揺らぐ玉座
王太子ルーカスは、机に投げ出された商人の書簡を睨みつけていた。
そこに記されていたのは――信じがたい報告だ。
『辺境ノーザン領は、近頃作物がよく実り、村人たちの顔も明るくなっています。
領主アリア様は泥にまみれて村人と働き、皆から慕われています』
その名を目にした瞬間、ルーカスの顔に侮蔑と苛立ちが同時に走った。
「……馬鹿げている! あの女が民と畑仕事? そんなもの、作り話に決まっている!」
彼は机を叩きつけるようにして立ち上がる。
アリアは傲慢で冷酷で、民を顧みぬ女――そう信じて追放した。
だから今さら「領民と共に汗を流している」など、あまりにも馬鹿らしい。
「泥にまみれて働くなんて、貴族のすることではない!
領主の威厳を失って、笑いものになっているに違いない!
そうだ……あれはきっと、無様な姿を取り繕った報告だ!」
そう言いながらも、心の奥でざらつく違和感を振り払うように、声を荒げる。
⸻
一方、聖女リリアも同じ報告を耳にしていた。
だが彼女は、鏡の前で豪奢な髪飾りを直しながら鼻で笑った。
「民と一緒に畑仕事ですって? あのアリア様が? 信じられませんわ」
声は軽やかだが、その指先は落ち着きなく揺れている。
「でも……もし本当だとしたら?」と侍女が口にした瞬間、
リリアは慌てて首を振った。
「ありえません! すぐに失敗しますわ。
泥仕事なんて長続きしませんもの。
きっと民も、すぐに飽きて背を向けるはず。ええ、絶対に」
言葉を重ねれば重ねるほど、自分自身に言い聞かせているようだった。
⸻
ルーカスは部屋を行き来しながら拳を握りしめる。
「いいかリリア、あの女は必ず失敗する。
我らが選んだ道こそ正しい。
アリアがうまくいっているように見えるのは、商人どもの誇張だ!
……そうに決まっている!」
リリアも頷き、作り笑いを浮かべた。
「殿下のお言葉の通りですわ。
私たちこそが真に国を導く存在。アリア様なんて、すぐに落ちぶれます」
その声はどこか上ずり、瞳にはかすかな不安が宿っていたが、
二人はそれに気づかないふりをした。
⸻
王都の華やかな宮廷に身を置きながら、
彼らは遠く離れた辺境で芽吹きつつある“現実”から目を背け続けた。
そして――その愚かさこそが、後に自らを追い詰める刃となるのだった。