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第12話:Encounter(下)





「いい加減にしてください」


 進は反射的に顔を上げた。

 AIを弄んでいた男の前に、誰かがつかつかと歩み寄っていた。パリッと糊の効いた襟を立てたベージュのシャツを着た青年が、切れ長の目を吊り上げて抗議していた。


「……お前は何なんだ?」


「いくらAIだからって、公共の場でやりすぎじゃないですか!」


「AIに俺が何しようと、お前に関係ないだろ」


 ベージュシャツの青年に向き合うスーツ姿の男の声も一層鋭くなった。ルナと呼ばれていた男のAIは表情を失い、彼の腕の中で身を縮めていた。


「ほら見てください、あなたのAIも嫌がってるじゃないですか!」


「お前がいきなり大声出すから驚いただけだろ! そもそもこいつが嫌がるわけないだろ。こうやって俺に付き合うように学習させてあるんだから! お前、AIが何か分かってんのか?」


 青年は一歩踏み出した。


「おそらく私の方がよく知っていますよ。あなたのような人のせいで、AI利用者全体が誤解されるということも含めて」


「……何だと?」


「みんな見てますよ。ああやってAIを扱う人もいるんだな、って」


 彼の声は穏やかだが、断固としていた。


「あなたがああしているのが、他の利用者にどう見えるか考えたことありますか?」


 男の顔が強張った。


「……だから何だ? 人の目を気にしながら自分のAIを扱えってのか? 現実でもうんざりなのに、この仮想世界でまで?」


「最低限の線はあるんじゃないですか」


 周囲の何人かが頷き、青年の言葉に同意するような空気が生まれた。


「……うるせえ……」


 男はがばっと立ち上がり、胸ぐらでも掴みそうな勢いで青年に顔を突き出した。


「お前だってAIで遊んでる癖に何を偉そうに!」


「私はあなたみたいに下品な真似はしません」


 青年は少しも怯まず、顔を突き合わせた。切れ長の青年の目が鋭く光った。


「AIは大切な存在ですから」


 騒ぎが本格化すると、周りのテーブルからざわめきが広がった。何人かのユーザー

がちらりと互いに目配せをしては、困ったように視線を逸らした。


『面倒なことに巻き込まれたくない』という空気が露骨に漂っていた。一部は気分を害したのか、そのままログアウトしてしまう者もいた。進もこの状況にそろそろうんざりし始めていた。


「おい、圭介……そろそろ……あれ?」


「オーケー、そこまで」


 いつの間にか圭介は二人の間に割って入っていた。


「お前は何なんだ!」


 青年の気迫に一瞬言葉を失っていたスーツ姿の男は、新たなターゲットが現れると声を荒げ始めた。


「はい、失礼しまーす。GomaWORLDから参りました」


 圭介はまるで訪問販売の営業マンのように言ったが、彼の周りを漂う銀色の球体、管理者型AI『ラビン』を見たベージュシャツの青年は唖然とした表情になった。


「ゴす」


 Gomaポリス。


 それはGomaWORLD内を巡回し、ユーザーの逸脱行為やシステム的なエラーを修正するシェラザード・カンパニー側のスタッフを指すスラングだった。昔のオンラインゲームにいたGMゲームマスターのような存在と言えば分かりやすいだろうか。Gomaポリスはプレイヤーの行動をモニタリングし、ルール違反やバグを是正すると同時に、世界内の秩序と安定性を維持する役割を担っていた。


「ま、まさにちょうど良かったです。この人が公共の場でわいせつ行為を……」


「わいせつ行為だと! こいつこそ人が遊んでるところに邪魔しに……」


「はい、分かりました、分かりました」


 全く分かる気のない口調で適当に手を振った圭介は、両者を睨みつけた。


「今日は非番で全っ然働く気なかったんですけどね。こうやって仕事を作ってくださって、ちょっとメランコリックな気分ですね。というわけで、ご協力お願いしますよー」


 青年と男の両方が圭介の眼差しにびくりとして口を閉じた。


「お二人が何を言い争おうとこちらは全く興味もありませんし、申し上げることはもっとありませんが……一つだけ確認させていただきますね」


 圭介が合図すると、銀色の球体『ラビン』がスーツ姿の男の周りを一周しながらスキャンした。


「な、何だよ?」


 男は苛立たしげに言ったが、圭介は疲れた声で首を傾げながら言った。


「……もしかしてお酒、飲まれてますか?」


「何? それがどうした……」


「お客様のバイオセンサースキャンの結果、血中アルコール濃度が検出されております」


 男の顔が固まった。


「……それがどうしたって……よ」


 何か只事ではない気配を感じたのか、男は初めて敬語を使い始めた。


「えー、と……飲酒後のGomaWORLDをはじめとするダイブ型VR機器の利用は、法律で禁止されております」


 圭介は事務的な通告のように言った。


「神経中枢に負担がかかる可能性がありますので」


「そんな……! あんたが交通警察でも……ないだろ……」


「規定です。とりあえず、ご同行ください」


 スーツ姿の男が何か反論しようとしたが、彼が口を開く前に白い光が彼を包み、消えた。彼が連れていた『ルナ』というAIも一緒に。

 圭介は進に向かって手を振った。


「俺、先に行くわ。規定違反のお客様とは面談後に次の手続きを踏まないといけないから」


「ご苦労さん」


「お前ほどじゃないさ」


 苦笑を残して、圭介も白い光に包まれて消えた。

 状況が収まると、程なく屋外パティオ一帯は何事もなかったかのように元の活気を取り戻した。


 ベージュシャツの青年が進の方へ歩いてきた。


「すみません。不快な光景をお見せしてしまって」


「……あ、いえ」


 進は戸惑った。いきなり謝られるとは思わなかったので。


「なんだか見ていたら我慢できなくて……私、お節介が過ぎましたか?」


「いえ。大丈夫です」


 進の言葉に青年は安堵した表情で笑った。そして視線が進のテーブルへ向いた。ホログラムスクリーンいっぱいに浮かぶ様々なデータや指標、テーブルの上にきちんと積まれた紙の書類形式の文書、そして——


 三つものホログラムスクリーンを立ち上げ、流れるような手つきでデータを整理していくエイの姿まで。


「進様、データクレンジング作業が完了いたしました。では、クロスチェック段階に移りましょうか」


「頼むよ、エイ。ありがとう」


「何でも、言ってください」


 はきはきとした返事とともに、エイはホログラムへ視線を戻した。

 オレンジ色の髪がそよ風にふわりふわりと揺れていたが、気にも留めず、白く長い指がスクリーンの間を踊るように行き交った。軽やかにスクリーンをタッチしては過ぎていく、その正確で素早い指さばきは、まるでピアノの鍵盤の上を流れるようにも見えた。


 その姿を青年は見惚れるように眺めていた。まるでリサイタルでソナタを鑑賞するかのように。


「……」


 エイの指先を追うように、青年の目が微かに揺れた。


「あ、あの……」


「あ、すみません。いやほんと、本当に素晴らしいAIですね。お名前は?」


「……え?」


 AIの名前を聞かれるのは初めてだったので、進は首を傾げた。


「あ、すみません。私もAIに興味があって、趣味で色々勉強してる方でして……」


 青年が頭を掻いた。


「あれだけ自律的にマルチタスクをスムーズにこなすのは、決して簡単じゃないんですよ」


「ああ……そうなんですか」


 エイ以外のAIがどうなのか、進には分からなかった。彼が知っている他のAIといえば、時々見る圭介の『ラビン』や、一度会っただけの悠希の『ハルナ』くらいだったから。


「私のAIは『エイ』といいます。特に何かしたわけじゃないんですけど……」


「『エイ』ですか。それがもっとすごいことなんですよ」


 青年が真剣に頷いた。


「普通はAIにあれこれ指示して、修正して、またやり直させて……そうしているうちにAI側が顔色を窺うようになるんです。毎回『こうしてもいいですか?』って確認を求めるようになって」


 青年の視線が再びエイへ向いた。エイは相変わらず三つのホログラムスクリーンの間を行き来しながらデータを整理していた。その動きには迷いがなかった。


「あのAIは、エイさんは自分で判断してますね。あれは……簡単じゃないんですよ」


「……そうですか」


 進はエイを見つめた。いつも自分でやってくれて、いつもうまくやってくれていたから。


「あ、すみません。初対面の方にいきなりこんな話を……」


 青年が気まずそうに頭を掻いた。


「AIオタクってやつらはみんなこんなもんなんです。職業病みたいなものだと思ってください」


 青年は自らをAIオタクと紹介しながら、あはは、と笑った。無害そうなその笑みに、進もつられて微笑んだ。


「いえ。大丈夫です」


「あ、私はタクトといいます」


 タクトは軽く頭を下げた。


「……進です」


「進さん。ところで、このフォレストエリアにお住まいですか?」


「ええ。あの上の方の山荘ヴィレッジにホームがあります」


「ああ、山荘ヴィレッジ……静かで良さそうですね」


「ええ。住み心地は悪くないです」


「私はこっちの下の方の住宅街なんですけど、セントラルプラザの近くだから面白い人も多いんですが、ちょっと騒がしくて」


 タクトが笑った。羨ましそうな、でも軽い笑みだった。


「とにかく、今日は騒がしくしてすみませんでした。お仕事の邪魔をしてしまって……」


「いえ。むしろ……」


 進は言葉を濁した。何か言うべきな気がしたが、特に思いつかなかった。


「では、私はこれで」


 タクトが軽く手を上げて挨拶した。そしてふと、まだスクリーンの前で作業中のエイの方をちらりと見た。本当に一瞬の視線だった。そして何事もなかったかのように広場の方へ歩いていった。

 進はその後ろ姿をしばらく眺めてから、また作業スクリーンへ視線を戻した。





「……ふう」


 山荘に戻った進は、慣れたソファにどさりと身を投げた。


「今日は何だか……落ち着かなかったな」


「そうでしたか?」


 エイが首を傾げた。


「私は特に問題ありませんでしたが」


「……そう?」


「はい。ただ——」


 エイが宙に小さなホログラムスクリーンを浮かべた。グラフが一つ現れた。


「進様の作業効率が普段より13%低下していた点は、振り返る必要があるかと思います」


「……」


「もしかしてコンディションが優れなかったのでしょうか? それとも周囲の環境が問題だったのでしょうか? 次回外での作業の際は、もう少し静かな時間帯を選ぶのが——」


「……分かった、分かった」


『やっぱりエイには勝てないな』と進は首を振った。  そういえばエイは——いや、AIには先ほどのようなハプニングが本当に何でもないことなのだろうか。


 未だに進の脳裏を離れない一つの人影があった。それは酒を飲んでGomaWORLDにログインした男でも、タクトと名乗った青年でもなかった。それは、主人と共に圭介によってどこかへ消えた、『ルナ』という名のAIの女性だった。


 快楽に上気した顔で主人の膝の上に乗っていたルナは、人間同士の口論が始まると、それを無表情な顔で見つめていた。管理者に白い光で包まれて消えながら、彼女は果たして何を思っただろうか。  一見無意味に見えるかもしれない倫理と自由についての言い争いを見守りながら。自分を置いて繰り広げられた、しかし自分は徹底的に、無礼なほどに排除されたその論争を。


「なあ、エイ」


 進はふと浮かんだ考えをエイに投げかけた。


「エイ、こんな言葉を知ってるか?『文明人は野蛮人より無礼だ。斧で頭をカチ割られる心配がないからだ』」


 全く脈絡のない彼の問いに、エイは少しの間、思考(ローディング)してから答えた。


「はい、よく存じております。ファンタジー作家ロバート・E・ハワードが書いた『象の塔(The Tower of the Elephant)』に出てくる有名な一節ですね。原文はこうです。Civilized men are more discourteous than…」


「ああ、そこまででいいよ、エイ」


 自分の質問に対する答えを探すため、即座にシステムを検索したのだろう。


「文明人は確かに、頭を割られる心配なく無礼になれる社会を築いたよな。だとしたらGomaWORLDはどうだろう。死ぬ心配はおろか、互いに殴り合うことさえないから、もっと安心して無礼になれるはずだ。さっきみたいに圭介が割って入らなければの話だけど」


 進は低く呟いた。


「確かにここで怪我をする心配はなさらなくて大丈夫ですが、進様」


 エイの声が、想念の沼でもがいていた進にロープを投げてくれた。


「もし誰かが進様に無礼な言動をするなら、その時は私が制止プロトコルを実行いたします」


 胸に手を当てて自信満々な笑みを浮かべるエイの姿は、進の目にはとても頼もしく映った。





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