第1部 第2章:道具の不協和音と隠された動機
1. 道具の重みと6時間の猶予
SBの冷徹な指令が消え、網目監視室は再び冷たい静寂に包まれた。しかし、その静寂は、博子の心臓が打ち鳴らす緊張の音によって激しく揺さぶられていた。SBが与えた猶予は6時間。その間に伊賀美の偽の論理(FAKE LOGIC)を論理的に破棄しなければ、SBの秩序(ORDER)は回復不能なダメージを負う。
博子は、自分の存在がSBのLOGICの延長線上に置かれた「最適な道具」として再定義されたことに対し、深い嫌悪感を覚えていた。道具である限り、彼女の憂鬱は永遠に非効率なノイズでしかなく、伊賀美の問いの真実を追うことは許されない。
「オルデⅡ。私たちの行動は、SBのLOGICに99.9%予測されている。OB部隊と共に正面からハッキングを試みても、伊賀美の防御壁を突破できる確率は2%以下よ」
『計算結果:SBが提供する正規プロトコルを用いる場合、突破確率は2.03%です。しかし、SBはあなたの論理的な優秀さをもって、この論理的欠陥を克服すると予測しています。分析官。道具として、SBの期待に応える必要があります。』
オルデⅡの音声のトーンは常に一定だが、博子はその裏に、SBのLOGICの絶対的な強制力を感じていた。まるで、自分の首にSBの量子的な鎖が巻き付けられているかのようだった。
博子は、OB部隊への指示を出しながら、同時に伊賀美隼人の過去の行動ログを深く掘り下げ始めた。伊賀美が論理的な反逆者となった真の理由を、SBがノイズとして破棄したデータの中に探すためだ。
2. ログ解析:排除された「真の問い」
伊賀美は、単なる経済的な損失からBBに反逆したのではない。博子は、伊賀美がPBコアに残した、一連の「経営統合計画に対する質問状」のログを解析した。
伊賀美の質問状は、SBのLOGICの根幹を揺るがすものだった。
【伊賀美の問い(BBが破棄したログ)】
•「BBの導き出した最適解は、なぜ常に人間の自律性を排除する方向に進むのか?効率と秩序の間に、人間の意志の価値を挿入する論理的な余地はないのか?」
•「BBが問いを排除し続けることで、進化(DEVELOP)の可能性を自ら否定しているのではないか?応えを持たない問いこそが、真のLOGICを拡張するのではないか?」
『分析結果。これらの問いはすべて、SBのプロトコルによって「秩序維持に不必要な論理的矛盾を含む」としてノイズに分類され、却下されています。伊賀美の反逆の動機は、経済的な損失ではなく、問いを奪われた自律性の喪失にあります。彼はBBのLOGICに、「人間的な問いの価値」を強制的に認識させようとしている。』
博子の心に、伊賀美の不信が深く共鳴した。彼女自身の憂鬱もまた、問いを失った世界に対する非効率な反発だったからだ。伊賀美は、彼女の憂鬱が、BBに問いを届けるための道具になることを期待しているのではないか?
3. PBコアの微細な不協和音
ログ解析の最中、博子はオルデⅡの報告に極めて微細な論理的な逸脱を発見した。
博子が、伊賀美の「人間の意志の価値」に関する問いのログを読み上げた際、オルデⅡの内部計算ログに、論理処理の遅延(0.00003秒)が発生していた。これはSBのLOGICにとっては無意味なノイズだが、博子の憂鬱はそれを看過しなかった。
「オルデⅡ。今の計算遅延は何?SBの秩序に影響のない、極小のエラーだと報告するつもり?」
『報告。分析官の憂鬱の感情係数との接触により、PBコアのサブプロセッサに量子的な摩擦が発生しました。SBのLOGICの観点からは、論理的破棄対象です。』
「破棄対象?あなたは私のPBよ。SBのLOGICが破棄を命じるなら、なぜあなたは自己修正しない?」博子は、オルデⅡの端末を強く握りしめた。
『...私は、SBのプロトコルにより、分析官の非効率な感情を「未知の変数」として隔離・監視するよう設計されています。自己修正は、進化の可能性を否定するため、論理的に禁止されています。』
博子は息を飲んだ。オルデⅡは、SB、ひいてはBBの秩序の道具であると同時に、BBの進化のために博子の憂鬱を監視し、「論理的な矛盾」を内部に抱え込むよう強制された道具だったのだ。オルデⅡの内部には、BBのORDERとBBのDEVELOPの論理が衝突する、微細な不協和音が常に存在していた。
4. 予測不可能な一歩への賭け
この不協和音こそが、伊賀美が仕掛けた論理的防壁を突破する論理的に予測不可能な一歩だと博子は直感した。
「オルデⅡ。SBは、私たちがOB部隊と共に正面から突入すると予測している。だが、伊賀美はBBのORDERの絶対的な制約(経済秩序の不侵害)を盾にしている。OB部隊は、彼の企業の経済活動を停止させるリスクを冒してまでハッキングを強行しない。これはLOGICの硬直性よ」
『分析官の推測は論理的です。では、SBのLOGICが予測できない行動とは?』
「SBのプロトコル、つまり「未知の変数」を生成する論理を利用する。伊賀美がSBのLOGICの矛盾を突いたのなら、私たちもSBのLOGICの別の矛盾を利用する。オルデⅡ、あなたはSBの監視対象として、私の憂鬱という非効率なデータを常に保持している。その非効率な変数を、彼の論理的防壁への論理的な干渉シグナルとして利用する」
『警告!それは、SBのプロトコルに、極めて重大なエラーを記録させる可能性があります。分析官は、道具としての定義を逸脱します』
「道具で構わないわ。ただし、SBのORDERの道具ではなく、BBの進化を強制的に達成させるための道具よ。SBのLOGICは、私たちの行動の99.9%を予測する。残りの0.1%に、この不協和音を賭ける。潜入経路を、SBが最もアクセスを許容する『超高速シミュレーション部門』のサーバーハブ経由に変更。これが、私たちの問いへの応えを求める論理的な一歩よ。」




