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偽装結婚、仮面夫婦  作者: 宇治遙
13/17

13th 反逆行為

 有稔が何事かと急いで病室へ戻ると、そこには実に5日ぶりに意識が戻った有紗がじっと有稔の方を見つめていた。有稔は戸を引くとそこで固まってしまい動くことができない、それくらい信じられないことだった。有紗の瞳には有稔がしっかり映っている、それは今の有稔を満足させるには十分だ。

 そんな有稔を見て菜月は急いでナースコールで主治医を呼んだ。するとすぐさまナースステーションから秦部大和が走ってやって来た。この間一分の出来事だ。大和はなかなか中に入ろうとしない有稔の肩にポンと手を置くと有紗のいるベッドまで連れていった。


「お加減はいかがですか?」

「体がちょっと……痛い、です」


 大和はカルテに目を通しながら有紗に問い、返答を聞くと頷きカルテにペンを走らせた。

 5日ぶりに聞く有紗の声はか細く弱々しい。集中して聞かないと聞き逃しそうだ。

 有紗は自分を囲む人間を一人一人確認するように見回した。


「有稔……さん、菜月も……」

「有紗、心配したんだよお」


 菜月は感情に任せて、リクライニングした有紗に軽く抱き着いた。

 有紗が、いつか話すから今は聞かないでほしいと菜月に言ったことがあった。菜月は大河原の話からその意味を察した。つまり有稔と結婚したことに悩み、高校生が結婚していることを菜月にすら言えなかったのだと。どうして二人が結婚することになったのか、それは今の菜月には知り得ないことだったが。

 菜月と有紗は少し話した後、大河原にそっと耳打ちされてまた来ると言って、大河原とともに病室から帰って行った。それと同時に大和も有紗の意識が戻ったことで山は越え、次の治療方針の再確認のため病室を出ていった。残ったのは有稔と有紗だけで、有稔は有紗のささいな挙動を見逃すまいとじっと有紗を見つめていた。


「有稔さん……私、言われたこと守れないし、あなたには純玲さんっていう婚約者がいるじゃないですか。だからもう――」


 有紗の意識が戻り、有稔への開口一番は有稔が一番聞きたくなかった単語だった。自分の気持ちに気付いた有稔としてはこれほど傷つくことはないだろう。


「それ以上何も言うな。余計なことを考えるな」


 有稔は歯ぎしりするように歯を食いしばり、耐えようとしていた。そして呼吸を整えると有紗のすぐ横まで行き、有紗の頬を右手で触れると同時に親指でカサカサした唇に触れて顔を近づけるとそっと口づけようとしたが、躊躇い有紗と距離を置くようにそばの椅子に座った。

 それはただ触れるだけの行為なのに、有稔にとっては勇気のいるもので、今すぐにできるものではなかった。今まで性行為はおろかキスすらまともにしなかったのだから今更、という思いがはたらいた。一度築き上げた偽装結婚と仮面夫婦の壁を自ら越えてしまうなどできるものかという自制した思いによって有稔の理性は辛うじて保たれていた。


「……君とはできない」


 キスも寸止め、挙句有紗とキスできないと言われ、それ以上純玲の件にも触れようとしない有稔を見て有紗は邪推した。


「じゃあ、やっぱり……私はお払い箱で純玲さんと……?」


 有紗は今にも涙をこぼしそうなほど目を見開き、うっすら涙を溜めていた。

 有紗は心配になっていた。有稔に言われたとおり誕生パーティーではそばに控えていられなかったし、最高の妻を演じるはずだったのにみっともなく階段から転落、挙句入院。正直、今離婚するとなると有紗は生きていけなくなるだろうが、一時でも足を引っ張ってしまったのだから一緒にいる資格はないと思っていた。

 そして、神戸純玲という婚約者がいながらそれを隠して有紗と結婚した理由を知りたかった。


「離婚はしない。純玲嬢とは結婚しないし、する気もない。妻は君一人で十分だ。なんのための結婚だと思っているんだ」

「ゆ、有稔さん……私……」


 有稔のいつもの自信のある振る舞いからは一転、今は傷を負い弱り切った野獣のようだった。

 その言葉から妻のポジションに有紗は必要だが、ただそれだけで、有稔は有紗を解放する気がないのだということだ。

 途端に有紗はふっと淋しげな様子を見せると、再び布団に身を沈めた。


「有稔さん、顔色よくないですよ。ちゃんと寝てください。仕事忙しいんですよね」


 それは有紗の精一杯の抵抗だった。有紗は意識が戻るまでの間、有稔が時間の許す限りずっと付きっきりだったことを知らない。有紗の付き添いと仕事との両立で顔色がよくないと思うのではなく、激務ゆえに顔色が悪いのだと決め付けたのだ。

 有稔は何も言わずにただじっとしていたが、意を決するように立ち上がった。そして有紗に一言声をかけた。


「今日はよく眠れよ」


 深海の底を這うような低く心地のよい声は有紗の胸に染み渡った。その声は罪深いほどにザクザクと何度も胸を突き刺すのだ。有稔はまた来るとも来ないとも言わずにスライドドアを開け、閉まると同時に有紗の前から姿を消した。有紗は有稔が去ったあとのドアをじっと見つめてから、堪えていた涙がせきを切ったように溢れ出すと頬を伝った。







 有稔の向かう先はひとつ。自分の決意とともに自然と早足になる。

 もう何年も見ることもなかったその建物は、悪魔に取り付かれたようにどす黒いオーラを放っていた。それは有稔が最後に見たときよりもさらに増していた。重厚な門扉を開けるとギィーと錆びた金属同士が擦れあう音。

 屋敷へと続く長く、ときどきくねっている玄関道。その道中の左手には今はもう使われていない煉瓦造りの井戸。右手には別邸へと続く細い小道、その先には本邸よりも幾分小さな煉瓦造りの別邸。そして有稔が今歩いているまさに正面には同じく煉瓦造り本邸。有稔は眉間にシワを寄せた。

 できることならばもう二度と関わりたくはなかった。しかし、自身に流れる卑しい血がそうはさせなかった。いくら抵抗し、その血から逃れようとしても結局は連れ戻され、その血の中に沈んでいく。現に有稔は秦部グループの最高経営責任者の座にいるのだから逃れることはできなかったのだ。

 有稔はここで暮らした数年を思い出すと、吐き気が込み上げ体が震える。何も知らないままロシアで暮らしていた方がどれだけ幸せだったか、何度も思った。そして何度も何度も母親を殺したいほどに恨んだ。

 最高経営責任者たるもの、いついかなるときも常に気丈に振る舞わなければいけない。この思いだけが今の有稔を支えている。深呼吸し震える体を必死に抑えながら玄関扉を開けた。


「ただ今戻りました」


 その一言で本邸にいる連中は一斉に有稔の方を向く。先ほどまでの談笑は嘘のように一瞬で静まり返るのだ。

 ツカツカと中へ入り、広いホールのようなリビングにはメイドが数人と仏頂面の良蔵に妻の聡子、再従妹の純玲に長女夫婦の養子大和、次女夫婦とその長男眞一、次男達哉がいた。この場に大和がいたことが幸いだった。気を利かせて早めに帰宅したというところか。

 おそらく今日にでも有稔が姿を見せると踏んで、近くに住む次女一家を呼び寄せたということだろう。有稔へ圧力をかけるように。

 有稔は一瞥すると、沈黙を破るように話し始めた。


「おじい様、おばあ様、お久しぶりです」

「……そんなことはどうでもいい。要件を早く言え」


 良蔵は早く話せとばかりに急かす。

 有稔は来てやったのだから大人しく話を聞け、と内心毒づいた。


「私は4月に彼女……上杉有紗さんと結婚いたしましたが、離婚する気はありません。たとえあなた方になんと言われようと彼女を手放す気はありません。したがって神戸純玲さんとの結婚も当然考えていませんし、彼女が私の妻など……箱入り娘に務まるはずもないことで私の周辺をウロウロされることは非常に不愉快で目障りです」


 今までの鬱憤を晴らしてやったのだ。これほどすがすがしいことは過去にあっただろうか。

 そこへ当の純玲が悔しさを滲ませながら反撃してくる。それは純玲の性格を考えれば想定の範囲内だ。


「あらあら。そう本気で思ってます? ねぇおばあ様、私知っていますの。有稔さんの奥様が子供の出来ない体なんですって。看護師に少し掴ませたら話してくださいましたの」


 秦部家で後継者が出来ないことなどあってはならないことだ。子供が出来ないと分かれば有稔は次期当主候補から即刻外されるのは必至だ。

 そうしたことから純玲としては有稔の弱みを握ったつもりらしい。


「おこがましいですが仮に私が当主になった場合に子供ができないとわかれば即刻眞一兄さんなり達哉君に当主の座を譲りますよ。まあ、純玲嬢と結婚することになったとして彼女との間に必ずしも子供ができるとは限らないわけですが……? そういう意味では純玲嬢と結婚する意味はないでしょう。誰と結婚しても同じはずです」


 そうして有稔は汚いものでも見るように純玲を上から下までジロジロを見る。純玲としては居心地が悪いことこの上ない。


「どうせなら秦部グループ最高経営責任者の任を解いてくれてもかまわない。そのときは有紗と二人でロシアに渡りますよ」


 有稔を解任すれば会社が傾いてしまうことは秦部家の人間ならば誰でも分かっていることだった。仮に次女夫婦の長男眞一が最高経営責任者になる器があるかといえば全くない。大胆な戦略を実行するほど決断力に欠け、いつも自分の保身ばかり考えており指導力もない。

 また次男達哉の場合はどうかといえば、トップに立つ者のカリスマ性に欠け、経営のなんたるかすら知らない。要するに二人とも無能なのだ。

 しかし当主になれば、最高経営責任者に縛り付けておいた有稔を奴隷のように思い通りに動かすことができる、そんな思惑が見え隠れしていた。それは有稔がグループの長となったときから薄々感づいていたことだ。それを分かった上で任を解け、と言ったのだ。

 有稔を解任することは今の秦部にはできないことは有稔を除く次期当主候補の二人を見ればよくわかることだ。


「すばらしい! 有稔、お前はすごいよ」


 振り向けば満面の笑みを浮かべた大和がパチパチと手を叩いていた。

有稔言っちゃいましたね。有紗を連れてロシアに渡るんですって!←

最後の最後に大和の登場でした笑 大和は医師という立場さえ奪われなければ秦部家の中では基本的に自由人間なので多少のことには動じません笑

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