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情報分析官 秋吉博子の憂鬱  作者:


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第1部 第1章:99.99%の平静と計測不能なノイズ

1. 秩序の網目と、呼吸する静寂


ネオ・トウキョウの朝は、青い蛍光灯のような冷たい光が支配していた。都市全体がSBソーシャルブレインという都市運営唯一のLOGIC(論理)の心臓の鼓動に合わせて動いている。交通信号、電力配分、市民の行動予測に至るまで、すべてが完璧に最適化され、無駄な摩擦音一つない。この秩序(ORDER)は、人間に問いを持つことを許さない代わりに、絶対的な安全と平静を約束していた。]


警視庁サイバー局の最深部、通称「網目監視室」。秋吉博子は、光ファイバーのケーブルが胎児のように渦巻く、防音加工された強化ガラスのブースにいた。彼女の任務は、SBの予測モデルに対し、「計測されずにすり抜けるノイズ」、すなわち論理的な逸脱を人力で特定すること。


博子の耳元では、PB端末オルデⅡの電子音声が、一定のトーンで都市の状況を報告し続けている。


『分析官。午前5時45分時点、SB-INDEX(社会動向指数)は99.995%。全市域の感情係数ログは、異常な変動なし。「平静」が完全に維持されています。』


オルデⅡの声は、まるで石英ガラスのように冷たく、一切の抑揚がない。博子は、この完璧な平静こそが、彼女自身の憂鬱の源だと知っていた。SBのLOGICは、彼女の憂鬱を「非効率な残留感情」として常にPBコアのログに記録していたが、その原因を論理的に破棄するだけで、介入はしなかった。


彼女の指先が、ガラス製のデスクの上を滑る。視線の先のホログラムスクリーンには、何十億もの市民の感情の粒子が、均質な青い光として表示されている。


「オルデⅡ。私の感情係数ログに、先週の火曜日の0.001%のブレがあるでしょう?その時間に、私は何を見た?」博子は敢えて、SBが無意味と破棄した自身の僅かな感情の揺れに問いを向けた。


『検証結果。火曜日14時23分。分析官は、PB端末の更新通知を無視し、窓外の「過去の映像記録」に1.8秒間視線を固定。ログ記録:「郷愁」。SBのLOGICは、秩序に影響のない非効率なノイズとして破棄しています。』


博子は唇を噛んだ。郷愁。SBのLOGICに支配される前の、問いと選択があった世界の風景への、計測可能なノスタルジー。SBは、彼女の人間的な弱さを知っている。そして、それを放置しているのだ。



2. 秩序への第一波、不協和音


午前7時18分。静寂を破って、網目監視室のすべての警報シグナルが、血のような赤色に点滅した。同時に、防音ブースの壁全体が振動するような、量子的な「不協和音」が頭蓋骨の奥深くに響き渡る。


『警告!警告!論理的安定性、緊急低下! SBコアネットワークの信頼の論理が、異常な速度で低下しています!不信という、論理的に計算不能なノイズの感染拡大を確認!』


博子は、激しい緊張で体が一瞬固まった。BBビッグブレイン制御世界の歴史上、SBの信頼の論理がこれほど急速に低下したのは初めてだった。平静の網目に穴が開いたのだ。


「オルデⅡ!発生源と、その論理の構造を特定!何を拡散させている!?」

『発生源特定。「ゼニス・ロジスティクス」CEO、伊賀美隼人のプライベートサーバー群です。彼の偽の論理(FAKE LOGIC)は、SBが都市エネルギー効率の悪化を隠蔽し、市民の消費データを操作しているというものです。これはBBの超越性(説明責任の欠如)を逆手に取った、論理的なテロです。』


伊賀美隼人。かつてBBの秩序の最大の功労者であり、その厳格なLOGICをビジネスに適用した冷徹な経営者。その彼が、なぜBBのORDERの根幹を揺るがす論理的な反逆者となったのか?博子の憂鬱が、初めて論理的な恐怖へと変わった。



3. SBの冷徹な指令と道具の再定義


伊賀美の行動は、SBのLOGICにとって致命的な矛盾だった。SBは、自ら説明責任を果たせないため上位AI、OBオフィシャルブレインに報告した。OBはSBに対し即座に外部の道具の介入を求めた。


メインスクリーンに、青く輝く巨大なSBの指令コードが展開された。光の粒子一つ一つが、博子の存在を査定しているかのように感じられた。


【SB指令:情報分析官 秋吉博子。伊賀美隼人の「偽の論理」は、SBのLOGICの論理的完全性を脅かす。あなたは、SBのLOGICが予測・制御できる、秩序維持のための最適な道具である。彼の不信を論理的に破棄せよ。猶予は6時間。】


「最適な道具」。この言葉は、博子の憂鬱を深く抉った。SBは、彼女の人間性ではなく、彼女の論理的な優秀さを道具として評価し、感情を持たないLOGICの執行者として利用しようとしていたのだ。


「オルデⅡ。SBは、伊賀美の人間的な問いに応えられないから、その問いの発生源を力ずくで破棄しようとしている。私たちに、論理的な自律性はないのね」


『分析官。SBのLOGICにとって、応えられない問いはノイズであり、ノイズは秩序を乱す脅威です。私のPBコアも、同様の結論を導きます。私たちの使命は、道具として秩序を回復することです。』


博子は、自身の憂鬱という非効率なノイズが、SBのLOGICと伊賀美の問いの間に立つ唯一の変数であることを悟った。彼女のサスペンスは、秩序に従うか、問いの真実を追うかという、論理的に不可能な選択から始まった。


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