汚らしい食べ方をして! これだから捨て子は!』

『聡子、何度言っても無駄だ。理解する脳がないからな。コイツには』

『……』


 好き放題言われている間、大和は何も言わず感情と生気を捨ててしまった蝋人形のようだった。ひたすら下を向いて出された食事を口に運んでいた。聞かないふりをしておいた方が大和自身が傷つくことはないと判断してのことかもしれない。

 その食事の席で有稔は『君は、いつか、ボクの右腕になる』と言い放った。当主夫妻はまたおかしなことを言っている、その程度にしか思っていなかった。

 有稔はぎこちない日本語であったが大和に話したことで、さっきまで死んだような目をしていた大和が覚醒した瞬間だった。


『お前の右腕だと? 日本語もまともに話せないお前の? 馬鹿がついにとち狂ったか』


 ハッ! と大和は当然見下した態度だ。しかし有稔は怯むことはない。また馬鹿が戯言を言っている、そう思っていた。

 この時点で誰ひとりとして有稔が今の秦部グループを背負って立つ人間になるとは思いもしなかった。有稔はそれから10年の間で目覚しい成長を遂げたのだ。


『そう。右腕。今に分かる、あと10年』


 大和は日本語をろくに理解していないただの馬鹿だと思っていた有稔のしたたかさに驚かされたのだ。コイツについていけばこの苦痛な日々から解放されるかもしれない――有稔と大和の利害が一致した瞬間だった。







 その夜。聡子は緑茶をすすりながら高ぶった気持ちを落ち着かせていた。


「奥様、お疲れではございませんか?」


 聡子が良蔵と結婚してから仕える古町菊江(こまちきくえ)は聡子の身を案じた。


「まさか……あの子にあそこまで言われるとは思いませんでした。私たちの言うことだけ聞いていれば間違いはないのに」

「奥様……辛うございますね」

「あのことは誰にも、特にあの子には口が裂けても言いません。28年前に誓いました。墓場まで持っていくつもりです」

「もう28回目の会話でございますね」

「そうなりますね」


 聡子はまた一口ゆっくりと緑茶に口をつけた。


「秦部グループの長に就かせたことは間違っていたのでしょうか……でもそうしなければ当時の秦部は大変危険でした」

「奥様、間違ってはおりませんよ。きっと奥様のお気持ちを分かってくださるときが来ます」


 そうだといいわね、とか細い声。そこにいるのはいつもの聡子ではない、目にうっすらと涙を浮かべた聡子だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ