第一話「Encounte」
出会う
雨がザアザア降りしきる、湿った正午のこと。
裏路地から聴こえる、肉を穿つ鈍い音。誰かの苦しみを持った唸り声と、助けを呼ぶ声。しかしその声は、果てしない暴力と雨の騒がしさよって、空虚へと虚しく溶けている……。
「やめてくれ……!お金はあげます!だから……!命だけは……!!!」
許しを請う声は震えている。それを一般的に「命乞い」と呼ぶのだが、彼はそれを知らなかった。
「黙れ。お前は俺の養分でしかねぇんだよ」
青年は男をひたすらに殴り続けていた。その瞳には光などなく、加減を知らない一方的な暴力は男性の意識が飛んでもなお続いていた。
「……はぁ?シケてんなぁ此奴」
青年は財布の中にあった数千円を見つめて溜め息を吐いた。そしてその数千円だけを引き抜くと、財布を意識が飛んで倒れ込んでいる男性に向けて無造作に投げ捨てた。
「……これっぽっちでどう生きてけってんだよ」
雨は降り続けている。すでに全身雨に濡れている青年はくしゃみをしつつも、何処へ行こうかをその場で考えていた。彼に「家に帰る」なんて選択肢は、なかったのだから。
────────── 第一話「Encounte」
二〇二四年五月・東京 神狩町。
東京でも特に大きな繁華街として知られており、朝から晩まで客足の絶えない、まさに「眠らない町」という異名に相応しい人気を誇っている町だ。飲食店や雑貨店、娯楽施設や会社の事務所など、様々な建物が並んでいるこの場所は、毎日たくさんの人たちが行き交っては、老若男女問わず自由な時間を楽しんでいた。
しかし、人の多い場所ということは、もちろん問題は大小問わず起こるモノ。それはその人たちの間で解決できるものもあれば、深刻な場合には事件に発展してしまうケースも残念ながら起きてしまう。普通であればここで登場するのは警察なのだが、この町の警察は力が弱い。非合法に組織された犯罪組織の力に完全に屈服してしまい、警察の署長さえも手を出せないなど、警察の力など名ばかりという状態だった。
そんな弱体化した警察に代わって神狩町の治安維持に力を入れているのが、黒薔薇組。
二〇二〇年頃からここ神狩町を拠点に勢力を伸ばしている警察庁指定暴力団で、薔薇組直系の組織で、現在もっとも力の強い組織のひとつとされている。
現在は三代目組長に速水麻雄を据え、構成員が四百名ほどいるとされている危険組織である。
彼らは神狩町をシマ、つまり、縄張りにしている関係から、そこに店を構えている居酒屋や風俗店などと契約を結び、その店の治安を守っている。その報酬として店側からみかじめ料、要するに用心棒代を毎月貰って収入を得ている。と言ったがそれは氷山の一角であり、それ以外にも様々な収入源が存在するが、種類も多い上にやっていることは褒められたことではないので、今回は割愛する。
そんな神狩町は、昨日の雨が上がったことで快晴だった。青い空は建ち並ぶ建物に隠れることはなく、どこまでも清々しい気分にさせた。涼しい風が五体を優しく撫でていく。この感触が心地よい。まさに誰もが望んだような気候だった。
「さぁぁぁてっと。今日も見回り、頑張りますか」
大きな黒色の組事務所の前で伸びをしながら、背丈の大きな男が言った。藍色の瞳、ポニーテールの白髪、眉間付近に走った斜めの刀傷、左右の耳にはリング状のピアスを着けて、黒のスーツを着ている。
「兄貴ぃ、昨日のヤキが痛みますよぉ……。今日はオレ、事務作業にしていいっすかぁ?」
その隣にいる黒髪の青年がへなへなとした声で言った。
「なぁに言ってんだ白木ぃ。そんな態度、俺の前以外ですんなよ?また兄貴たちにボコボコにされるぞ?可愛くしとけっ」
「でも兄貴たち、なんであんなにボコスカ殴るんでしょうかね……。人材不足で喘いでるのにおかしいと思いません?」
「そりゃあ人材は大事だ。でも、それ以上に組織の統制がとれてなきゃダメだろ。お前みたいなフニャチンばっかりじゃ、いつか潰されちまう。俺たちヤクザは弱いとこ見せたらお終いなんだ。覚えとけよ。白木」
そう教えた男の顔は、先程の優しさを持った顔から、修羅場を通った鬼のような顔が滲んでいた。その表情を見た部下が、思わず目を醒ましたように、態度が引き締まった。
「す、すいませんでした!宍戸の兄貴!」
「……いいんだよ。分かってんなら。さ、見回り行くぞ」
「は、はい!」
そして男とその部下は、快晴の神狩町へと歩き出した。
宍戸たちは、人混みの中を見回っていた。今日も町は平穏であり、彼らの出る幕はなさそうだった。白木は退屈そうに煙草を吹かしていたが、宍戸は「本来はそれが望ましいんだ」と諭した。
「本来俺たちは、この町に表立って動くことはしなくていいはずなんだ。なのに今のサツが動かねぇから仕方なく、俺たちがこの町の治安を守ってんだよ」
「でも、俺たちヤクザが守っても、嬉しくないんじゃないっすかね……?」
白木は煙を吐きながら言った。それに対して宍戸は、少し溜め息を交えながらも優しく教えた。
「まぁな。でもそう言って俺たちまで治安を守んなくなったら、あっという間にこの町は無法地帯になって、人なんて来なくなっちまう。ここに来る客たちが、俺たちの飯のタネなんだよ。それにここに来る客たちが金を払ってるおかげで、俺たち組はデカくなってんだよ」
「なるほどっすね。勉強になります……」
それからしばらく町の中を見回って、二人は事務所に戻った。事務所では一人の組員が黙々とパソコンを操作し、事務作業を行っていた。
「ただいま帰りました」
「帰りました」
宍戸と白木が挨拶をする。
「おう。帰ったか。変わりはねェか?」
組員は灰色のスーツを着て黒淵の眼鏡をかけ、短い髭を顎に生やした男。宍戸と白木をジイッと見つめている。それに白木は、慣れないのか緊張が走る。彼の名は、三条夢富。黒薔薇組のカシラを務めている。異名に〝長ドスの夢富〟がある。
「はい。何も変わりありませんよ」
「か、変わりないっす!」
「……そうか。なら帰ったとこ悪いが宍戸、組長がお呼びだヮ。なんか頼みがあるらしい」
「は、はい!了解しました。カシラ」
「白木は俺と一緒に事務作業だ。今度は逃がさねぇからな?」
「は、はいっす……」
そうして宍戸は、カシラに一礼してから、奥にある組長室へと向かった。
「失礼します!組長!」
大きな声で挨拶と礼をする宍戸。
「おう。ご苦労じゃのぉ宍戸。まぁ、ここに座りんさい」
黒薔薇組三代目組長・速水麻雄。血染めのような赤黒い和服を着た初老の男で、低くゴロゴロとした声の広島弁を操っている。その顔には既に修羅が宿っているような威厳がある。左の小指は第一関節から下が欠損していて、左目が不気味に傾いた義眼となっている。そして鎖骨から覗く、女郎蜘蛛の牙の刺青……。
「どうなさいましたか?オヤジ。カシラから頼みがあると聞きまして……」
「あぁ。われに頼みたい思うてな。ある野暮用を解決して欲しいんじゃ」
「野暮用、ですか……?」
「あぁ。神狩町の〝ドクロ通り〟で騒ぎになっとることで、そこで通行人から金を奪うとるクソガキがおるとの話なんじゃがな……」
「クソガキ……」
速水組長の話は次の通りだった。
先月初旬頃から、神狩町にある裏路地、通称「ドクロ通り」やその付近を中心に、ある青年による暴力を伴う強盗事件が起きていた。その周辺を歩いている通行人に対して誰彼構わず喧嘩を吹っ掛け、金銭を奪っているという事案だ。そしてその被害者の中には、黒薔薇組の若い構成員も含まれているという。
「ただのガキの悪事じゃったら、わしらが入り込む幕はない。だが、ウチの組員がやられとるんじゃったら、話は別じゃ。やられっぱなしでノコノコ帰ってきたそいつらも根性無しだが、やられたらやり返すのが、わしらのスタンス、じゃな……?」
速水組長は殺意にも等しい眼光で宍戸を睨みながら言った。
「はい。どこの誰かは存じませんが、ドクロ通りはウチのシマですね。早急に対処致します」
「おう。殺せたぁ言わん。だがキツう教育しとけ。頼んだで」
そうやり取りして、組長との話は終わった。
それから時間が経って、夕暮れとなった。ここから少しずつ暗くなると同時に眩しいネオンの灯りが灯り始め、酒と女と金が渦巻く「夜の街」へと変身する。その妖艶な様変わりは、いつ見てもどこか慣れないところがある。そんな瞬間があると、初めてこの町に流れ着いた日の事が過るが、それは今話す話題じゃない。
宍戸は速水組長から言われたドクロ通りまで歩いていた。ドクロ通りはやや人通りが少ない場所ではあるモものの、実は人気のニューハーフバーへの近道や、風俗嬢のスカウト、果ては違法薬物の取引に使われたりするため人がいないわけではない。
宍戸は煙草を吸い歩きながら、例の事件の犯人を捜していた。ある程度特徴などは聞かされていたものの、今日はいつもよりやや多かった。
「なんか今日、人多いなぁ……。人探しなら、情報屋とか使えばよかったかなぁ?いや、アイツ頼ると情報料高いんだよなぁ。それなら最近連絡とってないけどキャバ嬢のGEMINIとかでも良かったなぁ……」
通りに入って少ししたその時だった。
いきなり人混みの中から、慌てる人々の騒めきのような声が聞こえた。
宍戸はその方向へ駆け寄った。すると数人の男性が倒れていて、何人かが声をかけて救助に入っていた。そしてその現場から走って逃げていく、青いシャツを着た青年の後ろ姿が見えた。
「テメェか!!待ちやがれ!!!」
宍戸は咥えていた煙草を水溜りに落とすと、全速力で青年目掛けて走り出した。テレビ番組『逃走中』のハンター……、っていう冗談は置いといて、宍戸は絶対に逃がすまいと血眼で青年の背中を追った。青年も宍戸の存在に気が付いたのか、スピードを上げて逃げていく。
「逃がすかぁぁぁ!俺は神狩町のボルトって言われてたんだぞおおおおおおお!!!」
青年は入り組んだ路地や細い通路などをまるで鼠のような素早さで走っていく。そんな青年の姿に翻弄され、宍戸の息は切れかかっていた。
(だがなぁ……、土地勘なら俺の方が上手だもんね……!!!)
走り続けて数十分は経っただろうか。
「はぁ……。はぁ……。はぁ……。こ、ここに隠れていれば、追ってこねぇだろ……」
青年は廃マンションの最上階の階段に身を潜めていた。手には現金五万円が入っていた。
ここは完璧に逃げ切れたと思っていた。しかし、青年の考えは虚しくも敗れ去った。
「見ぃーつけったぁー……。」
「ぎゃあああああ!?」
宍戸が汗だくになりながらも、何とか青年の隠れた廃マンション最上階階段まで辿り着いていたのだ。そう、宍戸はこの場所を知っていた。数多くの喧嘩の経験から、ここが色んな人間の隠れ場や溜まり場になっているという情報を記憶していたのだ。
「手間とらせやがって……。このバカチンが……」
「ち、近寄るんじゃねぇ!刺すぞ!?」
青年は素早く立ち上がると、腰元から出したナイフを宍戸に向けた。
「お、おいおい……、銃刀法違反だろぉ……?」
もちろん、拳銃や日本刀を持っている宍戸の方が言えた立場ではないのだが。
「うるせぇ!!!ヤクザがなんだ!大人がなんだ!!!」
「落ち着けって……!別に取って食べようなんて思っちゃいないってばぁ」
「黙れ!飢え死になんかごめんだ!捕まるのはもっとごめんだぁぁぁ!!!」
青年はナイフを振りかざす。しかし素人の太刀筋。宍戸に当たるわけがない。宍戸が刃を避け、冷静に軽く拳を振りかざす。
「当たらなければ、どうということないよっとぉぉぉぉ!!」
「ぐあぁぁっ!?」
宍戸の拳は青年の鼻っ面を完全に捕らえ、そのまま一発でノックアウトした。
青年が鼻血を垂らしながら、悔しそうに宍戸を睨んでいる。手元からは、ナイフがいつの間にか離れ、宍戸の手に渡っていた。
「君さぁ、カタギに迷惑かけちゃダメだよ。この町に来てる人たちのおかげで、俺たちは食っていけてるんだからさ」
「お前らヤクザの事情なんて知らねぇよ……。俺は俺を虐げた社会に対してイラついてんだよ」
「なんで?」
「社会は親に棄てられた俺に対して冷たいんだ!」
「どう冷たいの?」
「うるせぇ!なんでお前なんかに話さなきゃいけねぇんだよ!!」
青年は怒鳴った。その怒鳴り声に、宍戸は寂しそうな微笑みを向けて答えた。
「黒薔薇組はさ、君と同じような人たちの集まりだからさ」
「……は?」
青年は何を言われたのか、分からなかった。
「親に棄てられて孤独だった組長が、当時親友関係だった先代組長と一緒に立ち上げたのが黒薔薇組なんだって。そこから今まで、たくさんの人が入っては消えていった。でも、それでも俺たちは、入った仲間を一人残らず「家族」って呼んで大事にしてたんだって……」
宍戸が語った、黒薔薇組の成り立ち。それを青年は聞いていたが、結局なにが言いたいのかが分からなかった。
「……で、お前は何が言いたいんだよ?」
「簡単だ。お前を組に入れようと思う」
「……はあぁ!?」
青年はさらに理解が出来なかった。なぜこの流れで、自分がヤクザの仲間なんかにならなきゃいけないのだと思っていたからだ。
「君、どうせ行き場ないんでしょ?だったら事務所来なよ」
青年が睨みながら「行かない」と言いかけた時、ぐるるる……、と寂し気な腹の虫が鳴いた。それを聞いた宍戸は、大笑いして口を開いた。
「お前、なんか面白そうだな!よし!お前、ウチに来い!拒否権はない!」
「はぁ!?ふざけんな!拒否権は誰にだってあんだろうが!」
「……俺は、宍戸修志。宍戸って呼べ。お前は?」
青年は宍戸に、名前を訊ねられた。その時、何処か、胸の奥が、ドキッと暖かくなったような気がした。
「……星川」
「ん?」
「星川。星川彗斗です……」
続く。
次回第二話「brotherss」