第11話:Encounter(上)
晴れ渡った土曜日の午後——
と言えば、家族や友人、あるいは恋人と外出したり、一人静かに趣味に没頭したりする、そんな光景が思い浮かぶだろう。
しかし今や人々にはもう一つの選択肢があった。
「一人で家に引きこもりながら外出ができる時代になったんだな」
戸間進はいつものように出迎えてくれるエイを連れて、セントラルプラザへ向かった。
フォレストエリアの繁華街とも言えるセントラルプラザのシンボル、巨大な噴水が音楽に合わせて絶え間なく華やかに水を噴き上げていた。
「本当に人が多いな」
その周りの広場にはかなりの人々が行き交っていた。公園の一角では、AIを連れた人々が路上ライブまで繰り広げていた。以前なら渋谷や下北沢まで出なければ見られなかった光景なのに……
「いや、まあ別に好んで見てたわけじゃないけど」
広場の一角にあるカフェの屋外パティオに座り、進はアイスコーヒーのストローをチューっと鳴らしながら呟いた。「土曜の午後ならみんな遊びに行くから空いてるだろう」という考えは、文字通り甘い考えに過ぎなかった。
「ご不便でしたら戻りましょうか?」
テーブルの向かいに座り、ホログラムスクリーンを三つ同時に立ち上げて作業していたエイが首をかしげた。進は首を振った。
「いや、大丈夫。このくらいは」
ル・ノワイエのコラボイベント以来、進とエイは時々セントラルプラザを訪れるようになっていた。静かな山荘でエイと二人きりで仕事に集中するのも相変わらず良かったが、開放感あふれる屋外の雰囲気もまた違った味わいがあった。
「たまには……こういうのもいいかもな」
行き交う人々のおしゃべり、噴水の水音、遠くから聞こえる音楽。
そこにそよそよと耳元をかすめていく、暑くも寒くもないそよ風が加われば、そのすべての要素が不思議と進の集中を助けてくれた。
「静かな山荘もいいけど、時にはこうやって開放感のある場所で仕事をするのも悪くないな」
おそらく現実世界だったら、こうしてカフェのような場所に出て残業するなど想像もできなかっただろう。外出をあまり好まない進の性格は置いておいても、そもそも外に持ち出してできる作業量ではない。ノートパソコンやタブレット、キーボードなどをずらずら持ってカフェに向かうわけにはいかないのだから。
進は紙の形で具現化させたメールを読み、必要な部分を抽出してエイのホログラムスクリーンに移した。するとエイはそのデータを見やすく整理した上で、静かに補助演算まで済ませていた。
「エイ、こっちのリスクタグもう一回」
「はい、進様」
週末まで続く残業。
以前なら週末に追加勤務と聞いただけで身震いしていたはずなのに、不思議とここではそれほど辛くなかった。それはおそらく——
「おい、戸間」
突然の声に進は顔を上げた。
後藤圭介だった。
「……圭介?」
「せっかくの週末だから遊ぼうって連絡したのにメッセージも見ない、電話も出ない……」
圭介が椅子を引いて座りながらため息をついた。
「もしかしてと思ってGomaWORLDに入ってみたら、本当にここにいるとは」
「……連絡してたっけ?」
進は現実のスマホを思い浮かべた。
「したよ。5回も」
「悪い」
「悪いって。それより——」
圭介がテーブルを見回した。ホログラムスクリーン三つ、紙で具現化されたメールの山、コーヒーカップ。
「……セントラルプラザに席まで確保して残業? お前それもう楽しんでるだろ」
「……」
「進、周り見ろよ。空は晴れ渡って街は美しくて、みんな楽しんでるんだぞ」
圭介が両腕を広げて広場を指した。
「週末だぞ、週末!Weekend!」
「知らんがな。そういう圭介は管理者なのに仕事しなくていいのかよ」
進が反撃した。圭介は笑って手を振った。
「今日はオフ。非番。うちのシェラザード・カンパニーはお前んとこみたいなブラック企業じゃないんでね」
「……」
進の目が細くなった。
「GomaWORLDのベータテスト時に『助けてくれ、このクソ社長が俺を殺そうとしてる』って泣きながら電話してきたのはどこのどなたでしたっけ?」
「……」
圭介の笑顔が固まった。
「あ……その話を今持ち出しますか……」
「俺が朝3時に受けた電話だったんだけど」
「……悪かった」
今度は圭介が頭を下げた。
二人の漫才の間も、エイだけは黙々と作業を続けていた。しかし彼女の口元もほんの少し、上がっていた。
後藤圭介はいい人だ。たまに突然やってきて作業中の演算にノイズが発生することもあるが、基本的に彼は無害だ。そして何より——
彼が来ると進様の機嫌が良くなる。
エイは二人の漫才が生み出すリズム感が好きだった。そして彼が訪れるたびに、計算すら必要ないほどはっきりと進の顔に血色が戻るのも。
圭介が現れたせいで進から送られてくるデータの流れが止まった。ちょうど休憩を取るにはいいタイミングだ。さっきから進の作業速度が目に見えて遅くなっていたから。
「進様、圭介様のコーヒーもご用意しましょうか?」
「あ、そうだな。頼む」
「はい、進様」
エイが席を立った。
「あ、俺はアメリカーノで——」
「お砂糖多めですね。承知しております」
「……おお、覚えてるんだ? さすがエイちゃん」
圭介が感心した。エイは軽く頭を下げてカフェの方へ向かった。エイがコーヒーを取りに行っている間、圭介は周りを見回した。
「うわ、今日マジで人多いな」
広場のあちこちには人々が行き交っていた。そしてその大半の横には様々なAIが一緒にいた。
普段は山荘の外にほとんど出ない進の目には、ただただ不思議な光景だった。
「あれ見ろよ、進。あのAI」
圭介が噴水の近くを指した。
一人の男性の横に巨大なドラゴン型のAIが浮かんでいた。竜が羽ばたくたびに、海色の青い鱗が日光を受けてきらめいていた。
「クリーチャー型AI? あんなデザインも可能なのか?」
「ダメなわけないだろ。結局大事なのは想像力だよ。想像力」
「想像力?」
「そうだよ、進。この石頭め。お前、エイちゃん最初にデザインする時もほとんどプロンプト入れなかっただろ?」
「プロンプト……それ何?」
「うわあああ! マジでこの石頭!」
進の間抜けな問い返しに圭介は頭を抱えて叫んだ。
「進様。プロンプトとは、AIがどのような存在であるべきかを最初に指定する指示文のことです」
「あ、エイ」
いつの間にかコーヒーを持って戻ってきたエイが、家にいる時と同じく一分の隙もない姿勢で丁寧にコーヒーカップを圭介の前に置いた。
「おそらくあのドラゴン型AIを制作する際に、ユーザーの方がご希望のプロンプトを入力されたのでしょう。あの外見から逆算すると、おそらく【青い鱗を持つ飛行型クリーチャー、威圧感のある外見のブルードラゴン】というプロンプトを入れられたものと推測されます」
「ああ……」
「俺は何て言ったっけ」と進はエイを初めて作った時のことを思い出そうとしたが、記憶がぼんやりしてよく思い出せなかった。その様子を見守りながらエイは妙な笑みを浮かべた。
「そうだよ、進! 例えば……あ、あそこ見ろ!」
圭介が指した先には一人の女性が座っていた。彼女の横には銀色の鎧と青い戦闘マントをまとった騎士の姿をしたAIが立っていた。
「どこかで見たことのあるデザインだな…」
「あれは『魔法戦士ギルシオン』じゃない。ひゃー。マニアックだな。あのくらいの再現度を出すには相当細かくプロンプトを作り込んだはずだぞ」
「昔ヒットしたアニメだよな? ……著作権は?」
進が聞いた。
「ああ、個人利用だから。商業的に使わなければそんなに厳しくチェックしない。コスプレみたいなもんだと思えばいい」
圭介が説明した。
「有名キャラクターを再現する人も多いよ。アニメ、ゲーム、映画のキャラクターまで」
「……いろいろあるんだな」
「だろ。それがGomaWORLDの強みなんだよ。自由度の高さ」
それだけでなく広場には猫の形をした小さなAIや、透明な水の塊の形で浮かんでいるAIまでいた。
「本当にいろいろな形があるんですね」
エイが言った。
「エイも十分個性的だけどな」
圭介が笑った。
「進が作ったにしては素晴らしく出来てる」
「……ありがとうございます」
褒め言葉なのか悪口なのかわからない言葉に、エイは複雑な気持ちで軽く頭を下げた。
その時、進の耳に近くのテーブルから粘っこい音が聞こえてきた。
最初はただの笑い声だと思った。少しこの広場には似つかわしくない、大げさで陰険な笑い。しかし続いて聞こえてきたのは普通の呼吸とは微妙に違う、ベタベタに濡れた息遣いだった。聞く側の**背筋**が寒くなるほど、無駄に生々しい音。
進は思わず顔を向けた。
屋外パティオの一角、日陰のテーブルに乱れたスーツ姿の男が斜めにもたれかかって座っていた。そして、彼の膝の上には体のラインがあらわになるドレス姿の女性型AIが乗っていた。そのテーブルは妙に空気が沈んでいた。まるでそこだけ、薄い膜一枚を隔てて別の密度の世界に置かれているかのように。
男が女性AIの頬をゆっくりと舐め上げた。AIの赤い瞳がわずかに揺れ、すぐ彼女の唇が彼のそれに深く触れ合った。
長いディープキス——粘っこい音が空気に染み込んだ。男の手は彼女の腰に掛かっており、もう一方の手は胸元に向かっていた。男の手が彼女の胸の上を行き来すると、ドレスの布地がわずかに歪み、AIの呼吸が荒くなった。
「ルナ……お前はこうやって恥ずかしがる時が、一番かわいいよ」
男の囁きが低く響いた。彼はルナと呼ばれたAIの耳に口をつけ、「ここでみんなが見てる前で、俺にねだってみろ。『もっとしてください』って」と囁いた。ルナの頬が赤くなった。彼女は少し顔を伏せたまま、小さな声で呟いた。
「ご主人様……もっと……してください。お願い……」
その言葉に男の笑みが深まった。周囲のユーザーたちの視線が集まったが、彼は気にも留めなかった。
「……何やってんだか」
進は顔を背けた。
見たくなかった。正確には、エイに見せたくなかった。当のエイは何の関心もなく——むしろ遠くにいるブルードラゴンの方に興味があるようだったが。
「……圭介」
「ん?」
「あれ大丈夫なのか? ああやって」
進が日陰の方を顎でしゃくった。進の視線を追った圭介も少し顔が強張った。
「……ああ」
「……?」
「まあ、ギリギリではあるけど」
圭介がため息をついた。
「あれは俺たちがタッチするような話じゃない。あのくらいの自由度は十分システムポリシーが認めてるバウンダリー内だし……」
圭介が宙で指を弾くと、小さな球体状の管理者インターフェースが現れた。
「ラビン、あそこに見える赤いドレス姿のAIいるだろ? 状態チェックしてくれ」
球体は銀色に淡く光っていた。進も何度か見たことのある、圭介専用AIのデフォルト形態だ。開発者や管理者の一部だけが持っている、一般のAIよりずっと多くの権限と処理能力を備えた運営側のAI。
「状態チェック中……」
球体の中から柔らかな女性の声が流れ出た。
「状態確認。異常ありません。設定されたプログラムがアダルト向けに偏っていますが、ポリシー内に問題はありません」
「……だってさ」
「あれが大丈夫なのか?」
進がまた聞いた。
「ポリシー上ではな。公共の場での過度な性的表現は禁止だけど——あのくらいは微妙なラインなんだよ」
圭介が説明した。
「GomaWORLDはレジャー型AIワールドだ。レジャーってのは、趣味でも、休息でも、何でも自由に楽しむことだろ……でも、すべての人の『自由』が、同じ形とは限らないんだよ」
圭介はコーヒーカップを持ち上げて顔を隠したが、眉間にわずかに見えた影は隠しきれなかった。
「俺たちは正しいか間違ってるかを判断しない。してはいけないんだ」
圭介の言葉は正論だった。正論とは正しい言葉であり、正しいということは……時としてとても辛く感じることがある。
「……作業に戻ろう、エイ」
「はい、進様」
進は努めて目を背けながら作業用スクリーンを開いた。圭介がコーヒーをすする音だけが断続的に聞こえるテーブルの上に広がる膨大な数字と文字の波の中に、進は目を据えた。
しかし——
耳を塞ぐことはできなかった。
「あ、そこ……はい、そこです……」
AIの赤裸々な喘ぎ声が、進の耳元を越えて、途切れそうで途切れることなく流れ込んできた。進はメールのページを開いて懸命に集中しようとした。しかし文章が目に入ってこなかった。
「……」
「進様」
エイの声に、進は張り詰めていた肩の力をようやく少し抜いた。
「ん?」
「次の書類、準備できました」
「……うん。ありがとう」




