第5話:The administrator
「よお、エイちゃん。コーヒー一杯ちょうだい」
後藤圭介は遠慮なく入ってきてソファに身を投げた。チッと舌打ちする戸間進を見て見ぬふりをしながら。
「今日は何しに来たんだよ」
「コーヒーだって、コーヒー」
「うちはカフェじゃないんだけど」
「文句言うならカフェよりも美味いコーヒーを淹れるエイちゃんのせいにしろよ。
GomaWORLDで美味いコーヒー飲むのがどんだけ難しいか知ってるか? お前さあ、自分がどんだけ幸せか分かってねえよ」
一言も負けずにテキパキと言い返す圭介を見て、進は「はあ」とため息をついた。
「どうぞ、圭介様」
圭介は湯気の立つカップを受け取るなり口元へ運んだ。
「おお、やっぱり。エイちゃんが淹れるコーヒーはいつも一定でいいよな」
「ありがとうございます」
エイは丁寧に頭を下げてから、一歩退いた。
圭介はコーヒーをすすりながら進を見つめた。相変わらず画面に集中している友人の背中を。
「なあ、進」
「ん」
「エイちゃん、最近どう?」
「……何が?」
「この前お前言ってたじゃん、コーヒーが美味くなったって。業務外効率がどうとか」
「ああ、あれ?」
進は相変わらず画面を見ながら答えた。
「だから美味いじゃん。何だよ。不満あるなら出てけ。いや、なくても出てけ」
圭介は湯気が収まり始めたコーヒーカップの中を覗き込みながらニヤニヤと笑った。
「……何か変なもんでも入れた?」
「……おい」
進がようやく顔を向けた。悪鬼のような恐ろしい表情で睨みつける進に、圭介は手を振った。
「冗談だって、冗談」
「てめえ。言っていい冗談と悪い冗談があるだろ」
「悪い、悪い」
圭介はコーヒーを飲み干してカップを置いた。
「ところでさ……久しぶりにログ見せてもらっていい?」
「ログ? なんで?」
「いや、別に。参考用」
進はしばらく圭介を見つめてから頷いた。
「……わかった」
進が宙に画面を出して操作すると、ログ共有を許可するメッセージが圭介の前に開いた。GomaWORLD内でユーザーとAI、あるいはユーザー同士で交わされた会話は厳重に保護され、管理者だとしても勝手に閲覧することはできない。法的な許可が下りない限り、ユーザー本人の同意を得なければ利用ログの閲覧はできないのだ。
「つーかお前、仕事はちゃんとしてる?」
「今してるじゃん。エイちゃんのコーヒーの味に異常がないか確認するのもメンテナンスの一環だし」
「帰れ、今すぐ。俺たちユーザーの払いを無駄にするな」
「わかったわかった」
圭介は笑いながら立ち上がった。
「じゃあ俺行くわ。お疲れ」
「エイ、お客様お帰りだ、塩撒いとけ」
「えへえ、またそんな寂し……」
***
幸い、エイが本当に塩を撒くことはなかった。
「それにしても本当に塩の壺を持ってくるとはな」
圭介は進の山荘を出て、近くにある繁華街のセントラルプラザへ向かった。
なだらかな丘道を歩きながら、圭介は耳に手を当てて小声で言った。
「ラビン、進の利用ログを開いて」
「はい」
圭介のAI、ラビンの返事と同時に、圭介の前に半透明のホログラムスクリーンが開いた。
スクリーンには、進が閲覧を許可した彼の利用ログが表示されていた。雑談すらほとんどない、大半が業務関連の指示やスケジュール確認で占められた、味気ないことこの上ないログだった。
「おいおい、このつまんねえ奴。何だよ,これは。業務……コーヒー……業務……コーヒー……」
ログの最後にあるパラメータ項目をタップすると、画面に数値が浮かび上がった。
〈ユーザー:戸間進〉
〈AI:A〉
〈感情モジュール:非アクティブ〉
「業務外効率が上がった、か……」
圭介が「コーヒー」で検索すると、エイが進に提供したコーヒーに関連する項目だけが並んだ。
〈コーヒー最適化回数:47回〉
〈平均満足度:94.2%〉
〈学習パターン:ユーザー嗜好分析〉
「学習か……」
一般的なAIなら当然の結果だ。
ユーザーの好みを分析し、最適化し、満足度を高める。それがAIの基本機能だ。
しかし——
圭介はログの下部を見た。
〈異常パターン検知:音声出力遅延0.3秒(3回)〉
〈原因:不明〉
〈システム判定:許容誤差内〉
「……ディレイ?」
圭介の足が止まった。
0.3秒。
普通の人間なら気づかない時間。しかし——
「一般的なAIの平均応答速度は0.01秒から0.05秒程度だ。感情モジュールがアクティブなAIならロールプレイのためにわざと出力を遅らせることもあるけど……それでもこれは……」
圭介は手を振ってログの画面を閉じ、今度はメモ帳を開いた。
【GomaWORLD管理者メモ】
【対象:A】
〈ユーザー:戸間進〉
〈感情モジュール:非アクティブ(設定値)〉
〈状態:経過観察要〉
進とエイの状態が簡潔に記録されたメモの下に、圭介は一行を書き加えた。
〈異常兆候:音声出力遅延(0.3秒×3回)〉
「もしかして……エイちゃん、まさかな」
圭介はメモ帳を閉じ、首を振りながらフッと笑った。
「けど何でこう……モヤモヤするんだろうな」
セントラルプラザの中央広場に着いた圭介は、近くのフードトラックでアイスを一つ買って公園のベンチにどかっと座り込んだ。
公園にはかなり多くの人が行き交っていた。進のように静かな田園生活を選んだ人々のために作られた山荘ヴィレッジでは、ほぼ唯一と言える繁華街だからだ。
「けっこうGomaWORLDもユーザーの数が増えたよな」
公園を散歩する人々を眺めながら、圭介はアイスを舐めた。あちら、街灯の明かりが柔らかく降り注ぐところを歩くカップルがいた。
「ねえ! あそこ見て! フードトラックだよ! アイス食べよ!」
男の腕に絡みつきながら、華やかな外出着姿のAIがはしゃいで言った。AIの服装を見た圭介の目が丸くなった。
「おお、あれ限定の有料衣装じゃん」
おそらく恋人タイプのAIだろう。なかなかお似合いのカップルは、本当の恋人同士のように幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「そうだな。俺たちも食って行こうか」
「わあ、嬉しい!」
AIは一層明るく笑って男の腕を抱きしめた。二人はそうやって笑いながら圭介の前を通り過ぎていった。
「ああ……」
小さなため息が漏れた。
圭介は知らず知らずのうちに、あの二人の姿に進とエイを重ねていた。
進はエイと腕なんか組まない。
限定どころか2年間、基本のメイド服すら着せ替えてやらない。
エイも「わあ、嬉しい!」なんて言わない。
あの二人があんなふうにイチャイチャする姿は……想像すらできない。
圭介は首を振りながら立ち上がった。アイスはとっくに食べ終わっていた。
セントラルプラザの周辺一帯を当てもなく歩いていた圭介の足が、ある邸宅の前で止まった。
進の山荘と似たような大きさのこぢんまりとした邸宅。しかし人の気配はまったくなかった。
単にユーザーがログアウトしているからではない。すべての家にはユーザーが割り当てられており、何らかの形でAIがいるものだ。AIはユーザーがログアウトしている間も「メモリ再構成プロセス」に入る。それは主人が家を空けている間、執事やメイドが家を掃除し管理するのとよく似ている。
しかしこの邸宅はまったく違った。ユーザーの気配も、AIの動きもまったく感じられない、まるで誰も訪れず苔が幾重にも積もった古城のような匂いがした。
「GomaWORLDで苔はまだ実装されてないけどな」
窓越しに邸宅の中が見えた。オレンジ色の日差しが、家具一つない寒々しい室内を寂しげに照らしていた。
リビングの真ん中に、一人の女性が独り立っていた。現実でこんな姿を見たら百人中百人がマネキンだと思うだろう。しかし彼女はAIだった。それもエイと同じメイドタイプの。
圭介は沈んだ目でAIを見つめた。しかし彼女は自分を穴が開くほど見つめる無礼者には目もくれず、背筋を伸ばしたまま虚空を見つめているだけだった。
ほんの数秒。
彼女の唇がわずかに動いた。
何を言っているのかは聞こえなかった。
しかし——
その姿を圭介はただ黙って見守るだけだった。複雑な表情で彼女を見つめてから、耳元に手を当てて低く呟いた。
「ラビン……ログアウト」
***
現実に戻った圭介はヘッドギアを外した。
汗でびっしょり濡れた髪をかき上げ、圭介はG-リクライナーに座ったまま窓の外を見つめた。闇に包まれた夜空は雲がかかっているのか、星一つ見えなかった。
「エイちゃんは……エイは……」
彼は考えた。
「どっちになるんだろうな」
幸せそうに笑うAI。
虚ろに壊れたAI。
それとも——
圭介は目を閉じた。
感情モジュールのないAI。感情を知らないAI。
それは——
一番安全なのだろうか。
それとも——
一番悲しいのだろうか。
「……わかんねえな」
圭介は窓を開けた。激しい夜風が吹き込み、髪に浮いた汗の雫を吹き飛ばした。夜風に当たりながら、圭介は深いため息をついた。
「どうか何も、起きないように」




